まだ携帯電話が世に出ていなかった時代、今から数十年も前の頃、当時、通信機メーカーに勤めていた私は、電話関連の施設を売り込みにインドネシアに出張したことがある。
現在でもそうだが、電話で音声を相手側に伝えるための方式には、電波による無線方式と銅ケーブルを用いた有線方式の2種類があり、これら両方式は、電話局と電話局とを結んだり、電話局と私たち家庭の電話機とを結ぶための伝送路として利用されている。
通常、電話局と接続される何百、何千、という数の家庭の電話機とを結ぶ伝送路としては、有線方式が使われているが、この有線方式は、電話局も家庭の電話機もそれらの存在場所がいつも一定で固定している、という固定間の通信の利用に適する大きな特徴となっている。
私が出張したあの当時、インドネシアでは、電話機を備えた家庭はごくわずかで、なにしろ私が泊まったホテルの従業員も電話機の扱い方に不慣れだったようで、部屋にある電話機のベルが鳴ると怖がっているみたいだった。そのような状況の中、同国が、経済発展を期して、社会基盤充実の一環として、電話に代表される通信施設などのいわゆるインフラ整備を急いでいたのは、当然の成り行きであり、首都ジャカルタの市内あちこちでは、道路の端っこで電話ケーブルを埋めるための工事が行われていた。電線を敷設する場合、地中に埋めるやり方と、道路に沿って電柱を立てて、それら電柱にケーブルを張り巡らすやり方があるが、ケーブル盗難の予防の観点からは、ケーブルを地面に埋め込むやり方が優れているのは言うまでもない。
実は、当時のインドネシアでは、ケーブルはもちろん、通信機材などが盗難にあうことが頻繁にあって、工事現場で機材や部品類が盗難にあった、という話を、アチコチで沢山聞かされた。その一方で、当時は、機材とか部品などを販売する青空市場が毎日のように開かれていて、そこに行くと、昨晩盗難にあったばかりの品物が売られていた、っていう話を聞いてあっけにとられたものであった。工事担当者からすれば、本来、自分たちの持ち物だった品物を青空市場から、お金を払って買い取らざるを得ない、っていうのはバカバカしいことだが、当時は、そんなことが常態化していたようだ。
さて、今や携帯電話の時代だが、そんな携帯時代が到来した背景には、電波という無線周波数を効率よく利用する方法とか、電子部品の小型化とかの技術、それと、ITで代表されるコンピューター技術とが目覚しく発展したからなのである。いま振り返れば、かつて、PC-9800シリーズというパソコンを世に出してPC業界の雄だったNEC社が、C&C(Computer & Communication)時代の到来というキャッチフレーズで盛んに宣伝していた頃が懐かしく思い起こされる。
携帯電話を持ち歩く私たちは、どこに移動しても、電波という無線の伝送路が、電話局と携帯電話を結んでくれている。このように無線を使えば、かつてのケーブルを張り巡らす、というような面倒な手間が省ける上に、ケーブル盗難といった問題も無い。このような観点から、通信インフラの整備が立ち遅れている開発途上国などにとっては、携帯電話システムの採用こそが、てっとり早く整備するのに最も便利なシステムとなっている。
ところで、インドネシアへの出張では、当時のスハルト大統領の政権下で、科学・技術担当の国務大臣をされていたハビビさんにお目にかかったことが懐かしく思い起こされる。あの時、シャープの方と私の上司、それに私を加えた3人で、大臣室の前で少しの間、待っていて、それから、だだっ広い大臣室に通され、大臣と私たちは英語でおしゃべりした。背の低い、小柄なハビビ大臣が、その後、何年も経ってから、インドネシアの大統領になられたので、今から思えば、私にとって貴重な体験だった。
現在でもそうだが、電話で音声を相手側に伝えるための方式には、電波による無線方式と銅ケーブルを用いた有線方式の2種類があり、これら両方式は、電話局と電話局とを結んだり、電話局と私たち家庭の電話機とを結ぶための伝送路として利用されている。
通常、電話局と接続される何百、何千、という数の家庭の電話機とを結ぶ伝送路としては、有線方式が使われているが、この有線方式は、電話局も家庭の電話機もそれらの存在場所がいつも一定で固定している、という固定間の通信の利用に適する大きな特徴となっている。
私が出張したあの当時、インドネシアでは、電話機を備えた家庭はごくわずかで、なにしろ私が泊まったホテルの従業員も電話機の扱い方に不慣れだったようで、部屋にある電話機のベルが鳴ると怖がっているみたいだった。そのような状況の中、同国が、経済発展を期して、社会基盤充実の一環として、電話に代表される通信施設などのいわゆるインフラ整備を急いでいたのは、当然の成り行きであり、首都ジャカルタの市内あちこちでは、道路の端っこで電話ケーブルを埋めるための工事が行われていた。電線を敷設する場合、地中に埋めるやり方と、道路に沿って電柱を立てて、それら電柱にケーブルを張り巡らすやり方があるが、ケーブル盗難の予防の観点からは、ケーブルを地面に埋め込むやり方が優れているのは言うまでもない。
実は、当時のインドネシアでは、ケーブルはもちろん、通信機材などが盗難にあうことが頻繁にあって、工事現場で機材や部品類が盗難にあった、という話を、アチコチで沢山聞かされた。その一方で、当時は、機材とか部品などを販売する青空市場が毎日のように開かれていて、そこに行くと、昨晩盗難にあったばかりの品物が売られていた、っていう話を聞いてあっけにとられたものであった。工事担当者からすれば、本来、自分たちの持ち物だった品物を青空市場から、お金を払って買い取らざるを得ない、っていうのはバカバカしいことだが、当時は、そんなことが常態化していたようだ。
さて、今や携帯電話の時代だが、そんな携帯時代が到来した背景には、電波という無線周波数を効率よく利用する方法とか、電子部品の小型化とかの技術、それと、ITで代表されるコンピューター技術とが目覚しく発展したからなのである。いま振り返れば、かつて、PC-9800シリーズというパソコンを世に出してPC業界の雄だったNEC社が、C&C(Computer & Communication)時代の到来というキャッチフレーズで盛んに宣伝していた頃が懐かしく思い起こされる。
携帯電話を持ち歩く私たちは、どこに移動しても、電波という無線の伝送路が、電話局と携帯電話を結んでくれている。このように無線を使えば、かつてのケーブルを張り巡らす、というような面倒な手間が省ける上に、ケーブル盗難といった問題も無い。このような観点から、通信インフラの整備が立ち遅れている開発途上国などにとっては、携帯電話システムの採用こそが、てっとり早く整備するのに最も便利なシステムとなっている。
ところで、インドネシアへの出張では、当時のスハルト大統領の政権下で、科学・技術担当の国務大臣をされていたハビビさんにお目にかかったことが懐かしく思い起こされる。あの時、シャープの方と私の上司、それに私を加えた3人で、大臣室の前で少しの間、待っていて、それから、だだっ広い大臣室に通され、大臣と私たちは英語でおしゃべりした。背の低い、小柄なハビビ大臣が、その後、何年も経ってから、インドネシアの大統領になられたので、今から思えば、私にとって貴重な体験だった。