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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評192回 多行俳句時評(14) 海辺と絶巓 斎藤 秀雄

2025年01月29日 | 日記

 かつて、安井浩司は、高柳重信を《どこまでも自らの手で病んでいなければならない》俳人と呼んだ。

われわれの歴史において、魂を鎮めることが、人間の上昇観念としてメタフィジックなものへ昇華してゆくのに反し、嘆きの投企は、どこまでも下降観念として、人々の血の中に誘導されてきたように思う。高柳重信の俳句作品を冥くよどむものは、どこまでも、この嘆きを呼び交わす血というものであるような気がしてならないのだ。
(略)氏の多行形式にうかぶ言葉や、さらに氏の俳句風景を逆算するかぎり、人間精神史の鬱積したところを暗澹と流れる血のようである。だから、そこをとっこにとれば、現実の俳句風景においても、俳句の革新とか、俳句日常の健康法とは、まずは絶対に結びつきがたい運命を感ずる。氏は、どこまでも自らの手で病んでいなければならないのだ。(「俳句形式の彼方――高柳重信の作品の性格について」『海辺のアポリア』邑書林、264頁。引用中、太字部分は原文では傍点)。

 自らの手で病むこと、すなわち、「健康」を積極的に拒否すること。この「健康」という言葉も、現代の我々にとっては、どこまでも鍵括弧つきで用いられなければならない類いのものではあるが、安井によっても、多分にニュアンス含みの言葉として用いられている。「健康」な俳人は、反復する。書いて、書き継ぐ。反復するとは、俳句を日常とすることであり、俳句を生活とすることである。それによって、俳句の側は、自己保存を成し遂げ、延命する。そしてまた、俳句自身の保存に貢献した俳人に、俳句は、楽しみを与え、慰藉を与え、鎮めを与え、救済を与える。かくして、俳人は「俳句の健康」に絡め取られ、俳句は「俳人の健康」を保証するようなやり方で、俳人や俳人の風景を布置・配置する、そうした平衡状態の円環が完成する。
 安井は、「俳句とは何か」という《正しい》問いに隠れている、「一人の俳人にとって、なぜ俳句なのか」という《きわめて邪まな悪意に満ちた問い》を発見する(「海辺のアポリア――なぜ俳句なのか」前掲書、12-3)。しかし、「健康な俳人」は、いともたやすく、この残酷で、危険な問いに、俳句の健康法の側が、俳句の生存戦略の側が用意した、「生活」という答えをもって、答えてしまう。彼等は、実存的にではなく、単独者としてではなく、俳句一般の、布置連関の内部の特殊として、あらかじめ俳句がしつらえた風景の内部において、自分に見えているものを見て、記述し、そこからの帰納として「俳句とは何か」の問いに「生活」と答え、しかるのちに、「なぜ俳句なのか」の問いに、同じ答えをしてしまう。自明である。彼等は共同体の内部においてしか考えていないのだから。否、「考える」ことを非‐俳句的な残余として、拒絶する。共同体に、俳句的世間に埋没するとは、そのようなことなのだから。

ささやかな俳句史をふり返るとき、俳句の詩論と称される類いのものは、みな、俳句とは何かを主題とした潤色と変奏であり、そこを踏みはずすものはない。俳句が自らに抱えたどんな文学的かつ生理的な問題も、この隧道に収斂されてゆくことである。たとえば、近代における山口誓子の詩論と実践、石田波郷・西東三鬼・加藤楸邨等にみられる彼等の詩論と俳句生活は、俳句をひとつの価値観の高みに引き上げることによってそれに答えており、彼等にとってなぜ俳句なのかという俳句形式からの根源的な問い返しにも、躇うことなく俳句の価値観をもってその答えに代えようとしたのである。しかし、どんな偉大な価値観も、それが価値観であることによって、所詮は価値観に屈した人生論を側杖にして立っている。彼等が詩論即生活をふとらした自明を知ることができるであろう。そこでは、自分が俳句に発し、遂に俳句がそれに相応した分を答える筋のものとして、俳句と己れの魂の正なる照応関係が結ばれる。己れの魂は、俳句形式との正なる照応によってのみ証明される。そして、その魂を支えるものは、俳句内方位に立てられた俳句的人格や、そういう人格を支える生活を待つほかはない。要するに、問うことと答えることの一致点に、俳句とそれに殉ずる己れの魂を契約することである。これもひとつの俳人格だと思うが、そういう俳句即魂が、彼等のためになぜ俳句なのかを程よく代弁してゆくのである。(同前、13-4頁)

 安井が《俳句と己れの魂の正なる照応関係》と呼ぶ、個々の俳人における諸現象(回避だとか防衛だとか呼んでもよいであろう。むろん縮減と呼ぶことを私は好む)は、容易に俳句の自己保存・均衡のメカニズムに利用されてしまう。このメカニズムのことを、安井は《定型詩の健康と日常を支える栄養作用》(同前、17頁)とも、《俳句形式の、あの小利口な自己保存の論理》(「渇仰のはて――俳句の文体と構造」前掲書、32頁)とも呼んでいる。

