レポート感想:中2の自分に聞かせてやりたかった!

2012年07月23日 | いのちの大切さ

 今、H大学の前期末のレポート600枚以上を読みはじめました(実は前期中間のレポートもかなり残っているのですが、前期授業全体の効果を確認したくて、少しフライングしています)。

 課題のタイトルは「現代科学のどういうポイントがニヒリズム・エゴイズム・快楽主義を克服するのか?」です。

 現代科学のポイントについては、ブログ掲載のと同じ整理表(下段のもの)を渡してあります。

 これらのポイントがニヒリズムの克服にどう関わっているのかをしっかりと理解してもらうことが、本人自身のニヒリズムの克服にも連動すると思うので、課題にしています。

 さて、これまでも今回もレポートのなかでそうとうたくさん「自分も自殺を考えたことがある」「いじめにあったことがある」という報告があるのには、「やはり」という思いと同時に「そこまで」というショックがあります。

 自分の体験を書くことはまったく要求していないのですが、あえて書いてくれるのは、責任ある大人に伝えて、自分だけでなく自分と同じような苦しい状況にあった・ある人への理解と対処を求めているのではないか、と感じています。

 以下は、今大きく報道されている大津でのいじめ事件に関わって、あえて自分のことを書いてくれたものです。

 匿名で参考資料として公的に使わせてもらうことがあることは、予め話して了解を取ってありますので、まさに今の「いじめ―自殺問題」解決のための1つの参考資料として掲載させていただくことにしました。

 読んでみて、ご一緒に考えてください。



 “宇宙と私は一体である” という先生の話を聞いて以来、私の人生観は明らかに変わった。私の身体には137億年の歴史が流れている…そう考えると、私は毎日生きていることが楽しくて、“生きているのだ” ということを常に感じるようになった。“あの人も、あの木も、あの虫も、あの雲も、あの建物も、あの星も…! みんな、親戚なんだ!” という考え方は、先生の“宇宙一体論” ともいえる思考を持っていない人にとっては「バカみたい」「くだらない」「あたりまえじゃないか?」と思われるかもしれない。しかしながら、注目すべきことは、これは現代の科学によって証明された事実を述べたに過ぎないということだ。「あたりまえじゃないか」という人はいるだろう、だが、主客分離という思考法が当然のようにフィルターとして働いているために、宇宙と私が一体であるという事実を感動的なこととして受け止めることができないのではないか、というのが私の見方である。

 話は少し変わってしまうが、人生観が変わるという話を出したので、ぜひとも先生の耳に入れて頂きたいと思い、述べることにする。2012年7月現在、滋賀県の大津市の中学生がいじめが原因で自殺をしたのではないかという報道が連日のようにニュースを賑わせているが、実は自分も中学校2年生の時にいっそのこと自殺してしまおうか、と悩んでいた時期があった。大津市のような暴行などはなかったが、ずっと仲が良かった人に裏切られ、陰湿ないじめ(ハブかれるなど)をうけたことが原因だ。完全に人間不信に陥った。「死んでしまえば、なにもかもが終わる」…当時の私はこう考えていた。楽になりたいという気持ちが大きかったのだ。結果的に私は周囲の人たちの支えがあり、こうして毎日を生きているわけではあるが、先生の話されたことが実体験としてあるということに驚きを隠せなかった。私は近代科学による思考を持っていたためにこう考えたのであろう、と今は思える。しかし、これを私だけの問題ではないだろう。というのも、日本人の自殺率は驚異的に高いということはデータとして表れている。つまり、かなり多くの人がまだ近代の考え方のなかで生きているのではないだろうか。

 宇宙と私は一体であるという、単純な事実だけれども、非常に感動的で壮大なスケールの話を18歳という段階で聞けたことに本当に良かったと感じている。できれば中2のときの自分に聞かせてやることができれば…とも思う。しかし、現在の自分のコスモロジーの変化は想像以上のもので、何だか心がスーっとする感覚を得ているというのが現実である。毎日が楽しく、笑顔あふれてイキイキとした毎日を送っているのも事実です。これもまた、この授業を取ったおかげだと思う。先生と学生という立場ではあったが、私は人生観を変えて頂いた恩師として今後も慕いたいと思う。後期のご講義も楽しみにしています、ありがとうございました。


