「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評184回 『夜景の奥』と『日々未来』 横井来季 

2024年07月02日 | 日記
 今月七月号の『俳句』(KADOKAWA)で、板倉ケンタが田中裕明賞についての論評を書いていた。そこでは、田中裕明賞が選考委員の交代にともなって賞の性格が教育的方向にピポットしているという指摘がされている。

 この論評は、あくまで賞の性質が主題にあたるため、言外に滲ませてはいるが直接的に受賞作について評価を下してはいない。ただ、私としては、賞の前に作品があるのだから作品の鑑賞なしに賞の性質を論じるのは、一段飛ばしで階段を上っているように感じた。なので、本稿で受賞句集の、主に物足りなさについて書こうと思う。

 まずは、浅川芳直『夜景の奥』(東京四季出版)である。編年体の句集である。

砂溜る破船の中や南吹く

 本句集では、もっとも良いと感じた。漠々とした雰囲気を醸し出しながら、描写されているのは、破船の中の小さな細部である。南風によって、破船の中の砂粒が震えている。

 ただ、全体として、安定してはいるが、物足りないところもあった。俳句の骨組みはあるが、それで成り立っているような印象も受ける。特に、編年体とはいえ、第一章の「春ひとつ」には、作品の改作が必要なのではないかと感じた。

〈剣道大会〉
一瞬の面に短き夏終る
約束はいつも待つ側春隣


 などの句は、私ならば収録しないように思う。編年体とは言っても、発表当時のものと一言一句同じものにする必要はなく、改変や脚色をしてもいいと思うのだが、おそらくは、そのまま発表している。編年体が句集全体の完成度にあまり貢献していないようにも思えた。むしろ完成度をあえて抑制しており、そこが物足りなさに繋がる。
 ただ、だからこそ、「受賞をきっかけに作者の成長を期待する」という評価につながっているとも、同時に思う。私としては、本句集は編年体をとることによって、完成度とバーターに作者の成長性を演出したように感じられた。

 次に、南十二国『日々未来』(ふらんす堂)。

たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう
蟹がゐてだれのものでもなき世界


 本句集では、世界・宇宙・地球などを詠み込み、大きな枠組みを感じさせる一方で、「たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう」など、一人の生活者を感じさせる句も同時に詠んでいる。この句集の作中主体は、世界という枠組みと、今存在する自分という枠組みの対比を常に意識しているのだと思う。そのため、全体的に句の世界が広い。

 こちらも編年体の句集であるが、ただ、こちらについては、序盤と終盤であまり差異が見られず、良くも悪くもずっと同じように書いているように感じた。

 新鮮な瞬間が多く描かれているが、その手法の安定性については、むしろ物足りなさがある。

息白き「おはよ」と「おはよ」ならびけり
「寝よつか」と言へば「寝よつ」と夜の秋


 たとえば、この二句を並べてみると、全く同じ手法で作られていることが分かる。そうした点で、作風は深化し、手法は変化させていくのが良いのかも知れない。

 ただ、長期間、作風を変えずに詠むというのは、それだけでも大変なことだ。自分の作風に自分で飽きる段階を通り抜け、それでも自分を貫いている点で、『日々未来』には好感を抱いた。

 最後に、本稿では『夜景の奥』と『日々未来』の物足りなさについて書いたが、一読者として全く楽しめなかったかと言えば、そうではなかったと付け加えておきたい。両句集とも、佳句は多く収録されていたと思う。田中裕明賞をとってもとらなくても、作品自体の質は変わらない(取り上げられる機会はもちろん増えるが)。そう考えると「田中裕明賞受賞」という経歴は単なる付箋であって、読者側が剥がして読めばそれでいいのだと思う。

俳句時評183回 令和の海俳句鑑賞 三倉 十月 

2024年05月30日 | 日記
 東京の西側出身である私は、これまでの人生で一度も海の近くに住んだことがない。私にとって海と言えば、子どもの頃は夏休みに親に連れて行ってもらう海水浴、長じてからは友人たちと遠出して遊びに行く場所、そして旅先でふと目にしてテンションが上がる場所。私にとっては海は、そうした特別な非日常の場所だ。

 ところが学生時代、将来どこに住みたいかという話を友人二人としていたところ、二人とも「海の近くじゃないと絶対に無理」と言うので驚いた。そんな条件があること自体が、新鮮だった。二人は海の近くの町の出身で、大学も海から近いと言えば近く、二人の下宿も海側にあった。(私はと言うと、海から遠い実家から2時間かけて通っていた)それから、「日常の中に当たり前に海がある生活」というものに、若干の憧れを抱いている。

 さて、コロナ禍以降、何度か家族で海に行った。マスクが必須の時期であっても、他者との距離が取りやすく、それ以上に海風が心地よい浜辺では、ウィルスのことなど気にしないでよく、その開放感にすっかり虜になった。その延長で、今年のゴールデンウィークは神奈川県、三浦半島の某所に貸別荘を借りて数日滞在した。この試みも実は四回目で、疑似的な海のそばの暮らしと言うものを楽しんでいる。

 ということで、今回は海の句を選んでみた。大きな海もいい。遠い海も、身近な海もいい。怖い海も、楽しい海も、記憶の中にある海もあるだろう。色々な海を行き来しつつ、鑑賞してみたい。


