曲がった心を正す方法:十七条憲法第二条

2007年01月23日 | 歴史教育

 「十七条憲法」の第二条は、いわば仏教の国教化宣言です。

 ここには、なぜ太子が仏教を国教とするのか、きわめて明快な理由が示されています。

 人間の心は無明によって曲がってしまっている。そのために憎みあい、争いあい、自然の循環を乱してしまう。

 しかし、本来どうすることもできないほどの悪人はいない。すべての人には「仏性(ぶっしょう)」が具わっている。

 仏が存在し、その真理の教え、つまり縁起の理法、すべてはつながって1つだという教えがあり、それを体得した集団・僧伽があって、その真理を人々に教えるならば、人々は教化され真理に従うことができるようになる、というのです。

 そうなれば、平和と調和に満ちた国、日本を創出することは不可能ではないのです。


 二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏(ぶつ)と法と僧となり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、甚だ悪しきものなし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

 第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、仏と、その真理の教えと、それに従う人々=僧である。それは四種類すべての生き物の最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人が、この真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば〔真理に〕従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって曲がった心や行ないを正すことができようか。


 しかも、太子は、すべてはつながって1つ、縁起の理法は人間だけでなくすべての生き物のいのちの根拠でもあり、すべての国が到達すべき普遍的な事実であることをしっかりと認識しておられます。

 「いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん」というのは、太子がただ仏教を頭から信じ込んでいたのではなく、それがあらゆる時代、あらゆる人に通用する普遍的真理であることをつかんでおられたことを示しています。

 かつての教条的な左翼の先入見――私ももっていました――と異なり、太子は、自分は理解したり本気で信じたりしてもいないのに、「民衆の阿片」、つまり人々をだまして服従させるためのイデオロギー(虚偽意識)として、仏教を導入-利用したのではないようです。

 自ら、深く理解して、その普遍性・妥当性に信頼を置かれたので、和の国日本を創るために指導者から始まってすべての国民の心を浄化する有効な方法として導入されたのだ、と思われます。

 しかも、仏教を排他的に採用したのではなく、仏教に不足している倫理的な教えの部分については儒教を併用し、従来の神道も十分に尊重しています。

 「神仏儒習合」という日本の心の基礎は、太子が作られたものだといっていいでしょう。

 ところで、歴史学的には、聖徳太子の3つの経典への注釈書『三経義疏(さんきょうぎしょ)』はすべて後代のものであるという説が強く、それどころか太子の存在そのものさえ疑う説もありますが、「十七条憲法」と『三経義疏』をちゃんと読むとそこには一貫した思想があり、同じ人の書いたものと考える方が自然なくらいです。

 この一貫した思想をもっていたのは、誰なのでしょうか? 実証史学では、そういうことは問題にされていないようです。

 しかし、私はそうした問題に深入りする気はありませんし、論争をする気もありません。

 そうではなく、かつて古代の日本にはこんなにすぐれた国家理想があった、その理想を掲げたすばらしい国家指導者がいた、という日本の〈物語〉の意味を読み取りたいと思っているのです。




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