俳句は、生活以上のものを教えてはくれなかったのである。そればかりか、形式保存のために、一人の詩人の在りようを、生活とこそ答えるように俳句は影のように私を強迫するのである。(略)そういう俳句行為の持続の中に、俳句を書き続ければ書き継ぐほどに、俳句とは何かという命題は肥厚し、なぜ俳句なのかという命題はうすめられ、矮小化してゆく。形式へ殉ずるというきわめて詩の本質に捉えられた逆説が、遂には絶望としての正説に循環し、帰納してゆくのだ。(前掲「海辺のアポリア」、15頁)

 ところで、安井が《詩論即生活》とか《俳句即魂》とかといった言葉で指し示す、いわゆる「俳句即生活」というアイディアつまり発明物は、歴史的なものであることは確かだと思われるのだが(つまり進化論的な過程において、偶発的に獲得された、意味的リソースであって、普遍的な、ア・プリオリなものではない)、私にはそれをあとづける準備がない。しかし、重信が『弔旗』創刊号(1948(昭和23)年)に寄せた俳論では、すでに「俳句即生活」という用語・術語がやり玉にあがっているから、少なくとも70年以上の歴史は持つようだ。

俳壇で生産される多くの文章(略)には、あまりにも俳壇化され、都合よく俳壇的規模に和訳された文芸用語が、ほとんど無反省に氾濫している。(略)
たとえば「俳句即生活」という言葉が、まず誰かの身辺に誕生すると、それは、ちょうど戦争中に「天皇帰一」とか「一億一心」という言葉が、何の検討も批判もなく流行し慣用されたのと同様に、至極あっさりと受けいれられ慣用されてしまう。(略)俳壇が一段と向上するためには、私は、まず、この種の標語的な慣用語を検討し(略)なければならないと思う。言葉に対するあまりに素朴すぎる信頼を、ここで一度放棄して、それを徹底的に疑ってみること(略)(「大宮伯爵の俳句即生活」『高柳重信全集Ⅲ』立風書房、107頁)

 そしてまた、重信の他なるドッペルとでも呼ぶべき、大宮伯爵をして《「この頃、しきりに俳句即生活なんて言葉をきくがね、あんたは知っているかい。それはね、自活するくらいなら自殺するぞということなんだよ。本当は」》(同前、106頁)と語らせている。これもまたニュアンス含みの言葉である。もちろん、非常にシンプルに、身も蓋もなく、「俳句は食わせてくれないだろう。結社宗匠か、総合誌の編集者でもないかぎり、死ぬ以外にない」と解することも、可能かもしれない。これは《自活》を卑俗な意味で読んだ場合だが、あるいは仏教的な「自活の放棄」を含意しているようにも見える。反転して、自分の魂ぐらい、神や仏や俳句に頼らず、自分で救え、と言ってもよいかもしれない。しかし、安井が宗教的なニュアンスを籠めて記述したように、「俳句即生活」とは、まさに宗教的隠遁生活という隠れ蓑ではなかったか。「他力本願であります」と返答されるのがオチだ。重信の「自分の手で病む」道行きとは、「救われてたまるか、ざまあみろ!」という矜持ではないだろうか――という推論は私による過剰な自己投影に過ぎないだろうか。
 矜持、とうかつにも書いてしまった。重信についてしばしば言われるように、これは、態度の問題なのだろうか、と疑問に思う。つまり、ある種の「ヒロイズム」、「破れかぶれの気分」に過ぎないものなのだろうか。おそらく、そうではないだろう。私の考えでは、重信の認識論に根ざす事態である。ここで、問題のアスペクトを、高原耕治の重信論の側に差し向けてみる。

高柳重信は、自我意識、事物、言語の存在によって形成される一切の関係概念が、多行形式に顕現する《空白》や《虚性》、或いは〈ノッペラボウ〉に呪縛されてゆくのを認めざるを得なかったであろう。もはや、そこでは、存在観念が自足することは許されない。存在観念の《空白》や《虚性》。それは、自我意識の亀裂を意味するだけではない。自我意識が芽を噴き、発育する土壌である根源的存在基盤、要するに、己れの現存意識を育み、絶えず支えている根源的存在観念、そのロゴスのゆゆしき亀裂をこそ意味する。(高原耕治『絶巓のアポリア』沖積舎、335頁)