海水で洗ふあしゆび百日紅 森賀まり
 
 足先を海水に浸す、ただそれだけのことでも、普段海に触れない身には特別な経験である。真夏であればなおさらだ。サンダルの隙間から入った砂をさらりと洗い流す心地よさ。その足で浜辺を歩けば、また砂まみれになることはわかっているから、なかなか上がることができない。「百日紅」の色の濃さ、強さが夏の思い出に美しいコントラストを添える。

脱ぎ捨ての水着表も裏も砂 野崎海芋

 沖に出るようなマリンスポーツをしている人は別として、海で泳ぐことと砂にまみれることはほぼ同義である。去年の夏、家族で海に行って久しぶりに実感したのだが、海水浴をすると驚くほど水着の内側にも砂が入り込む。海から上がった子らの水着を濯ぎながら、砂を愛さずに、海だけを愛するのは難しいなと思う。

陸にゐる母に浅利を見せにゆく 小野あらた

 こちらは春の海の、潮干狩りの景だ。作中主体は子どもなのだろう。一緒に干潟で、潮干狩りをするわけでもなく、安全なパラソル、あるいはテントの下にいる母のところに向かっている。そこを「」と呼ぶのが面白い。まだ地面に足は付くけれど、生命あふれる干潟も立派な「海の中」だ。

ゆく夏の光閉ぢ込めシーグラス 金子敦

 浜辺で子供が喜んで拾うのがシーグラス。思い出用の小瓶には、貝殻とシーグラスが詰まっている。シーグラスには角が取れて、全面がすべすべの「曇りガラス」質感になっているものと、まだ割れた角が残りやたらと光るものがある。掲句のように、全ての光を閉じ込めてすべすべしたものを持ち帰る。このガラスはいくつの夏を通り過ぎて、すべすべのシーグラスとなったのだろうかと、思いを馳せつつ。

敷物のやうな犬ゐる海の家 岡田由季

 日陰だろうと、海風が心地よかろうと、真夏のビーチは暑いのである。海の家でぺったりと寝ている犬が、さらに溶けて、色合いや質感も少し敷物みたいになっているのが可笑しい。余談だが、猫が液体かどうかを検証したフランスの科学者の研究がある(イグ・ノーベル物理賞を受賞)。犬も場合によっては、そうなるのかもしれない。

川と海押し合ふところ春の鴨 岡田由季

 町中から続く小さな川が海に流れ入る河口は、じっと見つめて居たくなる。潮の満ち引きや、天候によって、まさに「川と海が押し合」っているのを見るのが面白い。葉山の森戸大明神隣にある、森戸川の河口もまさにそんな感じで、橋の上からついつい眺めてしまう。海水と淡水のはざまを、春の鴨が右に左に揺れている。小鴨の泳ぎの練習にはちょうどいいかもしれない。

海見えて見えなくなつて墓参 岡田由季

 少し離れた場所から見る海の句。高台にある霊園なのだろう。場所によって、海が見えたり見えなかったり。晴れた日に、遠く光る海が見えるのはきっと美しいだろう。薄暗い日にとどろく海は、少し恐ろしいかもしれない。今は静かな海を見つつ、この場所から故人が見る日々の海の移り変わりを想う。

夏鳶や段々畑の果ては海 太田うさぎ

 こちらも遠くから見える海の景。だけど、こちらの句は海を見ようと思っていたわけではないように感じる。山間の中に続く段々畑、昔ながらの景色。自然の中にある人間の営みを目で追っていくと、その果てに海があることに気づいた。夏の鳶が、海へと続く空の高いところを飛んでいく。はっと視界と同時に世界が開けるような、美しい気付きだ。

愛日の海にあそんで大人たち 岩田奎

 「愛日」とは冬の日差しのこと。冬の海で遊んでいるのは、子どもではなく大人たち。かつて、海で遊んだ楽しい思い出があるからこそ、冬であっても海を見たら無邪気になれるのかもしれない。海に入ることはできなくても、天気の良い日に浜辺に出たら、走りたくなるのはちょっとわかる。

麗らかや雲のごとくに魚死にて 阪西敦子

 こちらの句は、春の砂浜の景だと思って読んだ。ぷかぷかと白い腹を上にして、死んだ魚が浮いている。やっと春らしい気候になってきて、気持ち良く浜を散歩していたら、いきなりそんなものが目に入り、少しギョッとする。でも優しい波に上下しながら、揺れているその姿はなんだか雲みたいでもある。そう思って見ると、この「麗らか」な日の一場面として面白く感じるから不思議だ。

初桜日はぽつかりと海にあり 藤井万里

 せっかく桜が咲き始めたのに、曇りの日なのだろう。ただ遠い海の上だけが、「ぽっかりと」晴れて光が当たっている。薄暗い海の一部だけきらきらと光っているのは、まだ花の無い桜並木の一部だけ、ぺかりと咲いた花のようだ。雲はそのうち晴れるし、桜もすぐに満開になる。

