「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 句集を読む3 小峰慎也

2016年11月22日 | 日記
 石田波郷の句集『雨覆』を読んでいる。
 5句目。
 「ニコライの鐘の愉しき落葉かな」。これには、「戦終りければ」と前書き(というのでいいの?)がついている。切れる場所ということについて。「ニコライの鐘の愉しき」で切れて、「落葉かな」と考えるとする。とする、というよりたぶんそこで切れる。それは、これが俳句であるということがわかっているから、なのだろうか。というか、「切れる」ということがある、というルールの把握があって、はじめて、ここで切れるのかな?と思うことができ、切れている、ということがわかってはじめて、二つのものが並べおかれて、何らかの力関係が期待されている、ということがわかるのでは、と、いまあらためて思った。
 この句集を読むのに先立って、俳句入門書を読んだときに、「切れ」ということを、しつこいくらいに強調されてはじめて、切れていることを意識することが自分の読み方の中にふくまれた、と、いまあらためて感じた。というのも、俳句というのは、見た目切れていないし、教科書や何かで、「切れ字」だとかなんとかいっても、その当時ではただの知識で、少なくともぼくには、読むときに「わかった」ということをともなって把握されるものではなかったので、はっきりいえば、切れているものをつながっているように意味をとろうとして「?」になっていたわけである。短歌にもそれがある。短歌の場合には、特に、平安時代とかなんでもいいが、ともかく昔のやつには、掛詞があり、一つのことばがそのままで、上の部分の文の一部になり、かつ下の部分の文の一部になるというか、どこで切れるかをわからなくさせる技術が使われているのが普通なのだ。短歌に対しては、切れとかそういうことばを使わないのだろうが、掛詞、縁語、枕詞といった、教科書的には決まり文句として、くりかえしおぼえさせられる「術語」が、短歌の意味を把握するときに、どのように短歌の構造を決めているのか、どう「わかった」に結びつくのか、ということを、わかるように誰もいってくれなかった。いまでもわかっていない。
 「ニコライの鐘の愉しき落葉かな」。これ、ほんとうに「愉しき」のあとで切れている、と思っていいのかどうか。「愉し」なら切れているといっていいが、「愉しき」だと、連体形ですか?「落葉」にかかっているとしてもおかしくはない。たぶん常識的にはすでに決まっているのだろうけど、つながっているとして読んだ場合、「鐘の」「落葉」ということになり、一般的な意味としては、「」に「」はないので、「おぎなう」か、そのまま読むしかない。おぎなったものを読解として出すには、それらしさ、ある程度の一般的な了解をえられる、たしからしさが必要になる。思いつきでいってみると、鐘に葉っぱがはりついていてそれが落ちていっている状態。とか。鐘の音を「落葉」という比喩でいったもの。とか。想像すればいろいろあるのだろうけど、その幅を放置するのがいいのか、ある程度、こうだといってしまうのがいいのか、わからない。そもそも前提としている、ここで切れていないということが「違って」いたらその幅も成りたたないということになる。それに、ここで「おぎなう」といっているものが、現実世界にありうること的なものを前提としてしまっていることに、ぼく自身窮屈なものを感じるし、無理な設定のようにも感じる。これは、こういうことなのだ、と、そのようにはっきりたしからしくいえるところについては、いったほうがいいと思うのだが、そうでない不確定な部分にまで、現実との照合みたいなものを解答にする読み方は変だろう。
 「ニコライの鐘の愉しき落葉かな」を、切れておらず、かつそのまま読むという場合、「ニコライの鐘の愉しき落葉」ということを認める、ということになる。思考はほぼ停止していて、それを「あり」とする読み方だ。意味がわかる、という「レベル」を変更することになる。「理解」はしていないが、「そこ」でいい。「ニコライの鐘の愉しき落葉」を、ただ、そのままの意味としてとらえる。これ以上敷衍したら「変わって」しまうので、それをやらないという読み方だ。これを認めるかどうかでいろいろ変わってくる。何が何でも「理解」しないと気がすまないという人にとっては、気持ちの悪いことだろう。思考停止のそのまま読みだ。
 この、そのまま読みは、別の角度からもう少しいうことができるようなものなのだろうか。いまこの句が、そのまま読みを求めるものである確率は低い(先にいったように、「切れ」がある確率のほうが高い気がする)ので、その方向での押し切り説明も、言を弄していることになるかもしれないが、一応考えると、1)この作品がどのようなものなのか、いいかたをかえると、どのような意図で書かれたものなのか(というと誤解をまねきそうなのだが)、を、ある程度のたしからしさのなかで推理、説明する、ということが一つ考えられる。ここでいうのは、あくまでも、そのまま読みのための、発信者のやっていることの推理であり、作者が思っていることとは違うものだ。と、仮にその可能性を設定してみたが、この句にそのようなメタ説明のようなものがふさわしいだろうか。そちらに踏みきるには、あきらかなサインがなくてはならない。
 2)では、そのまま受け取ったときの「感じ」を、もう少しだけいいかえることはできるのだろうか。というか意味はあるのだろうか。ほぼ同語反復的に、「ニコライの鐘の愉しき落葉かな」を浮き立たせるということである。「ニコライの鐘の愉しき落葉」ということは、「」の連続でつながれていながら、「ニコライ」から「落葉」にいたったときに、一つの静止した何かを示しているような感じがしない。展開、というのとは違うが、「ニコライ」→「」→「愉しき」→「落葉」というように、移動するのが認められ、その動きそのものが、了解ではなく、「愉し」いのだ、と一応、いっておく。

