「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 俳句と短歌をめぐる素朴な感想と、吉村毬子第一句集『手毬唄』について。 江田浩司 

2015年02月02日 | 日記
 俳句の批評について羨ましく思うのは、伝統系と前衛系の批評が相互に深化していることである。価値観の多様化に基づく批評は、一概に歓迎されるものばかりではないが、俳句に関して言えば、そこに生まれる対立が作品と批評の向上に作用していることは間違いないだろう。
 伝統系の俳人は、自分たちこそが、芭蕉以後の俳句の正統を継承していると思っているだろうし、前衛系も同様の主張を抱いていると思われる。近代以降の俳句の主流が、長く写生句にあったにしろ、俳句の否定の前進性の先に、前衛俳句が登場するのは必然的なものであった。俳句表現の本質を視野に入れ、伝統と前衛の問題が、俳句の正統性をめぐる闘争を続けるかぎり、批評と作品の双方に亘る文学的な熱意は衰えることはないだろう。
 短歌の場合は、俳句のように作品の傾向によって組織が別れてはいない。また、伝統系と前衛系に二分割できるような現状もなく、どちらの影響も受けている作品の方が圧倒的に多いように思われる。もし現在の短歌の組織を二分割して覇を競うのならば、文語短歌と口語短歌で分かれることになるだろう。それにより、作品と批評が相互に深化するのならば、有意義な議論が期待できる。また、そこから現代短歌の本質について率直な意見を交わす環境が整えば、双方にとって有益である。自己の文学観、短歌観を曲げたり誤魔化したりする必要もなく、自己の創作の信念に基づく論争の相乗効果が期待できるからだ。
 私はそのように、現代文語短歌協会と現代口語短歌協会が二派に分かれ、真摯かつ闘争的に議論することを夢みるが、組織というのは権力争いを始め、文学以前に卑近な問題を抱えるものなので、そう簡単なものでもないだろう。また、文語派と口語派で議論を重ねることが、作品と批評の質の向上につながると安易に考えること自体、短絡的なオポチュニズムにすぎないのかもしれない。
 現在、三句十七音の詩型には、伝統系と前衛系の違いの他、俳句と川柳との差異があり、そこに多行形式や自由律が加わって、表現の価値観の違いが併存している。俳句と川柳には、どちらに位置づけるべきか、区別が困難な作品があるのにも関わらず、 ジャンルとしての混乱は見られないようである。飜って現代短歌を見ると、五句三十一音の詩型には、短歌と狂歌の区別はない。現代狂歌として位置づけた方が評価の明確化が図られる作品があったとしても、特に疑問を持たれることもなく、ユニークな短歌として受け容れられている。また、口語短歌には一定の評価基軸がないので、現代狂歌と見なされる作品を特定することは困難である。これについては、現代の文語短歌も同様の問題を孕んでいると言えなくもない。
 私はいたずらに歌壇内部の闘争や混乱を招きたいと思っているわけではない。しかし、短歌観の差異に基づく対立軸が、有機的に作用する文学的環境を整えなければならないだろうとは思っている。それは、短歌存続のために、絶対に避けようのない困難な課題である。将来文学としての短歌が滅びるかどうかは、今の歌人たちの行為にかかっているだろう。

