「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評181回 川柳時評(11) 「伝統川柳」について2 湊 圭伍

2024年04月30日 | 日記
 前回、『類題別 番傘川柳一万句集』正・続・新について紹介したが、昨年出版された『類題別 番傘川柳一万句集 第四集』が入手できた。「一万句集」は1963年にそれまでの「番傘」誌に掲載された中から精選された川柳句を類題にカテゴライズ(俳句での歳時記のようなイメージ)して出版され、その後、20年ごとに続、新、第四集と続けられてきた「本格川柳」の牙城、「番傘」の基幹企画である。
 詳しくは、前回の記事をご参照ください。
 俳句時評177回 川柳時評(10) 「伝統川柳」について 湊 圭伍
 「題詠別」という編集意図とはズレるが、第四集から私が魅力的だと思う作家の句を抜き出してみる。

そこ退いてえなお陽さんが当たらへん 本庄東兵
むせかえるような昭和のにおいだな
妻はまだ綱引きの手を緩めない
さてどうするかおしぼりで顔を拭く
思い余って手の平に聞いてみる


七五三の三がいばっているようだ   森中惠美子
失礼な手を美しく逃げている
矢印の向こう大事な人が逝く
生きるべし少女のままのふくらはぎ
女をすこし忘れると眠くなる


開花予想も死期も外れること多し   西山春日子
納まりが悪い令和の舌の位置
勿体ないを集めゴミ袋に詰める
行くあてもないのに髭が剃りあがる
喋りたいだけ喋ったら寝てしまう


葬った前科を風が掘り起こす     高畑俊正
春はあけぼの素焼きの子らが光りだす
鑑真和上の膝から海の音がする
父の癖字は永久保存しておこう
神無月とことん鬼でいてやろう


逢う日まで月遠くなり近くなり    真島久美子
ワイパーの速さ別れはこんなもの
左手の中で育っている疑問
ぼんやりと眺める他人様の傷
壊れたら私のせいにすればいい




