文部科学省の学習指導要領が新しくなった。これにより、小中学校の国語科の授業に俳句や短歌の実作が必修となり、短歌や俳句にふれる機会やその深さが増した。2013年の「第16回俳句甲子園」では、予選を含めると600人の高校生が参加した。このような面からみると、一見、俳句の未来は明るいかに見える。いや、その一角に光はさしているのだが、氷山の一角なのか、はたまた、つきだした一本の棹の先なのかが曖昧模糊としていると思うのだ。
さて、『角川俳句』1月号の特別対談の小澤實と中沢新一の「なぜ今、俳句か」に興味深いことが書かれている。 短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追って口語化しない。俳句の本質は「不易流行」であり、室町時代と変わらない切字や文語を使った時代錯誤の面白さが あるのではないか?というのである。
ここで、俳句の歴史をたどる、明治30年代、正岡子規が「俳諧を新しい時代にふさわしい詩」にと提唱し、俳句雑誌『ホトトギス』で自然や人間の ありのままを写し取って、五・七・五の定型のなかに季語を入れて詠むという「写生句」という考え方を発表し、現代につながる俳句は誕生した。 子規の没後、弟子の高浜虚子がその考えを継承、また子規のもとからは「四S」とよばれた水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子が大正から昭和にかけて俳句界をリードした。 そのなかでも秋桜子と誓子らが、客観写生から、感想や感情を加えた主観写生による「新興俳句運動」をはじめる。一方、虚子とともに子規のいちばんの弟子 だった河東碧梧桐は定型にとらわれない「新傾向俳句運動」をはじめ、その弟子の荻原井泉水が季語も無用とする自由律俳句を作るようになり、尾崎放哉や種田 山頭火がそれに続いた。と、おおまかな流れを追ったところ、短歌が前衛短歌や『サラダ記念日』以降の口語化及びライトバース化など常に時代の色を帯び、変遷し、進化もしくは時代 を作り上げてきたことからみると、俳句はどこかしら、「不易流行」の一途さを感じてしまうのだ。
太陽に指先触るるバタフライ 下楠絵里 (洛南)
夕焼や補欠の声は遠くまで 橋本将愛 (洛南)
夕焼や千年後には鳥の国 青本柚紀 (広島) 最優秀作品
以上、俳句甲子園で、審査員が協議の上で決めた作品より3句ひいた。奇しくも、『角川俳句』1月号の時評に田中亜美が「俳句甲子園」についてふれており、 審査員の決めた賞や評とは別に、俳句甲子園OBやOGによる十句選や鑑賞が作品集におさめられているというのだ。 OB・OGの選で、「第16回俳句甲子園公式作品集」に掲載された句をいくつか挙げる。
夏の海椅子が足りないので泳ぐ 山岸純平 (灘)
ゼリーにはペパーミントの正論を 宮崎玲奈 (土佐)
青いシュシュ君にもらった蒼い初夏 菅本千尋 (基町)
審査員の選んだ作品とはまた違った魅力をたたえたものが多く、この感覚をOB・OG個人の感性であるとか、審査員とのジェネレーションギャップといった一言で片付けてよいのだろうか?
