仏教の有効性は未だ色褪せていない!

2008年01月23日 | 心の教育

 教えている3つの大学の中でいちばん受講生数の多い――今年は約350名――H大の2回のレポート合計700通あまりに取り組んでいます。

 第1回の「唯識について」をようやく読み終えました。

 途中で疲れてきたので、少し気を紛らせるために、いったい400字原稿用紙換算でどのくらいになるのだろうと計算をしてみると、ほぼ1800枚でした。

 朝から夜までかかりっきりで、かなり肩や腰に来ます。

 しかし、学生たちの次のような感想にエネルギーをもらいながら、今年もなんとかやり抜くことができそうです。


 私は、この授業に出てから考え方がガラリと変わりました。本当に、以前よりもポジティブな考え方をすることができる様になりました。すべてのものは宇宙エネルギーレベルでみな一体であるので、すべてのつながりの中で私も生まれた。これを思うと家族や宇宙にあるすべてのものに感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになります。これからも、すべて私とつながっているということを思うと、もう淋しい気持ちにはなりません。
 現代に生きる人々は涅槃に向かうためのスタートラインも見失っている人々が多いと思いました。しかし、私は、先生のおかげで、今やっと転識得智のスタートをきることができます。これからの人生も、宇宙にある全てのものとのつながりを意識し、覚りの道を歩んでいきたいと思います。(H大社会学科1年女)


 私は「元々一つのものがつながりながらそれぞれの姿を現している。それが世界のほんとうの姿だ」とする見方の仏教―唯識の立場にとても共感を覚える。論理的に考えるとそう結論づけざるを得ないからだ。「私」という存在は父・母、さらにはその前にさかのぼる長大な関係性の中にある。その事実は、「自分のことは自分で決める!自己決定権が人間にはあるのだ!」とする考えに真向から批判を加えるのだ。人は、そして全ての生命は関係性の中で存在している、という端的な事実は忘れてはいけないだろう。そしてまた、互いに影響し、影響され合う関係である、ということも考えてみると、人とは「関係性の束」であると定義できるかもしれない。このような思想は、「あらゆるものがつながっている」という考えを喚起するであろう。そしてそれは環境問題etcが深刻化する現代社会において解決策を提供できる一つのスタンスである。「根本的には一つである」とする体系的な理論を構築した仏教―唯識は、今こそ必要とされるマストな教養かもしれないと考えざるを得ない。仏教の有効性は未だ色褪せていない。(H大社会学科3年男)


 自己絶対化された特定宗教としての仏教ではなく、いわば「仏教思想」の現代的な有効性――私のキャッチフレーズでいうと「唯識は21世紀の常識だ」――について、多くの学生と合意が成立したようだ、と喜んでいます。

 続いて「聖徳太子・十七条憲法について」に取り掛かります。

 ここでも、またさらに合意が成立しているだろう、と期待しているところです。


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