そこそこの凡人がいて虹になる    壺内半酔
そんな訳で始発電車で帰ろうか
信号できっちり止まるではないか


やわらかいものやわらかくつつむ春  笠川嘉一
これからのこと赤になる青になる
空っぽになってる腕を組んでいる


巡礼の魂はまだ生臭い        西美和子
宝塚百年脚も長くなり
ときどきは妻と握手をしておこう


雨降れば駅にやさしい人がいる    藤本秋声
心ここにあらず画面の中にある
甘党が思うに一個余るはず


美しいままXのまま柩        片岡加代
いちゃいちゃと出口に二人立っている
会えるうち会おうだんだん日が翳る


罪状をぽつりぽつりと鍋の蓋     真島美智子
君にだけやさしいのではないのです
爪やすり凶器のごとく握りしめ


白けすぎたシラノの鼻を踏む     阪本きりり
笑いころげてやがて悲劇が始まった
哲学に飽きてポケットから死体


たっぷりと時間をかけて歩で受ける  竹森雀舎
逆立ちをすれば秘密がこぼれそう

この中はちょっと暗くて楽しいよ   小梶忠雄
ここはもう流れでハイと手をあげる

手がお留守でっせと母の声が飛ぶ   鮒子田嘉子
屁理屈をこねる男にメロンパン

軽薄なことばに乗らぬ肩の雪     田頭良子
ペンだこが消えた寂しい指になる

風邪半分もらってくれる人といる   川端六点
白杖へ美女しか声をかけて来ぬ

 前回も同じようなことを書いたので嫌がられるだろうなと思うが、第四集も、続や新に続いて、よいと思える句を探すにはなかなか骨が折れる。ただし、一万余句を読み通して抜き出せば、上記のように「番傘」調を引き継いだ、あるいは、そこから現代へと一歩踏み出した佳句がぽろぽろと見つかる。上のようにそうした句だけを並べてみると、「伝統川柳」も捨てたもんじゃないよね(上から目線になってすみませんが)とワクワクする。
 そこで思うのは、現在の川柳に俳句や短歌より外部から見ての分かりにくさがあるのは、一種の「平等主義」が原因なのではということだ。はっきり書いてしまえば、上のような好作家だけの句で集を編めば、川柳のおいしいところをぎゅっと集めたアンソロジーができるはずなのである。
 ただし、第四集では(これは第一集から編集方針は変わっていないと思うが)できるだけ多くの作家の句から選ぶ、ということになっているようだ。それで質が保たれるならばいいが、残念ながら、抽象的で表現としての工夫や具体性がない句、ただの報告で「それで?」という句、概念や事象を説明しただけの句、固定観念を書いただけの説明句、いいこと・正しいことをまとめただけの句、抽象的な日本(地域)礼賛・万歳の句、新聞記事の見出しやキャッチフレーズそのままの句、若者の風俗や新しい社会風潮を茶化し愚痴っただけの句、同想のもっと優れた句や作品などがすでにある句、他ジャンルや他の言説・情報と交換可能である表現、日本語としておかしいのではと思える表現。
 などがあふれていて、川柳に興味を持った人にぜひこれを読んでください!とは言いづらいものになっている。第一集のときには、平等主義的な編集によって大阪・関西を基盤とする「番傘」の集団としての面白味が出ていたが、残念ながらそうした地域的基盤は薄れている(あるいは、メディア化され、「吉本」化されて、もうそろそろ他の地域のひとびとに―関西の人にも?―飽きられ始めている)。そうした状況で平等主義で広くとろうとすると、薄っぺらい、どこかで見た固定観念があふれてしまう。結果、独自の視点を追求し、表現に工夫をこらした上に引いたような好句が埋もれてしまうのだ。
 もっとも、「類題別」のアンソロジーだからこれでよいという見方もあるだろう。その場合、他のチャンネルで、上にあげていた作家が名作家、好作家である、というのが、「番傘」、そして川柳界の外に見えるような出版物があるかどうかである。
 私の手元に、『番傘川柳百句叢書 第一集』(1973年刊)がある。初期同人の浅井五葉らから出版当時までの「番傘」の好作家10人を選んで、ひとり100句ずつ選び、それぞれ文庫サイズの薄い装丁でまとめている(10冊が一つの箱にまとめられている)。それぞれの作家から1句抜いておく。

萬物の霊長酔うて倒けている      浅井五葉
泊り客よう寝ましたと嘘をつき     木村小太郎
水引の金に汚れる目出度い日      小川舟人
犬飼って以来目につく犬の記事     上田芝有
面影を思い出してる人形師       勝間長人
両方へ犬も別れる別れ道        田中麦魚
食パンは今日一日の柔らかさ      加賀佳汀
こわいこといきなり金をくれる人    大石文久
サービスに子供が何か呉れただけ    藤井好浪
屋中をながめお世辞をいうつもり   梶原渓々

 このように、少なくとも1970年代までの「番傘」には、自分たちがよいと思う川柳を好作家として見えるように、手に取って確認できるようにしようという姿勢があったようだ。川柳界は20世紀後半のどこかでそういう姿勢を忘れてしまっていたように思われる。

 こうしたことを書くのは、現在、従来の川柳界とはちょっと離れたところで、個々の作家の個性を装丁にまで活かした句集が継続的に出るようになっているからだ。

母子手帳開くと草の匂いする      小原由佳『反対側の窓』(青磁社、2022年)より
少しずつ記憶が違う宝島
手から手へ毒も疲れてきてしまう
ぶらんこを拠点に活動しています
いつも見る帽子の人も秋になる


三角に折られた過去を持つ鳥だ     城水めぐみ『甘藍の芽』(港の人、2023年)より
甘そうね 触れたところが痣になる
つむじから漏れる悪魔の独り言
二番目に好きな色から減ってゆく
ご自由にどうぞと書いてある背中


のがのならなんのことない春の日の   瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社、2024年より)
太刀魚のひかりをするするとしまう
かもしれない人がひゅんっと通過する
夏よ!(曖昧さを回避していない)
曇天がかたむくときのトム・ウェイツ


衣紋抜くしろながすくじら細くなり   千春『句集 こころ』(港の人、2024年)より
コウノトリから減薬の誘いを受ける
挟みましょうか挟まれましょうか、惑星
食器拭くあなたの指が鍾乳洞
扶養などシロツメグサに塗ってみろ


 「伝統川柳」的な写実なよさは上のような新しい作家の句にも十分に感じられるので、「番傘」や狭い意味での「伝統川柳」にこだわる必要もない、ともいえるだろう。とはいえ、最初に引いたように、「番傘」の実力もしっかりと外に見えるようにしてもらいたい。ということで、これも新刊で出たという真島久美子の句集が一般にも手にとれるようになって欲しいと思う。私も未読なので、とりあえず、西脇祥貴さんのツイートから孫引きで―