俳句評 俳句的? 橘上

2016年11月04日 | 日記
 池袋の駅の地下街で30分並んでメロンパンを買って、その中の解答用紙を引き裂き、勢いに任せて通りがかったチャバネゴキブリを破れた解答用紙ごと踏みつぶし、破れた解答用紙に付着したゴキブリの死骸を、明日への希望と名付けて新宿に向かう。高柳重信の作品を読まねば。そう決まっているのだ。だってこれは俳句時評だからさ。そして高柳重信を読もうと思ったからさ。

「随分芝居がかった書き方をなさるのね」
「書くことは、結局芝居でしょ」
「書いているものが芝居をさせるのか」
「書かれたものが勝手に芝居をするのか知らないが」
「まさか『書く』という意識もなしに書けるとで思ってるの?」

 まぁつまり書くことはウソなのだ。

で、え、何?
あ、そう、俳句時評。これ、俳句時評。
これ、時評だったことなんてあったのかな?
俳句って言葉つかってるだけじゃないかな?

そう俳句って言葉。

 詩って言葉は、何気なく使われる言葉である。
 映画のワンシーンであったり、印象的な風景だったり、時にはスポーツ選手の驚異的なプレーにも使うことがある。使われ過ぎて詩という言葉の意味が混乱しちゃうこともある。
詩は混乱とともにあるのだって言ってもいいかもしれない。言わなくてもいいかもしれない。
 であるが故に「詩」は「何気なく使うけど、その実はよくわかんない」って言葉になってる。それが悪いことのように思われてきたけど、案外それでいいのかもしれないな。
 だって、詩って、何気なく使うけど、その実はよくわかんないもんでしょ。

 詩人って言葉も同様である
 僕は好きな詩人は? と聞かれたら、吉岡実、粕谷栄市、牧野虚太郎と並んで、たまや松本人志、ジャン・リュック・ゴダールの名前を挙げる。詩集を一冊も出してない人を詩人として挙げる、という行為はさほど珍しい行為ではない。中には、頑なに現代詩人と言われる人しか挙げない人だっているだろう。でもそれは、そういう立場の人ってだけだ。

 しかし好きな俳人は? と聞かれてジャン・リュック・ゴダールという人はまずいない。
 「俳句」という言葉も、少なからず「五・七・五からなる季語を用いた定型詩」と言えるし、さらに「それに捉われない自由律俳句もある」とでも書けば、おおざっぱに俳句というものを表すことができる。
 つまり、「詩」や「詩人」という言葉の曖昧さに比べて、「俳句」や「俳人」という言葉はその意味が明確である。