       *

 俳句同人誌「LOTUS」所属の俳人、吉村毬子の第一句集『手毬唄』が昨年の七月に「文學の森」より刊行された。贈って頂いてすぐに目を通したが、今度改めて読み直してみた。吉村と初めて出会ったのは何年前になるだろうか、未定の句会でのことであったと思う。その折、中村苑子に師事していたという話を伺って、吉村の俳句をまとめて読んでみたいという思いに駈られた。その後も、何度か句会や出版記念会で会っているが、その度ごとに句集について話をしたように思う。その意味では私にとっても待望の句集である。
  私の手許にある中村苑子の句集を繙きながら『手毬唄』を読むと、第一句集『水妖詞館』と第二句集『花狩』という姉妹句集の、吉村の句への影響を思わないではいられない。特に『水妖詞館』へのオマージュではないかと思われる句が散見される。また、「花狩」という言葉を使っている句、「遊べかし貌になる間の花狩を」もあり、『花狩』への思いにも並々ならぬものがあることが見て取れる。具体的に中村苑子を詠んだ句ではなくとも、中村の俳句に通う言葉(詞)を通して追悼を詠い、俳句へのオマージュを込めた句が詠まれているのである。また、『手毬唄』の中扉や帯の紙の質感が『水妖詞館』の表紙と似ていたり、中村と吉村が並んで映っている写真が挿入されていることも、この句集の性格を物語っているだろう。
 だが、本句集を中村への追悼の思いに特化して読んだのでは、その真意を見失うことになる。吉村は中村の句を俳句創作の母として、自己の句がそこから生み出されたことを、中村の死後に引き受けて詠んでいる。そこに、俳人としての吉村の覚悟があるのではないか。俳句創作の原点が中村との出合いであったことは、吉村の俳句創作の方向性を決定づけ、自己の俳句を完成させるべき困難な道を運命づけた。中村の句の模倣ではなく、吉村独自の俳句を完成させるための、長く厳しい道程を招来したのである。
 『手毬唄』の栞には、吉村の尊敬する四人の俳人によるすぐれた解説が書かれている。率直に言えば私の出る幕などないのだが、吉村の俳句をまとめて読める喜びから、私の感じたことを書いておきたい。
 まずは、冒頭と掉尾の三句を引用してみる。

  金襴緞子解くやうに河からあがる
  日輪へ孵す水語を恣
  薄氷へ日は青々と腐敗する

  海螢嫗翁と透きとほる
  菊石を抱く中陰の漣よ
  水鳥の和音に還る手毬唄


 吉村の句に「水」に関わる句が多いことは、栞の執筆者の一人である豊口陽子が指摘している。また豊口は、栞のタイトルを「水の精(ひと)吉村毬子」と名づけており、吉村が「水」に関連した多くの句を創作していることの意味の深さを示唆している。
「水」に因む吉村の句は、それに関連する言葉をキーワードのように使用しているものではない。「水」に関連する言葉が内在する言葉本来の力を解放し取り戻すためである。それは、吉村が言霊を信じているからであり、言霊はその言葉一語によって現れるものではなく、俳句という詩型の内部で表出することを承知しているからである。水の精(オンディーヌ)として、吉村が「水」に関連する言葉の魂を解放する場(トポス)が俳句なのだ。そこには、吉村の俳句詩型への絶対的な信頼がある。
  この句集には冒頭から掉尾に向けて、あるいは、掉尾から冒頭に向け「水」が通っている。「金襴緞子」を解くように河からあがった水の精(オンディーヌ)は、自己のなすべき仕事を俳句によって成し遂げる。その成果がこの句集である。

  仰向けに遊ぶ忌日の水の凪
  石女の白露の水を授かりし
  輪番に白鳥撓ふ水想観
  瀧の落とし子薄氷の久遠なら
  顔(かんばせ)を映す水占紫荊
  水際の空(から)葬(とむらひ)や昼の虫
  水瓶に溜る言霊囮守
  耳朶や水照りの天井皆ゐる
  花過ぎの緇(し)衣(え)水際に揃ひたる
  家に棲む真水は母を繰り返す


 「水」に因む句の一部を引用した。どの句も解説を必要とはしていない。吉村の表現をそのまま受けとればいいのである。これらの句の意味を難しく考えることにさほど意味があるとも思えない。
 吉村の句を読んでいて驚かされることの一つに、物理的には「水」と直接関係のないものに「水」を感じさせるところがある。例えば吉村が使う「蟬時雨」や「蟲時雨」は、この言葉本来の意味と譬喩のもとにある「時雨」を同時に感受させる。