片想いだろうピンクのドラえもん    真島久美子句集『恋文』
長雨が例え話のなかに降る
鍵穴を覗くと向こう側も雨
瘡蓋の奥はノンフィクションの海
意味もなく鷗になりたがるティッシュ
一日を乗せるわたしの貨物船
カーディガン脱いでひとりの皮膚呼吸
意思表示すると氷の椅子になる
そこはもう光ですねと閉じる棺
正直な顔をキーホルダーにする
姉として喫水線を越える闇
妹が笑う 地球の裏側で
トマトより嫌いな人が一人いる
自分史の七話あたりにある砂漠


 *

 他、自分の宣伝にもなってすみませんが、今年2月18日に、岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館で、「朗読とトークの会 2023」に参加してきました。4ジャンル(自由詩、短歌、俳句、川柳)から一人参加で毎年開かれています。日本現代詩歌文学館のYouTubeチャンネルに記録動画がアップされていますので、よろしければご視聴ください。

朗読とトークの会 2023 (日本現代詩歌文学館YouTubeチャンネル)
朗読作品テクスト
「朗読とトークの会 2023」@日本現代詩歌文学館 朗読作品

 今年の参加者は、小島日和さん(詩人)、小原奈実さん(歌人)、斉藤志歩さん(俳人)と私(川柳)でした。過去回の動画もアップされています(川柳からの参加者は、竹内ゆみこ(2019.1)、暮田真名(2020.1)、真島久美子(2022.1)、柳本々々(2023.1))。

 重要: 日本現代詩歌文学館では詩歌関連の資料を収集されています。書庫も案内していただきましたが、特に川柳向けの棚はまだまだ余裕があるようでした。もし、川柳関連の貴重な雑誌、書籍がありましたら、ぜひ、日本現代詩歌文学館のほうに連絡してみてください。所蔵2部までは引き取っていただけるそうです。

俳句評 戦争俳句のアップデートについて 沼谷 香澄

2024年04月07日 | 日記
 俳句は批評的精神と親和性が高いと思います。短歌と比べて、「わたしの感情」を語らなくていいため、厳しいことや言いにくいことも短い情景の提示で表すことができるだろう、と考えたのがその理由です。また川柳に比べて俳句は「わたしの美意識」を表出しやすいという側面があるため、戦争にたいする作者の思いを無理なく乗せやすい詩形だと考えます。

 はじめに戦争の定義を確認します。国語辞典ではなくWikipediaにたよりました。「戦争(せんそう、英: war)とは、兵力による国家間の闘争である。」出典は、筒井若水『国際法辞典』有斐閣、2002年、とのことです。言葉を付け加えるなら、国家は近代の産物ですので、戦争は近代以降の争いごとだと理解してよいと思います。私たちが現在親しんでいる俳句とだいたい同じころに始まったともいえると思います。
 近代戦争の初期の様子を、最近いくつかの映画で見ました。「1917 命をかけた伝令」(2019)は第一次世界大戦の前線を題材としています。「トールキン 旅のはじまり」(2019)にも同様の場面はありました。「ゴールデンカムイ」(2024)で日露戦争の203高地から物語が始まります。いずれも作られた映像ではありますが、泥と銃と血の延々と続く悲惨な様子が描かれていました。
 第一次大戦は1914年から。日露戦争は1904から。日中戦争は1937年から、続けて第二次世界大戦は1945年まで。第二次大戦(WWII)では戦争に飛行機が使われてはいたものの、悲惨な壊し合いの中に生身の兵士が暴力を実行し被害を受けていました。

 さて。俳句の話です。

『戦争と俳句』川名大 創風社出版 2020
いま簡単に手に入る本です。副題に、「『富澤赤黄男戦中俳句日記』・「支那事変六千句」を読み解く」とあります。
日中戦争のあいだに戦争俳句が非常に多く詠まれたようです。その中から、一人の俳人の俳句日記と、「俳句研究」が編んだ戦争俳句アンソロジーがとり上げられ、詳細に読み解かれています。日記は昭和12年から。西暦で言えば1937年です。作品が書かれた時代から80年あまり離れた今の視点から冷静に説かれた評論は興味が尽きませんが我慢して、引用作品をながめました。
 なおこの本には、『富澤赤黄男戦中俳句日記』翻刻が収録されています。創作メモを誤字や推敲の痕ごとこんなふうに活字に起こされて出版されるのってどんな気分かなあと思いましたが読者側からは見ごたえがありました。

眼底に塹壕匍へり赤く匍へり               富澤赤黄男「武漢つひに陥つ」昭和13
鶏頭のやうな手をあげ戦死んでゆけり           同「落日」昭和13
偶然を地雷をこゝに堀りおこす              同「不発地雷」昭和14