 え? そうでもない?
 好きな俳人と聞かれて小津安二郎や高橋名人、桑田真澄を挙げる人だっている? いない?
 どっち? いるかもしれない? 何それ?
 私は違うし、そういう人見たこともないけど、何せ俳句人口めちゃくちゃ多いし、俳句の歴史も長いから、そういう人いたって不思議じゃない?
 困ったなぁ。それ前提で話進めようとしてんのに。
 ま、いーや。それ前提で話進めちゃえ。
 どうせ調べようないし。
 だって俺、俳句よくわからないもの。
 関係ないけど「俳句わからない」って虚しい言葉だよな。
 誰もが使う言葉だもの。

 俳句やったことない人「俳句ってやったことないからよくわからないなぁ」

 俳句歴半年の人「最初に比べたら少しずつ俳句のことわかってきた気がする。もちろんまだまだわかってないんですけど」

 俳句歴十年の人「時々若手を指導することもあるけど、私より俳句に詳しい人はいくらでもいる。それと比べたらまだまだ私は俳句を知らない」

 俳句歴七十年の人「考えれば考えるほど俳句の世界は奥が深い。知れば知るほど俳句の世界はわからない」

 俳句歴三十三万年の人「俳句のことを考えて、早三十三万年。ここまで考えるともはや俳句って何だろうと思う。考えすぎて俳句をわかってんのか、わかってないのかすらわからなくなる。」

 ね。みんな「俳句わからない」って使うでしょ。
 だから「俳句わかんない」って言葉使うの禁止ね。
 意味ないもん。

 話戻すと、「詩」は予備知識なしで、センスを頼りに読まれることはよくあるが、「俳句」は予備知識なしで、読者のセンスだけで読まれることはあまりない、と思う。思う、つーか、そういうことにする。
 「詩的」って言葉よくみるけど「俳句的」なんて言葉あんのかね?
 あ、あんのね。本も出てるし。「俳句的」(外山滋比古/みすず書房)。
 でも、「詩的」ほどつかわないでしょ?
 
で、何の話かっつーと、ここで本題。
「リテラリーゴシック・イン・ジャパン」(高原英理編/ちくま文庫)ね。
 これはサブタイトルに「文学的ゴシック作品」と書かれているように、高原英理によって選ばれた、文学的ゴシックのアンソロジーである。
 「文学的ゴシック」とは、高原によると、
『ゴシック・ロマンス』『ゴシック小説』という狭いジャンルをめざして書かれた類型的・党派的制作物ではなく、『文学のゴシック』、たまたま文学の形で現れた現代のゴシックのとりわけ優れた様相であると言おう」とのことである。」だって。
 ここで取り上げられてる作品は全て、そのジャンルの素人たる読者に、各々の勝手な「ゴスっぽい」という解釈で読まれることになる。
 だっていろんな文芸ジャンル(小説、詩、エッセイ、短歌、俳句)が「文学的ゴシック」の名のもとに集められた本ですよ。当然、そのジャンルの素人が、素人なりに楽しむことを許容しているわけですやん。

 で、この編集方針を流用して、「ゴスっぽい」という理由で集められた俳句を、予備知識なしで、己がセンスだけで読んでみようってことにしました。
 「俳句」って言葉を「詩」って言葉と同じぐらい「何気なく使うけど、その実はよくわかんない」言葉として、捉えなおしてみようってことね。
本題に入るまでが長い。
自分が好き勝手やるアリバイづくりに余念がないのね。
何に怯えているのだ。

で、同書で取り上げられているのは高柳重信の11句。
そのうちの一つが


の  夜
更 け の
 拝
火 の 彌 撤
 に
身 を 焼 
く 彩


である。
なんで多行になってるの? と思ったので
これを通常の俳句と同様に一行に直すと
(多行俳句を一行に直すって、もう誰かがやってんだろうけど、いいじゃん、今回は予備知識なしってコンセプトなんだから)

森の夜更けの拝火の彌撤に身を焼く彩蛾

となる。
この一行になった句でも十分「文学的ゴシック」ともいうべき禍々しさは伝わるが、元の多行分けに比べると、不穏さが薄まる。というか多行分けだから、より不穏になっているのだ。

