「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評147回 技術より大切なもの――第5回俳句賞25から 谷村行海

2022年03月29日 | 日記

 3月19日に第5回俳句賞25の公開選考会が開かれた。全94の応募作品のうち、最終選考に残った8作品について討議が行われ、立教池袋高等学校の連作「書き出し」が大賞に決まった。また、海城高校の「火やつかむ」、横浜翠嵐高等学校の「風の記憶」がそれぞれ奨励賞を受賞し、選者3名の秀逸十句も発表された。
 俳句賞25は「大学生がつくる高校生のための俳句賞」を標榜しており、高校生4~7人による1チームで作られた25句一連の作品が審査対象になる。
 俳句賞25の応募作は(大人の添削が入っている可能性はあるにせよ)紛れもなく高校生による作品だ。したがって、現在の生の実感が伴われる。大人になってから学生時代を回顧した俳句を作る場合、どうしても記憶が風化していたり、俳句に大人になってからの経験が付与されていたりすることがある。
 そこで、今回は単純にうまい句ではなく、現在を生きる高校生ならではの個性を感じた作品についてみていきたい。たとえ技術的に未熟であったとしても、大人がそこから学ぶものは大いにあることだろう。なお、最終選考に残った8作品は公開選考会上で議論がなされているため、議論の俎上に上がることのなかった86作品に絞ってみていくこととする。
 以下、引用はすべて俳句賞25の第5回の作品一覧からで、各俳句の前には応募作品の番号を付した。

3 100 点を取って増えたよお年玉
3 おばけやしきみたいにさわぐテスト返し
 応募作の3番はテスト返却にまつわる一連で、タイトルも「テスト返却」とまさに直球。「⾚点で私の⼼は⼤⾬だ」など、通念的な句が多いのだが、この2句は目を引いた。
 「100 点を取って増えたよお年玉」は「お年玉」が良い。これが「お小遣い」であれば他の句のように通念になるのだが、日常接する機会が両親と比べて少ない祖父母・親族にもテスト結果を報告していることで個性が生まれている。主体と祖父母・親族との関係性まで見えてくるようだ。ただし、「100点」からはこの句が作り物というイメージが湧いてしまうため、惜しくもある。
 「おばけやしきみたいにさわぐテスト返し」は比喩がユニーク。本物のおばけやしきは一つの仕掛けに複数人が驚くことになるが、テスト返却もそれと同様に何人もの心を揺さぶる。

11 インスタで卒業証書上げまくる
 言葉遣いは荒いものの「上げまくる」が良い。インスタのストーリーには卒業証書や友人との写真を何枚も上げるだろうし、その日のことを何度も投稿することだろう。一回きりの卒業式が複数回にわたって共有されていく感覚が現代的だ。

12 夏だけは無制限にしてほしい
 前後の句とタイトルの「ギガ」からわかる通り、スマホの通信料のことを詠んでいる。爽やかに外で遊ぶことだけが青春ではなく、夏休みにネットの世界に入り浸ることもまた現代の青春。

22 ⽑布花柄⿂類図鑑の折れてゐる
 ひととなりの見える一句。「毛布花柄」からは派手なイメージが湧き、「魚類図鑑」で知的な印象を、そして最後の「折れてゐる」でずぼらな印象が付与される。一つの側面だけを持たず、複数の側面を持つ人物像が一瞬にして見えてくる一句だ。アイデンティティという言葉が広く使われるが、それに揺れ動く高校時代の切り取りとしておもしろかった。

40 ネクタイのドット数へる春⽇和
40 上履きの裏で蛙が死んでいる
 「ネクタイのドット数へる春⽇和」は教員のネクタイだろうか。授業中に眠気と闘うため、教員の着用しているネクタイのドットを数える姿には現実味を感じる。目線は前へと向かうわけだからしっかりと授業を受けている姿を装うことも可能だ。
 「上履きの裏で蛙が死んでいる」はその只事のような書きぶりから、蛙を踏みつけたわけではなく、下駄箱で上履きを取りだしたら蛙がそこにいたのだと読んだ。自然と蛙が紛れ込んでそのまま死を迎えたとも嫌がらせともとれるが、蛙の死は無機質な日も多くある学生時代の暗喩にもなり、眼目はそこにあるように感じられた。楽しいことだけが青春というわけではない。