海流の深み想へる夜業かな 内野義勇

 この句にあるのは、記憶にある海だ。そして、身のうちに抱える概念としての海だ。しんとした夜に一人で作業をしつつ、思考を深めて行くときに、水面が静かな海にも深いところまで潜る流れがあることを想う。夜の深さと、海流が、己の中で響き合っている。

いつせいに魚影の流る冬障子 佐々木紺

 自分の深いところにある海もあれば、異界の象徴としての海もある。障子の向こうは、本当は寒々しい冬の廊下なのに、ふと「魚影」が過る。夢か、幻影か、わからない。だけど不思議な「あちら側」が、海であることは確かだ。幼い頃、熱を出した時に見る夢のような世界観。

晩鐘や水母に水母映りをり 田中亜美

 近くの寺から聞こえてくる鐘は、目が届くすべての場所に響いている。そしてそれは、暮れ始めた海にも響く。水の中にまで、鐘の音が届くのかはわからない。いや、きっと届いてはいないだろう。暗さを増していく海の中では、鐘のような形をした「水母」が、ちらっちらっと光りあっている。海が異界であることを想う時に思い出すのが、この句である。

われも引き残されしもの大干潟 片山由美子

 最近、小学生のわが子と共に進化論の本を読んでいる。人類の祖先となる生き物は何億年も前に陸地に上がり海を去った。ずっとそう思っていた。だが、この句を読んではっとする。明確に分かれている、あちら側とこちら側。海もまた、我々が去った後にその姿を大きく変えたのだろう。その境界である「大干潟」を見ながら、あちらから取り残された不思議を想う。かつては我々を包含していた大きな海と、小さな私の対比だ。



出展
週刊俳句
セクト・ポクリット 【夏の季語】海の家

『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』佐藤文香編著(左右社)
『季語の科学』尾池和夫(淡交社)

句集『しみづあたたかをふくむ』森賀まり(ふらんす堂)
句集『浮上』野崎海芋(ふらんす堂)
句集『シーグラス』金子敦(ふらんす堂)
句集『中くらゐの町』岡田由季(ふらんす堂)
句集『膚』岩田奎(ふらんす堂)
句集『また明日』太田うさぎ(左右社)
句集『金魚』阪西敦子(ふらんす堂)
句集『平面と立体』佐々木紺(文學の森)

俳句時評182回 多行俳句時評(11) 閉じによる開き 斎藤 秀雄 

2024年05月02日 | 日記

 なぜ見えるのか、というシンプルな問いに対し、閉じることによってである、と答えてみたい。目を開けば見えるではないか、と思うかもしれないけれど、目なんてものは、開いたところで、そもそも閉じているのである。「インプット/アウトプット」モデルは、環境にあるものを内部に入力するというわけだから、空き瓶の口から日光を入れるようなものだ。これは、A地点にあったもの(ここでは電磁波のうちの可視範囲)をB地点(ここでは瓶底だろうか)に移動させているだけであり、もしもこれが「見る」という事態であるならば、瓶そのものが不要ではないか(移動だけがあればよい)。
 符号化モデルは、光を受けた瓶底が、別の刺激に「変換」する――電気信号やら化学物質やらに――と想定するかもしれない。けれど、電気信号やら化学物質やらは、それ自体では「照らされた瓶底」と同じである。こうした「変換」をどこまで繰りかえしても、「見える」という事態に到達することはない。
 こう考えてはどうか。見ている私は、電気信号も化学物質も入力(インプット)していない。たしかに私の環境において、可視光や電気信号や化学物質がそれら独自の存在様態でもって存在している、のかもしれない。それらが存在しないならば、私に「見え」が到来することもない、のかもしれない。けれど、私が見ることができているのは、そうした環境要因のさまざまを、入れないことによってである。すなわち、閉じていることによって、私は環境に対して開いているのである。
 という導入が、以下の多行俳句作品を読むことと、いかなる関係にあるのか、僕にもよくは分からない。ただ、この導入文章は、ここから後の文章を書いた後に書かれたものである、と覚書きをしておきたい。