この多行俳句の重要なところは
火 の 彌 撤」という句を中心(軸)にして他の言葉がシンメトリーの形となっているところだろう。
しかし、形としてのシンメトリーを重視するが故に、ほとんど全ての語句が、文節の途中で切られてしまっている。
 それは、儀式の形式ばかり重視していくと、ある種の論理(≒文法≒文節)に歪みが生じることを表すともとれるし、論理をゆがめてしまう程の儀式の不穏さを象徴しているともとれる。

この句を文節通りに切れば

森の/夜更けの/拝火の/彌撤に/身を/焼く/彩蛾

となりそれを多行形式で表すと 

森の
夜更けの
拝火の 
彌撤に
身を
焼く
彩蛾

となり、なんだろう、よくできたヴィジュアル系バンドの歌詞? という感じで、やっぱりオリジナルほどの不穏さはない。やっぱオリジナルはいいッスねーとか、そんなことが言いたいわけではない。やはり、最初の多行分けがこの句のあるべき姿であることがわかる。だってオリジナルの多行分けが一番「拝火の彌撤」感でてるもんなぁ。

 ここでオリジナルという言葉がでたので、この句がどういう順番でできたのかを探ってみよう。
 こっから先は完全な憶測だが、かなり自信のある憶測なのでこのまま進める。
 史上稀にみる、精度の高い憶測の世界へようこそ。

 恐らく重信は、まずこの句を通常通りの一行句の形で思いついたのだろう。
 「森の夜更けの拝火の彌撤に身を焼く彩蛾」という形の。
その後自身で推敲(編集)をし、多行分けの形になったのだろう。
何故そう考えられるのか。
 前述のとおりこの多行分けの句は、文節が気持ち悪いところで切られている。人間の生理上、言葉は単語や文節のひとまとまりとして、まず頭に浮かぶ。いきなり文節を無視した形で浮かぶということはほぼないだろう。その後、彼は書かれたものを自己推敲したのだろう。
 もちろんハナから多行分けの句を作ろうと思ってそうしたのか、この句を発展させようとした結果多行分けになったかは分からないが。え、「海燕の黒灰」第8号に重信二万字インタビューが載ってる? じゃあそっち読んでください。そんな本あれば、だけど。

 とにかく、句が頭に浮かぶ→書く→推敲する→あるべき句の形になるというプロセスは実に句会っぽいくないですか?
 だって、句会ってあれでしょう? 頭に浮かんで書いた句を、句会に提出することで、様々な意見がもらえ、それを受けて推敲することで、句がよりよくなる、みたいなアレでござんしょ? そうだってテレビで見ました。本でも読みました。
 となると、重信は、一人句会とでも言うべきプロセスを経て、この句を作ったともいえるんじゃないかな。
 一般的な句会が「腑に落ちる」あるいは「感覚的に気持ちの良い」方面に推敲するのに対し、この句は一人句会で「腑に落ちない」「気持ちよくない」方面で推敲(というより編集)されたのだろう。

 いや、この句は、句会に提出してそこで推敲されたのか、もしくは尾崎放哉における荻原井泉水みたいな師匠が重信にもいて、その師匠の導きでやったのかもわかんないんで、一人句会かどうかはしんないですけど。

 何回も言ってるが僕は俳句の素人なので、俳句史における重信の位置づけはわからない。でも恐らく、多行分けとかやるから、アヴァンギャルドな俳人、的な扱いはされてるんじゃないかな。だけどやってることはすごく俳句的。あ、俳句的ってことば、使っちゃったな。

 で、一見アヴァンギャルドに見える人間が、そのジャンルの根幹をつくようなことをやるってのは、よくあることなんで、多分、この憶測合ってます。え、他に誰がいる? 現代詩における橘上、とかね。つーことで最後に一句。

