「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第115回 宇佐美魚目「研究」序説 中西 亮太

2019年11月03日 | 日記
0.個人的イントロダクション

 魚目を知るきっかけはある人に紹介されたからだった(直接話したのか、その人が書いた文章を読んだのかはわからない)。それで『魚目句集』(2013年、青磁社)を読んで、すっかり好きになった。その時の記録が手元にある。その時の記録はそこそこ熱を持っているように見え、好きな句集の順番までつけている。ここで「一番好きな句集」として位置づいているのが、以下で中心的な役割を果たす第二句集『秋収冬蔵』である。
 本稿の究極の目的は魚目を読むための「問い」を導くことにある。この目的を果たすためにさしあたり「総合誌」で語られる魚目像を主たる参考としたい。
 ところで文章の依頼は「魚目のこと書いてみたら?」という誘いから始まった。10月19日は「魚目忌」である。時評と言えば、時評にもなるだろう。

1.「魚目」はどう発見されたか

 宇佐美魚目の名前が総合誌で大々的に取り上げられたのは、1973年『俳句 5月号』の「特集・期待する作家」である。この特集は当年通年掲載された特集であり、多様な作家が取り上げられている。ここで魚目は森澄雄から「期待」されている。(このとき同じく取り上げられているのは鷹羽狩行で、水原秋櫻子から「期待」されている。)
 澄雄は「編集部から資料として与えられた」第一句集『崖』と本特集に寄せられた「秋収冬蔵」二十五句を読んでいる。澄雄は『崖』に対して、「率直な感想の中には、その適確な表現力、独自の世界を認めながら、なおかつ、現代俳句一般にみられるひとしなみな表現と、その中にある余分の表情とにぎやかさがあることに不満がなかったわけではない」と述べる。一方「秋収冬蔵」に対しては、「表現はいよいよ単名と清澄を加え、その単名の中のゆとりと緊張、適確な写像に重なって見える不思議に静謐な世界――。〔中略〕その作家の意志する世界に僕の共感があり、大きな期待がある」と述べる。

  立木より縄ひつぱつて露の畑  「秋収冬蔵」

  葉生姜や山うごかして水を汲む 「同」

  すぐ氷る木賊の前のうすき水  「同」

 澄雄の「共感」とは何か? 澄雄は古典の持つ、「微妙なゆとりと豊かさ、その中にある緊張、そして歴史の時間に現れた古典の静謐さ」を是としている。そして、作品が批評の中で解析され、その結果に「余分な表情とにぎやかさ」をまとうようになりつつある現代俳句を批判している。この観点の下、魚目は静謐さを持つ点で共感を得、期待の作家となった。  
このようにして、「時に「青」誌上に作品を散見する以外はほとんど知」られることない魚目は、澄雄によって鑑賞・批評され、発見されたのである。

2.魚目の転回

 森澄雄による魚目の発見、とりわけ『崖』とその後の変化は多くの人が後に論じることとなる(後述論者以外に大峯あきら(1973)、飯島晴子(1979)、前田直子(1981))。澄雄は、魚目に見られるこの変化を「年齢の成熟にちがいない」と述べている。しかし、澄雄による「魚目発見」以後の評論を読めば、魚目の転回には興味深い点が見出されるのである。
 中村雅樹(2008)によれば、魚目は1961年頃から二年間ほど、俳句から遠ざかっていた(『崖』は1959年)。この時期、絵画や銅版画といった芸術鑑賞を積極的に行っていたようである。そしてこうした経験を踏んで、魚目は「わたしくの歌」として俳句に取り組むようなったとされる。
 大串章(1977)は第二句集『秋収冬蔵』を「〈魚目の乾坤〉とでも称すべき、独自の世界を示す」ものとして捉える。そこには『崖』に見られたような「鍛錬稽古ぶり」はなくなり、「『崖』を読み進んで来た者の目には、これはやや異様のものと映る」句が展開されていることを指摘する。そして章も魚目の芸術鑑賞経験に触れ、前衛芸術からの影響を見出す。