46 授業中かまくら作るやばいやつ
 わざわざ書かなくても「やばいやつ」ということは伝わるため不要だとは思うが、この句からは教室の動きが見えた。窓側の席の生徒はこのかまくら作りに勤しむ生徒の姿がはっきりと見え、窓側の誰かの反応から教室中の生徒がその人物の姿を知覚する。教員もかまくらを作っている生徒の姿を目撃するのだが、もはや叱責する気など起きず、苦笑の雰囲気が感じられる。

59 教室のすみの扇⾵機で涼をとる
 都心部からはかけ離れており、予算の少ない公立高校だろうか。それなりの広さがある教室であるにもかかわらずエアコンはまだなく、扇風機のみが稼働している。それも複数台ではなくごく少数台。休み時間の景としては十分なリアリティがあると感じた。

81 秋寒の少し寂しい⽣徒会
 一般生徒にとって生徒会室には一種の独特な雰囲気がある。そこに秋の選挙シーズンが加わるとなると、生徒会室からはひとけも少なくなり、どことなくもの悲しさが生まれてくる。措辞として「少し」は置き方が少々雑だととらえる人もいるかもしれないが、なぜか感じられてしまう生徒会の寂しさという点では、このはっきりしなさ具合が悪くないと思えた。


 以上、86作品のなかからいくつかを取り上げてみた。取り上げた句のほとんどが直接的な書き方をして捻りも少なく、俳句としては技術的に弱いものがある。しかし、作者の生きている今の世界が句のなかに表れており、技術以上に大切なものがあるように思えた。通念に陥ることなく、技術がこのまま身についていったときのことを考えるとさらにおもしろくなりそうだ。


俳句評 『符籙』と行きずりの海 住田 別雨

2022年03月10日 | 日記

 一月の三連休に大阪から福岡へ見舞いの旅の途中で書肆侃侃房に立ち寄った。数年前から気になっていた書店の棚から橋本直句集『符籙』を抜いて、気配の静かな店員さんにお金を渡した。(道端の、お地蔵様。鈴を鳴らして賽銭を入れて、祠からお札が差し出される)自跋によると「符籙とは、「道家の秘文」で「未来の預言書」のことでありかつ世俗の現世利益を求めるお札の数々である」とある。通りゃんせのメロディーが頭に響くと同時に、呪物崇拝としてのフェティシズムの語源と言われ、護符の意味をなす「フェティソ」という言葉を想起した。
 これは目には見えないお札が付いたマスク、これは目には見えないお札が付いたエタノールと念じながらの旅行だった。それが大袈裟なのかそうでもないのかもはや分からない。渦中の旅はエキセントリックな夢めいている。

交るほど鯉ら異界に投げ出す身

 旅先で『符籙』を手にした私は、しきりに旅情をもよおした。
 とにかくどこかへ行きたい。どこかで、どこかにむかう途中でこの句集を読みたい。

燗酒に手をかけて寝てをられけり
頬杖と思へば動く秋扇

 旅館の広縁で、小さな冷蔵庫の呻り声を聞きたい。煙草の匂いが染みついた綿入れを嗅ぎたい。網戸に貼り付いている蛾の翅をみつめたい。

ノート書くやうに冷奴を食べる

 絹ごしが、蛍光灯を反射して、レフ版のように輝いている。目線は手元の冷奴にあるのか、それとも向かいの席の箸先にあるのか。脆いものを切り崩して食べているせいか少しだけ緊張している。ちょっとしたきっかけで状況が一変するかもしれない。座椅子を蹴っ飛ばして箸を持った手首を掴んでしまうかもしれない。

セーターの女の形して残る

 引き返せない所まできてしまうかもしれない。
 大声を出してはいけない。人前で口元を見せてはいけない。手が触れられるほど他人に近づいてはいけない。フィジカルを抑えつけられるほどイマジネーションのタガは緩くなる。
 ついに堪え切れず、『符籙』を伴って海へ行く電車に乗った。どうしても波打ち際に座ってこの句集を読まなくては。難波から和歌山へ走る南海電車は母校の駅を通り過ぎて実家の最寄りも通り過ぎる。普通電車は空港を超えるともう一両に自分しか乗っていない。