第59回角川俳句賞の応募は758編あり、応募者の年齢は90代1%、80代3%、70代16%、60代28%、50代23%、40代13%、30代9%、20代4%、10代1%、不明2%。第59回角川短歌賞は635篇あり、90代1%、80代2%、70代9%60代14%、50代17%、40代15%、30代18%、20代21%、10日2%、不明1%。第25回歌壇賞の応募は332編あり、応募者の年齢は70代以上6%、60代11%、50代14%、40代16%、30代21%、20代27%、10代4%、不明1%。といったように短歌と比べて平均年齢が高い。この比較だけで、俳句人口が短歌人口より平均年齢が高いと断定するのは危険だが、ひとつの現象として書きとめておく。
昨今、大野林火の伝統を継ぐ『濱』が昨年の夏、8月号をもって終刊となった。短歌では1997年代に『アララギ』の終刊があった。 『角川俳句』1月号で田中亜美は若手を中心に結社離れが進み、世代間のジェネレーションギャップについて、どうしたら解消するのだろうか?と問題提起をしている。
かねてより、疑問に思っていることがある。 それは、短歌の登竜門的な賞やその他の応募には年齢制限が設けられていないにも関わらず、俳句の応募には「○歳以上お断り」のものがいくつかあるではない か。 いかなる理由があり、年齢制限が定められているのか。 結社の後継者が育たずに終刊となる結社誌も短歌や俳句をかかわらずに増えてゆく傾向にあるのかもしれない。 ただ、短歌に目を向けた時に、結社所属をしないものの自然発生的ゆるやかな仲間意識でむすばれた集団が派生し、ある部分の結社が担ってきた1面をひきうけているようにも思えるのだ。
近年、若者を中心にした文学作品の発表の場がいくつかある。 ひとつは、「文学フリマ」という同人誌販売できる場所。 他にインターネットを用いた、TwitterやSNSなどの交流を含めた作品発表の場。 また、コンビニエンスストアのネットワークプリントサービスを利用した発表もここ1年でずいぶん増えたように思う。 短歌の世界では結社以外の活躍も盛んで、学生短歌会の台頭、『うたらばプロジェクト』や『うたつかい』の発行、『空き地歌会』などユーストを使った歌会の 動画中継や『大人短歌朗読計画』のように音源としての作品提供などもみられバラエティーに富んだ活動がちいさくとも盛んに行われている。 また、新鋭短歌シリーズ(書肆侃侃房)が結社という今までの枠をこえた、新しい歌集のスタイルをうちだしてきたことも興味深い。 そう思って、俳句の方へ目をむけた時、短歌の世界の住人である私には、俳句の新しい世代やスタイルの提案が見えにくいのか、情報が思うように手に入らないのだ。 若者が義務教育で俳句にふれる機会があっても、その後、興味をひくような場や気軽に情報が入る環境がなければ、新しい若い層の獲得は容易ではない。 短歌の世界でもインターネットや総合誌で見かける結社や歌人は認識しやすいが、どんなに伝統があろうと知らないことには話にならない。
第5回石田波郷新人賞に63編の作品が寄せられたそうだ。 この賞は30歳以下を対象に20句で審査され、平成8年生まれの網倉朔太郎が「餡のいろ」で受賞した。
餡のいろ透けてゆかしき桜餅
映画館出づれば月の近さかな
凍蝶や乾けば割れる筆の先
の3句をひいた。この選評には、具象的で実感のこもった作品が多かった。「淡い抒情の漂う端正な詠みぶり。作品に通低するひそやかな詩情は新人賞にふさわしい」と書かれている。短歌の側からのてざわりとしては、若々しさが感じられない。高校生らしさをその作品の抒情から読み取れないというところだろうか。 これが、50歳の句と言われてもそうなのかと思うだろう。
今の若者は断定表現を嫌っているかのように思える。 例えば、ハーフクエスチョンと呼ばれる、疑問形ではないのにまるで疑問符がついたかのように発音されるアクセントやイントネーション。 また、従来の辞書的意味を離れたひろい意味合いでのいかようにも解釈できる「かわいい」であったり、「~的な」「~系」であったり。 自らの不安や臆病さが断定を避けているとも言える。 しかしながら、俳句というのは短歌と比較するまでもなく断定の文学でもある。黛まどかが平成8年に創刊した「月刊ヘップバーン」の「キャンパス・ヘップ バーン」という女子大生のコーナーに掲載された句をひく
