前回(「俳句時評182回 多行俳句時評(11) 閉じによる開き」)、上田玄の第二句集『月光口碑』から二作品引いて読んだ。上田玄には多行俳句集が二冊ある。もう一冊が、第三句集『暗夜口碑』。今回はこの句集から引いて読んでみたい。なお、『暗夜口碑』には多行連句ともいうべき、清水愛一氏との「連弾・水の指紋」が併録されており、これが抜群に面白いため、読者諸賢には、ぜひ手にとってお読みいただきたく思う。
撃チテシ止マム
父ヲ
父ハ
上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《撃チテシ止マム》とは、『古事記』の久米歌から引用された、第二次世界大戦中の大日本帝国のスローガン。「うつ」(攻め滅ぼす、殺す)+「し」(強意の副助詞)+「やむ」(終わる、なくなる)+「む」(意志の助動詞)で、「敵をやっつけて終わろう」の意。ようするに「敵を倒すまで戦いは終わらない」ということだ。
上田がいうところの《「銃後想望」とでもいうべきモティーフ》(「あとがき」)を中心にした、本句集第二章「耳塚」の冒頭にあって、本句は、文字通り戦時プロパガンダ用語ではじまる。戦時プロパガンダは戦場ではなくむしろ銃後において必要とされるのだろうけれども(だから「銃後想望」なのだろう)、《撃チ》の語が、否応なしに、銃をかまえた兵士の汗と、硝煙の匂う戦場を想起させる。
ところが、第二行の《父ヲ》に移るとき、奇妙な屈折が生じる。《撃チテシ止マム》には、二つの主語と一つの目的語が省略されている。「誰が」「誰を」撃ち、「何が」止むのか。自明であるから省略されているわけだが、「我々(自国民)が、敵国を撃ち、戦争が止む」はずである。屈折は、「敵国」つまり目的語の位置に《父》がすべりこむことで生じている。心象における、戦場の敵兵士の姿が《父》の姿に変貌する。
三行目の空行ののち、第四行において《父ハ》と主語が介入することで、さらに屈折は増す。一つの円環、不気味なウロボロス、向き合った鏡像が完成する。二枚の鏡、向かい合った鏡が、互いに撃ち合い、同時に砕け散る。通俗的な「父殺し」の物語からはズレた(ひねくれた)、襞が描かれている。これを「襞」と呼ぶのは、ここに描かれた《父》、二個の《父》は、たんに「鏡を映す鏡」であるだけではなく、語り手にとっての投影的鏡像(imaginaire)、自己投影による棄却(abjection)であるからだ。その意味でたしかにこれも「父殺し」であるし、同時に「我殺し」でもあるのだろう。
ひどくつまらない、というか下品な読み方もできるかもしれない。戦場に出ているのは《父》である。敵軍の兵士も誰かの《父》である。うんぬん。戦争とはそのように悲惨である(からやめよう)とも、戦争とははらからを守るための戦いである(から英霊を讃えよう)とも、《父》のトップが天皇なのだとも、いかように警句的・箴言的メッセージを読み取ることも、可能ではある。可能ではあるけれども、やはり退屈であろう。
余談になるが、「撃ちてし止まむ」の後半「止まむ」の、通例の現代語訳は「戦争を終えよう」となっているようだ。「む」は未然形接続の助動詞だから、「止ま」は四段活用の自動詞「止む」の未然形、となるのではないか。自動詞だから、目的語をとらない(「戦争が終わる」のであって「戦争を終える」のではない)。他動詞の「止む」は下二段活用で、もしも「戦争を終えよう」と目的語をとるかたちにするならば、「止めむ」となるのではないか。いや、記紀歌謡時代の文法・語用法にかんしてまったく素人だから、これは僕のたんなる素朴な疑問に過ぎないのだけれど(他動詞「病む」の意味の「やむ」には四段活用がある。語源が同じなのだろうか)。末尾の「む」を「意志」の意味で現代語訳するのは、主語が一人称(ここでは「我々」だろうから、一人称複数)だからだが、もし「戦争が終わる」と、「止む」を自動詞とするならば、「推量」の「む」ではなかろうか。しかし推量より意志の方が、なんだか勇ましく感じられるのかもしれない。