  ひとり降りひとりで昇る蟬時雨
  遠声の水になるまで蟬時雨
  少年や卵弔ふ蟲時雨
  蟬時雨何も持たない人へ降る


 二句目はやや表現が直截すぎるが、それでも言葉の内在する力の解放に向けた姿勢が感受される。その他にも、「鳥影や朱夏の地に落つ水櫛や」など、「水櫛」という言葉の内包する意味を巧く生かした句もある。
 また、吉村の俳句には、「」と「白」という言葉を使った句に特徴があり、これもその言葉が内在する力を解放するという意味において、「水」に因む句と無関係ではない。いや、むしろ、「」に因む句と深く関わっており、そこには言葉相互の感応や交感が見られる。

  残菊の波浴びる時青くなる
  海抱きの硬さとも白い夢とも
  睡蓮のしづかに白き志
  しづかに毬白き夏野に留まりけり
  切株の青い死紅い死嬥歌とや
  あをあをと鳴る流水の羽の奥
  白虹を浴びて山河の父渡る
  謳はれし青い訛りを被ふ山
  民族へ山河は蒼き朝語り
  河過ぎてより青水無月の五感
  白南風や富士はためける川の数
  水籠りや秋天の痣青きまま
  海彦の九竅あをき鳥影へ
  荒鵙や然りとて白きもの交はす


 これらの句も先の句と同様に解説を必要とするとは思えない。ただし、四句目には、高屋窓秋へのオマージュがあるだろうし、五句目は、中村苑子の句「死花咲くや蹴りて愛せし切株に」を踏まえたものだろう。
また、遠く、富澤赤黄男へのオマージュもあるかもしれない。さらに、「」と「」という言葉に固執するところに、赤黄男や窓秋の句の影響を見ることもできるだろう。
 吉村の尊敬する先人に対する思いは句の端々から感受される。栞で吉村の句のすぐれた分析を行っている安井浩司へのオマージュの句もある。安井は吉村の句に、苑子俳句のロマンチシズムの水脈に通う詩的表情が継承されていることを指摘し、さらに、その根源的な詩の在処の源泉を三橋鷹女に見ている。安井は書家としてもすぐれた人だが、『手毬唄』の表紙には「毬」という安井の字が使われており、その字の表情は実に本句集にふさわしいものだ。
 第一句集を『水妖詞館』と名づけた中村苑子も、水の精の詩質を兼ね備えた俳人である。吉村毬子はその詩質を継承しながら、さらに、自己の句の世界に飛翔すべく、これからも読者を魅了する俳句を作り続けてくれることだろう。
 最後に、本句集収録の随筆「景色」の最後一節と、「あとがき」の一節を引用して本稿の締め括りとしたい。吉村の俳句表現にかける思いが、直截に熱く語られている。

 俳人もまた、天地を感応し詠いあげることで、魂の救済がなされるのではないだろうか。私という小さな微粒子が、壮大な自然に包まれ溢れて、揺曳し、枯渇し、漉かれて、八百万の神、森羅万象、天地神明、とてつもないものに誓うのだ。俳句への選択を。そして、俳句への礼讃を。        「景色」より

  私は、この二十一世紀の混沌とした闇の中で、剥製の鳥にならず、標本の蝶にならず、たとえ羽が千切られようとも天へ羽搏き続ける鳥や蝶になりたいと願う。私の全身が変貌しようとも、私の血は私の詩である。私の血が詩となり大海原へ溶解し、この暗闇に打ち寄せる月下の波の一筋となることを願う。この身の肉が裂け、血が迸り地に渇くまで、私は彼方の俳句を目指して書き綴っていかなければならないのである。                                           「あとがき」より