  自動車解体こほろぎ産卵管を地へ  『秋収冬蔵』

  馬頭すでに物体(オブジェ)波打つ堀の雪  『同』

 しかし、章はこれらの句の間に、後に魚目俳句の特徴となる世界への欠片を見出す。
 
  秋水を魚落ちゆけり人の息  『秋収冬蔵』

 蚕具焼く火に雪嶺の線揺ぐ  『同』

 章によれば、魚目の世界が確立するのは1970年からである。ここには二つの特徴があると言う。一つ目は、虚実の間の〈波紋〉を的確に把捉していること、二つ目は、〈生のいつくしみ〉の原理が貫いていることである。前者は、魚目俳句で描かれる広大な世界に対し、その確かさを保証する何ものかが添えられる特徴を示すものである。また後者は、自然の中に人や小動物を描くことでその命を際立たせることを示すものである。

  桟や花眼に氷る石の数  『秋収冬蔵』

  古桜昼夜わかたぬ雪の中  『同』

  馬もまた歯より衰ふ雪へ雪  『同』
 
 以上のように、魚目俳句には『崖』と『秋収冬蔵』の間で転回が見られる。しかし、それは「年齢の成熟」という単純な成長によってもたらされたものではなく、魚目個人の格闘の結果なのであった。

3.魚目に対する批判

 ここまで取り上げてきた論考は魚目の転回をその世界観確立の契機として好意的に捉えるものであった。こうした中で、夏石番矢(1979)は魚目を批判的に捉えた(発見し得る限り唯一の)論考を寄せている。
 番矢は『秋収冬蔵』を初めて読んだ時、そして再読してもなお感じる「すっぽかし感」を語る。ここで番矢は魚目俳句に魚目の個人的な「思い入れ」が挿入されていることを指摘する。曰く、魚目俳句には「伝統俳句によくみられる〈自然〉への帰依のパターン」がある、しかし、ここで描かれる自然は「〈自然〉そのもの」ではない、と。

  空蟬をのせて銀扇くもりけり  『崖』
  
  山はなれくる雪片に菊にほふ  『同』

  冷ゆる戸を出でてはさくら下刈に  『秋収冬蔵』

  夏闌けて硯やすらふ水の中  『同』

 人は何らかの〈共同体〉のイデオロギーを通して自然を把握するものであり、魚目もその例外ではない。しかし魚目俳句は魚目の極めて個人的な「思い入れ」が差し込まれるがゆえに〈共同体〉からも「疎外」されてしまっている。例えばそれは、特定の「銀扇」であり、特定の「雪片」であり、特定の「」であり、特定の「」に依拠している点であろう。こうした〈共同体〉を超えた「個」としての経験を他者と共有することは難しく、また、この経験を通して描かれる自然は「偽」に過ぎない。以上が番矢の指摘である。
 ここから番矢は、〈共同体〉に縛られることを本性とする作家は「世界=全体性の此岸にいる地点から俳句を書いて」いくことに自覚的であるべきだと考える。番矢はこの立ち位置に立った作家として虚子を挙げ、この地点からの句作が可能であることを導く。一方で、魚目俳句のようなスタンスに対しては、「〈自然〉への帰依とも言うべき態度は、おのれの立つ地点を見きわめず、対岸へ飛ぼうとする「いま」「ここ」からの逃避であり、その企図の矛盾は初めから胚胎している」、「世界=全体性に近づくためには、作品行為を、世界=全体性との対抗力をうける地点で遂行しなければならないだろう」と批判するのである。
 
4.魚目を学ぶための問いを立てる

 以上、総合誌で語られる魚目像をかいつまんで来た。ここまでで触れて来た内容を簡単に振り返れば、①魚目俳句は一種の「静謐さ」を持っている(澄雄)。②魚目俳句の「静謐さ」の背景には、「虚」としての広大な世界を支える「実」があり、また、虚実の組み合わせを通して「生へのいつくしみの原理」が貫かれている(章)。一方で、③魚目俳句は個人的な「思い入れ」が支えており、そこで描かれる世界あるいは自然は、その思い入れを共有しない他者には理解しえないばかりでなく、偽の世界、自然にすぎない(番矢)。
 このようにまとめた上で、最後に魚目を読むための問いを作り出そう。

