「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第94回  言霊の宮へ ―豊口陽子について―   九堂夜想

2018年02月04日 | 日記
「陸沈」―豊口陽子という俳句作家に思いを馳せる時、常々脳裡を深くよぎる言葉である。ここでいう陸沈(りくちん)とは、王充『論衡』にあらわれる「歴史を知って現実を知らないものは陸沈(陸上で溺死すること)したようなもの」というネガティヴなそれではなく、荘子(「則陽篇」)の「現実的には慎ましい生活者として市井にあり目立たぬよう生計を営みつつ、精神的には超俗の徒としてはるかな別天地を渡り歩くような在り方」のことである。
 実際、豊口陽子は、そのすぐれた詩的力能を鑑みるに、昭和の女流俳句を代表するいわゆる四T(中村汀女・星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女)はもとより、昨今の俳句メディアを賑わす女流俳人らのネームバリューなどをとうに超えて広く知られてしかるべき作家だが、天地玄黄を彷彿とさせる懐の深い、それゆえ、その読解において一筋縄ではいかない作品の数々、そして、いたずらに地位や名声を求めない詩人としての清廉な構えが、安直な俳句関連の諸々を容易に近寄らせず、豊口陽子を〝知る人ぞ知る〟存在たらしめている。それは、豊口陽子を知る者にとって、そして何よりも豊口自身にとって、まったく幸いなことである。

 一月に刊行された俳句同人誌「LOTUS」第37号にて、豊口陽子のこれまでの句業を顕彰する特集が組まれている。題して「言霊の宮へ―豊口陽子の世界」。その内容は、「豊口陽子四百句」「ロングインタビュー」ほか、同人と外部執筆者による評論7篇、一句鑑賞18章と、一俳句作家のフィーチャーとしては俳句商業誌でもおよそ見かけることのない、かなりのボリュームと充実度である。
 ここで、豊口陽子の略歴を紹介しておこう。豊口陽子は、1937年、東京都生まれ。大学時代に彫刻を学び、その後、或る俳縁を得て句作の道へ。結婚を機に日本各地を移り住みながら「山河」「流域」「國」といった俳誌を渡りつつ、80年代に同人誌「未定」に入会。第一句集『花象』(1986年)の解説を(当時、面識のなかった)安井浩司に依頼したことをきっかけに安井浩司に私淑、のちに師事。「未定」退会後、2004年、「LOTUS」創設に参画、現在に至る。著書は、先の『花象』を皮切りに『睡蓮宮』(1992年)『藪姫』(2005年)と三冊の句集を持つ(『藪姫』以降、これまでゆうに一巻を編むことのできる作品群が「LOTUS」誌上に発表されている)。
 ところで、筆者のみの管見ではないと思うが、豊口陽子の俳句に〝女流〟の呼称ほど似つかわしくないものはない。たとえ、その詩句に女性語が使われていたとしても。語弊のある物言いだが、豊口陽子は〝女流〟を超えて、ともすれば〝人間〟を超えて、「女」であり、また「母」なのだ。その詩的特性は、何といっても、天地(あめつち)を深くおさめたような句柄の高さと奥深さ、そして〝闇〟を湛えた〈霊性〉にある。
                      
 杏散る大地いちめん女の貌          『花象』
 わらび山に腹這いうろこ愛でるかな
 樹はさざなみの夢を見ている 蛇の午後
 物の怪を山に植えたる鳥のあり
 すれちがいざまに男も枯れにけり
 ガラス紀に棲んでこの世の人ぎらい
 三と四のあいだを波に沈みけり
 さくら見にゆかなと箱の薄化粧
 箱吊って男夜空を渡りけり
 遠い月雁のおわりの箱ひとつ
 鞦韆を漕ぐ古びたるπ(パイ)である
 くもの囲をめぐるおんがく 閻浮提
 かやつり草の中では犀が気化している
 転生のわれを訪い来る沼明り
 「かあ」とそれきり千年声を喪う鷹

 温室に蝶の円寂はじまりぬ          『睡蓮宮』
 ふりむきざま青かげろうを吐く母よ
 睡蓮や陵ひとつ吸い了わる
 蛇の衣まだ巻きたりぬ巻きたりぬ
 ひばりよひばりワイングラスを毀してよ
 どの雌木に迦陵頻伽は棲むのだろう
 皆既食蛇(み)は海原に髪ひらく
 鬼千匹の影ふみあそび影も死ぬ
 さくら樹下かごめかごめと韓のいくさ
 きぬぎぬの木霊と交わす言結び
 胎内に豊葦原がそよいでいるわ
 からだぢゆう竹の花咲く極楽や
 崖を航く三日月に刎ねられ野菊
 絶景や大蛤の開かずの間
 薄氷を踏みぬき天より足垂らす

