ゆがわ おさむ の 年を取りながら(H29.10.15~)

サー 残りの人生 どう生きようか 楽しく そして ノーンビリと 活きて生きる・・・ゾ

生きる喜び~15

2008-08-30 19:17:57 | Weblog
           そば作り記録帳

「最高のそばが打てても、つゆがまずければ、そばは美味しくない」・・・とそば打ち名人は言っておられる。

そばの勉強をするうちに、つゆの作り方にのめり込んだ。

そばつゆは少々手が込んでいる。
つゆの味の元になるのが「返し」というもので、醤油とみりん・砂糖を煮合せて、1週間から10日寝かせて使う。
醤油は東京あきるの市の昔ながらの手作り醤油。
宮崎の醤油は甘味が強く、しっかりした味をだすのには合わない。
みりんは、自然熟成でうまみを出した、無加糖のみりん。

かけのつゆはざるつゆを2番だしで薄めて使うのが普通だが、味に納得できない。
本を読むうちに
「昔はそれぞれの返しを作り、それぞれのつゆでざるつゆとかけつゆを作った」
とあった。

そうだろうなー。
ということで、それぞれのちがう醤油を使った返しとちがった削り節に北海道産昆布・えびの産椎茸を使い、つゆを作り、それぞれざる・かけつゆを作っている。

家内と二人でやるちっちゃなそば屋だ。
お出しするそばに個性がないといけない・・・がそばに対する思いである。

“そば屋をやろう”と決心して2年過ぎる頃には、大学ノート15冊ほどの「そば作り記録帳」となった。

私の宝物です。

生きる喜び~14

2008-08-29 06:03:38 | Weblog
         そば粉

そばを打って1年過ぎた頃、徐々にそば打ちの難しさが分かってきた。

趣味で、そばを打って、家族で食すなら、そばを打つ度に麺の大きさが違ったり、食感が違ったり・・・(私は、これを7色のそばと言います)また、これも話題の一つで楽しい。
出来はどうであれ、自分で打ったそばは格別な味がする。

しかし、そば打ちを仕事とし、お代をいただいて、おそばを出すわけだ。
7色のそばはそば屋の世界では笑いものだろう。

私はそばを打つ時、特に注意していることは、そばを茹でた時、麺に弾力があること。のど越しが良いこと。
そして、食べる時鼻から空気がぬけるが、その時そばの香りがすること。
そんなそばをめざしてそばを打っている。

それには、そば打ち作業を都度記録し、茹で上がったそばを食し、“これだ”というそば打ちの作業工程を基本に、それを繰り返し、自分のものにする。
 
特に、そば粉に水を混ぜる「水回し」は大変重要な工程で、細心の注意を払い、気持ちを込める。

お店を開いて、もう5年目ですが、まだまだ、発展途上で、これからもさらに美味しいそばをめざし、頑張ります。



生きる喜び~13

2008-08-28 06:03:46 | Weblog
             もみじ

3年後にそば屋を開く。
まずは、そばに挑戦だ。

「そば粉選び」と「そば打ち練習」

「最高の技術を持ったそば打ち人でも、そば粉が悪ければ、美味しいそばは打てない。また、そば粉が良くても、そば打ちの技術がなければ、美味しいそばは打てない」・・・とそば打ち名人が言っておられる。

サー、頑張ッドー。

そば打ちの本を数冊買い込み、勉強。
全国のそば粉屋さんが、沢山宣伝を出しておられる。
その中から、生産地をダブらせないように、北海道、福島、長野、栃木県産など5先ほど選び、そば粉を取り寄せた。

土日は朝から、粉だらけになりながら、各地のそば粉ごとにそばを打って食べ、また夕方にそばを打ち、食べた。

ほとんど1年間土日はそば三昧の生活だった。

そば粉の良し悪しは徐々に分かってきた。しかし、そば打ちの方は、水回し、こね、のし、包丁、茹で等々、練習を重ねるも、なかなか難しいもので、打つごとに食感が違う。

しかし、そば屋開業決意から2年過ぎた頃には美味しいそばが打て出した。

この頃は、そば打ちの練習が楽しくて楽しくて、土日がくるのが待ちどおしかったのを思い出す。

そば粉は最終的に、北海道産のそば粉を使うことにしたが、開店して2年目の夏、二つの大型台風が北海道に上陸。
その年の北海道産そば粉は例年の2割程度の収穫で、手に入らなくなり、茨城県産そば粉を使うことにした。
このことは、不幸中の幸いで、北海道産より数段、質が良いと思えるほど、すばらしいそば粉である。

地産地消もいろいろ考え、都城荘内、新富、椎葉、えびの、田野のそば粉を取り寄せ、打ってみたが自分が納得のいくそばを作りきらなかった。

それにしても、そば粉は高い。
種類により、1k1200円~1400円。米の1k450円と比較するとその値段の高さが分かる。



北京オリンピック

2008-08-27 15:56:30 | Weblog
                                   しらん

北京オリンピックも終わりました。
日本の選手、頑張って金メダルを取った選手・チーム、大変な練習を重ね、本人も国民も期待していたが思うようにいかなかった選手・チームそれぞれだつた。
感激したのは水泳の北島選手と女子ソフトボールの選手たちだ。

すごい!すごい!