 このケースの重要なポイントは2つある、と私は思いました。

 1つは、彼自身言っているとおり「周囲の人たちの支え」があったことです。これはある意味では当然のことです。問題は当然のことが当然のこととして実行されにくいことですが。

 もう1つも彼自身気づいたとおり、「死んでしまえば、何もかも終わる」「楽になりたい」という考えの問題です。

 「楽になりたい」という気持ちはある程度自然なものですが、「楽でなかったら・楽しくなければ、生きている意味がない」という思い込みにまで到ると、それは快楽主義という近代の心の病です。

 「死んでしまえば、何もかも終わる」のは、当人個人だけの問題であって、遺された人にはいつまでも終わらない心の重荷が遺されます。

 あえて言うのですが、遺される人の気持も考えず、自分だけ楽になりたい・なれればいいというのは、やはりある種のエゴイズムです。

 「死んだらすべてはばらばらの物質に解体し、意味上は無になる」というのは、ニヒリズムです。

 近代科学的なコスモロジー(世界観・人生観・価値観のシステム)は、「今どんなに苦しくても、耐えて生き抜かなければならない・生き抜いたほうがいい絶対的な理由がある」ことを示しえません。

 それに対し、現代科学のコスモロジー――あえて言えば「コスモス・セラピー」=「コスモロジー教育」的解釈――は、苦しくても生き抜く理由を語ることができる、というのが筆者の年来の主張です。たくさんの親御さん、教育関係者、特に教育行政の責任ある立場の方に届くといいのですが。

 この感想を書いてくれた学生だけでなく、かなり多数の学生に「生き抜く理由」「生きる勇気」のメッセージは届いたのではないか、と期待を持って、これから膨大なレポートと取り組もうと思っているところです。

 なお、この学生の感想の部分だけでなく、まとめの部分も公表すると、コスモロジー教育の「わかる―実感する―身につく」というプロセスがいっそうよく理解していただけるのですが、明日までまだレポートを提出する学生がいますから、「コピペ」のネタにならないよう、後日にしたいと思います。

(*なお、「恩師として今後も慕いたい」という言葉の部分まで自分で掲載するのは面映く、省略しようかとも思いましたが、実際書いてくれたことでもあり、もっと一般的・本質的なことから言えば、やはり教師と学生の関係はこうありたい、教えるべきことを教えれば次世代はちゃんと前の世代を尊敬・敬愛・尊重してくれるのだという見本として、あえて残すことにしました。T君、そう言ってくれてありがとう!)


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いじめ (松原)
2012-07-24 06:23:37
学期末、かなり厳しく「いじめ」についての指導を入れました。予防措置です。

あまり敏感になり過ぎるのも良くないのかもしれませんが、今回のTさんの事例などを聞くと、教師は子どもを「守る」必要があると強く思います。毅然とした戦いが必要です。

その毅然さんの背景として、しっかりとした「コスモロジー」は大人としての「武器」になるように思えます。

多感な時期は、「理屈じゃない」部分もありますが、「あいつが言うなら」という関係をきづき、理屈にもきづいてほしいと考えます。

Tさんは、そんな大人と会えて、幸せ者ですね。このご縁を大事にしてもらいたいです。
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させない、されても負けない (おかの)
2012-07-24 12:06:18
>松原先生

 予防措置、ご苦労さまです。ぜひ、今後もしっかり続けてください。

 コスモロジー教育は、「なぜ、人は人をいじめてはいけないのか」ということ、「なぜ、人は苦しくても耐えていかなければならないのか」を根本的なところか説得できる根拠と論理を持っていると思います。

 問題は、その根拠と論理を子どもたちの心にどう伝え、どう根付かせるかですが。

 ぜひ、現場での工夫をお願いします。また、成功したら事例をシェアしてください。
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