この春も
ものの芽湧かず
父は
漂着
上田玄句集『暗夜口碑』より。一行目。《も》というわけだから、反復して物事が生じている。二行目《ものの芽》は仲春の植物季語。手元の歳時記には《特定の木や草の芽ではなく、木の芽も草の芽も引っくるめて、春になって芽吹き萌え出るいろいろな芽の総称》とある。今年の春も、草の芽さえ萌えることがなかった、というのだから、ここまでで、ポスト・アポカリプス的な荒廃した世界が提示されていることが分かるし、卑近な連想をするなら、80~90年代の「核戦争後の共同性」を懐かしく思い出すことも可能かもしれない。
ここに、異物が混入する。三行目から四行目にかけての、改行・一字空け(ないし字下げ)を無視し、かつ、動詞を補って、「父は漂着する」とひとまず読んでみても、不当ではあるまい。豊かな土地を探るため、この不毛の地を出ていた《父》が、どこかの島に《漂着》した――と読んでみても、矛盾は生じないものの、どこか不自然な感触が残る。そうしたストーリーをここで語る、というテクスト内の文脈が無い(見えない)からだろう。
ここで《父》は、この不毛の地に《漂着》したのではないか。俳句の慣習にしたがって、特段の断りが無い限り、語り手は語りの内部を一定の範囲から観察している、と想定することによってであるが――つまり語り手は、視座をこの不毛の地からどこか別の島へと瞬間移動させてはいない。なにより、《この春も》という書き出し、語り口は、「この不毛の地」という特殊な一地域についての、限定的語りではなく、世界についての語りであると感じさせる。この作品にとって、《ものの芽湧かず》とは、世界についての記述なのだ。
流された蛭子のように(世界各地の神話で追放される「忌み子」は、ヘゲモニーを握ったグループが、劣位に陥ったグループの神を、象徴的に滅ぼしたことの痕跡(ないし痕跡を消した痕跡)であるだろう)、《父は》どこかで失われ、突如としてここに現れる。前掲句において《撃チ》斃され、鏡の奥へ散り消えたあの《父》が、ここで蘇ったというのだろうか。いや、まだ《漂着》したことが分かっただけであり、生死不詳ではあるのだが。上田俳句において《父》の出現頻度は高い。したがって、我々読者にとっては「さて、今度の《父》はどの《父》なのだろう」と腕組みしてみせることが、まずは礼儀であるはずだ。
もったいぶらずに一息に個人的な(確信にも似た)妄想を告白させていただくならば(この手の妄想はおおむね不当さを逃れられないが)、この《父》は、重信の《船長》なのではないか。むろん、重信句における《船長》は、重信の顔をしている。その意味で、《撃チテシ止マム》句の《父》とは決定的に異なる。そこで《父》は上田玄の顔をしているからだ(僕は上田氏の顔を知らないけれども)。
もちろん上田氏が重信を象徴的父と考えていたなどというエビデンスはないし、《父》と呼ぶ「不敬」を犯してみようという意図が感ぜられるというのでもない。重信句の《船長》が、口笛でも吹きながら、飄飄とどこまででも平泳ぎで泳いでゆく姿かたちをしているのに対し、ここでの《父》は、うっかり足を攣りでもしたのか、這這の体で岸に打ち上げられた、無惨な姿かたちをしている。こうした無惨さ、というよりも涙ぐましさは、《ものの芽湧かず》ところの上田世界に、なんとか取り入れ、同化しようとすることの、結果ではなかろうか。むろん、完全に、ないし「正常に」同化されることはなく、他者として、異物として残り続ける。上田俳句に感ぜられるメランコリーは、こうした点に見出すことができるのである。