夏の夜真珠になれぬ涙かな
ハンモック夢の楽園すぐそこに
若者特有の甘さ、曖昧さがみえかくれしている。 おもしろいのはこの『月刊ヘップバーン』では有季定型、旧かなづかいを原則としている。それについて、黛まどかは、「(有季定型、旧かなづかいといった) しばりがあることによって、逆に解放されるものがあり、(それを原則としているのは、)結社のなかで話し合った結果だ。」というのだ。
また、平成10年の『俳句世界』で黛まどかは全国の高校生へ向けて詩歌の募集をし、ほぼ同数集まったにも関わらず、審査の段階になると、俳句部門が群を抜 いて低調であることがわかったという辛辣なことも述べている。 この黛まどかのことばにひとつの答えがあるのかもしれない。
坪内稔典の『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』(岩波書店)は10章の章だてがなされており、9章は「レッスン9 老人俳句--なぜ老人は俳句を好むか」とタイトルがつけられている。その中に鶴見俊輔の「家の中の広場」(1982年出版)から「ぼけて断片化した老人の 言葉を、もしかしたら俳句は受け止める装置かも知れない」と引用している。
俳句という言語空間。若者は断定の形式を俳句という形式に見いだし、老人はなにを、よるすべとしているのか。『角川俳句』1月号の新刊サロンで「余白の祭」について上野千鶴子が書いていることが印象的であった。 前衛俳句、口語自由律が行き詰まった今日の俳句は俳句人口300万人とますます盛んであり、超高齢社会において、俳句という世界最短詩型は、季語と定型を よすがに、歩行器のような「自我の補助具」(上野)として、利用可能な文化資源であろう、というのである。 そして、本論として、作句ばかりではなく、評論や鑑賞といった読者の参加をもって完成する、と。
俳句、ことに高浜虚子についていえば俳句はノンフィクションであるというテーゼがあり、現代短歌、ことにアララギの写生・写実において同じような 歴史をたどってきた。 しかし、短歌は少しずつフィクション化への流れを持ったのだ。 詩形によっても変化の速さは異なるのだが、短歌では与謝野晶子の『みだれ髪』や石川啄木の『一握の砂』、俵万智『サラダ記念日』などの歌集が一定の読者を 獲得していったのにも関わらず、俳句はどちらかというと単独作者の句集が読者を獲得するケースが少なかったのではないか?
短歌において、前衛短歌は短歌黄金律の最後の滅亡の歌を歌うという自負とともに滅びてゆくはずだったのが、俵万智の『サラダ記念日』のベストセラーにより、いともあっけなく、前衛短歌の運動を乗りこえ、また、それと同時に大衆性といった新しい要素を伴い、実質的、短歌は延命をしたとも言えよう。 そういった、インパクトが俳句の世界では起きていないがための若年層の取り込みが遅れているとも捉えられないだろうか?
平成10年に発行された『俳句世界』の中の対談において加藤治郎は 、「結社の主宰者というようなものは成り立たなくなって、今度はそういったコンピューターのネットワークをうまく掌握できる人間が、これからの主宰者かも しれない。 私よりも下の世代が意識的に文学を新しい媒体に乗っけてゆく努力をしないと、本当に孤立してしまう。 (短詩型はインターネットにのりやすい。) ひとつの画面の中で伝わるということで短詩型は武器になるかもしれないですね。これからの情報化社会というの はいろいろなものを変えていくと思います。もちろん対処の仕方を間違えると大変ですが、そういった意味で短詩型の未来は明るいですよ。」と、語っており、 実際に15年を経て、短歌はその流れに比較的うまくのれた。 反面、俳句は現状として、短歌ほどうまくのれていないのではないか?
