ここ一年で刊行された川柳アンソロジーについて触れた前回からだいたい半年経った。個々の句集について見ていくと締めたのだが、なんとこの半年の間に川柳の活動がさらに活発化してきた。なので、それらに触れてながら、句集を紹介していきたい。
まず、遊び紙がきれいなピンクな、樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社)が2020年3月に刊行された。「はじめて手に取る川柳アンソロジー 333句」と帯に書かれている。複数句掲載されている方もいるが、基本的にはひとり一句で、数え間違えでなければ、299人の句が載っているのだ。たしかに「はじめて手に取る」ために間口を広くしている。これだけ句もあって、ひともいたら、好き嫌いだけではなく、ちょっと好きとか、ちょっと首を傾げちゃうとか微妙な感覚をも刺激してくれる。
同じ2020年、10月に刊行されたのが、小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)である。こちらは35人、各人76句が掲載されている。帯には「いまいちばんおもしろい言葉がつまった現代川柳の決定版アンソロジー!」とある。「現代川柳の決定版アンソロジー」のところを太字にし、下線をひくほどの熱量である。ひとりの作家をじっくり読むのには適している。掲載されていれば、だけど。
この二つのアンソロジーのどちらにも掲載されている川合大祐さん、湊圭史さんが2021年に句集を刊行した。川合大祐さんが4月、湊圭史(句集刊行時に、「湊圭伍」に改名。以後湊圭伍と表記する)さんが5月である。
・川合大祐『リバーワールド』(書肆侃侃房)
・湊圭伍『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)
『はじめまして現代川柳』(もう長いから以降、【はじ川】と勝手に言う)からの書肆侃侃房の川柳攻撃である。川合大祐さんにとって『リバーワールド』は第二句集となる。だいたい第二句集ってこう大人しくなることが多いのだが(すごく上から目線!)、この句集は「怒涛の一〇〇一句」。その2/3以上は固有名詞の句である。多分。だって句集の中には
「山本リンダ」 川合大祐
と句があるくらいだ。句なのか。そもそも。詞書かとも思ったが、文字の大きさからして一句として存在している。存在させられている。強引だ。でも「ゴーイン」と呟いたら、「グ マイウェイ」と続けたくなるものだ。車ではない。チャリンコだ。大祐さんとチャリンコで並走していたら見えてくる景色。それがこの句集だ。
人類にカスタネットを取り戻す 川合大祐
ぷと書いてひとりひとりが壁の中
古着屋と「頭痛が痛い」と言い合って
転生しなくてもこんな世界が見られるとは思っていなかった。
一方、圭伍さんの句集は欧米か! と言いたくなるほど、あとがきでいろんなひとの名前を挙げて感謝をのべてある。丁寧。なのだが、この『そら耳のつづきを』は間違えて送られてきたDMのようだ。仮にTwitterとしよう。Twitterという表の場がある。そこで呟くのがメインだ。誰かに話しかけるにしても、表で済む。だけど個人的に直接伝える機能にDMがある。一対一だし、表に対して(楽屋)裏であるDMはみんなが見ているというフィルターがあまり機能していなくて、濃い。一語一語が濃い。そんな濃度なのに、このDMはどうもわたし宛ではないらしい。
千円札がどうしても入らないのだろう 湊圭伍
不易とはゴムがゆるゆるのパンツ
並べてみればどこかでみたかも集
知らんがな。何の話か検討もつかんがな。でも宛先間違っていませんかとはよう聞かん。でもやっぱり自分宛かもと何回も読み直すけど、違う。違うけど、また読み直す。くせになっている。そんな句集なのである。圭伍さんは自身で賞を開催したり、句会をはじめたりと句集刊行後の活動が活発なのだ。
