蕎麦ゆかわ
平成10年4月9日、55才で銀行を定年退職。
普通、退職者はゆっくりされ、悠々自適の生活を送られるのだろうが、私はこれからが大変なのだ。
双子の長男と次男が県外の大学3年生で、これからまだまだ金が要る。
この男の子の上に長女、次女と子沢山で、正直なところいっぱいいっぱいの生活であった。
私は就職して定年まで勤め上げた。
普通は、勤め上げた満足感と安堵感でホッとする時だろうが、まだまだそんな気持ちではなかった。
子供達が大学卒業までは、親の責任として頑張らねば・・・と、建設会社のご好意
で60才まで経理担当として雇っていただいた。
建設会社の5年間も充実した5年間であった。そして、お蔭様で子供達もようやく卒業、就職となった。
感謝!感謝!!
建設会社にお世話なって2年経ち、子供達も大学を卒業。
そのころになると「老後をどう生きていこうか・・・」とよく考えるようになった。
老後の生き方など、あまり考えたことはなかったが、「もう、そんな歳か・・・」と自分でも寂しくもなった。
平成10年4月9日、55才で銀行を定年退職。
普通、退職者はゆっくりされ、悠々自適の生活を送られるのだろうが、私はこれからが大変なのだ。
双子の長男と次男が県外の大学3年生で、これからまだまだ金が要る。
この男の子の上に長女、次女と子沢山で、正直なところいっぱいいっぱいの生活であった。
私は就職して定年まで勤め上げた。
普通は、勤め上げた満足感と安堵感でホッとする時だろうが、まだまだそんな気持ちではなかった。
子供達が大学卒業までは、親の責任として頑張らねば・・・と、建設会社のご好意
で60才まで経理担当として雇っていただいた。
建設会社の5年間も充実した5年間であった。そして、お蔭様で子供達もようやく卒業、就職となった。
感謝!感謝!!
建設会社にお世話なって2年経ち、子供達も大学を卒業。
そのころになると「老後をどう生きていこうか・・・」とよく考えるようになった。
老後の生き方など、あまり考えたことはなかったが、「もう、そんな歳か・・・」と自分でも寂しくもなった。