声を失くし
耳を失くし
踊らんか
雪の海溝

 上田玄句集『月光口碑』より。
 中空の、それも二重の「内側」を持った石、というものを考えてみよう。彼は僕たちと同様、直接、外側を見ることができない。彼は、もっとも外側の表面・殻・境界(=第一の殻)を、内側に転写する。こうして二重の内側が生まれる。彼は、外側を見るとき、第二の殻の外側において、ただし第一の殻の内側において、見る。彼の「自己(self)」は、第一の殻の内側全体であるはずだけれど、やはり僕たちと同様、第二の殻の内側を自己とみなす。自己とは「『自己ではないもの』ではないもの」だから、自己ではないものを、自己は、みずからの環境において見る。第一の殻の内側で、かつ、第二の殻の外側を、「環境」と呼ぶ。
 二重中空の石が、海深く、ゆっくりと沈んでゆく。無数のマリンスノーとともに。《雪の海溝》は静謐であるだろう。そのことは、この石も知っている。この石の持つ世界において、みずからが沈んでゆく《海溝》は静謐である。その静謐さは、けっして《耳を失くし》たことが理由ではない。この四行目、《雪の海溝》を読む僕たちの多くが、静謐さを想像するだろう。《耳を失くし》たこの石は、だから、「それに加えて」静謐な世界を持つのだ。二重中空の石の表面の、すぐ外側の静謐さ(《海溝》の静謐さ)を、彼は第二の表面(内部の外殻)の外側、つまり環境に持っている。《》の無いこと、聴覚の無いことは、この環境世界に一種独特の質感を与える。質を変容させると言うべきか。《海溝》の巨大な静謐さの上に、《耳を失くし》たことによる私秘的な静謐さが上塗りされる。僕たちは、その私秘的な質感を知ることはできないにしても、しかし、その弱々しい私秘的上塗りの「かすれ」「透け」のようなもの、塗りの痕跡を想像してみることはできるのではないか。
 最終行に置かれた巨大な静謐さの、遡行的な効果によって、《》《》はともに聴覚刺激語であるようにも見える。そう読むことも誤りではないかもしれない。けれど、《》の無いことは、《》の無いこととはまた異なる質感を、世界に与えることになる。《》は環境に「働きかける」能力を持つからだ。目の前に軽い障害物があるとき、もしも手があるならば、それらをどかして、環境を変形させ、それから進むだろう。手があるとき、僕たちは「手ありき」の世界を構築する。環境に働きかける力能、世界を変形させる力能を喪失することは、したがって、世界の根本的な変容を、僕たちにもたらすだろう。歯車を失ったまま回転するシャフトのように、しばらく、一種独特の「あてどなさ」を体験させるだろう。
 ふたつの要素の喪失、《》と《》の喪失は、それぞれに世界を変容させる。おそらく「世界が失われている」とさえ感受される。《踊らんか》という呼びかけ・語りかけは、他なる何かに届く見込みを喪失している。声なき者から、耳なき者への呼びかけであろうし、二重中空の石としての語り手から、語り手自身への語りかけであろう。その声なき呼び声は、二重中空の石の内側で、こだまし続けることになるのだ。

目瞑れば届く
 月光
繃帯越しの
昨日かな

 上田玄句集『月光口碑』より。
 一・二行目をまずは「目蓋の裏に浮かぶ」という慣用表現に引きずられながら読んでみよう。そう読んでも間違いではないはずだ。句集名に刻印されているように、本句集所収の作品には実に多くの《月光》が描かれている。それらの《月光》が閉じた目蓋の裏に次々と到来する。本句集には上田による渡邊白泉論が二篇、収録されている。「渡邊白泉の枯野」および「渡邊白泉の繃帯」である。掲句には《繃帯》の二文字が刻印されているから、白泉の《繃帯を巻かれ巨大な兵となる》《繃帯が上膊を攀ぢ背を走る》といった句との参照関係を想定することも、不当ではないだろう。つまり、ここで語り手は、戦場にふりそそぐ《月光》を思い描いているのかもしれない。
 ただ、《届く》という措辞に、ほんの少しの違和を感じることもまた、許されるかもしれない。「目瞑れば浮かぶ」でも「目瞑れば描く(描かれる)」でもないのである。慣用表現を逸脱して、リテラルに読む誘惑に駆られもする。語り手が目を瞑ると、あたかもそれを原因とするかのように、《届く》ことが、《月光》の到来が、成し遂げられてしまう、というように。
 こうしたリテラルな読みは、実のところ、三・四行目の与えてくる不思議な質感に促されてのことである。《繃帯越しの/昨日》を、穏当に読むことはできるだろう。「昨日ついた傷に、繃帯越しに触れてみる」だとか、「消毒液が一日経って、繃帯に染みをつくった」だとか。こうした穏当な読みは《昨日》を換喩表現として読んでいることになるのだろうけれど、収まりがよいとはあまり思えない。「前日」という意味であれ、「近い過去」という意味であれ、《昨日》が語り手に、《繃帯越し》に触れてくるのだ。
 そしてまた、ここでの《繃帯》の質感と、目を瞑るときの目蓋の質感とが、「覆う」ものとして、強く通底する。《月光》は《目瞑》ることによって、《昨日》は《繃帯越し》であることによって、語り手にとってのいまここに、到来する。多少脱線するならば、この《繃帯》が、語り手の目を覆っていると想像する誘惑にも駆られる。いささか読みすぎになってしまうだろうけれど。
 この「到来」の感触は、「思い描く」という能動性からはひどく隔たりがある。《昨日》が、遅延して到来する。語り手は、《目瞑》ることで引き起こされる感覚の鋭敏さによって、あるいはまた《繃帯越し》が引き起こす感覚の鈍感さによって、この遅延、ズレを感受することに立ち会うことができたのである。



俳句時評181回 川柳時評(11) 「伝統川柳」について2 湊 圭伍

2024年04月30日 | 日記
 前回、『類題別 番傘川柳一万句集』正・続・新について紹介したが、昨年出版された『類題別 番傘川柳一万句集 第四集』が入手できた。「一万句集」は1963年にそれまでの「番傘」誌に掲載された中から精選された川柳句を類題にカテゴライズ(俳句での歳時記のようなイメージ)して出版され、その後、20年ごとに続、新、第四集と続けられてきた「本格川柳」の牙城、「番傘」の基幹企画である。
 詳しくは、前回の記事をご参照ください。
 俳句時評177回 川柳時評(10) 「伝統川柳」について 湊 圭伍
 「題詠別」という編集意図とはズレるが、第四集から私が魅力的だと思う作家の句を抜き出してみる。