このふたりについては暮田真名さんが2021年8月に関西現代俳句協会に寄稿した「川柳はなぜ奇行に及ぶのか」(http://kangempai.jp/seinenbu/essay/2021/shikaku03.html)で取り上げている。暮田真名さんは【はじ川】に載っており、今年、第三句集を左右社から刊行予定である。またカルチャースクールの川柳講座の講師を勤めるという。この真名さんが【はじ川】以降に川柳を始めたふたりと一ヶ月に一回連作を発表する「月刊こんとん」を開始した。このふたりは「川柳句会こんとん」という公募の賞の受賞者である。掲載プラス原稿料という副賞は画期的といえる。いいたい。
暮田真名『補遺』(私家版、2019)より
ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ 暮田真名
寿司はそれは飼い慣らされたアルマジロ
さて2021年に話を戻そう。もう一冊句集が刊行されている。飯島章友『成長痛の月』(素粒社)である。飯島さんも先のふたつのアンソロジーに載っている。勝手なイメージだが、飯島さんは図書委員で、常にいるせいで当番ではない日まで仕事をさせられていそう。内実、最高なる中二病なのだ。中二病という名から拗らせのように受け取られるが、中二病ほどの原動力はあるだろうか。のびしろもさることながら、その発想力だ。その発想はなかったと首をぐわんぐわん振ると脳に光が走る。少し痛いし、焦げる。けれど、それを嗅ぐとたちまち有頂天となるのである。
真夜中にコンビニで買う健康茶 飯島章友
君の胃袋を吊るし切りにしたい
炭酸が抜けて程よい電気椅子
渦でしょうか楳図かずおでしょうか
ジュテームと寿限無に同じ酵母菌
知らんけどコンセンサスと言うとんで
真夜中に出かける。不眠症かどうかは知らないが、睡眠状態はよくない。けれど、買っちゃうんだね、健康茶。気にしている。健康を気にしているけど、他人の身体はちょっと物のように見える。興味関心の対象はエログロいぐらいがいい。相手の痛みはこちらの痛みではないの考えなくていい。そうじゃない? みんなそう思っているんじゃない? そうでしょ。はい。コンセンサス。急に関西弁。うつってしもたん。
2021年に刊行された句集を三冊紹介したが、『そら耳のつづきを』『成長痛の月』のあとがきには同じ人物の名前が出てくる。故・筒井祥文さんである。
祥文さんは2018年3月に亡くなった。その後、筒井祥文句集発行委員会が発足し、2019年12月に『筒井祥文川柳句集 座る祥文・立つ祥文』が刊行された。祥文命日を落語「らくだ」から取り、らくだ忌として川柳大会を開催しようとしていたが、コロナで数回頓挫。今年2022年5月に仕切り直しの開催予定である。
天国の破片は出土しましたか 筒井祥文
前回の時評ではアンソロジーと繋げて、「5・7・5作品集 Picnic」を取り上げた。現在は第4号まで発行されている。また2021年10月には新しく同人誌が創刊された。広瀬ちえみさんが編集発行人を務める「What's」である。川柳だけでなく、俳句も入っているのが、「Picnic」と似ている。
ちえみさんは2020年まで「杜人」という同人誌の編集に携わっていた(「杜人」二六八号をもって終刊)。その集大成として2021年4月に『杜Ⅱー杜人同人合同句集ー』を刊行した。その後の同人たちの受け皿として「What's」がある、という見方も出来るが、ひたすらに面白い作家が読める場として拍手を送る方がいい。
「What's」より
空気には音があるのよねむれない 佐藤みさ子
会いましょうわたしを消してあなたを消して
王様はパンの耳までひとりきり 妹尾凛
自転車が伸ばし続ける包帯 兵頭全郎
箱だったことを忘れている仔猫 竹井紫乙
二十世紀のしりとりだから休めない 月波与生
佐藤みさ子さんの句は使い慣れた、言い慣れた分かりやすすぎる言葉なのに、読むとあれはここはどこ? と迷子になってしまう。先の合同句集に参加している。〈ありがとうさよならいいえこちらこそ〉。