 富澤赤黄男は新興俳句の作家です。中国へとロシアへ出征して昭和19年に除隊、上記は文字通り戦地で書いた句のようです。

 前線俳句、銃後俳句、銃後の一種として戦火想望俳句、と、日中戦争時に発行された雑誌上で、戦争俳句は詠まれた立場から大きく二つまたは三つに分けて論じられたようです。
 ところで私も、戦争の俳句、と思いながら作品をネットで拾ったりしている間に、知らず知らず、その句が読まれた年と場所、作者の立場、などを気にして探すようになっていました。テキスト主義を標榜する私が詩作品に向き合う態度として、背景を詮索するのはあまり好ましくないと思うのですが、なぜか気にしなくてはいけない気になりました。詩作品のうち特定の題材を扱ったものに興味を向けるというのはそういう危うさがあるのだと思います。
 もう少し脱線します。近代、兵士は男性の職業でした。近代政治も国家も男性が始めたものということができるかもしれません。戦争俳句は前線俳句と銃後俳句に大別されますが、必然的に、前線俳句の作者は必ず男性ということになります。そのことに関して今は特に思うところはありませんが、作品引用を、と考えたときに気がつきました。

 同じ『戦争と俳句』からの孫引きです。富澤赤黄男と交流のあったという俳人の作品が引かれていました。

昼寝ざめ戦争厳と聳えたり                藤木清子『しろい昼』
戦死せり三十二枚の歯をそろへ              同「旗艦」昭和14.3

 雑に締めてしまいますが、日中戦争の時代には大量の戦争俳句が発表されていて、その作品は結社単位で体制に近いか批判的など主張や境遇でまとまっていて、検閲はあったけれど検閲を逃れるために言い回しを変えたり発表せず保存してあったりした句が残っていて今わたしたちが読むことができる、今だから言えることかもしれませんが、文学と政治が近くて、しかも息苦しくない。そんなふうに感じました。

 もう一冊買ってあるのですが、読み切れないのでさわりだけ。これもまだ新刊が手に入ります。
 『戦争俳句と俳人たち』楢見博 2014年 トランスビュー
 教科書に載っているような四人の俳人と戦争について、間に書影を挟みながら詳細に読み解かれて行きます。大冊です。

壕に臥て夜のあさかりし蝉のこゑ            小島昌勝 「馬酔木」通巻二百号(昭和14.1)

 戦争俳句としてよく取り上げられる作品の “ 戦争”とは、日中戦争をいうと言っていいようです。第二次大戦の後半が入ってこないのが不思議だったのですが、答えは本書序文にありました。

 戦時中、ことに太平洋戦争が始まる昭和十六年十二月八日以降の俳壇は、正岡子規以降続いてきた俳句革新をめぐる議論も消え、俳句のあり方を問う姿勢を欠いてしまったと言えるだろう。戦争に関することから受ける個個それぞれに異なる感情が、無意識のうちに統制され、だれもが「聖戦」という名の下に、共通の感情を自らに押し付けてしまったのだ。  (『戦争俳句と俳人たち』はじめに)

 戦時中の短歌が国威発揚に担ぎ出されたのは有名な話です。いま、短歌について、自由な心を無くしていったのが何年頃からだったのかを探す余裕がないのが残念ですが、どうやら俳句も日本が本当に危なかった時期には短歌と同様に飲み込まれてしまったということのようです。

 少し時代を進めます。
「俳誌のサロン」というウェブサイトの「歳時記」に、「戦争」のキーワードで集められた俳句の一覧表がありました。2023年7月8日作成のアンソロジーで、掲載年月は1998年8月から2023年4月まで、結社誌掲載の126句が時系列に並んでいます。
 予想ができたことですが、このアンソロジーから見た「戦争」の共起表現は「知らぬ」が第一位。次に、「記憶」「語る」があります。引用しようと思ったのですが、何句か転記してみて、削除しました。記録としてこのアンソロジーに意味はあると思いますが、これからよい句を書くための参考にはならないと判断しました。「戦争」という語を詠み込むことがよくなかったのだと思います。
 現在、2020年代半ばに私たちはいるわけですが、二十世紀後半よりは現在のほうが、文芸が世界の危機感に近いところで扱われる機会が増えているように思います。
 次にこれが束ねられてしまう時代を呼んでしまうかどうかは、私たち次第なのでしょう。