海あるいは硝子の舟の沈むまで

 どちらかというと渋く色悪な魅力がある句の中にふと幻想的な句が一定量紛れ込んでいてたちまち海へと誘われる。
 これも、

魚釣りの子らもいつかは魚となり

 またこれも、

渤海の民より瓶の流れ着く

 吊革の持ち手が、鯛のかたちに繰りぬかれた電車に乗り換えて終点で降りた。
 港町の細い道を彷徨う。猫たちが釣り人のおこぼれを狙って待っている。浜辺を歩いて爪の先ほどの貝殻を拾った。マキガイ、アワセガイ、タカラガイなど五つ。正体不明の海の生き物がうちあげられて紫の体液を出している。潮風は既に暖かかった。
 ここまで来てよかった。この句を加太の浜辺で読むために。

海嶺に次の人類眠る春

 


俳句時評146回 川柳時評(2) 川柳を覗く 中山 奈々

2022年03月04日 | 日記

 ここ一年で刊行された川柳アンソロジーについて触れた前回からだいたい半年経った。個々の句集について見ていくと締めたのだが、なんとこの半年の間に川柳の活動がさらに活発化してきた。なので、それらに触れてながら、句集を紹介していきたい。
 まず、遊び紙がきれいなピンクな、樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社)が2020年3月に刊行された。「はじめて手に取る川柳アンソロジー 333句」と帯に書かれている。複数句掲載されている方もいるが、基本的にはひとり一句で、数え間違えでなければ、299人の句が載っているのだ。たしかに「はじめて手に取る」ために間口を広くしている。これだけ句もあって、ひともいたら、好き嫌いだけではなく、ちょっと好きとか、ちょっと首を傾げちゃうとか微妙な感覚をも刺激してくれる。
 同じ2020年、10月に刊行されたのが、小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)である。こちらは35人、各人76句が掲載されている。帯には「いまいちばんおもしろい言葉がつまった現代川柳の決定版アンソロジー!」とある。「現代川柳の決定版アンソロジー」のところを太字にし、下線をひくほどの熱量である。ひとりの作家をじっくり読むのには適している。掲載されていれば、だけど。
 この二つのアンソロジーのどちらにも掲載されている川合大祐さん、湊圭史さんが2021年に句集を刊行した。川合大祐さんが4月、湊圭史(句集刊行時に、「湊圭伍」に改名。以後湊圭伍と表記する)さんが5月である。
・川合大祐『リバーワールド』(書肆侃侃房)
・湊圭伍『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)
 『はじめまして現代川柳』(もう長いから以降、【はじ川】と勝手に言う)からの書肆侃侃房の川柳攻撃である。川合大祐さんにとって『リバーワールド』は第二句集となる。だいたい第二句集ってこう大人しくなることが多いのだが(すごく上から目線!)、この句集は「怒涛の一〇〇一句」。その2/3以上は固有名詞の句である。多分。だって句集の中には

  「山本リンダ」            川合大祐

と句があるくらいだ。句なのか。そもそも。詞書かとも思ったが、文字の大きさからして一句として存在している。存在させられている。強引だ。でも「ゴーイン」と呟いたら、「グ マイウェイ」と続けたくなるものだ。車ではない。チャリンコだ。大祐さんとチャリンコで並走していたら見えてくる景色。それがこの句集だ。

  人類にカスタネットを取り戻す     川合大祐
  ぷと書いてひとりひとりが壁の中
  古着屋と「頭痛が痛い」と言い合って

転生しなくてもこんな世界が見られるとは思っていなかった。
 一方、圭伍さんの句集は欧米か! と言いたくなるほど、あとがきでいろんなひとの名前を挙げて感謝をのべてある。丁寧。なのだが、この『そら耳のつづきを』は間違えて送られてきたDMのようだ。仮にTwitterとしよう。Twitterという表の場がある。そこで呟くのがメインだ。誰かに話しかけるにしても、表で済む。だけど個人的に直接伝える機能にDMがある。一対一だし、表に対して(楽屋)裏であるDMはみんなが見ているというフィルターがあまり機能していなくて、濃い。一語一語が濃い。そんな濃度なのに、このDMはどうもわたし宛ではないらしい。