 多行句は実はなかなか俳句的 

え?
そんなこと、言われなくてもわかってるって?
あっそうッスか。それはスンマセン。

俳句評 俳句エッセイ4 私の読んだ句集、俳書への素朴な感想2 江田 浩司

2016年11月02日 | 日記
 私事から書くことをお許し頂きたい。私の所属する短歌結社未来の本年度の大会テーマは、「詩歌の未来からの声」であった。詩人の野村喜和夫さん、蜂飼耳さん、文月悠光さんをゲストとしてお招きし、詩型の融合や、詩と短歌の「私」をモチーフに、講演、インタビュー、ポトリー・リーディング、パネルディスカッションを行った。8月20日に東京ガーデンパレスで催された本会には、結社内外から二〇〇名以上の詩歌人が集う盛会であった。本会の詳しい内容と報告は、「未来」誌12月号から来年の3月号まで継続して掲載する予定である。なお、「現代詩手帖」に、本会の報告と岡井隆著『詩の点滅 詩と短歌のあひだ』(2016年7月 角川書店刊)の書評を兼ねた文章を、私が執筆することになっている。
 短歌と詩は近くて遠い詩型なのか、それとも、遠くて近い詩型なのか、それには様々な見解があるだろう。同様に、短歌と俳句についても議論が百出しそうである。私はいつか短歌と俳句を併せた催しが、未来の東京大会で実現できないものかと思っている。特に、前衛歌人と俳句というテーマに焦点を絞り、かつて、前衛歌人と呼称された歌人の俳句を、短歌と比較しながら読んでみたいのである。塚本邦雄、寺山修司はいうまでもなく、岡井隆、山中智恵子も俳句を創作している。また、反前衛的な立場にあったと思われる玉城徹も俳句を創作していたようである。残念ながら、玉城の場合は、俳句創作ノートの所在が不明であり、現在所有者が特定されていない。
 歌人が俳句に興味を持つとき、そこに働く力とは、直接短歌創作に関わる場合と、必ずしも、そうとは言えない場合があるだろう。だが、俳句への関心が皆無であっていいわけはない。たとえ、自己の短歌創作に何にも関係がないと思っていたとしても、俳句の影響をどのような形で受けているかはわからないものだ。俳句とは無縁と思われた作歌活動が、実は自分の愛読している短歌を通して俳句の影響を受け、俳句に支えられていたということがあるかもしれないのである。いずれにしても、俳句を読むことには、短歌とは違った悦びがある。その悦びが、俳句創作をも手放せない私の今につながっていることだけは確かだ。

      *

 最近読んだ句集にふれてみたい。俳句時評が書けるだけの知識も情報もないので、句集の読後感ということでお許し頂きたい。
 四ッ谷龍の最新句集『夢想の大地におがたまの花が降る』(二〇一六年九月 書肆山田刊)は、全部で七つのパートに別れている。「その1 参加」の冒頭句は「春来たり鬚の男がぶらつけば」で、物語の開幕を告げる句である。この句の後には、「何も無い空き地がひとつ春が来た」や「白椿遺灰の白さとも違う」が続き、東日本大震災の被災地を連想させる。また、「鬚の男」というと、四ッ谷さんの顔が思い浮かぶ。もっとも、昨年であったか、大野一雄の追悼映画をポレポレ東中野で見たときに、四ッ谷さんと偶然お会いした折には、きれいに髭を剃られており、はじめは、誰だかわからなかった記憶がある。
『夢想の大地におがたまの花が降る』の「覚書」には、本書の内容と構成の影響に、「若い俳人たちとの交流」の機会が増えたこと。「いわき市の津波被災地」を繰り返し訪問したこと。「ヨハン・セバスティアン・バッハ」の音楽を研究したことを挙げている。句集の冒頭句が被災地を連想させる句ではじまるのは、本書の構成上、自然な成りゆきであったのだろう。「その1 参加」から、私が目に留めた句をいくつか引用してみたい。

  雨繊(ほそ)しまず蜻蛉から濡れはじむ
  波音の露けき寺に詣でけり
  露の世にきりりと弾けりヴァイオリン
  手を打ってこだま作りぬ龍の玉
  土吐く形(なり)して休日のショベルカー