 そして、重信は、「身をそらす 虹の」の句の創造において、《絶対的空無性に、宿命的に遭遇する》(同前。太字部分は原文では傍点)のである(現在、句集『蕗子』の巻頭句として知られる「身をそらす虹の」の句は、初出の『群』昭和22年11・12月合併号においては、高原の表記するように、一字空白を含んでいた。本句の三つのバージョンについては、高原同書314頁を参照されたい)。
 私が言う「重信の認識論」の内包と、おおむね一致しているとはいえ、高原のターミノロジーについて、私の立場からの予防線を張っておきたい。高原の言う「空白」「虚性」「絶対的空無性」と、「ノッペラボウ」は、異なる。「ノッペラボウ」であることは、何かが存在することが可能である(ありえたかもしれない)という可能性と関係づけなければ、知覚することができない。これは「絶対的空無性」とは言えない。自我も、社会も、言語も、存立する基盤・地盤を持たない。俗に「社会の底が抜けている」などと言う。が、この言い方もまた、「底が存在する可能性もある(あった)」ことを不当前提しており、不正確である。社会(自我)が存在しない、のではない。社会(自我)の基盤などというものは、存在し得ない、のである。社会の基盤に「道徳」や「連帯(帰属意識)」を据えようとする形而上学者(あえて理論家とは呼ぶまい)はあとをたたない。彼等は、「俳句即生活」を唱え、生活に埋没し、自明性の内にまどろむ、世人(das Man)の姿に重なる。

 ここ〔引用者注:重信の論文「前衛俳句をめぐる諸問題」〕には、近代主義の主知的色彩を多分に纏った「主体性」とか自我などという漠然とした概念が、容赦なく、さも当然と言わんばかりに縦横に切り崩されている、と言うよりも、実のところ、この言説は、すでにこうした概念が成立し難いことを暗黙の前提とした上で、用意周到に吐かれている。そんなふうにみえる。(略)「主体性」の確立とは、まさしく「主体性」の崩壊に他ならぬという撞着(略)〈非在性〉を核に、あらゆる言辞が屈折と含羞を伴いながら循環しているようにみえる。(同前、352頁)

 ここでも術語上の予防線が必要になる。まず「近代主義」なる言葉の外延は、高原にとって「主知的色彩」「主体性」「自我」なのだろう。しかし「近代」のメルクマールとしてこれらを持ち出すのはむしろ近代初期・転換期・移行期・鞍点期的な振る舞いである(「自我」はともかく――自我とは「われ」である。古代ギリシアにさえ「われ」は在った)。現在ではもっぱら、近代の近代性と呼びうるものは、「再帰性(reflexivity, recursivity)」に求められる。すなわち、みずからを見ること。社会は、社会に基盤がないことを観察し、自我は、自我に基盤がないことを観察する。そのうえで、そうした「絶対的空無性」を埋め合わせる、ないし「展開する」やり方で、次の社会的・心的作動(Operation)を接続させてゆく。私は近代主義者である。術語上の予防線が必要となる次のものは、「非在性」である。前述のように、非在であることは、存在の可能性を前提とするゆえ、退けられる。高原は、みずからの道行きを「存在学」と名付けていた。これに対抗し、私は自分の立場を「ポスト存在論的認識論」と(ニクラス・ルーマンから借りて)呼んでおくことにする。
 ほんらい、こうした記事においては、私の「多行論」を展開するのが筋なのかもしれない。しかし、以上行ってきたような、長々とした前提の整理が、どうしても必要となる。この点が、私をして疲弊させる点であり、ある種の「絶望」をもたらすのである。
 しかし、それにしても、重信の「絶望」とは、俳句形式の不毛さの、非在の核に逢着したとか、そうした性質のものだったのだろうか。いや、むろん、重信がそう書いているのだから、それを疑っても詮無いことだし、疑っているわけではない。《それは、不可能を可能に変えるに等しいほどの、絶望を常に伴なう作業でもあった》(高柳重信「前衛俳句をめぐる諸問題」『高柳重信全集Ⅲ』、163頁)。しかし目下のところ、私が自己投影的に見出す「絶望」は、《徹底的に疑ってみること》なしに、《言葉に対するあまりに素朴すぎる信頼》が氾濫する状況に対するものである。この記事で読んだ安井浩司の論文は、コミュニカティヴであり、私には「光芒」に見えた。安井は、みずからが用いる図式(というのもあまりにも古典的なタームだが、古典的であることは、読者にとってアクセシブルであるということだ)を示している。〈健康/病〉〈魂鎮め/嘆き〉〈上昇観念/下降観念〉〈正しい/邪ま〉などなど。図式は、それが見ることができるものを見る。すなわち、その図式が見ることができないものを見ることができない。新しく、別の図式を導入するというのでなければ。したがって、図式は当該図式にとっての盲点(排除された第三項)となる。この盲点を利用して、観察者は観察することが可能となるのだ。かくして、安井の論文はコミュニカティヴなものとなる。次の作動(俳論というコミュニケーション)を接続させることができる。安井は、俳句の世界においてはほとんど奇跡と言ってよい程度に、「論の手続き」を踏まえている。
 こうした「論の手続き」の欠落という事態が、私の絶望の源泉なのだ、という念押しをして、この稿の締めくくりとしたい。


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