  千円札がどうしても入らないのだろう  湊圭伍
  不易とはゴムがゆるゆるのパンツ
  並べてみればどこかでみたかも集

 知らんがな。何の話か検討もつかんがな。でも宛先間違っていませんかとはよう聞かん。でもやっぱり自分宛かもと何回も読み直すけど、違う。違うけど、また読み直す。くせになっている。そんな句集なのである。圭伍さんは自身で賞を開催したり、句会をはじめたりと句集刊行後の活動が活発なのだ。
 このふたりについては暮田真名さんが2021年8月に関西現代俳句協会に寄稿した「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」(http://kangempai.jp/seinenbu/essay/2021/shikaku03.html)で取り上げている。暮田真名さんは【はじ川】に載っており、今年、第三句集を左右社から刊行予定である。またカルチャースクールの川柳講座の講師を勤めるという。この真名さんが【はじ川】以降に川柳を始めたふたりと一ヶ月に一回連作を発表する「月刊こんとん」を開始した。このふたりは「川柳句会こんとん」という公募の賞の受賞者である。掲載プラス原稿料という副賞は画期的といえる。いいたい。
 暮田真名『補遺』(私家版、2019)より

  ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ 暮田真名
  寿司はそれは飼い慣らされたアルマジロ

 さて2021年に話を戻そう。もう一冊句集が刊行されている。飯島章友『成長痛の月』(素粒社)である。飯島さんも先のふたつのアンソロジーに載っている。勝手なイメージだが、飯島さんは図書委員で、常にいるせいで当番ではない日まで仕事をさせられていそう。内実、最高なる中二病なのだ。中二病という名から拗らせのように受け取られるが、中二病ほどの原動力はあるだろうか。のびしろもさることながら、その発想力だ。その発想はなかったと首をぐわんぐわん振ると脳に光が走る。少し痛いし、焦げる。けれど、それを嗅ぐとたちまち有頂天となるのである。

  真夜中にコンビニで買う健康茶      飯島章友
  君の胃袋を吊るし切りにしたい
  炭酸が抜けて程よい電気椅子
  渦でしょうか楳図かずおでしょうか
  ジュテームと寿限無に同じ酵母菌
  知らんけどコンセンサスと言うとんで

 真夜中に出かける。不眠症かどうかは知らないが、睡眠状態はよくない。けれど、買っちゃうんだね、健康茶。気にしている。健康を気にしているけど、他人の身体はちょっと物のように見える。興味関心の対象はエログロいぐらいがいい。相手の痛みはこちらの痛みではないの考えなくていい。そうじゃない? みんなそう思っているんじゃない? そうでしょ。はい。コンセンサス。急に関西弁。うつってしもたん。
 2021年に刊行された句集を三冊紹介したが、『そら耳のつづきを』『成長痛の月』のあとがきには同じ人物の名前が出てくる。故・筒井祥文さんである。
 祥文さんは2018年3月に亡くなった。その後、筒井祥文句集発行委員会が発足し、2019年12月に『筒井祥文川柳句集 座る祥文・立つ祥文』が刊行された。祥文命日を落語「らくだ」から取り、らくだ忌として川柳大会を開催しようとしていたが、コロナで数回頓挫。今年2022年5月に仕切り直しの開催予定である。

  天国の破片は出土しましたか       筒井祥文

 前回の時評ではアンソロジーと繋げて、「5・7・5作品集 Picnic」を取り上げた。現在は第4号まで発行されている。また2021年10月には新しく同人誌が創刊された。広瀬ちえみさんが編集発行人を務める「What's」である。川柳だけでなく、俳句も入っているのが、「Picnic」と似ている。
 ちえみさんは2020年まで「杜人」という同人誌の編集に携わっていた(「杜人」二六八号をもって終刊)。その集大成として2021年4月に『杜Ⅱー杜人同人合同句集ー』を刊行した。その後の同人たちの受け皿として「What's」がある、という見方も出来るが、ひたすらに面白い作家が読める場として拍手を送る方がいい。
 「What's」より

