丸山薫(1899―1974)は、若い頃から愛読してきた詩人の一人です(手近なものとしては思潮社版か弥生書房版の『丸山薫詩集』)。
特に初期の『帆・ランプ・鴎』という詩集が独特の叙情性があって、好きです。
その中から2つだけご紹介します。
河 口
船が錨をおろす
船乗の心も錨をおろす
鴎が淡水(まみず)から 軋る帆索に挨拶する
魚がビルジの孔に寄ってくる
船長は潮風に染まった服を着換えて上陸する
夜がきても街から帰らなくなる
もう船腹に牡蠣殻がいくつふえたろう?
夕暮が濃くなるたびに
息子の水夫がひとりで舳に青いランプを灯す
帆が歌った
暗い海の中で羽搏いている鴎の羽根は 肩を廻せば肩に触れそうだ
暗い海の空に啼いている鴎の声は 手を伸ばせば手に摑めそうだ
摑めそうで だが姿の見えないのは 首に吊したランプの瞬いているせいだろう
私はランプを吹き消そう
そして消されたランプの燃殻のうえに鴎がきてとまるのを待とう
丸山薫さんは、生涯、海を愛し続けたようで、後期には次のような詩も書いています。
海という女
どんなに好きかは
もりあがるその乳房の量ほどに
或は また
十万トンのタンカーをさえ揺さぶる
その胸の熱いあらしほどに
けれど なぜ好きなのかと訊かれても
めったに理由など言えそうもない
口ごもるばかりの僕を尻目に
にわかに渦巻く水鳥の大群となって
虹なすトビ魚の一団となって
ごっそり地球の外に飛び立って行くだろう
ウラヌスかネプチューンを指して
おまえの居ない世界の
想うさえ 死にもまさる荒涼さよ
僕にとっては古びた恋い妻
しかもなお 若い歌をうたいつづける
おまえ 海という女
コスモロジー的にいえば、海はすべての生命の故郷ですから、私たちが海に郷愁を感じるのは当たり前といえば当たり前です。
しかしそう言ってしまっては、理に落ちるというものです。
なぜ好きなのかと訊かれても、うまく表現しきれなそうで口ごもってしまうくらい好きなのが、ほんとうに好きということなのでしょう。
最後の「僕にとっては古びた恋い妻/しかもなお 若い歌をうたいつづける/おまえ 海という女」という3行からは、作者がもちろん海を、そして実は奥さんをも深く深く愛していることがうかがわれて、とてもいい感じです。
読んでいたら、私も海に行きたくなりました。
そうだ、海に行こう!
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