 これらの句の選出には私の好みが反映している。が、秀句といって間違いのないものだろう。「覚書」の説明にこだわる必要はないが、被災地を背景にして読むとき、しみじみとした情感が涌きあがってくるのも確かである。
 本書には、頭韻、脚韻など押韻の工夫の見られる句も多く、四ッ谷の創作における意識のあり様が見てとれる。これは、句集全般にいえることだが、同じ語彙(キーワード)を連続して使用する工夫には、バッハのフーガの技法が意識されているようである。例えば、「その1 参加」には、「オルゴールの音を重しと思う百合」に、「オルゴールひらけば霜の音のして」「オルゴールひらけば秋の野は閉じぬ」と続いてゆく。ただし、この技法が徹底されているのは、巻末の「その7 おがたまの花」で、「春来たり」の語を含む句が冒頭から6句つづいた後、「おがたまの(花)」の語を含む句が50句連作で構成されており圧巻である。

 次に「その2 大地の全表面」から以後の句を順に引用してみたい。

  割れた路面スコップで剝ぎ芝の上に         「その2 大地の全表面」
  鉤の義手垂らしぬ百合の高さまで              同
  ででむしが逆しまに這う秤の目               同
  団子虫散った土から浮き出る唇               同
  枯野人測量の棒持ち上げる                 同
  人死んで君はシャボンを空へ吹く              同
  プール内壁青し際まで瓦礫積まれ          「その3 言語の学習」
  いわき市は深い卵として暮れる               同
  古民家や鰯の頭伸びあがる                 同
  蜷を率て西を見つめるニキの射撃              同
  百合の群(むら)は地の内臓として露わ               同
  ワイパーが人無き巷搔いて居り               同
  ろっこつをこっせつアンナ・カレーニナ       「その4 二つの世界」
  家毀され百日紅の根のうと出る               同
  人の世に鎖の音の溜まる霧                 同
  虫たちの音に色付けていく絵筆               同
  宇宙線可視化装置が寒鯉めく                同
  おがたまの枝手放せば花は宙(そら)         「その5 鬼罌粟」
  鬼罌粟の花と墜ちゆく聾いて                同
  滴のようなタクシー鏡の町を辷る              同
  蟬穴の多くして皆滅びたる                 同
  糸電話そっちの空の色は赤                 同
  万両や墓ぼそぼそと息をして            「その6 青山の墓」
  繩文土器の波模様から初燕                 同
  歌う声石器破片として届く                 同
  杓の水墓の蛞蝓流し去る                  同
  まむしぐさまだ実のあおき水の照り             同
  春来たり藁ばらばらに砂かぶり           「その7 おがたまの花」
  おがたま咲く去年の蟬殻枝にとどめ             同
  おがたまは最早落花を地にとどめず             同
  おがたまは散り裸婦像は鳩を掌に              同

 私の好きな句を選出しながら、四ッ谷の句への専門俳人の評価が気になる。ここに引用しなかった句の中には、ユーモアの豊かな句があり、シリアスな句と共に、創作の幅の広さを改めて感受させられる。若い俳人たちとの交流が、刺激になった側面もあるのだろう。被災地を背景にした句が、本書の世界観の基調を成しているのは紛れもない。が、そこへの向き合い方から、俳句世界の創造に到る四ッ谷の意識は、自己と事象の本質と、合わせ鏡になっているようである。被災地から立ちあがる言葉は、四ッ谷の内部の世界と分かち難く、また、それゆえに、世界に向けて重く響くのである。  外部と内部に接する線上に、この世界は鮮明な姿を現しつつも、どちらにも震え、揺蕩う。いや、震えやまぬ言葉が俳句という詩型を得て、はじめて形をなす瞬間の驚きに立ち合うのだろう。本書への本質的な批評が書かれることが待ち望まれる。

蜷を率て西を見つめるニキの射撃」と「宇宙線可視化装置が寒鯉めく」は、私の個人的な事象からも印象に残った句である。一句目は、「に」の頭韻が工夫されている。オブジェに向けてのニキ・ド・サンファルの射撃セッションは、死と破壊を暗示するが、それゆえに、逆説的な生の存在が立ちあがる。二句目は、スーパー・カミオカンデを詠んだ句であり、装置の形態を「寒鯉めく」と捉えたのはリアルであり秀逸である。私は「聖ニキ・ド・サンファルに捧ぐ一〇〇の詩(うた)」というニキへのオマージュ(近日中に発表予定)と、カミオカンデを素材にした連作をかつて創作したことがあり、四ッ谷の関心がニキやカミオカンデに向かったことが、嬉しくもあり興味深くもあった。
 いずれにしても、『夢想の大地におがたまの花が降る』が、俳人以外にも広く読まれるべき問題句集であることは間違いないだろう。