  空気には音があるのよねむれない     佐藤みさ子
  会いましょうわたしを消してあなたを消して
  王様はパンの耳までひとりきり      妹尾凛
  自転車が伸ばし続ける包帯        兵頭全郎
  箱だったことを忘れている仔猫      竹井紫乙
  二十世紀のしりとりだから休めない    月波与生
  
 佐藤みさ子さんの句は使い慣れた、言い慣れた分かりやすすぎる言葉なのに、読むとあれはここはどこ? と迷子になってしまう。先の合同句集に参加している。〈ありがとうさよならいいえこちらこそ〉。
 妹尾凛さんは俳句で季語と呼ぶもの(つまり季語なんだけど)を取り入れている。ご本人がよし、季語を使おうと意気込んでいるかはわからないが、こちらは季語だ、と息を呑む。だって、季語入りの川柳はどんな顔で川柳ですねえと言えばいいのだろう。でも俳句ではない。俳句ではないというか、川柳だから、俳句であるはずがない。多分俳句のように切り取りをしないのだ。場面を切り取らない。イントロの長い映画のようだ。2020年6月に句集『Ring』(水仁舎)を刊行。〈そちらは雨です こちらは菫です〉。
 兵頭全郎さんは絶対聞いていたほうがいいひとり言のような句を作る。どんなひとり言だよと思われるだろう。わたしも自分で言っていて、どんなんだよと思った。2016年3月刊行『n≠0』(私家版工房)には〈足跡を消すライオンはまだ飛ばない〉〈タイムマシンの中古市場 だから〉などがある。飛ばないのかよ。だからなんだよ。とツッコミをいれたいから聞き逃さないようにしているかもしれない。
 すでに第三句集まで刊行している竹井紫乙さんの句はゆっくり効く毒である。毒も薬となる。ゆっくりだから毒なのか薬なのか最後まで分からない。ただ即効性はない。一回無になり、あ、悲しかったのかもと冷静に見れる句はなかなか珍しい。2019年10月に第三句集『菫橋』(港の人)を刊行している。〈るつぼには全員揃っていてごめん〉。
 月波与生さんは各所の川柳大会で好成績で、自身も良く選者をしている。Twitterで「さみしい夜の句会」というハッシュタグを用いた句会を開催している。これは川柳だけではなく、あらゆる詩歌が含まれている。この句会から今後合同句集が出るという。
 「What's」からは抜いていないが、広瀬ちえみさんの句も魅力的である。広瀬ちえみ『雨曜日』(文學の森)は2019年5月刊行。

  死んでからゆっくりやろうと思うこと   広瀬ちえみ
  こなごなに割れるととてもいいにおい

  派手ではない。けれど二度見してしまう句。何度も読むとも違う。瞬間的に二度見をさせる句。静かに心を掴まれた感じだ。
 時系列というのか、関連づけてというのか、句集や同人誌を見てきた。次にあと二冊紹介したい。


・千春『てとてと』(私家本工房、2020)
・八上桐子『hibi』(港の人、2018)


 『てとてと』は川柳のほかに、短歌と詩が入っている作品集である。女性である自分の身体と日々の向き合った句が多くを占める。自分が女性であることを肯定も否定もしない。そういうものだと描く。しかし実はそれが一番生きづらい。

  これでいいんじゃないのかと日記を燃やす 千春
  トトロ忌が二千年後にやってくる

 トトロが死ぬまではわたしたちは夢を見ていい、はずだ。
 『hibi』は川柳句集にあって重版を果たした句集である。川柳句集にあって、などと嫌な書き方をしたが、それは俳句句集でもそうだ。重版する句集など稀なのである。

  さみしいのかわりにセロファンとつぶやく  八上桐子
  三月をまだ剝がしてはいけません
  向き合ってきれいに鳥を食べる夜

 以前どこかで言及したが、桐子さんの句は夜と水とに親和性が強い。やさしく、さびしく、ちょっと温いけど、少し距離は置いておこうと思う。距離を置いていたほうがいい。そのほうがお互い自分を保てるのではないか。と微妙な関係を匂わせているが、何の関係もない。何だろう。プライベートなことはほどほどな情報量でといった、あの感じ。親しくなりすぎないように。傷つくとかではなく、お互いどうしていいか分からないから。だからこの距離で見ている。そんな句集。
 今回は手短かではあるが、句集を見てきた。川柳の句集は今、手に取りやすいようになってきている。たまに俳句コーナーに置かれているけれど。句集にはまだという方は一冊のアンソロジーを読み倒したらいい。とりあえず覗きに行って欲しい。川柳も近づいているが、あなたからも近づいて欲しい。川柳はそう、

