「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評164回 J-POP的な俳句 谷村 行海

2023年03月30日 | 日記
「この俳句は歌詞のようなのでとれなかった」
 句会でこのような評を聞いた人は少なくないことと思う。句会に出てきた俳句をとらない理由を求められた時、私自身もこのような発言をすることはある。演歌にしてもJ-POPにしても、七五調や五七調のリズムの良さを生かした歌も数多く存在するため、既存の曲の言葉や内容と俳句の内容に近しいものがあるとそのように思わされるのかもしれない。
 さて、そのような歌詞に似たタイプの俳句だが、中高生の俳句に多いという話が先日、とある句会のなかで出てきた。そして、その歌詞は特にJ-POPよりだと。確かに、私が高校生だった十年以上前のことを考えてみても、そのようなものは多かったように思う。俳句甲子園しかり、高文連しかり。俳句を詠み始めた時には、身近にある言葉としてどうしても歌詞に内容が近くなってしまっていたのかもしれない。
 そこで、今回はどのようなときに俳句をJ-POP的だと感じるのかを考えてみたい。
 しかし、何がJ-POP的かそうでないかの判断については、主観による面も少なくない。そのため、ある程度の客観性を持たせるため、歌詞検索サイト「歌ネット」を利用し、俳句の中に表れた言葉に類似するものを検索(以下のヒット数はすべて2023年3月30日時点の数)し、それがいくつくらいの歌に含まれているのかをデータとして参照していく。それらをもとに、J-POP的な俳句は何を詠うのかを考えていきたい。その際、直近で行われた高校生向けの俳句コンクールとしては俳句賞25があるため、俳句はそれらを引用することにする。なお、あらかじめ断っておくが、今回はJ-POP的な俳句とはどのようなものかを検証するもののため、句については鑑賞を行わないこととする。


【恋&相手は「君」と表現】
君からの第二ボタンや春の夢 佐野史絵那
夏の日の最高気温君の笑み 今村美月
初夢や縁起物より君の顔 佐野史絵那

君の笑顔は自由だったそんな君に夢中だった(FUNKY MONKEY BABYS「告白」)
方までもう少し本当の君の顔が見える愛してたい(BiSH「SPARK」)
切の向こうの君に向かってずっと言いたかった僕の想いよ通り過ぎる電車にかき消されたって君に届くと信じている(AKB48「どうしても君が好きだ」)

 圧倒的に多いのは恋愛を扱ったもの。特に、その対象は「」と表現されがちだ。上述の「歌ネット」で「君 好」とだけ検索をかけてみても、なんと21939件もの曲がヒットする。引用した三句の中にも登場した「君の笑」では4069件、「君の顔」と検索してみても1156件がヒットした。「成就した恋ほど語るに値したいものはない」とは森見登美彦の『四畳半神話大系』のなかの言葉だが、まだ成就していない恋だからこそ「」と表現しているのかもしれない。


【恋は先輩に】
先輩を奪っていった春疾風 藤枝杏里
卒業や置いてけぼりの一歳差 原口愛梨
大好きを伝えそびれて鰯雲 榎本佳歩

年下なんてダメですか? 長い髪好きなんですか? 彼女候補にどうですか? センパイのことが好き(HoneyWorks meets TrySail「センパイ。」)
「実は先輩が好きだ」って内緒頭の中ホワイトな感情(Eve「あの娘シークレット」)

 その恋愛のことだが、先輩とのことが句にされやすいようだ。確かに、卒業は学生生活の一大イベントである。J-POPでなくとも、ジャンルを問わず、恋愛をテーマに扱った作品では先輩に恋をするものが多い。実際のJ-POPでは「先輩」などと直接に歌うものこそそこまで多くはなかったが、「ラブソング 先輩」などでネット検索をすると、様々なサイトで先輩を歌ったラブソング特集が組まれていた。


【返信から生まれるストーリー】
返信のできないままに秋の蝶 植原拓巳
春時雨伏してLINEのバイブ待つ 蒋騰

なにかの詐欺の手口ですかって思って痙攣からの返信に挑戦(千賀健永「Buzz」)
もっと返信はやくしてよ行きたいとこ考えてよ我慢することが増えていった(Hey! Say! JUMP「ビターチョコレート」)

 それらの恋から派生してだと思うが、LINE等での返信のやり取りを詠むというのもJ-POP的俳句の特徴であろう。「返信」だけで検索をかけると、その数は228件。しかし、「LINE」で検索すると、その数はなんと3772件となった。LINEが普及したのはここ10年ほどの出来事である。年に400件弱のペースでLINEが歌詞に登場する歌が生まれているのだ。日本では和歌における返歌などが古来よりあった。その影響かはわからないが、相手からのメッセージは今もなお待ちがちであると言える。