ただ、開会式から閉会式まで何か素直な気持ちで受け入れできないものがあった。

私だけだろうか?

日本もそうだが、それ以上に厳しい貧富の差、言論・集会の自由などない。
国民の意思でなく、一部の党幹部の考えだけで国が動く。
(共産党員は総人口の6%程度だそうです。みんな共産党員かと思っていました)
何か怖く感じますね。
特にチベット族の弾圧、オリンピック期間中も相当のチベット人が殺されたとか。

そんな中、何も無かったように、オリンピックがきらびやかに開催された。

既存の設備が無かったからか、4兆7千億円の費用がかかったとか。
ちなみに、8年後のオリンピックに立候補している東京は約4千億円の計画。

政治とスポーツは別と言われるが、私としてはスポーツと自由はどうしても切り離せない。

ただ、13億人の人口、56の民族。単一民族の日本と違い、一極集中の政治も已むを得ないのかなー?




生きる喜び~12

2008-08-26 09:13:45 | Weblog
                     えびの市のあぜ道にある 田の神様(たのかんさー)

「絶対だめよ。今までも子供4人、そして母の世話、近所付き合い等大変忙しい思いをしてきたのよ。あなたの退職後は、2人でゆっくりしようよ」
おそらく、そんな返事だろうなー・・・と思っていたが

「そんなにやりたけりゃ、やってみたら・・・」だった。
感謝!カンシャ!

「やろう!やろう!」と100%賛成ではなかったが、一応、家内が承諾してくれ、応援してくれることになり、ホット一安心。

「こんなそばを作ろう、母が作っていた田舎そばにも挑戦しよう。店はどこに構えようか、どんな店構えにしようか・・・」

今までの想いが走馬灯のように脳裏を駆け巡り、何か熱いものがこみ上げてきた。

よーし、寸暇を惜しんでそばに打ち込もう。
少なくとも、自分が「ンー、美味い・・・」そう思うえる、そばを作ろう。







生きる喜び~11

2008-08-25 11:00:24 | Weblog
                             蕎麦 ゆかわ 二階個室

「俺、退職後はそば屋がやりたい・・・」
家内は私のこの言葉を聞いて、そんなに驚いた様子でもなかった。

記憶としては、積極的ではなかったが、あまり何も言わず、
「そんなにやりたけりゃ、やってみたら・・・」だったと思う。

どうしても、当時のことをはっきり思い出せないので、
昨夜、「そば屋がやりたい・・・と言ったとき、どう思った・・・」と聞いてみた。
「退職後は孫たちとゆっくり過ごしたいなー。また忙しくなるなー。だけど言い出したら人の言うことは聞かないもんね・・・」とのこと。

やっぱりそうだったろうなー。
すまんすまん。勝手放題で。

ただ、日常会話のなかで退職後の過ごし方、何かやりたいことなど、自然そんな話が多くなり、
「こりゃ、ただごとじゃないぞ。何かするな・・・」
そんな気持ちでいたのだろう。
特に、そば料理の本を買い、読んだり、そばの話が多くなったりで、覚悟していたのでは・・・と思う。

家内は、朝の寝起きが悪いのを除けば、一生懸命取り組んでくれる。
特に、お客さんが喜ばれるように、できることは何でもする。そしてそれを自分の喜びとする・・・そんな女性です。





生きる喜び~10

2008-08-24 06:31:43 | Weblog
                           昨年、庭に咲いたそばの花

サアー、決戦だ!!
ある日の昼食の時、家内にそば屋のことを話した。
「あと3年で退職だ。最近よく退職後のことを考える。
することの無い毎日が続くことは耐えられない。
お母さんもお父さんが亡くなって間もなく痴ほうが入ったし、よく聞く話だが、退職後間もなく体を壊したり、知り合いで亡くなられた方もある。
長い間、激務の銀行員生活を送ってきた、そして、そういう生活が好きだった。
しかし3年後は突然することが無い・・・そんな生活は考えられないし、体に悪いと思う。
 
できたら、退職後も目的を持って、楽しみながら生きたい。
俺の理想は“無理をせず、好きなことを、そしてそれを喜んでくれる人がいる”
他の人とそんな係わり合いを持ちながら退職後を生きていけたら最高だと思っている。

