人間のもっとも深い心の底は善でも悪でもない、と唯識はいっています。
私はよく、そのことを商品倉庫と在庫品に譬えます。
ここに不良在庫でいっぱいになっていて、出庫する品物はいちいちすべて不良品という倉庫を想像してください。
こういう場合、不良なのは倉庫でしょうか、それとも在庫でしょうか?
いうまでもありません、不良なのは在庫であって倉庫ではありません。
では、いつも不良品ばかり出庫しているこの倉庫から優良品が出庫できるようにするにはどうしたらいいのでしょう?
倉庫を壊して建て直さなければならないのでしょうか、それとも不良在庫を一掃して、優良在庫と入れ替えればいいのでしょうか?
これもいうまでもありません、倉庫はそのままで在庫さえ入れ替えれば、倉庫からは優良品が出庫されるようになります。
今のところふつうの人(凡夫)のアーラヤ識=蔵識は、煩悩という不良在庫でいっぱいで、そのため出庫されるのも煩悩ばかりです。
しかし、倉庫があるから在庫ができるように、アーラヤ識があるから煩悩も善も智慧も貯蔵することができるのです。
アーラヤ識があるままで、煩悩を廃棄処分にして善や智慧に在庫総入れ替えを行なえば、人間は人間であるままで仏になれるのです。
心の底にアーラヤ識という領域があるからこそ、人間は迷っているのですが、だからこそ覚ることもできる、と唯識はいっています。
これは、いわゆる性悪説と性善説のそれぞれ妥当な洞察をぜんぶ含んで超えるような、深くて正確で、希望のある人間洞察だ、と私はきわめて高く評価しているのです。
*写真は、近所で咲いている今年の水仙です。春はもうそこまで来ています。
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