『角川俳句』2013年8月号に興味深い座談会が掲載されていた。「超世代で語る俳句のスタンス」というタイトルをつれた特別対談である。 その中に「同年代を見つけにくい今の若者たち」といった題字が目にとまった。 昭和52年生まれの阪西敦子が人づてにいろいろな結社にいる人達とつながり、同年代の仲間を得たと書いている。おもしろいのは簡単にインターネットで仲間 ができるようになった反面、学生俳句が衰退し、仲間でワイワイやるのはダサいというイメージが強まったのでは?と昭和22年生まれの高野ムツオは語るの だ。これらの話は俳句甲子園世代の前の若者の話であるが、今もって、学生俳句が学生短歌ほどのパワーやポテンシャルをもって活動している様子は、伝わって こない。昭和36年生まれの小川軽舟は俳句甲子園世代の神野紗希は普通の女の子の感情を生かす文体を切り開いており、短歌よりも10年~20年遅れた波が 来ているのではと語る。
昨今、俳句甲子園が盛り上がっているようだ。俳句甲子園は、作者はわからないが、所属学校が明かされ、また、歌合わせのような形式で論議がかわされ、審 査員が勝負を決める。純粋な句会とは異なった様相なのだ。一度に600人の高校生が俳句にふれることはもちろん喜ばしいことである。 この様子はYouTube配信などで観ることもできるのだが、作句だけではなく歌合わせのようなディベートの部分もかなりのウェイトを占めているようで、 俳句のスターターとしては、案外と、敷居が高いのではないかと思う。 しかしながら、俳句甲子園を通過したものが新しい風を俳壇におこしているだろうことは、おぼろげながら『週刊俳句』や『スピカ』といったインターネット上の動きでもみてとれる。
俳句は五・七・五の17文字、季語と切れ字が特徴の日本古来の世界一短い定型文芸です、あなたも詠んでみませんか? と、言うのと 、短歌は五・七・五・七・七の31文字で他に決まりはないので、なんでもいいから31文字にあなたの気持ちをのせてみましょう。 と言われたのと、どちらが導入として入りやすいか?俳句には俳句の短さと季語に頼れるという利点があり、そして、歳時記を知らない、切れ字を知らない、そこを面倒がるという難点もある。また、短歌はその自由さゆえに実作は何を詠んでよいかわからないという意見もあろう。 とにかく、数年前の文部科学省の教育要項の見直しにより、義務教育において、俳句も短歌も実作をすることになったのだ。 多くの児童生徒は俳句も短歌も、第一の接触は義務教育中に終える。 そのあとの受け皿となるものの存在があるか?またそれのアピールがあるかないかが問題となってくる。 俳句に関してもインターネット上で、いくつかの若手の活動が伝わってくるものの、初心者一般の取り込みとなると、短歌の方がいくらかリードしているように 思うのだ。
日経新聞のホームページより派生していった公開句会『東京マッハ』は広告代理店の力も少なからず影響しているようで、文学活動においてもマーケティング プロデュースの力は無関係ではなくなっている。 短歌においては初心者の門戸もひろい『うたつかい』はTwitterをベースに毎回、参加歌人が100名をこえる。 田中ましろプロデュースの『うたらばプロジェクト』の功績も大きいだろう。Twitterでの『うたらば』アカウントのフォロワー数は軽く1600名をこえていることからもその影響力の大きさがわかる。また、田中ましろプロデュースの同人誌「短歌男子」は学生短歌会や無所属の歌人のグラビアと短歌のコラボ レーションということで、新聞の文化欄にとりあげられるなどした。 従来の結社の枠をこえて、早稲田短歌会や京大短歌会のような学生短歌会の活発化だけではなく、無所属でインターネットやメディアをうまく利用した戦略的な 活動が短歌にはみられる。 これから俳句にも、俳句甲子園のOBやOGから新しい独自のウェーブが起きる予感はする。