妹尾凛さんは俳句で季語と呼ぶもの(つまり季語なんだけど)を取り入れている。ご本人がよし、季語を使おうと意気込んでいるかはわからないが、こちらは季語だ、と息を呑む。だって、季語入りの川柳はどんな顔で川柳ですねえと言えばいいのだろう。でも俳句ではない。俳句ではないというか、川柳だから、俳句であるはずがない。多分俳句のように切り取りをしないのだ。場面を切り取らない。イントロの長い映画のようだ。2020年6月に句集『Ring』(水仁舎)を刊行。〈そちらは雨です こちらは菫です〉。
兵頭全郎さんは絶対聞いていたほうがいいひとり言のような句を作る。どんなひとり言だよと思われるだろう。わたしも自分で言っていて、どんなんだよと思った。2016年3月刊行『n≠0』(私家版工房)には〈足跡を消すライオンはまだ飛ばない〉〈タイムマシンの中古市場 だから〉などがある。飛ばないのかよ。だからなんだよ。とツッコミをいれたいから聞き逃さないようにしているかもしれない。
すでに第三句集まで刊行している竹井紫乙さんの句はゆっくり効く毒である。毒も薬となる。ゆっくりだから毒なのか薬なのか最後まで分からない。ただ即効性はない。一回無になり、あ、悲しかったのかもと冷静に見れる句はなかなか珍しい。2019年10月に第三句集『菫橋』(港の人)を刊行している。〈るつぼには全員揃っていてごめん〉。
月波与生さんは各所の川柳大会で好成績で、自身も良く選者をしている。Twitterで「さみしい夜の句会」というハッシュタグを用いた句会を開催している。これは川柳だけではなく、あらゆる詩歌が含まれている。この句会から今後合同句集が出るという。
「What's」からは抜いていないが、広瀬ちえみさんの句も魅力的である。広瀬ちえみ『雨曜日』(文學の森)は2019年5月刊行。
死んでからゆっくりやろうと思うこと 広瀬ちえみ
こなごなに割れるととてもいいにおい
派手ではない。けれど二度見してしまう句。何度も読むとも違う。瞬間的に二度見をさせる句。静かに心を掴まれた感じだ。
時系列というのか、関連づけてというのか、句集や同人誌を見てきた。次にあと二冊紹介したい。
・千春『てとてと』(私家本工房、2020)
・八上桐子『hibi』(港の人、2018)
『てとてと』は川柳のほかに、短歌と詩が入っている作品集である。女性である自分の身体と日々の向き合った句が多くを占める。自分が女性であることを肯定も否定もしない。そういうものだと描く。しかし実はそれが一番生きづらい。
これでいいんじゃないのかと日記を燃やす 千春
トトロ忌が二千年後にやってくる
トトロが死ぬまではわたしたちは夢を見ていい、はずだ。
『hibi』は川柳句集にあって重版を果たした句集である。川柳句集にあって、などと嫌な書き方をしたが、それは俳句句集でもそうだ。重版する句集など稀なのである。
さみしいのかわりにセロファンとつぶやく 八上桐子
三月をまだ剝がしてはいけません
向き合ってきれいに鳥を食べる夜
以前どこかで言及したが、桐子さんの句は夜と水とに親和性が強い。やさしく、さびしく、ちょっと温いけど、少し距離は置いておこうと思う。距離を置いていたほうがいい。そのほうがお互い自分を保てるのではないか。と微妙な関係を匂わせているが、何の関係もない。何だろう。プライベートなことはほどほどな情報量でといった、あの感じ。親しくなりすぎないように。傷つくとかではなく、お互いどうしていいか分からないから。だからこの距離で見ている。そんな句集。
今回は手短かではあるが、句集を見てきた。川柳の句集は今、手に取りやすいようになってきている。たまに俳句コーナーに置かれているけれど。句集にはまだという方は一冊のアンソロジーを読み倒したらいい。とりあえず覗きに行って欲しい。川柳も近づいているが、あなたからも近づいて欲しい。川柳はそう、
声低くなったとこからおもしろい 久保田紺