15日、参議院本会議で改正教育基本法が与党の賛成多数で可決され、成立しました。
そこで、成立した政府案とこれまでの基本法の文部科学省のHPで公開されている新旧対照表を改めて読み直してみました。
読みながら、道元禅師の言葉を思い出しました。
「ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし(車の前方を北にしておいて南の国ベトナムへ向かおうとし、顔を南にしておいて北斗七星を見ようとするようなものだ)。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなへり(いよいよ〔苦しい〕生死輪廻の原因を集めて、さらに解脱の道を失ってしまっている)。」
確かに、どこに向かいたいかその気持ちについては共感できるところもあります。
戦後日本の教育基本法-戦後教育には、「個人の尊厳」や「個性」や「新しい日本」を重んじるあまり、「公共の精神を尊ぶ」ことや「自他の敬愛や協力」や「伝統を継承」することについて欠けるところがあった、と私も思います。1) 2)
特に、日本人が日本という国に正当・妥当な愛国心を持つことが望ましい、そうでなくては国民的アイデンティティが確立できず、結果として個人のアイデンティティも十分に確立することも困難である、という感覚については、まったく同感です。 3)
日本を本当に「美しい国」にしたいものです。4) 5) 6)
そういう気持ちから表現された理念は、文面としては相当に妥当性があるように思えます。
しかし、日本をますます競争社会にしようとしながら「自他の敬愛や協力」と言い、環境的に持続可能な社会とは正反対の大量生産-大量消費-大量廃棄型の経済成長の持続を目指しながら「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」と言い、やらせタウンミーティングをやっておいて「道徳心を培う」と言い、経済・財政が優先で福祉は後回しにされて行政を恨む人を増やしながら「国と郷土を愛する……態度を養う」と言う等々は、向かいたいという気持ちと実際に向かっている方向がまるで違っていると思えてなりません。
これでは、いよいよ社会崩壊の原因を集めるだけで、現代文明の危機の一部としての日本の危機的現状から脱出する道を見失ってしまっているのではないでしょうか。
基本的に経済-政治-福祉-環境のシステムを「競争社会」ではなく、「協力社会」に向けなおさなければ(神野直彦『「希望の島」への改革――分権型社会をつくる』NHKブックス、参照) 、美しい理念は美しいウソになってしまうでしょう。 7)
当事者もウソをつくつもりはなく言った、そして他者に大迷惑をかけてしまうことになったウソほど悲惨なものはありません。
既存のリーダーのみなさんとこれから誕生するであろう新しいリーダーたちに、「できたものはできたものですから、今後はこの改正教育基本法を生産的に転用して、『協力社会』を創り出すための教育の建前として機能させていくことにしませんか」と呼びかけたいと思います。
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