俳句甲子園などのイベントから俳句の世界にはいってくる若者がいる。俳句の世界は中高年が中心であり、結社への敷居が高い。 イベントのあとの、その受け皿が大切なのだ。俳句は季語や切れ字に精通しなければ洗練されない文芸である。『角川俳句』の11月号に「祭りのあと」という タイトルで櫂未知子が語るように、すべては「祭りのあと」そこからが本当のスタートなのだ。 入り口はどこであろうが、俳句を楽しむ仲間や研鑽する場の創出。こういったことがますます大切になるのではないだろうか。
短歌の世界のちいさな穴からちょっと覗いた俳句の世界は、こんな池に見えた。
さて、『角川俳句』1月号の特別対談の小澤實と中沢新一の「なぜ今、俳句か」に興味深いことが書かれている。 短歌は口語化したが、俳句はそのあとを追って口語化しない。俳句の本質は「不易流行」であり、室町時代と変わらない切字や文語を使った時代錯誤の面白さが あるのではないか?というのである。
ここで、俳句の歴史をたどる、明治30年代、正岡子規が「俳諧を新しい時代にふさわしい詩」にと提唱し、俳句雑誌『ホトトギス』で自然や人間の ありのままを写し取って、五・七・五の定型のなかに季語を入れて詠むという「写生句」という考え方を発表し、現代につながる俳句は誕生した。 子規の没後、弟子の高浜虚子がその考えを継承、また子規のもとからは「四S」とよばれた水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子が大正から昭和にかけて俳句界をリードした。 そのなかでも秋桜子と誓子らが、客観写生から、感想や感情を加えた主観写生による「新興俳句運動」をはじめる。一方、虚子とともに子規のいちばんの弟子 だった河東碧梧桐は定型にとらわれない「新傾向俳句運動」をはじめ、その弟子の荻原井泉水が季語も無用とする自由律俳句を作るようになり、尾崎放哉や種田 山頭火がそれに続いた。と、おおまかな流れを追ったところ、短歌が前衛短歌や『サラダ記念日』以降の口語化及びライトバース化など常に時代の色を帯び、変遷し、進化もしくは時代 を作り上げてきたことからみると、俳句はどこかしら、「不易流行」の一途さを感じてしまうのだ。
太陽に指先触るるバタフライ 下楠絵里 (洛南)
夕焼や補欠の声は遠くまで 橋本将愛 (洛南)
夕焼や千年後には鳥の国 青本柚紀 (広島) 最優秀作品
以上、俳句甲子園で、審査員が協議の上で決めた作品より3句ひいた。奇しくも、『角川俳句』1月号の時評に田中亜美が「俳句甲子園」についてふれており、 審査員の決めた賞や評とは別に、俳句甲子園OBやOGによる十句選や鑑賞が作品集におさめられているというのだ。 OB・OGの選で、「第16回俳句甲子園公式作品集」に掲載された句をいくつか挙げる。
夏の海椅子が足りないので泳ぐ 山岸純平 (灘)
ゼリーにはペパーミントの正論を 宮崎玲奈 (土佐)
青いシュシュ君にもらった蒼い初夏 菅本千尋 (基町)
審査員の選んだ作品とはまた違った魅力をたたえたものが多く、この感覚をOB・OG個人の感性であるとか、審査員とのジェネレーションギャップといった一言で片付けてよいのだろうか?
