「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評141回 俳句は俳句 谷村 行海

2021年09月26日 | 日記

 高校生の時、文人俳句という言葉を聞いて違和感を覚えた。『羅生門』を習う際、便覧で芥川龍之介について学習をしたのだが、その時にその言葉が出てきた。「作家が余技として俳句を作っていたから文人俳句と言います」と習った記憶がある。当時の私は国語の時間以外で俳句を作ったこともなく、まだ俳句をおもしろいと感じたこともなかったのだが、文人の俳句とそうでない人の俳句をわける必要があるのかと疑問に感じてしまった。中学生の時の教科書に載っていた自由律俳句であれば、確かにわけておく必要もありそうだと感じはしたが、便覧に載っていた芥川の句を見ても、何が違うのかさっぱりわからなかったのだ。
 その後、紆余曲折を経て日々俳句を作るようになったが、いまだに文人俳句という言葉はもやもやしたまま残り続けている。
 
 岸本尚毅『文豪と俳句』(集英社新書)が出版されたのは今年の八月のことだ。この本の中では、十三人の作家の句(そのうち、夏目漱石と永井荷風については句合わせの形をとりながら)にどのような特徴があるのかが読み解かれていく。
 おわりの部分で著者が「そもそも小説家の俳句は、そうでない作者の俳句とどこが違うのでしょうか。(中略)その違いは、作者が発信する情報量の差です。小説家は小説や日記などの形で豊富な情報を発信します。俳人も散文を書きますが、小説家の比ではない。文豪と呼ばれる小説家については評伝や研究書も豊富で、それらも俳句を読み解くヒントになります。」と述べている通りに、彼らの作品等が数多くふまえられながら鑑賞が進んでいく。
 例えば内田百閒を論じた章では、「砂原の風吹き止まず朝の月」に対して『件』の「月が西の空に傾いて、夜明けが近くなると、西の方から大浪の様な風が吹いて来た。私は風の運んで来る砂のにおひを嗅ぎながら、これから件に生まれて初めての日が来るのだなと思つた」という一説を引用し、彼の小説の作風と結びつけながら怪異の兆候として風を捉えている。
 また、宮沢賢治の「岩と松峠の上はみぞれのそら」という句の「峠の上はみぞれのそら」は下手だと断じたうえで、「訥々とした調子は、賢治の声を聞くような感じがします。(中略)賢治にとって俳句は窮屈だったでしょう。字余りを避けて「みぞれそら」「みぞれぞら」とすると、「みぞれ」が「そら」の一部になってしまう。賢治は「みぞれ」と「そら」が別々の言葉として、それぞれが一語一語として粒立っていることにこだわったのだと思います。」と、賢治の人柄、詩人ならではの感性から来る言葉の選択も考察している。
 一読し、百閒にしても賢治にしても、それぞれの作家の詠んだ句とその評については納得させられる部分が大きかった。言葉遣いが荒いと思った句(泉鏡花の「打ちみだれ片乳白き砧かな」など)も、著者の指摘を読んで印象が大分変わった。やはり、情報量の差は大きいことだろう。俳句の読みを考える本としてはとてもおもしろく読むことができた。

 さて、最初に戻るが、この本を読んでますます文人俳句という言葉に違和感を覚えてしまった。
 取り上げられている小説家は誰もが俳句に真剣に向き合っていた。萩原朔太郎は『小説家の俳句 俳人としての芥川龍之介と室生犀星』で「前にも他の小説家の俳句を評する時に言つた事だが、一体に小説家の詩や俳句には、アマチユアとしてのヂレツタンチズムが濃厚である。彼等は皆、その中では真剣になつて人生と取組み合ひ全力を出しきつて文学と四つ角力をとつてるのに、詩や俳句を作る時は、乙に気取つた他所行きの風流気を出し、小手先の遊び芸として、綺麗事に戯むれてゐるといふ感じがする。」と文人俳句を非難していたが、その対象でもあった芥川龍之介にいたっては俳句を専門にしている人間と全く同じ執念を感じざるをえ得なかった。
 だからこそ、文人俳句と呼んで分けてしまうのは、句を作っていた彼らに対してこれ以上ないほど酷い仕打ちに感じられてしまう。その点、『文豪と俳句』には文人俳句という言葉がほとんど登場しなかったのは好ましく思えた。
 その一方、著名な作家の俳句だから好意的に評価しましょうとなると危険なことに思う。あくまでも俳句は俳句。今後も新しく俳句を作り始める作家は出てくるだろう。その際、著名な作家だから肯定的にとらえるのではなく、その作家のこれまでの蓄積は単なる情報として、俳句は俳句としてしっかりとらえていきたい。


