まずは、親が子を読んだ句を何点か鑑賞する。
腹の子の四方は闇なり虫の夜 明隅礼子
映像でも静止画でも、お腹の中にいる胎児のイメージ画像は赤っぽいピンクの光に包まれているが、母体の子宮も腹の皮膚もそうそう易々と光を通すとは思えないので、やはり腹の中は暗闇なのだろう(中から見たことがないので確実にそうとは言い切れないが)。
その暗闇にも音は届くという。特に体の振動を通じて母の声はよく届くらしい。胎児が耳にする母の声や、それを取り囲む音が、虫の夜のように優しく美しいものであるといい。
子を抱けば唄あふれだす夏帽子 明隅礼子
眩い夏の日差しが明るく母と子を祝福する。この唄は思わず口から”こぼれる”のではなく、身体の奥からとめどなく”あふれだす”というのが、力強くて気持ちが良い。「母は強し」という紋切り型の言葉があるけれど、それとは一線を画した、強く楽しい母の景である。
這ふことはたのし赤子も芋虫も 明隅礼子
赤子と芋虫を並べることに一瞬ぎょっとする。でも、よく考えれば芋虫も赤子である。明隅礼子さんは愛にあふれた育児の句が多いが、こちらは赤子の動きにちょっとおもしろみを感じていることが伝わる。赤子の一年目の成長は目覚ましい。ずっと寝ているだけから始まり、手を発見し、寝返りを打ち……それぞれの期間が、ほんの一瞬で過ぎ去ってしまう。やっと自分で動けるようになって、それだけのことがとっても楽しい。そんな嬉しい時期を切り取った一句である。
子を余所にあづけてきたり花へちま 鎌田俊
さて、子はもちろん可愛いが、四六時中一緒にいたら仕事もできないし文章も書けない。親だって人間なので、子を誰かに預けてこなさなければならない用事の十や二十がある。まだ需要に対して数は全然足りてないとは言え、少しずつ一時保育やベビーシッターなどを利用する親も増えてきた。少しの寂しさと、同時に足取りが軽くなる気楽さと。気負いなく咲いているへちまの花が良い。
子の問に何度も虹と答へけり 西川火尖
育児のあるある場面を、優しく美しく切り取った一句。道を歩きながら、お店の中で、保育園の帰りに、ふと立ち止まった時に、夕食を食べながら、眠りに落ちる寸前の布団の中で、子どもからの質問は絶えない。頑張ってちゃんと答えようと思っても、家事や仕事で忙しい最中に、全てになんて答えたか覚えていられない時もあるし、もしかしたら子も覚えていないかも。それでもその言葉のやりとりをした時間は、空気は、他愛のない笑いや、声の感触は忘れないだろうと思う。
千人にまぎれぬ吾子よ運動会 鶴岡加苗
ちょうどこの文章を書いている前日が我が子の運動会でもあった。うちの小学校も大きくて全校生徒は千人を超える。我が子は、親の観覧の位置からかなり遠いところにいたけれど、それでもその表情まで臨場感と共にはっきり見えた。そしてたくさんの吾子たちがそれぞれの保護者に向けて、そこここで輝いていた。
ここからは子から親に向けた句をいくつか鑑賞してみたい。
かあさんはぼくのぬけがらななかまど 佐藤成之
全部ひらがなの表記は子どもが呟いているような印象を受けるが、内容には少しドキッとする。「かあさん」という皮を脱いで脱皮する「ぼく」。出産後の空っぽの子宮を思わせる一方、「ぼく」がいなければ母さんには何も残らないというような、幼い甘えた幻想が見える。取り合わせている「ななかまど(七竈)」の語源の一つには「七回竃にくべても燃え残る」という説がある。かあさん部分が空っぽになったとしても、その後ろにいる人間には情念が残っている。子宮が空っぽになっても心臓は変わらず鼓動しているように。
母さんが優しく健康に産んでくれたので飛蝗捕る 中山奈々
上五中七の早口のような字余りは、字面こそ感謝に満ちているけれど、甘えとシニカルなおかしさがある。そのような表現をする作中主体は成人だと感じるが、下五の「飛蝗捕る」が、子供っぽい自由そのものなので可笑しい。母さんが優しく健康に産んでくれたのだから、しがらみもレールも世間体も(どれも多くの場合、親が押し付けるものでもある)飛蝗のごとく飛び越えて、自由に生きる。その方が良いでしょ。そうだね、そう思うよ。と、最初から言い合える親子関係は少ないともしても、この句の自由な輝きは褪せない。