第59回角川俳句賞の応募は758編あり、応募者の年齢は90代1%、80代3%、70代16%、60代28%、50代23%、40代13%、30代9%、20代4%、10代1%、不明2%。第59回角川短歌賞は635篇あり、90代1%、80代2%、70代9%60代14%、50代17%、40代15%、30代18%、20代21%、10日2%、不明1%。第25回歌壇賞の応募は332編あり、応募者の年齢は70代以上6%、60代11%、50代14%、40代16%、30代21%、20代27%、10代4%、不明1%。といったように短歌と比べて平均年齢が高い。この比較だけで、俳句人口が短歌人口より平均年齢が高いと断定するのは危険だが、ひとつの現象として書きとめておく。
昨今、大野林火の伝統を継ぐ『濱』が昨年の夏、8月号をもって終刊となった。短歌では1997年代に『アララギ』の終刊があった。 『角川俳句』1月号で田中亜美は若手を中心に結社離れが進み、世代間のジェネレーションギャップについて、どうしたら解消するのだろうか?と問題提起をしている。
かねてより、疑問に思っていることがある。 それは、短歌の登竜門的な賞やその他の応募には年齢制限が設けられていないにも関わらず、俳句の応募には「○歳以上お断り」のものがいくつかあるではない か。 いかなる理由があり、年齢制限が定められているのか。 結社の後継者が育たずに終刊となる結社誌も短歌や俳句をかかわらずに増えてゆく傾向にあるのかもしれない。 ただ、短歌に目を向けた時に、結社所属をしないものの自然発生的ゆるやかな仲間意識でむすばれた集団が派生し、ある部分の結社が担ってきた1面をひきうけているようにも思えるのだ。
近年、若者を中心にした文学作品の発表の場がいくつかある。 ひとつは、「文学フリマ」という同人誌販売できる場所。 他にインターネットを用いた、TwitterやSNSなどの交流を含めた作品発表の場。 また、コンビニエンスストアのネットワークプリントサービスを利用した発表もここ1年でずいぶん増えたように思う。 短歌の世界では結社以外の活躍も盛んで、学生短歌会の台頭、『うたらばプロジェクト』や『うたつかい』の発行、『空き地歌会』などユーストを使った歌会の 動画中継や『大人短歌朗読計画』のように音源としての作品提供などもみられバラエティーに富んだ活動がちいさくとも盛んに行われている。 また、新鋭短歌シリーズ(書肆侃侃房)が結社という今までの枠をこえた、新しい歌集のスタイルをうちだしてきたことも興味深い。 そう思って、俳句の方へ目をむけた時、短歌の世界の住人である私には、俳句の新しい世代やスタイルの提案が見えにくいのか、情報が思うように手に入らないのだ。 若者が義務教育で俳句にふれる機会があっても、その後、興味をひくような場や気軽に情報が入る環境がなければ、新しい若い層の獲得は容易ではない。 短歌の世界でもインターネットや総合誌で見かける結社や歌人は認識しやすいが、どんなに伝統があろうと知らないことには話にならない。
第5回石田波郷新人賞に63編の作品が寄せられたそうだ。 この賞は30歳以下を対象に20句で審査され、平成8年生まれの網倉朔太郎が「餡のいろ」で受賞した。
餡のいろ透けてゆかしき桜餅
映画館出づれば月の近さかな
凍蝶や乾けば割れる筆の先
の3句をひいた。この選評には、具象的で実感のこもった作品が多かった。「淡い抒情の漂う端正な詠みぶり。作品に通低するひそやかな詩情は新人賞にふさわしい」と書かれている。短歌の側からのてざわりとしては、若々しさが感じられない。高校生らしさをその作品の抒情から読み取れないというところだろうか。 これが、50歳の句と言われてもそうなのかと思うだろう。
今の若者は断定表現を嫌っているかのように思える。 例えば、ハーフクエスチョンと呼ばれる、疑問形ではないのにまるで疑問符がついたかのように発音されるアクセントやイントネーション。 また、従来の辞書的意味を離れたひろい意味合いでのいかようにも解釈できる「かわいい」であったり、「~的な」「~系」であったり。 自らの不安や臆病さが断定を避けているとも言える。 しかしながら、俳句というのは短歌と比較するまでもなく断定の文学でもある。黛まどかが平成8年に創刊した「月刊ヘップバーン」の「キャンパス・ヘップ バーン」という女子大生のコーナーに掲載された句をひく