そこで、いろいろ考えたのだが、60歳からそば屋をやりたい。
これから60歳までの3年間、土日を使いそばの勉強をする。
これならいける・・・そんなそばができたら店を開きたい。
大変な負担をかけると思うが、一緒にそば屋をやってくれないか・・・」

カナー

あれー、不思議と表情が変わらない。

生きる喜び~9

2008-08-23 06:32:36 | Weblog
                       私の故郷 えびの市昌明寺から霧島連山を望む

3年後、することが無くなる。毎日が日曜日になる・・・。
毎日が日曜日は困る。
何か目標を持って、楽しみながら生きたい。
「ヨシ、そば屋をやろう」
57歳の時の、とんでもない決断であった。

まず、第一関門・・・家内の説得である。

いろいろ考えた。

説得案 1
「この辺で一旗揚げたい」
30年ちょっと銀行で頑張ったが、一旗も揚げきらないのに、60歳から一旗はないでしょ・・・説得力がないか~バツ

説得案 2
「俺は小学校2年頃から農繁期などは夜ご飯の準備をしていた。料理には自信がある」
我が家で食べる食事とお客様にお出しする料理はちがうのよ・・・これも説得力ないか~バツ

説得案 3
やはり一番説得力のはるのは、健康問題だ。
「23歳から銀行という激務の仕事をしてきた。ある日突然することがない。
俺はこの事が体に一番いけないのでは・・・と思う。
お母さんもお父さんが亡くなったらすぐ痴ほうが入りだしたよね。
突然、毎日が日曜日、これが体に一番悪いよね.
そこでだ、そば屋をやろうと思うんだ。
これから3年間独学でみっちり勉強し、これならいけるというそばができたら、一緒に頑張ってくれないか。
いかに退職後の生活とは言え、俺の性格から、目的を持って生活をする・・・これしか生き方は無いと思う。」


ンー、なかなか説得力のあるストーリーだ。
よし、これでいこう。



独り言

2008-08-22 06:06:27 | Weblog
                                 蕎麦 ゆかわ

最近、なにか気持ちが充実し、ウキウキしている。

独り言ですが、

今日のうどん通のお客様
「どうしても好きになれなかったけど、そばってこんなにおいしいんだー・・・」と。
今日の疲れはいっぺんに吹き飛んだ。
この様なお客様の言葉、そば屋の、そして仕事の喜びなんですよ。
そして、夕方その方から電話。
「こんどの土曜日の夜、4名でそば会席を食べたいのですが・・・」とご予約。
カンゲキ!カンゲキ!!

3日前、仕事上のお客さんを連れて、4名でざる蕎麦セットを食べていただいた。
支払いされた若い方が
「美味しかったです。お客さんも喜んでいただきました」と。
一緒にみえたお客さん、帰に靴をはきながら
「久ぶりに美味しいそばをいただきました・・・」と。
うれしいことです。

お盆にご家族連れでみえた、80くらいのおばあちゃん
「長生きしてよかった。美味しかったよ・・・」と
そば屋としては、涙がでるほどのお言葉です。

仕事をして、お客様からこんなうれしい言葉を、そして力をいただける・・・。

幸せなことです。

さー、これからも手を抜かない、気持ちを込めた、美味なそばを作ろう!!

自慢するみたいで、すんません。
いや、独り言です。


生きる喜び~8

2008-08-21 06:23:32 | Weblog
                            蕎麦 ゆかわ の ざる蕎麦

「よーし、そば屋をやろう!!」
気持ちがかたまったのは、57歳の時であった。

55歳で銀行を定年退職。と同時に60歳までの5年間経理担当として、建設会社にお世話になることになった。

あと、3年で毎日が日曜日になる。
どうしよう。毎日が日曜日・・・か。

毎日が日曜日を楽しみに待っている人もいる。
しかし、私は毎日が日曜日は大変なのです。
年を取っても何かして生きたい。いやそう言う生き方をしなければいけない・・・が持論。
それも好きなことを楽しみながら・・・が最高だ。

で、そば屋ということになったのだが、
まず第一の関門は家内をどう説得するかだ。

そのころ、家内の母は70歳ころから痴ほうが入り、私の家に連れてきて家内が面倒を見ていた。
そんなこともあり、家事から母のことまで多忙な日を送っていた。

そのようなことで、おそらく退職後はゆっくりと・・・と考えるのが普通だろう。

自分一人で、好きなことを楽しむのは、まだいい。
しかし、そば屋をするなら家内の協力は不可欠だ。
退職後、今まで以上に忙しい思いをさせないといけない。
悩むところである。

さー、どう説得するか?