 日を入れて月を差し出す花頭窓        『藪姫』
 花時計あめつちの血を蒐めては
 ひるすぎのすすきに隠れ宮の道
 不二おそろし風切鎌に風は絶え
 枯びつつカルマを廻す風の母
 花桐や魂分れする山と河
 鮟鱇裂くや大陸の根が現れる
 回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア
 春や一億蝋人形の含み針
 月蝕のやがてはじまるけむりの木
 蟹は背の山海経を披(ひら)かれる
 ガラス器に沈む半眼のさくら
 蛍袋のなか洪水が語られる
 蓮華八葉鳥らいま地へ象嵌さる
 柘榴より降るメサイアその散乱

 巻貝のおどるところが黒涅槃         『藪姫』以後(「LOTUS」掲載分)
 迂路の人鳥やひかりを供連れに
 春は化粧うて勾玉のおぼろ立ち
 蒲の葉を三つ編みにして鳥乙女
 鳥髪のかの巫の六足歩行
 物とせよ泉に沈む天眼(げん)を
 梣(とねりこ)に近く天象儀は倒る
 スカラベや楽の微塵を運び去る
 睡蓮もて十字の河を渡らんと
 鬼はしずかに一人称とすれちがう
 山川も海や心経発火して
 うたたね ほ うたたねの根の音がらみなり
 笙は流れて山脈にふと柱立つ
 翁いつ野に光背を拾うのか
 祝唄やかわたれを抱き抱き落とす


 豊口陽子の〝闇〟―読む者をやおら暗がりへと引きずり込むかのような句群の霊的感触は、無論、長年にわたる安井浩司とのコレスポンデンスにも因ろうが、その根幹は、豊口生来のほの昏い言語生理にあったろう。

 結局ね、言葉って記号じゃないでしょう。言葉っていうのはナマモノなんですよ。私はそれを実感しているわけです。そのナマモノである言葉をどう扱ってあげたら、それが可愛く映るか、気味悪く映るか、そういうところを吟味して感じとる、ということではないでしょうか。ところがね、こんなことを言っていいかどうかわからないけれど…若い人たちは言葉の意味に引っ張られて、スウッと通っていってしまう。非常に知的に作ってはいますが、知性的に扱った言葉自身にはあまり体温というものが感じられない。それが悪いかどうかはわかりませんけれど。言葉って、触れば触るほど何かこう…細胞のように形が変わっていって、青光りがしたり、テラテラしたり、体温を発したり、氷みたいになったり…そういうものだと思うんです。
                     (「言霊と詩と俳句形式 ―豊口陽子インタビュー」聞き手:三枝桂子)

 察するに、如上のような豊口の言語に対する特異な生理感覚が、安井浩司の作品および思想との共鳴を経て、「未定」「LOTUS」にて激しく醸成され、内に秘めたる〝暗黒詩質〟がずるずるずるずると引き出されたのだ。

 先達からの影響として、豊口陽子がこれまでに名を挙げた俳句作家は、安井浩司のほかに、富澤赤黄男、三橋鷹女、やや距離を置いて河原枇杷男、大岡頌司といったところだが、本号において、歌人の江田浩司が、自身の属する詩歌領域に絡めて、山中智恵子短歌の豊口俳句への影響を目ざとく指摘したのは蓋し慧眼と言わねばなるまい。

 この度、豊口の俳句の全貌を拝読していて、いくつかのことに気がついたが、その中で私以外には絶対に触れることがないと思われる事項について記してみたい。それは、山中智恵子の短歌と豊口の俳句との関わりである。
 第一句集『花象』の「あとがき」の冒頭に豊口は、「どちらかを選べといわれるなら、私には短歌より俳句が似合っている。短歌誌に誘われた高校時代、私はまず生理的にそう直感した。」と書き記している。早くから俳句創作の資質に自覚的であった豊口と、私は何度か山中智恵子の短歌について話を交わした。豊口の言葉の端々からは、山中への敬愛の念が感受された。しかし、山中短歌の豊口への影響については意識することがなかった。豊口の俳句の全貌を拝読した今でも、その点について明晰な分析ができる用意はない。以下に記すのは、私の印象批評にすぎない。
 例えば豊口の次の俳句を読むとき、私は山中短歌の何首かを思い浮かべる。

 雨師にも不倶戴天や猫眼石        『睡蓮宮』
 三輪山を飛ぶ蛇銀の月提げて       『藪 姫』
 かぶら幾千三輪山の月を窺う         同
 雨師を聴く草潜(くさぐき)のさとき耳なり   同
 列石の円周率を発つ小鳥           同
 鳥髪のかの巫の六足歩行          「LOTUS」5号
 銘「ロゴス」秋の蚊が血をめざし来る     「LOTUS」17号
 想い残りのありとこそ知れ斎宮址      「LOTUS」25号