夏の夜真珠になれぬ涙かな
ハンモック夢の楽園すぐそこに
若者特有の甘さ、曖昧さがみえかくれしている。 おもしろいのはこの『月刊ヘップバーン』では有季定型、旧かなづかいを原則としている。それについて、黛まどかは、「(有季定型、旧かなづかいといった) しばりがあることによって、逆に解放されるものがあり、(それを原則としているのは、)結社のなかで話し合った結果だ。」というのだ。
また、平成10年の『俳句世界』で黛まどかは全国の高校生へ向けて詩歌の募集をし、ほぼ同数集まったにも関わらず、審査の段階になると、俳句部門が群を抜 いて低調であることがわかったという辛辣なことも述べている。 この黛まどかのことばにひとつの答えがあるのかもしれない。
坪内稔典の『モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び』(岩波書店)は10章の章だてがなされており、9章は「レッスン9 老人俳句--なぜ老人は俳句を好むか」とタイトルがつけられている。その中に鶴見俊輔の「家の中の広場」(1982年出版)から「ぼけて断片化した老人の 言葉を、もしかしたら俳句は受け止める装置かも知れない」と引用している。
俳句という言語空間。若者は断定の形式を俳句という形式に見いだし、老人はなにを、よるすべとしているのか。『角川俳句』1月号の新刊サロンで「余白の祭」について上野千鶴子が書いていることが印象的であった。 前衛俳句、口語自由律が行き詰まった今日の俳句は俳句人口300万人とますます盛んであり、超高齢社会において、俳句という世界最短詩型は、季語と定型を よすがに、歩行器のような「自我の補助具」(上野)として、利用可能な文化資源であろう、というのである。 そして、本論として、作句ばかりではなく、評論や鑑賞といった読者の参加をもって完成する、と。
俳句、ことに高浜虚子についていえば俳句はノンフィクションであるというテーゼがあり、現代短歌、ことにアララギの写生・写実において同じような 歴史をたどってきた。 しかし、短歌は少しずつフィクション化への流れを持ったのだ。 詩形によっても変化の速さは異なるのだが、短歌では与謝野晶子の『みだれ髪』や石川啄木の『一握の砂』、俵万智『サラダ記念日』などの歌集が一定の読者を 獲得していったのにも関わらず、俳句はどちらかというと単独作者の句集が読者を獲得するケースが少なかったのではないか?
短歌において、前衛短歌は短歌黄金律の最後の滅亡の歌を歌うという自負とともに滅びてゆくはずだったのが、俵万智の『サラダ記念日』のベストセラーにより、いともあっけなく、前衛短歌の運動を乗りこえ、また、それと同時に大衆性といった新しい要素を伴い、実質的、短歌は延命をしたとも言えよう。 そういった、インパクトが俳句の世界では起きていないがための若年層の取り込みが遅れているとも捉えられないだろうか?
平成10年に発行された『俳句世界』の中の対談において加藤治郎は 、「結社の主宰者というようなものは成り立たなくなって、今度はそういったコンピューターのネットワークをうまく掌握できる人間が、これからの主宰者かも しれない。 私よりも下の世代が意識的に文学を新しい媒体に乗っけてゆく努力をしないと、本当に孤立してしまう。 (短詩型はインターネットにのりやすい。) ひとつの画面の中で伝わるということで短詩型は武器になるかもしれないですね。これからの情報化社会というの はいろいろなものを変えていくと思います。もちろん対処の仕方を間違えると大変ですが、そういった意味で短詩型の未来は明るいですよ。」と、語っており、 実際に15年を経て、短歌はその流れに比較的うまくのれた。 反面、俳句は現状として、短歌ほどうまくのれていないのではないか?