注)引用の括弧内はルビ

俳句評 ちり紙の妖精と白木蓮の花咲く春が カニエ・ナハ

2015年02月02日 | 日記
 昨年11月の文学フリマのときに、私も出店していたのですが、通路をはさんだ斜め向かいのブースがひときわ賑わっていて、詩人の平田俊子さんのお姿が見えたのであとで行ってみると平田さんのほか俳人の神野紗希さん、歌人の石川美南さん、歌人の川野里子さん、歌人で作家の東直子さん、小説家の三浦しをんさんが売り子をされていて、彼女たち六名による「エフーディ」という冊子をじきじきに販売されていたのでした。「エフーディ vol.1 松山・別子銅山吟行編」と題された冊子は、六名のみなさんで松山・別子銅山へ吟行に行かれて、そこで、あるいはそこでの体験をもとに、みなさんそれぞれが「詩」「短歌」「俳句」「エッセイ」を書かれる、つまりそれぞれふだんとは異なる詩型での作品にも挑戦されていて、前述したように完成した冊子はみなさんで文学フリマへ売りにこられた、そのノリの良さ、和気藹々とした雰囲気も好ましく、三詩型(プラスアルファ)交流のこれは一つの理想形ではないかと思いました。ところで「エフーディ」というのはティッシュ箱の中にひそんでいて、ティッシュを出すときに手伝ってくれる妖精の名前とのこと。ティッシュを使い終わったあとエフーディはどこへ行ってしまうのか、とか、ポケットティッシュにはエフーディは棲んでいないのか、とかいろいろ気になるのですが、いずれにせよ、今後ティッシュ箱を誤って踏んづけたり(ということを私はしょっちゅうするのだけど、)カッとなったときにほおり投げたり(ということもしょっちゅうするのだけど、)しないように気をつけなくては、と思います。というわけで、「エフーディ」に掲載の俳句から。

  逆光の桜と昼の星々と  神野紗希

 いろいろなかたが俳句と写真の親和性について語られるのを目や耳にしますが、写真には写しえないものを写真のように描写することができるのが俳句の凄いところなのかも、とこの句を読んで思いました。

  急坂をあたたかな遺骨が下る  石川美南

 ここで突然、前回にひきつづき映画『仁義なき戦い』の話になるのですが(あのときはまだ菅原文太さんはご存命でした……)、たまたま最近見直したシリーズ第三作『代理戦争』 のラストで、文太さん率いる広能組の、殉死した下っぱ組員青年のお葬式のシーン、そこへも非情にも抗争相手の組の自動車が銃を乱射しながら走りぬけて、流れ弾が骨つぼに当ってかれの遺骨が道路にばらまかれてしまいます。組員のひとりがそれを慌てて拾おうとするのだけど熱くてすぐに手を引っ込めてしまう。しかしそれを文太組長はヤケドも厭わずにぎりしめて、哀しみと怒りにわななくのです。

  風光る遺跡は壊れ物ばかり  平田俊子

 そしてそのわななく文太さんの顔と、広島の原爆ドームの映像とがカットバックで交互に映し出され、そこにかぶさる「戦いがはじまるとき、まず失われるのは若者の命である。そしてその死が、報われたためしはない。」という冷徹なナレーションで映画はしめくくられます。大江健三郎さんの著作に『壊れものとしての人間』がありますが、壊れ物であるあまねく人間もまた遺跡なのかもしれません。

  ぐわらんぐわらんぐわらんとなにもなき鉱山  川野里子

ぐわらん」というのは「がらんどう」のがらんのことでしょうか。なにもなき、とありますが同時に「ぐわらん」が、ここにはあります。しかも、みっつも。

   *

 『角川俳句』1月号をぱらぱらとめくっていたら「230名が選ぶ!注目の若手俳人21」というコーナーがあって、21名の注目の若手のかたがそれぞれ新作七句と短い散文を寄せられていて、とてもひきこまれて読みました。それぞれから一句ずつ、私が好きなものを選んでみたいと思います。

  兎二羽キャベツ一枚共に食む  神野紗希

 ちいさいときうさぎに指をかまれたことがあります。思いがけず血がたくさんでて、救急車にのせられました。だいじにはいたらなかったですが。なのでこの句を読んで思わずキャベツに感情移入してしまいました。またキャベツがおしまいになるとき、うさぎのどちらかがどちらかを噛んでしまわないか、心配です。

  標無く標求めず寒林行く  高柳克弘

 昨年見た美術展の中で、もっとも印象的だったひとつがキュンチョメ(昨年の第17回岡本太郎賞を受賞されたユニットです)の「なにかにつながっている」展(新宿眼科画廊)で、表題作となっている7分ほどの映像作品「なにかにつながっている」は樹海を舞台に、作家が「もういーかい?」を応答のないままに連呼しながら、樹海の奥深くへと分け入っていく、という内容でした。