 いま私たちは戦争について知らないとは言っていられない状況下に生活しています。ボタン戦争から情報戦へと戦争の形が変わっていったところへ、今また、百年前のやりかたで悲惨な壊し合い殺し合いが行われています。
 2001年9月11日、夜10時のニュースで、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む瞬間をリアルタイムで見せられたことは、本当に衝撃でした。映画で見るビル倒壊よりずっと白っぽくて埃っぽい映像と、映画で見る災害より平坦で長い尺、戸惑いや繰り返しのあるナレーションが記憶に残っています。私たちはとんでもない時代へ娘を送り出そうとしているらしい。テロとか戦争とか関係ない、私たちは暴力から身を守ることを考えて生きなければならないらしい。そういうことをぼんやり考えたことを覚えています。
 南スーダンに派遣されて戦争を経験し、帰国後PTSDを患う自衛隊員の話が報道されたのが約10年前。フランスはじめヨーロッパ各地でテロが相次ぎ、出張や赴任をしていた知り合いが、近くで怖い経験をして帰ってきたり、仕事を切り上げて戻ってきたり。読者のなかにも身近にいらっしゃるのではないでしょうか。ガザ攻撃の勃発時、現地で開催されていたレイブパーティに参加していて攻撃を目撃した日本人のことを、見聞した人もいると思います。私の住んでいる町にも、ウクライナから移ってきた人たちは住んでいて、面識はありませんが市の広報誌によると国際交流イベントなどに協力しているようです。
 直接間接の知人が関係していなくても、報道に閲覧注意というラベルがついて、紛争地域の悲惨な画像や映像、それらを見なくとも悲惨なことが起きている事実をリアルに見聞できてしまう時代を、私たちは生きています。地球の裏側であっても、決して遠い世界の出来事とするわけにはいかないという意味で、百年前に比べて世界は小さくなっています。

 前線と銃後のようなわかりやすいポジションが成り立たない、普通に生活しているなかでいつのまにか巻き込まれている戦争。芸術を何かの用途に使うと考えるのはあまり楽しくないですが、想像力の助けになるものとして、いま、リアルに・バーチャルに・現場で・リモートで・当事者として・目撃者として。書ける詩はあると思います。探したいと思います。

 手元にある句集から、戦争を題材にした作品で好きなものを引いてみます。

降る雪の映画の中を行軍す              中村安伸『虎の夜食』(2016年)
兵器にも肉を喰はせる星祀              同
天の川へ愛国者パトリオットを抛り込む              堀田季何『星貌』(2021年)
暁や政府に感謝できる国               同『亜剌比亜』(2016年)

以下は『天の川銀河発電所』(2017)より孫引きです。
次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題         北大路翼『天使の涎』
鶴二百三百五百戦争へ                曾根毅『花修』
なぜ口は動くのだらう終戦日   十亀わら
シンクに黴首都に異国の基地がある          関悦史『花咲く機械状独身者たちの活造り』
学費にお困りならぜひ……………………戦場に男根飛ぶ   同 同
カンバスの余白八月十五日              神野紗希『星の地図』

以下は「楽園」第二巻湊合版(2023年)から。

液晶画面モニターに空爆無音春の昼               町田無鹿 Vol.2,No.1(April&May2022)
雲雀落ち空爆の午後止まりけり             多緒多緒 Vol.2,No.1
国境に四〇〇〇〇〇しじゅうまんの目ならびいる          小山桜子 Vol.2,No.1
鉄線の星一つ切る国境くにざかい                野武由佳璃 Vol.2,No.2(June&July2022)

俳句時評180回 鈴木総史『氷湖いま』(ふらんす堂)鑑賞 横井 来季

2024年04月01日 | 日記
 鈴木総史(「群青」「雪華」同人)の『氷湖いま』(ふらんす堂)が3月3日に出た。第一句集で、272句が収録されている。技量の塩梅で面白さが決まるわけではないが、明らかに下手な句がほとんど見当たらず、技量の成熟した句集だと全体としては感じた。また、発見や飛躍ではなく、経験の実感の詩を描く人なのだろうという印象も受けた。

起き抜けを地震とも思ふ吹雪かな

 序文にて、櫂未知子が「異彩を放つ、洗練された風土詠」と鈴木を評価している。地方に立脚するのみの風土詠ではないと言っている理由は、鈴木の風土詠が描かれた風土を超えているからだろう。北海道には札幌以外行ったことないが、作者の実感が感じられるような優れた句が多いと、私は感じた。それは、掲句のように北海道における自然の厳しさを、実感として伝えてくれる作品が多いからだとも思う。北海道の自然を表現する際、読者に寄り添った描写をしているからこそ、この句集で描かれている北海道は北海道に縛られない魅力を持っているのだと思う。