そこ退いてえなお陽さんが当たらへん 本庄東兵
むせかえるような昭和のにおいだな
妻はまだ綱引きの手を緩めない
さてどうするかおしぼりで顔を拭く
思い余って手の平に聞いてみる


七五三の三がいばっているようだ   森中惠美子
失礼な手を美しく逃げている
矢印の向こう大事な人が逝く
生きるべし少女のままのふくらはぎ
女をすこし忘れると眠くなる


開花予想も死期も外れること多し   西山春日子
納まりが悪い令和の舌の位置
勿体ないを集めゴミ袋に詰める
行くあてもないのに髭が剃りあがる
喋りたいだけ喋ったら寝てしまう


葬った前科を風が掘り起こす     高畑俊正
春はあけぼの素焼きの子らが光りだす
鑑真和上の膝から海の音がする
父の癖字は永久保存しておこう
神無月とことん鬼でいてやろう


逢う日まで月遠くなり近くなり    真島久美子
ワイパーの速さ別れはこんなもの
左手の中で育っている疑問
ぼんやりと眺める他人様の傷
壊れたら私のせいにすればいい




そこそこの凡人がいて虹になる    壺内半酔
そんな訳で始発電車で帰ろうか
信号できっちり止まるではないか


やわらかいものやわらかくつつむ春  笠川嘉一
これからのこと赤になる青になる
空っぽになってる腕を組んでいる


巡礼の魂はまだ生臭い        西美和子
宝塚百年脚も長くなり
ときどきは妻と握手をしておこう


雨降れば駅にやさしい人がいる    藤本秋声
心ここにあらず画面の中にある
甘党が思うに一個余るはず


美しいままXのまま柩        片岡加代
いちゃいちゃと出口に二人立っている
会えるうち会おうだんだん日が翳る


罪状をぽつりぽつりと鍋の蓋     真島美智子
君にだけやさしいのではないのです
爪やすり凶器のごとく握りしめ


白けすぎたシラノの鼻を踏む     阪本きりり
笑いころげてやがて悲劇が始まった
哲学に飽きてポケットから死体


たっぷりと時間をかけて歩で受ける  竹森雀舎
逆立ちをすれば秘密がこぼれそう

この中はちょっと暗くて楽しいよ   小梶忠雄
ここはもう流れでハイと手をあげる

手がお留守でっせと母の声が飛ぶ   鮒子田嘉子
屁理屈をこねる男にメロンパン

軽薄なことばに乗らぬ肩の雪     田頭良子
ペンだこが消えた寂しい指になる

風邪半分もらってくれる人といる   川端六点
白杖へ美女しか声をかけて来ぬ

 前回も同じようなことを書いたので嫌がられるだろうなと思うが、第四集も、続や新に続いて、よいと思える句を探すにはなかなか骨が折れる。ただし、一万余句を読み通して抜き出せば、上記のように「番傘」調を引き継いだ、あるいは、そこから現代へと一歩踏み出した佳句がぽろぽろと見つかる。上のようにそうした句だけを並べてみると、「伝統川柳」も捨てたもんじゃないよね(上から目線になってすみませんが)とワクワクする。
 そこで思うのは、現在の川柳に俳句や短歌より外部から見ての分かりにくさがあるのは、一種の「平等主義」が原因なのではということだ。はっきり書いてしまえば、上のような好作家だけの句で集を編めば、川柳のおいしいところをぎゅっと集めたアンソロジーができるはずなのである。
 ただし、第四集では(これは第一集から編集方針は変わっていないと思うが)できるだけ多くの作家の句から選ぶ、ということになっているようだ。それで質が保たれるならばいいが、残念ながら、抽象的で表現としての工夫や具体性がない句、ただの報告で「それで?」という句、概念や事象を説明しただけの句、固定観念を書いただけの説明句、いいこと・正しいことをまとめただけの句、抽象的な日本(地域)礼賛・万歳の句、新聞記事の見出しやキャッチフレーズそのままの句、若者の風俗や新しい社会風潮を茶化し愚痴っただけの句、同想のもっと優れた句や作品などがすでにある句、他ジャンルや他の言説・情報と交換可能である表現、日本語としておかしいのではと思える表現。
 などがあふれていて、川柳に興味を持った人にぜひこれを読んでください!とは言いづらいものになっている。第一集のときには、平等主義的な編集によって大阪・関西を基盤とする「番傘」の集団としての面白味が出ていたが、残念ながらそうした地域的基盤は薄れている(あるいは、メディア化され、「吉本」化されて、もうそろそろ他の地域のひとびとに―関西の人にも?―飽きられ始めている)。そうした状況で平等主義で広くとろうとすると、薄っぺらい、どこかで見た固定観念があふれてしまう。結果、独自の視点を追求し、表現に工夫をこらした上に引いたような好句が埋もれてしまうのだ。
 もっとも、「類題別」のアンソロジーだからこれでよいという見方もあるだろう。その場合、他のチャンネルで、上にあげていた作家が名作家、好作家である、というのが、「番傘」、そして川柳界の外に見えるような出版物があるかどうかである。
 私の手元に、『番傘川柳百句叢書 第一集』(1973年刊)がある。初期同人の浅井五葉らから出版当時までの「番傘」の好作家10人を選んで、ひとり100句ずつ選び、それぞれ文庫サイズの薄い装丁でまとめている(10冊が一つの箱にまとめられている)。それぞれの作家から1句抜いておく。