      *

  東西南北うすくうすめてみずすまし        『断片以前』より冒頭五句
  風葬という八月のめろんぱん
  空蟬の円周率は燃えているか
  まんぼうを中和しているのこぎり
  東洋史以前のひまわりを測る

 山本敏倖の第三句集『断片以前』(二〇一六年八月 山河俳句会刊)は、言葉の自在な使い方に舌を巻く。表現の意味などさらりと脱ぎすてた句で、実に楽しく読める句集である。山本さんとは、20年くらい前に一度だけお会いした記憶がある。未定の句会の席上ではなかったろうか。言葉の使い方が独得で嫌味がない。読者が自由に接することを許容している句である。ダダともシュールとも違い、まさに「断片以前」の俳句表現が散見される。
 本書は、575句が創作年代順に配列される。「あとがき」にあるように、575句は俳句の音数に因んだものである。平成十五年から二六年までの作を収録する。
 本書の「あとがき」には、収録句について、次のような説明がなされている。本書の句の性格を解説し、作句の意図を明確に伝えたものである。

  題名の『断片以前』は、第二句集から続く音韻との関わり合いを鑑み、言葉以前、言葉が言葉として
 像や機能が確立するそれ以前、まだ断片にさえなっていない音韻のみで意志の伝達を図っていた頃の思考
 回路に立ち返り、その気分と感触で、現代の日常使用されている言葉を感覚のみで結合、配合したらどう
 なるか。自身の来し方の感慨を含め、五七五という韻文で表白したらとの思いをテーマに生まれた。(中略)
 どちらかというと音韻を優先、意味性を遠ざけ、はぐらかし、意味的には自身でも解らなくさせることで
 そこに新・真・深を見い出した。(中略)しかしこの中にはいまだ発酵期間中で、自身でも絵解きの出来て
 いない句も何句か存在する。が、あえて感覚優先の選句を行使し、結果は読者の感性に委ねることにした。

 本書の句については、何よりもこの説明に尽きるのだろうが、一読して難解に思われる収録句が、独得の表情を持って浮かびあがってくるのが楽しい。短歌では必ず失敗すると思われる言葉の融合が、俳句詩型の機能をうまく活かして試行されている。山本の俳句表現の実験から、改めて、短歌と俳句の詩型の差異を認識させられる。
 次に句集全体から目に留まった句を、いくつか引用してみたい。選出句には、私の俳句観に基づいた偏りがある。私の句の好みが優先されているということである。よって、山本敏倖の通常秀句とされる句や、その特徴を最もよく表している句が漏れている可能性がある。山本の句に対する専門俳人の評価が気になるところである。

  胡弓しんしん銀河の果てを拡げおり
  合掌それほどの水のいたずら
  一本の芒の走る翁面
    悼 加藤あきと(平成十六年十二月六日)
  球形の小春日終の微笑かな
  地上まで滝であること忘れけり
  脳中の母艦に水を打っている
  八月十五日の現代俳句かな
  鮟鱇の口の中から戻りけり
  たんぽぽのでもくらしーのほうたい
  しじみ蝶てにをはは不意のばろっく
  縫合の音階しかし罌粟坊主
  あじさいのあっけらかんをまいている
  一秒を一秒かけて年明ける
  たましいの羽化をうながす初日かな
  今生にルビ振るごとく風花す
  葱ほどの明るさの記紀すべらせる
     悼 阿部完市(平成二十一年二月十九日)
  たましいをひらがなにして春に雪
  滴りを追う滴りも追われけり
  スタンドを消し忘れたる桜桃忌
  永劫の音叉を運ぶ蝸牛
  人形になるまで花野折りたたむ
    悼 中島玄一郎(平成二十四年九月)
  影絵に帰る紅葉の音に抱かれて
  水の輪が水の輪を呼ぶ震災忌
  近松忌水の無限を組み上げる
  永遠を刻めば葱の匂いする
  竜骨の頭蓋出てゆく梅雨の蝶
  一瞬にやっと近づく枯蓮