 この他にも山中の短歌との関わりを連想させる句がいくつかあるが、ここに引用した句は、山中短歌に親密な語彙を含みつつ、その表現の世界観の深層に、詩的な交感が想像されるものである。もっとも、豊口の俳句表現の本質に影響を与えているのかどうかは計り難い。先にも書いたように、その点を明晰に答えるだけの用意はない。
 豊口の句を読んで、私が思い浮かべる山中の短歌を、参考として引用してみたい。

 昭和天皇雨師としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり     『夢之記』
 行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ 『みずかありなむ』
 三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや        同
 列石は星座表とぞドルイドの三月祭の暁(あけ)の木星          『黒翁』
 あめつちのロゴス静かに立てりとぞこの錫杖にしたがひ歩む         同
 転蓬の道より出づる斎宮趾火ざくらとほくなりまさるかな          同

 後半の三首は、山中の第十三歌集『黒翁』(一九九四年刊)から引用した。豊口と山中短歌について話をしたときに、豊口の『黒翁』への賞賛が、強く印象に残っているからである。豊口にとって、山中智恵子という歌人は、表現詩型を異にする敬愛の対象という以上に、表現レベルで向き合う創作者という意識の方が強く感じられる。それは、俳句創作者としての矜持に基づく態度であり、詩型を異にしながらも、「詩」表現としてある理想を山中に見いだしているからではないだろうか。

                                    (江田浩司「豊口陽子の俳句を読む。」)

 思えば、山中智恵子も〝闇〟の作家であった。すでに『私は言葉だった―初期山中智恵子論』(2009年)において卓抜な歌論を物している江田には、ぜひ近い未来に綿密な調査と分析の上に山中智恵子と豊口陽子の歌俳比較研究を世に問われんことを望みたい。

 この他、古田嘉彦は豊口俳句と安井浩司俳句世界との共通性と差異性について(『安井浩司全句集』『ゝ選句集』をお持ちの方は「豊口陽子四百句」との読み比べをお勧めしたい)、志賀康は第二句集『睡蓮宮』の句群が作られた80年代の俳句状況と豊口陽子の想念=内的風景との関わりを、また、青山茂根は「両性具有性」「内界と外界の混在(クラインの壺)」を、高橋比呂子は「ポストディクション postdiction(後測、後づけ再構成)」を、表健太郎は「数学的気配」をそれぞれキーワードに、豊穣なる〝闇〟の豊口陽子俳句世界の探究に挑んでいる。

 ここまで書かずにきたが、豊口陽子は現在、体調不良により俳句活動が困難な状況にある。その意味で、本号は、豊口俳句研究と同時に女史の恢復と俳句復帰を強く念願したものであり、「ロングインタビュー」も録られたのは四年前のことだが、その言葉は、今もなお力強くあたたかい〈霊性〉を帯びて読む者に迫ってくる。最後に、豊口陽子の「言霊」をあげて擱筆としたい。

 言葉というものを、本当に体温を持った「魂」と思って扱っているかどうか…その辺に作者の態度というものが出てくる。俳句が出来上がった時に、そこに作者の言葉に対する結論が出てきてしまうんです。だから非常に怖い。言葉には体温があると言いましたが、私が言いたいのは、言葉というのは頭や知識では処理できないんですよ。言霊ということを本当に心底感じなければ、詩は書けないと思うんです。
 言葉を記号のように扱ってパズルのように一句を作るとか、ここにこういう言葉を置けば一句が出来る、とか、そんな風に言葉を扱っていくのはとても危ないことだと思いますね。言葉ってそういうものじゃない。
 言葉の体温とか、言葉一つ一つが持っている構造…その下に何を持ってきて欲しいとその言葉が思っているのか、そういう生き物としての言葉、言葉のそういう要求を感じることによって、一句は全く違うものになると思います。言葉を生きさせる、といったらいいのか、言葉を知識として扱うのではなく、言葉も縄文ぐらいまで戻って、その辺にある石ころや蝉と同じように扱っていったらいいのではないかしら。
 そもそも、その句が自分の中から発生した時は、それは天から降ってきたのか、地面から生えてきたのか、という感じなんですね。スタイルが決まってしまったらもうお終いじゃないですか。もし俳句が「五七五で季語が入っていればそれでいいのよ」っていうものだとしたら…それが形式だとしたら、形式というのは死体を見ているようなものですよね。
                      (「言霊と詩と俳句形式 ―豊口陽子インタビュー」聞き手:三枝桂子)