萬物の霊長酔うて倒けている      浅井五葉
泊り客よう寝ましたと嘘をつき     木村小太郎
水引の金に汚れる目出度い日      小川舟人
犬飼って以来目につく犬の記事     上田芝有
面影を思い出してる人形師       勝間長人
両方へ犬も別れる別れ道        田中麦魚
食パンは今日一日の柔らかさ      加賀佳汀
こわいこといきなり金をくれる人    大石文久
サービスに子供が何か呉れただけ    藤井好浪
屋中をながめお世辞をいうつもり   梶原渓々

 このように、少なくとも1970年代までの「番傘」には、自分たちがよいと思う川柳を好作家として見えるように、手に取って確認できるようにしようという姿勢があったようだ。川柳界は20世紀後半のどこかでそういう姿勢を忘れてしまっていたように思われる。

 こうしたことを書くのは、現在、従来の川柳界とはちょっと離れたところで、個々の作家の個性を装丁にまで活かした句集が継続的に出るようになっているからだ。

母子手帳開くと草の匂いする      小原由佳『反対側の窓』(青磁社、2022年)より
少しずつ記憶が違う宝島
手から手へ毒も疲れてきてしまう
ぶらんこを拠点に活動しています
いつも見る帽子の人も秋になる


三角に折られた過去を持つ鳥だ     城水めぐみ『甘藍の芽』(港の人、2023年)より
甘そうね 触れたところが痣になる
つむじから漏れる悪魔の独り言
二番目に好きな色から減ってゆく
ご自由にどうぞと書いてある背中


のがのならなんのことない春の日の   瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社、2024年より)
太刀魚のひかりをするするとしまう
かもしれない人がひゅんっと通過する
夏よ!(曖昧さを回避していない)
曇天がかたむくときのトム・ウェイツ


衣紋抜くしろながすくじら細くなり   千春『句集 こころ』(港の人、2024年)より
コウノトリから減薬の誘いを受ける
挟みましょうか挟まれましょうか、惑星
食器拭くあなたの指が鍾乳洞
扶養などシロツメグサに塗ってみろ


 「伝統川柳」的な写実なよさは上のような新しい作家の句にも十分に感じられるので、「番傘」や狭い意味での「伝統川柳」にこだわる必要もない、ともいえるだろう。とはいえ、最初に引いたように、「番傘」の実力もしっかりと外に見えるようにしてもらいたい。ということで、これも新刊で出たという真島久美子の句集が一般にも手にとれるようになって欲しいと思う。私も未読なので、とりあえず、西脇祥貴さんのツイートから孫引きで―

片想いだろうピンクのドラえもん    真島久美子句集『恋文』
長雨が例え話のなかに降る
鍵穴を覗くと向こう側も雨
瘡蓋の奥はノンフィクションの海
意味もなく鷗になりたがるティッシュ
一日を乗せるわたしの貨物船
カーディガン脱いでひとりの皮膚呼吸
意思表示すると氷の椅子になる
そこはもう光ですねと閉じる棺
正直な顔をキーホルダーにする
姉として喫水線を越える闇
妹が笑う 地球の裏側で
トマトより嫌いな人が一人いる
自分史の七話あたりにある砂漠


 *

 他、自分の宣伝にもなってすみませんが、今年2月18日に、岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館で、「朗読とトークの会 2023」に参加してきました。4ジャンル(自由詩、短歌、俳句、川柳)から一人参加で毎年開かれています。日本現代詩歌文学館のYouTubeチャンネルに記録動画がアップされていますので、よろしければご視聴ください。

朗読とトークの会 2023 (日本現代詩歌文学館YouTubeチャンネル)
朗読作品テクスト
「朗読とトークの会 2023」@日本現代詩歌文学館 朗読作品

 今年の参加者は、小島日和さん(詩人)、小原奈実さん(歌人)、斉藤志歩さん(俳人)と私(川柳)でした。過去回の動画もアップされています(川柳からの参加者は、竹内ゆみこ(2019.1)、暮田真名(2020.1)、真島久美子(2022.1)、柳本々々(2023.1))。

 重要: 日本現代詩歌文学館では詩歌関連の資料を収集されています。書庫も案内していただきましたが、特に川柳向けの棚はまだまだ余裕があるようでした。もし、川柳関連の貴重な雑誌、書籍がありましたら、ぜひ、日本現代詩歌文学館のほうに連絡してみてください。所蔵2部までは引き取っていただけるそうです。

俳句評 戦争俳句のアップデートについて 沼谷 香澄

2024年04月07日 | 日記
 俳句は批評的精神と親和性が高いと思います。短歌と比べて、「わたしの感情」を語らなくていいため、厳しいことや言いにくいことも短い情景の提示で表すことができるだろう、と考えたのがその理由です。また川柳に比べて俳句は「わたしの美意識」を表出しやすいという側面があるため、戦争にたいする作者の思いを無理なく乗せやすい詩形だと考えます。