ぐんぐんと母のクリームソーダ減る 太田うさぎ
喫茶店に母といる。きっとおしゃべりが弾んでいるのだろう。そこにあることを忘れていたクリームソーダを勢いよく飲んでいる母の姿。まるで子どもを見つめるような視線で、いつの間にか親を見ていることに気付く。
焼芋や母にまされる友はなし ミュラー初子
ストレートで気持ちが良い。友達母娘、というと、子がまだ子供のうちは否定的な文脈で言われることはあるが、年を重ねたあとでこう言い切れる母娘は、難しいことが多いからこそ、理想の姿の一つだろう。焼芋の素朴さと温かさがとても良い。今、小学一年生の焼芋が大好きな娘に、四、五十年後にこう言ってもらえるだろうか。どうかな。
銀杏を拾へば父とゐるやうな 太田うさぎ
銀杏落ち葉が広がる季節に、父と公園を歩いた思い出。子供にとって銀杏は臭いし、おいしさもよくわからないし全然嬉しくないけど、父が喜ぶから一緒に拾っていたのだろう。黄色の世界で銀杏を拾う時、そのことをふと思い出している。幼い頃の優しい思い出というのは、そのまま親の思い出であることが多いのかもしれない。
朧夜の「父」と着信ありにけり 津川絵理子
着信があったことしかわからず、電話を取ったのか、不在として名前が残っていたのかはわからない。まだ健在の「父」なのだとわかっていても、朧夜と取り合わせると、もっと不思議などこか、この世ではない場所からかかってきた電話のようにも感じる。親しみがあるのか、それとも少し緊迫した関係なのか。近くて遠い距離感を覚える句。
地下茎のやうな母なり梅雨満月 柴田千晶
地下茎も梅雨満月も暗いものに隠れてよく見えない。あまり多くは語らずもしっかりと、強かであった母にちらちらと見え隠れする妖艶な一面を暗示するような句だ。自分は母の全てを知っていたわけではない。そして知らない母の面というのは、一つだけということでもなかったのだろう。人は兎角、多面的な存在であるということは、近くにいすぎることでわからなくなってしまうのだ。
日記果つ父老い長嶋茂雄老い 小川軽舟
親の老いは誰しも避けては通れないものだけど、徐々に感じるものではなく、ある時はっと気付かされるものだと思う。いつまでも若く、自分が二十歳くらいの時に見ていた親の姿であるように思っていたのに、いつの間にか自分の方がずっとその当時の親の年齢に近かったりする。そして子供の頃にテレビで見ていた芸能人や著名人が、ずっと歳を取ってると気づいた瞬間、自分の親も同じように老いているのだと実感するのだ。掲句はそれが長嶋茂雄であり、私にはそれが榊原郁恵である。
一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
作者が母親を亡くした時の、その瞬間を呼んだ一句。俳句を始めたばかりの頃に読んで、かなりの衝撃を受けた。近くに住んでいるわけではなくとも、ずっとそこに居てくれるような気がしていた親も、当然のことながらいつかは亡くなる。覚悟をしていてもなお、その瞬間がくれば自分が想像しているよりも世界の見え方や空の色が、大きく変わってしまうのだろう。雲の峰があまりにも遠く、美しい。
花八ツ手母より生きて母に勝つ 三輪初子
亡き母を想う句。カラッとしていて明るい。八ツ手の葉がかつて繋いだ母の手と、幼い自分の手を思わせる。「母より生きて母に勝つ」の中七下五が、ちょっとお茶目で、 力強く、母としても自分の死後に娘がこんな風に奮起しているのは、とっても頼もしい、と想うのではないか。私だったら嬉しい。ずっと勝ち続けて、元気に長生きしてほしい。
出典:
『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』佐藤文香編(左右社)
『女の俳句』神野紗希(ふらんす堂)
『俳コレ』週刊俳句編(邑書林)
『超新撰21 (セレクション俳人 プラス)』筑紫磐井 編纂(邑書林)
句集『サーチライト』西川火尖(文學の森)
句集『カムイ』櫂未知子(ふらんす堂)
句集『檸檬のかたち』三輪初子(朔出版)