地吹雪のなか詩にならず死にきれず
わたつみの光なら欲し葡萄棚


 「地吹雪の」この措辞は、キザな修辞ではなく、北に住む人にとって切実な実感の句であるらしい。「わたつみの」は、「余市 三句(二〇一九)」のうちの一句である。
 この二句は、作者が北海道在住であることを知らずに読んだとしても、巧みな句と私には感じられる。どちらも若々しさとスケールの大きさを描けていると思う。

とんばうや蝦夷にあをぞらあり余る

 これは具体的な地名が句に出てきても同じである。この「蝦夷」は江戸時代以前のそれを指しているのだろう。「とんばう」と「あをぞら」だけがある眼前の自然に、土地の歴史を想起した句だ。時間と空間、両方のスケールが大きい。

 また、単に自然を詠むだけでなく、北海道への愛着が多面的に詠まれている側面が良かったと思う。

かがやきの足らぬ蜜柑がどつと来る

 『氷湖いま』では、「」「輝き」「明るい」「眩しい」「かがよう」といった、光に関する言葉がよく使われている。それは、作者も自覚しているようで、「あとがき」にて、「北海道の冬は大変豊かで、まぶしく輝いていると感じた。これらは、ずっと東京に住んでいた私にとって大きな衝撃であった。本句集で、そういった明るさを詠んだ句が多い理由は、そこにある」と書いている。

 風土詠は得てして風土の表層を詠んだだけの、魅力の薄い句になりやすいが、そうさせない工夫も、本句集では施されている。掲句は風土愛の裏の側面を描いた句である。
 おそらく、愛媛に住んでいるという祖父母から、蜜柑が送られてきたのだろう。そして、この蜜柑は過去の主体の象徴でもある。それを「かがやきの足らぬ」と形容する。毒舌である。あたたかいが明るさの足らないノスタルジーと決別し、明るく極寒の北海道に身を埋める主体の立場がよく現れている句だ。

針はづすとき公魚のかがよひぬ

 本句集に描かれている明るさは、生命の輝きなどの形で主体に現れることもある。そう考えると、主体にとって光や輝きというものは、自然そのものの象徴なのかもしれない。

ひとときの闇欲しくなる流氷船
灯籠のための昏さの海なりけり


 「明るさ」「光」を描く一方、「暗さ」や「闇」をどう表現しているかも気になるところだ。だが、暗さや闇を描いた句は、明るさや光のそれと比較して明らかに少ない。内容についても、明るさを賛美する内容になっている。
 「ひとときの」流氷船と眼前の自然の余りの眩しさに眩暈がした。そのため、「ひととき」闇が欲しくなるが、あくまでも「ひととき」である。自然による眩暈が終わればすぐに光を欲するだろう。
 「灯籠の」に至っては、「昏さ」を「光」のためにあるものであると把握している。この主体にとって、暗さは明るさの踏み台として存在している。
 ともあれ、風土の「明るさ」に偏重するだけではなく、その裏にある「明るくないもの(蜜柑)」や、「明るすぎるもの(流氷船)」「暗いもの(海)」をともに描くことで、風土と、その土地に住む作者の実感が、多面的に読者に伝わってくる効果がある。

 こうした工夫からは、読者に対する、鈴木の配慮の綿密さを窺うことができる。だが、そのサービス精神によって、あまり面白くない句を、読書の箸休めに配置する傾向も見て取れた。

虫籠へ入れて鳴くもの鳴かぬもの
冬蜂や郵便受けのうすぼこり
小説のもうすぐ終はるハンモック
おほかたの橋錆びてゐる紅葉狩


 これらの句は、おそらくは箸休めとして配置された句なのだと思うが、読者に対する配慮としては、あまりにサービス精神が過剰であると思う。これらの句を削ったうえで、自分の表現したい(したかった)俳句と入れ替えた方が良かったのではと感じた。

※ネタバレ注意

 最後に、本句集の構成について。『氷湖いま』は逆編年体をとっている。その意図は説明されていないが、成功していると私は感じた。はじめに北海道の印象を強く打ち出し、そこから過去に戻っていく形式によって、「(詞書:最上川)冬ざれの川いつぱいに舟唄が」が最後に来る。現在愛する北海道の風土から始まり、鈴木俳句史の原点で締める。ドラマチックな構成であった。