『角川俳句』2013年8月号に興味深い座談会が掲載されていた。「超世代で語る俳句のスタンス」というタイトルをつれた特別対談である。 その中に「同年代を見つけにくい今の若者たち」といった題字が目にとまった。 昭和52年生まれの阪西敦子が人づてにいろいろな結社にいる人達とつながり、同年代の仲間を得たと書いている。おもしろいのは簡単にインターネットで仲間 ができるようになった反面、学生俳句が衰退し、仲間でワイワイやるのはダサいというイメージが強まったのでは?と昭和22年生まれの高野ムツオは語るの だ。これらの話は俳句甲子園世代の前の若者の話であるが、今もって、学生俳句が学生短歌ほどのパワーやポテンシャルをもって活動している様子は、伝わって こない。昭和36年生まれの小川軽舟は俳句甲子園世代の神野紗希は普通の女の子の感情を生かす文体を切り開いており、短歌よりも10年~20年遅れた波が 来ているのではと語る。
昨今、俳句甲子園が盛り上がっているようだ。俳句甲子園は、作者はわからないが、所属学校が明かされ、また、歌合わせのような形式で論議がかわされ、審 査員が勝負を決める。純粋な句会とは異なった様相なのだ。一度に600人の高校生が俳句にふれることはもちろん喜ばしいことである。 この様子はYouTube配信などで観ることもできるのだが、作句だけではなく歌合わせのようなディベートの部分もかなりのウェイトを占めているようで、 俳句のスターターとしては、案外と、敷居が高いのではないかと思う。 しかしながら、俳句甲子園を通過したものが新しい風を俳壇におこしているだろうことは、おぼろげながら『週刊俳句』や『スピカ』といったインターネット上の動きでもみてとれる。
俳句は五・七・五の17文字、季語と切れ字が特徴の日本古来の世界一短い定型文芸です、あなたも詠んでみませんか? と、言うのと 、短歌は五・七・五・七・七の31文字で他に決まりはないので、なんでもいいから31文字にあなたの気持ちをのせてみましょう。 と言われたのと、どちらが導入として入りやすいか?俳句には俳句の短さと季語に頼れるという利点があり、そして、歳時記を知らない、切れ字を知らない、そこを面倒がるという難点もある。また、短歌はその自由さゆえに実作は何を詠んでよいかわからないという意見もあろう。 とにかく、数年前の文部科学省の教育要項の見直しにより、義務教育において、俳句も短歌も実作をすることになったのだ。 多くの児童生徒は俳句も短歌も、第一の接触は義務教育中に終える。 そのあとの受け皿となるものの存在があるか?またそれのアピールがあるかないかが問題となってくる。 俳句に関してもインターネット上で、いくつかの若手の活動が伝わってくるものの、初心者一般の取り込みとなると、短歌の方がいくらかリードしているように 思うのだ。
日経新聞のホームページより派生していった公開句会『東京マッハ』は広告代理店の力も少なからず影響しているようで、文学活動においてもマーケティング プロデュースの力は無関係ではなくなっている。 短歌においては初心者の門戸もひろい『うたつかい』はTwitterをベースに毎回、参加歌人が100名をこえる。 田中ましろプロデュースの『うたらばプロジェクト』の功績も大きいだろう。Twitterでの『うたらば』アカウントのフォロワー数は軽く1600名をこえていることからもその影響力の大きさがわかる。また、田中ましろプロデュースの同人誌「短歌男子」は学生短歌会や無所属の歌人のグラビアと短歌のコラボ レーションということで、新聞の文化欄にとりあげられるなどした。 従来の結社の枠をこえて、早稲田短歌会や京大短歌会のような学生短歌会の活発化だけではなく、無所属でインターネットやメディアをうまく利用した戦略的な 活動が短歌にはみられる。 これから俳句にも、俳句甲子園のOBやOGから新しい独自のウェーブが起きる予感はする。
俳句甲子園などのイベントから俳句の世界にはいってくる若者がいる。俳句の世界は中高年が中心であり、結社への敷居が高い。 イベントのあとの、その受け皿が大切なのだ。俳句は季語や切れ字に精通しなければ洗練されない文芸である。『角川俳句』の11月号に「祭りのあと」という タイトルで櫂未知子が語るように、すべては「祭りのあと」そこからが本当のスタートなのだ。 入り口はどこであろうが、俳句を楽しむ仲間や研鑽する場の創出。こういったことがますます大切になるのではないだろうか。
短歌の世界のちいさな穴からちょっと覗いた俳句の世界は、こんな池に見えた。