  声低くなったとこからおもしろい     久保田紺


俳句時評145回 川柳時評(2) 川柳を覗く 中山 奈々

2022年03月04日 | 日記

 ここ一年で刊行された川柳アンソロジーについて触れた前回からだいたい半年経った。個々の句集について見ていくと締めたのだが、なんとこの半年の間に川柳の活動がさらに活発化してきた。なので、それらに触れてながら、句集を紹介していきたい。
 まず、遊び紙がきれいなピンクな、樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社)が2020年3月に刊行された。「はじめて手に取る川柳アンソロジー 333句」と帯に書かれている。複数句掲載されている方もいるが、基本的にはひとり一句で、数え間違えでなければ、299人の句が載っているのだ。たしかに「はじめて手に取る」ために間口を広くしている。これだけ句もあって、ひともいたら、好き嫌いだけではなく、ちょっと好きとか、ちょっと首を傾げちゃうとか微妙な感覚をも刺激してくれる。
 同じ2020年、10月に刊行されたのが、小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)である。こちらは35人、各人76句が掲載されている。帯には「いまいちばんおもしろい言葉がつまった現代川柳の決定版アンソロジー!」とある。「現代川柳の決定版アンソロジー」のところを太字にし、下線をひくほどの熱量である。ひとりの作家をじっくり読むのには適している。掲載されていれば、だけど。
 この二つのアンソロジーのどちらにも掲載されている川合大祐さん、湊圭史さんが2021年に句集を刊行した。川合大祐さんが4月、湊圭史(句集刊行時に、「湊圭伍」に改名。以後湊圭伍と表記する)さんが5月である。
・川合大祐『リバーワールド』(書肆侃侃房)
・湊圭伍『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)
 『はじめまして現代川柳』(もう長いから以降、【はじ川】と勝手に言う)からの書肆侃侃房の川柳攻撃である。川合大祐さんにとって『リバーワールド』は第二句集となる。だいたい第二句集ってこう大人しくなることが多いのだが(すごく上から目線!)、この句集は「怒涛の一〇〇一句」。その2/3以上は固有名詞の句である。多分。だって句集の中には

  「山本リンダ」            川合大祐

と句があるくらいだ。句なのか。そもそも。詞書かとも思ったが、文字の大きさからして一句として存在している。存在させられている。強引だ。でも「ゴーイン」と呟いたら、「グ マイウェイ」と続けたくなるものだ。車ではない。チャリンコだ。大祐さんとチャリンコで並走していたら見えてくる景色。それがこの句集だ。

  人類にカスタネットを取り戻す     川合大祐
  ぷと書いてひとりひとりが壁の中
  古着屋と「頭痛が痛い」と言い合って

転生しなくてもこんな世界が見られるとは思っていなかった。
 一方、圭伍さんの句集は欧米か! と言いたくなるほど、あとがきでいろんなひとの名前を挙げて感謝をのべてある。丁寧。なのだが、この『そら耳のつづきを』は間違えて送られてきたDMのようだ。仮にTwitterとしよう。Twitterという表の場がある。そこで呟くのがメインだ。誰かに話しかけるにしても、表で済む。だけど個人的に直接伝える機能にDMがある。一対一だし、表に対して(楽屋)裏であるDMはみんなが見ているというフィルターがあまり機能していなくて、濃い。一語一語が濃い。そんな濃度なのに、このDMはどうもわたし宛ではないらしい。

