宇宙の始まりと私の始まり

2005年10月11日 | 心の教育

 現代科学の標準的な仮説では、宇宙は今から137(+-2)億年昔に始まったといわれています。

 私自身も知って驚いたんですが、宇宙も永遠の過去から永遠の未来にわたって存在しているものではなく、ある時――今から137億年くらい前――始まったんですね。

 それが、宇宙カレンダーの1月1日になります。

 私たちの人生に比べて、それはもう「想像を絶する」ような遠い遠い昔、長い長い時間ですが、ここであえて絶してしまわないで、眼を閉じて想像してみてください。

 「137億年というのは、どういう長さの時間なのだろう?」と。

 数字を「知る」だけなのと、その時間の長さを「イメージする」のとでは、コスモロジーとしての実感が変わってきます。

 少しでもイメージすることができ、わずかでも実感することができると、心の中に驚き、「なんて不思議なんだろう」という感じ――レイチェル・カースンのいう「センス・オブ・ワンダー」――が湧いてきませんか?

 私は、「すごいなあ」と感心してしまいます。

 なぜ、そんなすごいことがわかったのか、簡単にお話ししていきましょう。

 19世紀から20世紀前半にかけて、技術が発達し、望遠鏡も発達し、それに連動して天文学・宇宙論も飛躍的に発達してきました。

 そして、それまでわからなかった宇宙のいろいろなことが、信じられないほどはっきりとわかるようになってきたのです。

 20世紀初頭、エドウィン・ハッブルというアメリカの天文学者が、解像度と倍率が飛躍的に向上した望遠鏡で、毎晩のように夜空を覗いて星の研究をしていました。

 (有名なハッブル望遠鏡は彼の名にちなんで名づけられたものです。)

 性能のいい望遠鏡で見ると、それまでボンヤリとした星のように見えていたものが、実は無数の星の集まりであることがわかってきたのだそうです。

 しかも、その無数というのが、数十や数百ではなく、数億や数十億という集まりで、つまりそれらは「銀河」であることがわかってきました。

 夜空、つまり宇宙にはたくさんの星だけでなく、無数の星の集まりである銀河がたくさんあったのです。

 (今では、銀河は、全宇宙に1000億個ほどあるといわれていますが、その10倍、1兆個近くあるという説もあります。)

 ハッブルは、そうした全天の銀河の観測を続け、さらに地球とそれぞれの銀河の距離、銀河同士の距離も調べていったのです。

 1929年、一定数の銀河を調べた段階で、ほとんどあらゆる銀河は地球からも他の銀河からも一定の法則性(「ハッブル定数」)のある大変な速度で遠ざかっているという説を発表しました。

 (私たちの天の川銀河に近い小銀河で引力のために近づいているものはあるのだそうですが。)

 そして、ほとんどの銀河同士がお互いに遠ざかっているという事実から、宇宙空間は拡大していると考えたのです。

 これは、宇宙空間というものは無限であり変化しないものだという常識からすると、大変ショッキングな発見でしたが、観測が進めば進むほど、確実だと考えられるようになりました。

 ところが、科学者たちはどこかで考えを止めるということがなく、どこまでも考えていくもののようで、ロシア出身アメリカ国籍の科学者ジョージ・ガモフは、さらに「時間が経つにつれて宇宙空間が拡大しているとすれば、逆に時間を遡ると今よりも小さくなるはずだ」と考えました。

 そして、そのことを観測的事実と理論的推測をあわせて遡れるぎりぎりのところまで遡って、かつて宇宙は限りなく小さかったはずだと考えました。

 1947年、ガモフは、百数十億年前、宇宙は限りなく小さい状態から爆発的に拡大しはじめたという仮説を提出しました。

(すでに1927年、ベルギーのルメートルによる先駆的な仮説は出されていたのですが、ガモフによって有名・決定的になりました。)

 この仮説は、反対する学者から「なるほど、ビッグバン(大爆発)というわけだね」と皮肉をいわれたことから、「ビッグバン仮説」と呼ばれるようになりました。

 この「ビッグバン仮説」は、少数の反論はないわけではありませんが、50年あまり基本的には揺らいでいないようですし、現在では大多数の科学者が認める標準的な仮説になっており、しかも仮説を裏づける決定的なデータが2003年NASA(アメリカ航空宇宙局)から発表され、ほとんど定説になりつつあります。

 つまり、「私たちの宇宙は137億年前に始まった」といって、ほぼまちがいなさそうです。

 さて、ここまで来て、「宇宙が始まった? それが私に何の関係があるんだ?」という気がしている人がいるかもしれません。

 そこで考えて見ましょう。

 宇宙が始まらなかったら、私たちの住んでいるこの天の川銀河というものはできなかったんじゃないでしょうか?

 天の川銀河ができなかったら、太陽系もできなかった。

 太陽系ができなかったら、地球もできなかった。

 地球ができなかったら、生命は生まれなかった。

 生命が生まれなかったら、人類は生まれなかった。

 人類が生まれなかったら、私のご先祖さまも生まれなかった

 ご先祖さまが生まれなかったら、私も生まれていない。

 まちがいないですね? どこにも論理の飛躍やすり替えやごまかしはありませんよね?

 だとしたら、宇宙が始まったことと私が生まれて生きていることとは、137億年という想像もできないほど長い時の隔たりはあるにしても、真直ぐダイレクトに関係があると考えるほかないのではありませんか?

 驚くべきことですが、「宇宙の始まりは私という存在の始まりでもある」……ということになるようです。

*今回の写真は銀河団RXJ_Vri_72。前々回の写真は銀河団C1039。いずれも国立天文台提供。

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コメント (3)
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