 はじめに戦争の定義を確認します。国語辞典ではなくWikipediaにたよりました。「戦争(せんそう、英: war)とは、兵力による国家間の闘争である。」出典は、筒井若水『国際法辞典』有斐閣、2002年、とのことです。言葉を付け加えるなら、国家は近代の産物ですので、戦争は近代以降の争いごとだと理解してよいと思います。私たちが現在親しんでいる俳句とだいたい同じころに始まったともいえると思います。
 近代戦争の初期の様子を、最近いくつかの映画で見ました。「1917 命をかけた伝令」(2019)は第一次世界大戦の前線を題材としています。「トールキン 旅のはじまり」(2019)にも同様の場面はありました。「ゴールデンカムイ」(2024)で日露戦争の203高地から物語が始まります。いずれも作られた映像ではありますが、泥と銃と血の延々と続く悲惨な様子が描かれていました。
 第一次大戦は1914年から。日露戦争は1904から。日中戦争は1937年から、続けて第二次世界大戦は1945年まで。第二次大戦(WWII)では戦争に飛行機が使われてはいたものの、悲惨な壊し合いの中に生身の兵士が暴力を実行し被害を受けていました。

 さて。俳句の話です。

『戦争と俳句』川名大 創風社出版 2020
いま簡単に手に入る本です。副題に、「『富澤赤黄男戦中俳句日記』・「支那事変六千句」を読み解く」とあります。
日中戦争のあいだに戦争俳句が非常に多く詠まれたようです。その中から、一人の俳人の俳句日記と、「俳句研究」が編んだ戦争俳句アンソロジーがとり上げられ、詳細に読み解かれています。日記は昭和12年から。西暦で言えば1937年です。作品が書かれた時代から80年あまり離れた今の視点から冷静に説かれた評論は興味が尽きませんが我慢して、引用作品をながめました。
 なおこの本には、『富澤赤黄男戦中俳句日記』翻刻が収録されています。創作メモを誤字や推敲の痕ごとこんなふうに活字に起こされて出版されるのってどんな気分かなあと思いましたが読者側からは見ごたえがありました。

眼底に塹壕匍へり赤く匍へり               富澤赤黄男「武漢つひに陥つ」昭和13
鶏頭のやうな手をあげ戦死んでゆけり           同「落日」昭和13
偶然を地雷をこゝに堀りおこす              同「不発地雷」昭和14

 富澤赤黄男は新興俳句の作家です。中国へとロシアへ出征して昭和19年に除隊、上記は文字通り戦地で書いた句のようです。

 前線俳句、銃後俳句、銃後の一種として戦火想望俳句、と、日中戦争時に発行された雑誌上で、戦争俳句は詠まれた立場から大きく二つまたは三つに分けて論じられたようです。
 ところで私も、戦争の俳句、と思いながら作品をネットで拾ったりしている間に、知らず知らず、その句が読まれた年と場所、作者の立場、などを気にして探すようになっていました。テキスト主義を標榜する私が詩作品に向き合う態度として、背景を詮索するのはあまり好ましくないと思うのですが、なぜか気にしなくてはいけない気になりました。詩作品のうち特定の題材を扱ったものに興味を向けるというのはそういう危うさがあるのだと思います。
 もう少し脱線します。近代、兵士は男性の職業でした。近代政治も国家も男性が始めたものということができるかもしれません。戦争俳句は前線俳句と銃後俳句に大別されますが、必然的に、前線俳句の作者は必ず男性ということになります。そのことに関して今は特に思うところはありませんが、作品引用を、と考えたときに気がつきました。

 同じ『戦争と俳句』からの孫引きです。富澤赤黄男と交流のあったという俳人の作品が引かれていました。

昼寝ざめ戦争厳と聳えたり                藤木清子『しろい昼』
戦死せり三十二枚の歯をそろへ              同「旗艦」昭和14.3

 雑に締めてしまいますが、日中戦争の時代には大量の戦争俳句が発表されていて、その作品は結社単位で体制に近いか批判的など主張や境遇でまとまっていて、検閲はあったけれど検閲を逃れるために言い回しを変えたり発表せず保存してあったりした句が残っていて今わたしたちが読むことができる、今だから言えることかもしれませんが、文学と政治が近くて、しかも息苦しくない。そんなふうに感じました。

 もう一冊買ってあるのですが、読み切れないのでさわりだけ。これもまだ新刊が手に入ります。
 『戦争俳句と俳人たち』楢見博 2014年 トランスビュー
 教科書に載っているような四人の俳人と戦争について、間に書影を挟みながら詳細に読み解かれて行きます。大冊です。

壕に臥て夜のあさかりし蝉のこゑ            小島昌勝 「馬酔木」通巻二百号(昭和14.1)

 戦争俳句としてよく取り上げられる作品の “ 戦争”とは、日中戦争をいうと言っていいようです。第二次大戦の後半が入ってこないのが不思議だったのですが、答えは本書序文にありました。