  目が失敗口が失敗福笑  西村麒麟

 失という漢字と笑という漢字はすこし似ていますね。

  蝋梅のつぼみのなかを散る花粉  佐藤文香

 じっさいにマンゲツロウバイのつぼみのなかをのぞいてみたら小虫がいました。とおい故郷を懐かしんでいるのかもしれません。

  星空を吹く木枯しの匂ひかな  村上靹彦

 夜になるとあまねく匂いが濃くなるのは夜になると私たちの視界がすこしせばまるからでしょうか。

  大いなるもの飲み込みぬ初鴉  阪西敦子

 元日に鳴く、または見るカラスのことを初鴉というそうで、はじめて知りました。なにを飲み込んだのでしょうか。まるごとの鏡餅とか。まさか。いずれにせよ喉をつまらせないとよいのだけど。

  繭玉の灯ともしごろの白さかな  鶴岡加苗

 繭玉がなにかのたましいに見えてどきっとしました。

  チョコチップクッキー世界ぢゆう淑気  野口る理

 「チョコチップクッキー」が万国共通の祝いの文句のように聴こえます。

  ストーブに近く仏壇から遠し  三村凌霄

 ということは仏壇とストーブは離れているのでしょうか。仏壇のひとは寒くないかな。

  まばらなる観客に熊立ち上がる  平井岳人

サーカスかなにかのクマでしょうか。こないだ映画『フェリーニの道化師』を見直したのですが、サーカスというのはなんてせつないのでしょう。世界や人生の縮図みたいだ。

  冬凪の叩いてはいけない硝子  小川楓子

 これ(硝子)は私だ……と思ってしまいました。

  うつむいてゐる子がひとり初電車  涼野海音

 これ(子)は私だ……と思ってしまいました。

  みかんやる玉に乗れなくなった象に  福田若之

 これ(象)は私だ……と思ってしまいました。私は、「これは私だ……」と思わされる句にどうも、ひかれてしまうみたいです。

  冬帽子とるや短く釘の影  生駒大祐

 冬は影が短くなるんですね。私よりも長い時間帽子を被っている釘。

  雨粒の遠くも見えて初昔  安里琉太

 ものごとの遠い細部って時間が経ってからより鮮明に見えたりするんですよね。

  この森にまだ奥のある冬帽子  堀下翔

 この帽子は赤い帽子な気がします。

  冬蝶の溶けてしまひぬ交差点  西山ゆりこ

 安西冬衛の有名な一行詩「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」(「春」)がありますが、この冬蝶は交差点にあっけなく溶けてしまいます。春。だれに生まれ変わるのか。

  暗き葉は暗きまま散り木の葉雨  小野あらた

 私なども葉っぱでいえば「暗き葉」の部類なので思わず共感してしまいました。

  全蟹が集結し鋏掲げけり  谷雄介

 赤瀬川原平さんの代表作のひとつ「宇宙の缶詰」は蟹缶をうらがえして全宇宙を包含するというとてつもなくスケールのでかい缶詰ですが、この缶詰のなかには当然「全蟹」もふくまれており、いずれにせよおなじ缶詰の中です。ところで「宇宙の缶詰」の実物を私がはじめて見たのは2007年森美術館「笑い展」でしたが、七句すべて「蟹」が出てくる(ついでにエッセイまで!)谷雄介さんの蟹連作には大いに笑わされました。

  から\/とポテトチップスめく落葉  進藤剛至

 パーティの終わりなどに、テーブルの上に余った落葉めくポテトチップスを見るとせつないきもちになります。

  たつぷりと光分け合ふ福寿草  今泉礼奈

 福寿草そのものが光みたいに見えます。春がちかづくとどうしてまず黄色い花たちからさきに咲くのでしょうか?おおむね黄色、赤、白という順な気がします。今泉さんのエッセイは彼女の白木蓮好きについて書かれていて、白木蓮の花の咲く春が来るのが私も楽しみになりました。