俳句評 門外漢が読む『阿部青鞋 俳句全集』 住田 別雨

2021年09月11日 | 日記

 それで夏休みの宿題が俳句評で何をどう書けばいいのやらと打ち明けると、大阪市北区中崎西にある詩歌専門書店葉ね文庫の店主はふんふんと頷いて棚から何冊か手渡してくれた。
 私には無知の盾しか持ちえていないから、既に亡くなっている人がいい。出来れば公表されている全句を把握したいという条件を満たしたのがこの句集だった。
 独身時代から結婚して子どもが産まれ、やがて老年になるまでの時系列で並べられた句集なので、マトリョーシカを小さいものから一回り大きなものへ仕舞っていくようにして読んだ。入れ子を入れる前に自分の経験を吹きかけて句を親しむとノスタルジーともサウダージとも名前がつかないものが心のある部分に染み入る。
たとえば

  日の光しぐれを松に片降らす

  寒光の最も濃きはこの路か

 二月の初頭大気が澄んで日照角が一番鋭くなる午後三時前、屋外は一丁前に冬の気温のくせに、日光はこの世を漂白してやるとばかり眩しい時間を格別に愛していたことを思い出す。タイミングがよければ西日になる一瞬前の日差しを浴びに、色を抜かれたビルの壁の温度を確かめに表へ駆け出すほど。
解釈よりも早く経験の封が解かれていくような染みこみ方だ。
 今一度マトリョーシカに息をふーっと吹きかける。

  シャンデリヤつたはりて死は遊びけり

 およばれした御宅の吹き抜けのホールには吊り照明があり、二階から手を伸ばすと子供でも照明の鎖をさわれたので悪戯に揺らして遊んでおりました。そこの家のお姉さんが来たので物陰に隠れているとお姉さんはお化けが出たといって大騒ぎをしました。

 糸引き飴のように引き出されるのは大体よその家にいる記憶だった。
 全句を通してことさら夏の句が親しげに身に刺さってくるためなのか、本を開いていくつか句を拾えば今はもう無くなった親の郷里へ盆に帰省した気持ちになる。
 実家では嗅がない出汁の匂いがただよう仏間で、冬は絨毯を夏はござを敷くために畳に直接とめていた画鋲をふと抜くと針が思いのほか長かったことや、ミニトマトのパックに入れていたらいつのまにか腹を浮かせていた雨蛙。

  一つしか出ぬぜいたくな蟬の穴

  蟻の穴の中から人の声がする

 阿部青鞋は晩年の句集『ひとるたま』の随想で、

 人間が生きる上に、何でもないことは先ず無い。何でもなさそうな事も、みな何でもある。全て何でもあるものが、何でもなさそうな顔をしているそのおかしさを、私は私なりのありていな言葉で言ってみたいだけだ。

 と書いているので、そこに甘えさせてもらおうと思う。
 だから? それで? 「オチ」は? という冷たい指摘から解き放たれた句は、その句へのレスポンスもまた自由を許されているように調子よく思う。

  背にきたる矢を感じつつ靴を買う

 など笑いしか漏れないし

  結局は生よりも死のなれなれしさ

 にはどう逆さに振ってもヤバいという言葉しか出てこないと書くと貧相な語彙が情けなく、思考停止と罵られるだろうが一貫して大らかで、感想や解釈の執着を感じない。(現代人の感想や解釈の執着と強迫観念のほうがおかしいといわれればそれまでだが)
 ただ、目と口と肌と鼻と耳が捉えた対象物へのシンプルな畏れ敬いだけはずっと感じていた。思いあたるような俳句ばかりだった。

  わたくしの虹にあらずとすぐ思い

  くるぶしをぬらすよ海の真実が

  鵙が啼く海は書物のかたちして

 ですよねーと思う。この合意には共感が混じっていない。単なる頷きでしかない。コールに対するレスポンスでしかない。しかないということに対して、この句集に限っては私は貧しいとかゆるふわだとは思いたくない。