「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第97回  無の旅へ   九堂夜想

2018年05月20日 | 日記
 2月20日、金子兜太が亡くなった。享年九十八歳。本人は、常々百歳を超えて生きることを嘯いていたから遺憾ではあろうけれども、大往生には違いない。すでに、各誌では兜太の追悼特集が組まれ、執筆者・発言者がそれぞれの〝兜太ものがたり〟を心厚く綴っている。これまでも読本や評伝などでその人柄と作品は多く語られてきたが、今後もしばらくはそうした展開が続くだろう(私的には親愛な人物評ではなく精緻な作品評を望むが)。
 ところで、およそ八十年の長きにわたる兜太の俳句行為とは如何なるものであったか。重厚緻密な評論は俳文学者に任せるとして、ここではささやかな印象批評を端的に述べるに止めたい。

  白梅や老子無心の旅に住む

 兜太、弱冠十八歳の処女作である。「白梅」「老子」「無心」「旅」―彼の人物像を知る者ならば、これらの語彙とイメージに兜太その人の体臭を嗅ぎ取って少しく頷くところがあるであろう。
 ところで、「本質的な思想家はひとつの課題しか持たない」というハイデッガーの言葉を横滑り的に拡大解釈し、「本質的な作家はひとつの課題しか表現しない」という持論を抱いて久しい。しかも、その本質的な要素はおおむねデビュー作に如実にあらわれていることが多い。兜太には、これまで十四冊の句集といくつかの未完句集があるが、いささか乱暴な判断を下せば、それらの膨大な作品群の志向性は、なべて如上の処女作が起ち上げる世界観や人生論に収斂されるのである。

 兜太は、作句において、よく〝肉体〟からの発想を語っていた。それは、かつての前衛時代(とその反省)を経て古典研究に入っていく過程で、一茶や山頭火などから学んだ思想である。それを〝風土〟と言い、〝産土〟とも言った。実のところ、後にそれらに繋がる或る思想を、兜太は、若年の頃より無意識のうちに培っていたのである。それが、老子における「自然(じねん)」である。
 あらゆる存在を肯定し、無窮の世界を逍遥するような兜太句のダイナミズムは、人々の目に大いなる自由と映り、たしかに俳句の領域拡大の一役を担ったであろう(「彼の作品は、彼の創作態度や手法をはるかに超えた生命の飛躍(エラン・ビタル)とでもいうべきエネルギーによって、ある魅力を手中に収めている」原子公平)。
 だが、〝肉体〟から始めるということ(〝意識〟でも同じことだが)は、取りも直さず〝自己〟から始めるということであり、それは、実のところ、独我論(=ナルシシズム)に他ならない。兜太の〝肉体〟は、ゆえに、自己同一化された〝肉体〟であり、「天人合一」や「ふたりごころ」、「アニミズム」そして「生き物感覚」など人口に膾炙した兜太の俳句思想は、開かれているように見えながら、その実〝閉じた世界〟なのである。それは、老子の「自然(じねん)」が、究極において閉じられた思想であることと無関係ではない。
 有り体に言えば、兜太の作品と思想は、恵愛と反骨、野性的動態としてのエネルギーに満ちながら、「言葉」や「存在」、「世界」に対する〈問い〉(=他者性)が決定的に欠けている。兜太は、故郷・秩父を愛し、そこに己のいのちと俳句の原点を見つめていたが、俳句(文学)において重要なのは、ふるさとと結び付くことではなく、ふるさとと切り結ぶことである(それが、ひいては聖フーゴ―の「この世を〈異郷〉として生きる者」の構えに繋がるのだが)。その意味で、兜太は、〈他者〉としての〝肉体〟、〈差異〉としての〝風土〟、〈外部〉としての〝産土〟を、ついに見なかった。彼の俳句行為は、人道的な慈愛に溢れつつも、とどのつまり、共同体レベルの「無心の旅」であった。

 人間・兜太は別として、詩人・兜太の俳句思想にはおおむね批判的だが、数少ないながらも共鳴する要素がないではない。そのひとつは、五七五定型への頑然たる「定住」である。かつて、堀葦男と兜太の間で次のような議論がなされたという―「我々は碧梧桐の轍を踏まない」。それは、俳句革新を目指し、のちの自由律につながる新傾向俳句を起こしながら、定型軽視ゆえに徐々に自家中毒に陥り、ついに俳句的滅亡を招かざるを得なかった碧梧桐の盛衰への批評として充分頷けよう。清輝流に言えば、五七五という縛り、その桎梏を転じてバリケードとなし、かつ防御と攻撃の一体となった〝交叉法〟へと昇華させるといった定型意識だが、ここでも、ついに兜太と私はその俳句ベクトルを異にする。兜太は、作品行為において〝私〟(=主体)を手放さない。だが、私の見るところ、五七五という俳句形式の特異性(それが他の文学ジャンルにはない決定的要素だが)は、「私から〝私〟を切る」こと、さらに言えば「人間から〝人間観念〟を切る」ことであり、その〈脱‐主体〉=〈問い〉の道に、詩としてのあらたな創造が拓かれるのだ。
〈他者〉としての〝肉体〟、〈差異〉としての〝風土〟、〈外部〉としての〝産土〟―師を批判的に継承する者として、これら兜太の未踏領域をどのように渡るかが今後の私の課題だが、少なくともその歩みは「無心の旅」ではなく、すべてを問い続けながらついに自己を消滅させてゆく「無の旅」であるような予感を抱いている。