 各句の解釈をするのは野暮というものだろう。本書の選句自体が、私の批評であると思って頂きたい。いずれにしても、山本の句のどの部分に反応するかによって、その人の詩歌への資質、そして感性が問われる。句の選出がそのまま批評になる所以でもある。

      *

 先の二冊の句集の感想を書いているときに、小津夜景著『フラワーズ・カンフー』(二〇一六年十月 ふらんす堂刊)が届いた。短歌十五首が挿入されている句集である。歌集に俳句が挿入されているのはさほど珍しいことではない。しかし、句集に短歌が挿入されることはあまり記憶にない。散文(詩)と俳句との融合など、自由なスタイルが印象的な創作集である。ことさら句集とは書かれてはいないので、私もあえて句集とは書かないが、森敦の怪著『意味の変容』や、漢詩の引用、間テクスト性に基づいた創作スタイルなど、その自由な創作姿勢は、今後話題になる一冊だろう。踏まえられているプレ・テクストを想像しながら読むのも楽しい。小津は現在、南仏に居住しているという。
 まだ、充分に読めてはいないので、軽率な感想を慎みながら、次にパートⅠから俳句を引用してみよう。

  晩春のひかり誤配のままに鳥
  斑猫に花の柩車のある暮らし
  かの世へと踵を返すきりぎりす
  ゆく年のそろりと脈を手にとりぬ
  包帯をほどき焼け野のそらもやう
  風狂の風へとひらくうすごろも
  こゑといふこゑのゑのころ草となる
  ふるき世のみづにも触るるミトンあれ


 パートⅠは俳句だけで構成されている。ここに引用されているのは、私の好みが色濃く表れた句ばかりである。それでも、小津俳句の特徴の一端は表れていると思う。
 パートⅡの最後は、「こころに鳥が」というタイトルの短歌15首が配列されている。八田木枯の句の主題により創作されたという短歌は、木枯の句へのオマージュもあるのだろう。が、「あとがき」の最後に記された一文、「私は俳句の地層に眠るいにしえの長句をみずからの手で掘削し、始祖鳥の化石に触れるみたいにそれを慈しんでおきたかったのである」が強く印象に残る。短歌を三首引用する。

 入れ墨のごとき地図ありしんしんと鈴のふるへる水の都に
 空耳のやまざる白き昼なればガアゼをかざし空を吸ひとる
 無音にも疵あることをレコードに確かめ午後を眠りたるべし


 率直に言って、先に引用した俳句の方がこれらの短歌よりもすぐれている。しかし、このような短歌に表出している感性やポエジーが、俳句詩型によって昇華しているとは単純化できない。小津の俳句の深奥に短歌の祖型が内在しているというのもどこか違うようだ。だが、小津が自己の俳句創作の始原に、短歌への目差しを向けていることは、小津の俳句を考える上で無視することはできないだろう。
 パートⅢには、散文(詩)と俳句との融合された長編作が配置されている。私はこのパートに最も注目するが、その試行の可能性と評価については、もう少し読み込まなければ実のある感想が書けそうにない。いずれにしても、今後話題にのぼるであろう刺激的な一冊である。

      *

 最後に高橋龍の新句集『小橡川』(二〇一六年七月 高橋人形舎刊)から10句を引用したい。いつもながらの精力的な句作に頭の下がる思いである。

  煤払う骨正月の置薬
  蒙塵の盃/黄砂/日の/行衛
    上北山村
  炎天に逆波青き小橡川
  曉(あかとき)や/大来/大津を/率寢(ゐね)しかば
  自由律わきて短律かまど馬
    富士谷御杖
  言霊はコノテーションと懸巣啼く
    茂吉に歌あり
  卵の殻の流れし渋谷川暗渠
  独身の午後爪先に冬すみれ
  かいつむり水は流れて日を運ぶ
  あざみ野に来たりし一騎卒爾去る


 誠に申しわけないのですが、「俳句エッセイ3」の最後に紹介した句集に言及する余裕がなくなってしまいました。稿を改めて書かせて頂きたいと思います。

※引用中の丸括弧はルビです。