 (1)第二句集『秋収冬蔵』以後の魚目俳句とはいかなるものか?
 『秋収冬蔵』以後の魚目を論じるものは少ない。もちろん、第三句集『天地存問』以降に発表された論考も存在するが、『魚目句集』が出版されている今、より体系的・全体的な追究が可能となっていることも確かである。一般に膾炙している魚目俳句は澄雄や章に沿って理解されているように思われる。しかし番矢の批判が世に存在している以上、「偽」と指摘された魚目俳句の世界観の維持は相当の思想的・方法論的立場を持ってその地場が固められているのではないだろうか。

 (2)魚目と「青」あるいは波多野爽波をいかに結びつけるか?
 武藤紀子(2019)は魚目の「最後のインタビュー」として興味深い内容を語る。この記録は魚目にとっての「青」あるいは波多野爽波に興味を持つきっかけになった(素朴に読めば、爽波へのネガティブな言説が取り上げられている)。一方、大串や中村は「青」時代の俳句を並べることで、『崖』から『秋収冬蔵』までの転回を読み取っているという背景もある。そして魚目はその後も長く「青」に所属した。このような魚目の経歴に触れ、最後のインタビューに触れ、では、魚目にとっての「青」や爽波とは何なのか。

 (3)魚目はどう論じられたか?/魚目は何を論じたか
 この問いは上記の二つとはややニュアンスが異なっている。本稿は総合誌に寄せられた論考の一部に限った検討をしているに過ぎない。一方、結社誌にまで目を広げれば、語られる魚目像、あるいは鑑賞される俳句も多様化することが期待される。さらに、魚目を以上、魚目俳句、そして魚目の言葉にも耳を傾けなくてはならない。例えば、中村の著作は出版当時までに世に出ていた第六句集まで、そして結社誌や総合誌を読んだ上で書かれたものである。もし中村の研究に何か付け足すことができるとすれば、あるいは描かれきれなかった魚目とはなんだったのだろうか。

 以上三つの問いをもって、本稿を閉じることとしたい。



資料集(★は収集中)
森澄雄(1973)「宇佐美魚目氏に期待する」『俳句 5月号』、角川書店。
大峯あきら(1973)「白き「時」の裸形」『俳句 5月号』、角川書店。
大串章(1977)「宇佐美魚目論」『俳句 2月号』、角川書店。
岡井省二(1979)「風信春秋」『俳句研究 6月号』、富士見書房。
飯島晴子(1979)「宇佐美魚目掌論」『俳句研究 6月号』、富士見書房。
島谷征良(1979) 「宇佐美魚目掌論」『俳句研究 6月号』、富士見書房。
夏石番矢(1979)「宇佐美魚目の対岸からの吃音」『俳句研究 6月号』、富士見書房。
友岡子郷(1980)「宇佐美魚目と『崖』」『俳句研究 4月号』、富士見書房。
前田直子(1981)「宇佐美魚目」『俳句研究 9月号』、富士見書房。
大串章(1989)「魚目さんの俳句」『俳句 8月号』、角川書店。
飯田龍太ほか14名(1989)「『草心』の一句」『俳句 8月号』、角川書店。
中村雅樹(2008)『俳人 宇佐美魚目』、本阿弥書店。
★中西夕紀(1999)「宇佐美魚目「美と魂」」『俳壇 9月号』、本阿弥書店。
★??(2010)「ブックレビュー・宇佐美魚目『松下童子』」、『俳壇 7月号』、本阿弥書店。
武藤紀子(2019)「存問の心」『俳句 1月号』、KADOKAWA。
中村雅樹(2019)「分かってたまるか」『俳句 1月号』、KADOKAWA。
中村雅樹(2019)「永遠の景」『俳壇 1月号』、本阿弥書店。
武藤紀子(2019)「最後のインタビュー」『俳壇 1月号』、本阿弥書店。
榎本好宏(2019)「魚目さんと森澄雄のこと」『俳壇 1月号』、本阿弥書店。
中西夕紀(2019)「七十代の魚目先生」『俳壇 1月号』、本阿弥書店。