 戦時中、ことに太平洋戦争が始まる昭和十六年十二月八日以降の俳壇は、正岡子規以降続いてきた俳句革新をめぐる議論も消え、俳句のあり方を問う姿勢を欠いてしまったと言えるだろう。戦争に関することから受ける個個それぞれに異なる感情が、無意識のうちに統制され、だれもが「聖戦」という名の下に、共通の感情を自らに押し付けてしまったのだ。  (『戦争俳句と俳人たち』はじめに)

 戦時中の短歌が国威発揚に担ぎ出されたのは有名な話です。いま、短歌について、自由な心を無くしていったのが何年頃からだったのかを探す余裕がないのが残念ですが、どうやら俳句も日本が本当に危なかった時期には短歌と同様に飲み込まれてしまったということのようです。

 少し時代を進めます。
「俳誌のサロン」というウェブサイトの「歳時記」に、「戦争」のキーワードで集められた俳句の一覧表がありました。2023年7月8日作成のアンソロジーで、掲載年月は1998年8月から2023年4月まで、結社誌掲載の126句が時系列に並んでいます。
 予想ができたことですが、このアンソロジーから見た「戦争」の共起表現は「知らぬ」が第一位。次に、「記憶」「語る」があります。引用しようと思ったのですが、何句か転記してみて、削除しました。記録としてこのアンソロジーに意味はあると思いますが、これからよい句を書くための参考にはならないと判断しました。「戦争」という語を詠み込むことがよくなかったのだと思います。
 現在、2020年代半ばに私たちはいるわけですが、二十世紀後半よりは現在のほうが、文芸が世界の危機感に近いところで扱われる機会が増えているように思います。
 次にこれが束ねられてしまう時代を呼んでしまうかどうかは、私たち次第なのでしょう。

 いま私たちは戦争について知らないとは言っていられない状況下に生活しています。ボタン戦争から情報戦へと戦争の形が変わっていったところへ、今また、百年前のやりかたで悲惨な壊し合い殺し合いが行われています。
 2001年9月11日、夜10時のニュースで、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む瞬間をリアルタイムで見せられたことは、本当に衝撃でした。映画で見るビル倒壊よりずっと白っぽくて埃っぽい映像と、映画で見る災害より平坦で長い尺、戸惑いや繰り返しのあるナレーションが記憶に残っています。私たちはとんでもない時代へ娘を送り出そうとしているらしい。テロとか戦争とか関係ない、私たちは暴力から身を守ることを考えて生きなければならないらしい。そういうことをぼんやり考えたことを覚えています。
 南スーダンに派遣されて戦争を経験し、帰国後PTSDを患う自衛隊員の話が報道されたのが約10年前。フランスはじめヨーロッパ各地でテロが相次ぎ、出張や赴任をしていた知り合いが、近くで怖い経験をして帰ってきたり、仕事を切り上げて戻ってきたり。読者のなかにも身近にいらっしゃるのではないでしょうか。ガザ攻撃の勃発時、現地で開催されていたレイブパーティに参加していて攻撃を目撃した日本人のことを、見聞した人もいると思います。私の住んでいる町にも、ウクライナから移ってきた人たちは住んでいて、面識はありませんが市の広報誌によると国際交流イベントなどに協力しているようです。
 直接間接の知人が関係していなくても、報道に閲覧注意というラベルがついて、紛争地域の悲惨な画像や映像、それらを見なくとも悲惨なことが起きている事実をリアルに見聞できてしまう時代を、私たちは生きています。地球の裏側であっても、決して遠い世界の出来事とするわけにはいかないという意味で、百年前に比べて世界は小さくなっています。

 前線と銃後のようなわかりやすいポジションが成り立たない、普通に生活しているなかでいつのまにか巻き込まれている戦争。芸術を何かの用途に使うと考えるのはあまり楽しくないですが、想像力の助けになるものとして、いま、リアルに・バーチャルに・現場で・リモートで・当事者として・目撃者として。書ける詩はあると思います。探したいと思います。

 手元にある句集から、戦争を題材にした作品で好きなものを引いてみます。

降る雪の映画の中を行軍す              中村安伸『虎の夜食』(2016年)
兵器にも肉を喰はせる星祀              同
天の川へ愛国者パトリオットを抛り込む              堀田季何『星貌』(2021年)
暁や政府に感謝できる国               同『亜剌比亜』(2016年)

以下は『天の川銀河発電所』(2017)より孫引きです。
次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題         北大路翼『天使の涎』
鶴二百三百五百戦争へ                曾根毅『花修』
なぜ口は動くのだらう終戦日   十亀わら
シンクに黴首都に異国の基地がある          関悦史『花咲く機械状独身者たちの活造り』
学費にお困りならぜひ……………………戦場に男根飛ぶ   同 同
カンバスの余白八月十五日              神野紗希『星の地図』

以下は「楽園」第二巻湊合版(2023年)から。

液晶画面モニターに空爆無音春の昼               町田無鹿 Vol.2,No.1(April&May2022)
雲雀落ち空爆の午後止まりけり             多緒多緒 Vol.2,No.1
国境に四〇〇〇〇〇しじゅうまんの目ならびいる          小山桜子 Vol.2,No.1
鉄線の星一つ切る国境くにざかい                野武由佳璃 Vol.2,No.2(June&July2022)