  千円札がどうしても入らないのだろう  湊圭伍
  不易とはゴムがゆるゆるのパンツ
  並べてみればどこかでみたかも集

 知らんがな。何の話か検討もつかんがな。でも宛先間違っていませんかとはよう聞かん。でもやっぱり自分宛かもと何回も読み直すけど、違う。違うけど、また読み直す。くせになっている。そんな句集なのである。圭伍さんは自身で賞を開催したり、句会をはじめたりと句集刊行後の活動が活発なのだ。
 このふたりについては暮田真名さんが2021年8月に関西現代俳句協会に寄稿した「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」(http://kangempai.jp/seinenbu/essay/2021/shikaku03.html)で取り上げている。暮田真名さんは【はじ川】に載っており、今年、第三句集を左右社から刊行予定である。またカルチャースクールの川柳講座の講師を勤めるという。この真名さんが【はじ川】以降に川柳を始めたふたりと一ヶ月に一回連作を発表する「月刊こんとん」を開始した。このふたりは「川柳句会こんとん」という公募の賞の受賞者である。掲載プラス原稿料という副賞は画期的といえる。いいたい。
 暮田真名『補遺』(私家版、2019)より

  ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ 暮田真名
  寿司はそれは飼い慣らされたアルマジロ

 さて2021年に話を戻そう。もう一冊句集が刊行されている。飯島章友『成長痛の月』(素粒社)である。飯島さんも先のふたつのアンソロジーに載っている。勝手なイメージだが、飯島さんは図書委員で、常にいるせいで当番ではない日まで仕事をさせられていそう。内実、最高なる中二病なのだ。中二病という名から拗らせのように受け取られるが、中二病ほどの原動力はあるだろうか。のびしろもさることながら、その発想力だ。その発想はなかったと首をぐわんぐわん振ると脳に光が走る。少し痛いし、焦げる。けれど、それを嗅ぐとたちまち有頂天となるのである。

  真夜中にコンビニで買う健康茶      飯島章友
  君の胃袋を吊るし切りにしたい
  炭酸が抜けて程よい電気椅子
  渦でしょうか楳図かずおでしょうか
  ジュテームと寿限無に同じ酵母菌
  知らんけどコンセンサスと言うとんで

 真夜中に出かける。不眠症かどうかは知らないが、睡眠状態はよくない。けれど、買っちゃうんだね、健康茶。気にしている。健康を気にしているけど、他人の身体はちょっと物のように見える。興味関心の対象はエログロいぐらいがいい。相手の痛みはこちらの痛みではないの考えなくていい。そうじゃない? みんなそう思っているんじゃない? そうでしょ。はい。コンセンサス。急に関西弁。うつってしもたん。
 2021年に刊行された句集を三冊紹介したが、『そら耳のつづきを』『成長痛の月』のあとがきには同じ人物の名前が出てくる。故・筒井祥文さんである。
 祥文さんは2018年3月に亡くなった。その後、筒井祥文句集発行委員会が発足し、2019年12月に『筒井祥文川柳句集 座る祥文・立つ祥文』が刊行された。祥文命日を落語「らくだ」から取り、らくだ忌として川柳大会を開催しようとしていたが、コロナで数回頓挫。今年2022年5月に仕切り直しの開催予定である。

  天国の破片は出土しましたか       筒井祥文

 前回の時評ではアンソロジーと繋げて、「5・7・5作品集 Picnic」を取り上げた。現在は第4号まで発行されている。また2021年10月には新しく同人誌が創刊された。広瀬ちえみさんが編集発行人を務める「What's」である。川柳だけでなく、俳句も入っているのが、「Picnic」と似ている。
 ちえみさんは2020年まで「杜人」という同人誌の編集に携わっていた(「杜人」二六八号をもって終刊)。その集大成として2021年4月に『杜Ⅱー杜人同人合同句集ー』を刊行した。その後の同人たちの受け皿として「What's」がある、という見方も出来るが、ひたすらに面白い作家が読める場として拍手を送る方がいい。
 「What's」より

  空気には音があるのよねむれない     佐藤みさ子
  会いましょうわたしを消してあなたを消して
  王様はパンの耳までひとりきり      妹尾凛
  自転車が伸ばし続ける包帯        兵頭全郎
  箱だったことを忘れている仔猫      竹井紫乙
  二十世紀のしりとりだから休めない    月波与生
  
 佐藤みさ子さんの句は使い慣れた、言い慣れた分かりやすすぎる言葉なのに、読むとあれはここはどこ? と迷子になってしまう。先の合同句集に参加している。〈ありがとうさよならいいえこちらこそ〉。
 妹尾凛さんは俳句で季語と呼ぶもの(つまり季語なんだけど)を取り入れている。ご本人がよし、季語を使おうと意気込んでいるかはわからないが、こちらは季語だ、と息を呑む。だって、季語入りの川柳はどんな顔で川柳ですねえと言えばいいのだろう。でも俳句ではない。俳句ではないというか、川柳だから、俳句であるはずがない。多分俳句のように切り取りをしないのだ。場面を切り取らない。イントロの長い映画のようだ。2020年6月に句集『Ring』(水仁舎)を刊行。〈そちらは雨です こちらは菫です〉。
 兵頭全郎さんは絶対聞いていたほうがいいひとり言のような句を作る。どんなひとり言だよと思われるだろう。わたしも自分で言っていて、どんなんだよと思った。2016年3月刊行『n≠0』(私家版工房)には〈足跡を消すライオンはまだ飛ばない〉〈タイムマシンの中古市場 だから〉などがある。飛ばないのかよ。だからなんだよ。とツッコミをいれたいから聞き逃さないようにしているかもしれない。
 すでに第三句集まで刊行している竹井紫乙さんの句はゆっくり効く毒である。毒も薬となる。ゆっくりだから毒なのか薬なのか最後まで分からない。ただ即効性はない。一回無になり、あ、悲しかったのかもと冷静に見れる句はなかなか珍しい。2019年10月に第三句集『菫橋』(港の人)を刊行している。〈るつぼには全員揃っていてごめん〉。
 月波与生さんは各所の川柳大会で好成績で、自身も良く選者をしている。Twitterで「さみしい夜の句会」というハッシュタグを用いた句会を開催している。これは川柳だけではなく、あらゆる詩歌が含まれている。この句会から今後合同句集が出るという。
 「What's」からは抜いていないが、広瀬ちえみさんの句も魅力的である。広瀬ちえみ『雨曜日』(文學の森)は2019年5月刊行。

  死んでからゆっくりやろうと思うこと   広瀬ちえみ
  こなごなに割れるととてもいいにおい

  派手ではない。けれど二度見してしまう句。何度も読むとも違う。瞬間的に二度見をさせる句。静かに心を掴まれた感じだ。
 時系列というのか、関連づけてというのか、句集や同人誌を見てきた。次にあと二冊紹介したい。


・千春『てとてと』(私家本工房、2020)
・八上桐子『hibi』(港の人、2018)


 『てとてと』は川柳のほかに、短歌と詩が入っている作品集である。女性である自分の身体と日々の向き合った句が多くを占める。自分が女性であることを肯定も否定もしない。そういうものだと描く。しかし実はそれが一番生きづらい。

  これでいいんじゃないのかと日記を燃やす 千春
  トトロ忌が二千年後にやってくる

 トトロが死ぬまではわたしたちは夢を見ていい、はずだ。
 『hibi』は川柳句集にあって重版を果たした句集である。川柳句集にあって、などと嫌な書き方をしたが、それは俳句句集でもそうだ。重版する句集など稀なのである。

  さみしいのかわりにセロファンとつぶやく  八上桐子
  三月をまだ剝がしてはいけません
  向き合ってきれいに鳥を食べる夜

 以前どこかで言及したが、桐子さんの句は夜と水とに親和性が強い。やさしく、さびしく、ちょっと温いけど、少し距離は置いておこうと思う。距離を置いていたほうがいい。そのほうがお互い自分を保てるのではないか。と微妙な関係を匂わせているが、何の関係もない。何だろう。プライベートなことはほどほどな情報量でといった、あの感じ。親しくなりすぎないように。傷つくとかではなく、お互いどうしていいか分からないから。だからこの距離で見ている。そんな句集。
 今回は手短かではあるが、句集を見てきた。川柳の句集は今、手に取りやすいようになってきている。たまに俳句コーナーに置かれているけれど。句集にはまだという方は一冊のアンソロジーを読み倒したらいい。とりあえず覗きに行って欲しい。川柳も近づいているが、あなたからも近づいて欲しい。川柳はそう、

  声低くなったとこからおもしろい  久保田紺