【青空】
行く秋やまた遠くなる青き空 伊藤音々
ラムネ瓶かざして見たる空の青 新堀笙子

空の青を隠す雲が千切れて晴れ渡ってゆく(Aquq Timez「1mm」)
元気ですか? 会いたいですか? ラムネ色の空を見上げてます(川嶋あい「暑中お見舞い申し上げます」)

 空を詠むとき、青空が出やすいのも特徴と言えそうだ。「青 空」で検索すると17458件もの曲がヒットする。しかし、「雨 空」で検索しても15283件と匹敵するほどの数の曲は出てきた。これは完全な主観になるのだが、青空のほうが詠われやすいのはこれまでの俳句の歴史があるせいではないか。俳句は極楽の文学であるとは虚子の言葉であり、青空と曇天とを見て良い気持ちがするのは一般的には前者。ゆえに、曇天よりも青空が多く詠まれ、その詠まれる数の多さのゆえにJ-POPとどこか一致する句が目立ってくるのではないか。


【過去を振り返る】
福寿草空を見上げる記憶あり 佐々木彩乃
雪野原幼心に駆けた日々 藤田翔琉
思い出をラムネの瓶に詰める夜 砂長陽咲

別々の空を持って生まれた記憶を映し出す空(Aqua Timez「虹」)
波打ち際を駆ける子供たちの群れ二人にもこんな時があったはずなのに(GLAY「Blue Jean)
何回ラムネでカンパイ(中略)時が経っても色褪せない思い出よ想い出を君と作ろう(ケツメイシ「夏のプリンス」)

 過去を振り返るのは文学においてよくあることだが、J-POPにおいても多い。例えば「思い出す」とだけ検索しても7782件がヒットした。様々な経験の流れの中で今があるわけなのだから、過去を振り返る場合には工夫を凝らさないとJ-POP的と解釈される恐れがありそうだ。


【オリオン】
電線に絡むオリオン信号は青 佐藤昊世
後悔も憂ひも弾くオリオン座 平賀瑛汰

ふとした瞬間に見えた夜空はあの日のまま都会ではオリオンが妙に目立っています(アンジュルム「Forever Friend」)
ずっと一緒だって約束が解けないようにオリオンを見上げ想い込めた(伊藤かな恵「オリオンに約束」)

 これは冬の季語であるがために仕方ないことだが、オリオン座が詠まれがちである。ただ、J-POPに目を向けてみても、「オリオン」は検索すると368件の歌がヒットする。他の有名な星座である「カシオペア」は76件、「アルタイル」は72件であり、圧倒的に星座ではオリオンが歌われやすい。季語であるから俳句にオリオン座を詠むのは普通のことではあるのだが、J-POPに星座の中ではオリオン座が歌われがちであるとなると、句を作るときにJ-POP的と解されないよう意識する必要がありそうだ。ちなみに、同じ冬の季語であり、もっと広く解釈をできる「冬の星」で検索すると185件しか歌はヒットしなかった。


 以上、第六回俳句賞25の応募作品の中からJ-POP的と解釈できそうな句を見てきた。今回は具体的な場面に視点を置き、どういう場面の時にJ-POPのようになりそうかを考えていったわけだが、冒頭にも述べた通り、何をJ-POP的と思うかは主観による部分も大きい。そのため、単純に句のなかのフレーズがJ-POPのようだと感じる場合もあるだろう。だが、中高生に限らず、作った俳句が既存のもの・言葉と一致しないかを突き詰めるのは、表現を行う者として絶対に考えなくてはいけないことだ。
 ちなみに、今回これを書こうと思うきっかけになった句会で、中高生の俳句にJ-POPに似た俳句が多いと発言したのは、学生向けのコンクールの選者をしている方だった。歌詞のようでなければ(既存の言葉のようでなければ)、もっと上に選べる句もあるのにとも言っていた。自分が中高生ではないからといって、決して他人事と思ってはならないことだ。

俳句評 黒田杏子さんのこと① 森川 雅美

2023年03月25日 | 日記
 3月18日突然の訃報が新聞に掲載される。俳人黒田杏子さん急逝の記事。私は2年ほど前に黒田さんを俳句の師と定めていたため、突然の死は大変ショックだった。11日に山梨県で「飯田龍太」に関する講演をし、翌日甲府市内で倒れ入院し、13日には帰らぬ人となった。
 俳句結社「藍生」を主宰し、現在最も活躍している俳人の一人だった。1982(昭和57)年に第1句集『木の椅子』(牧羊社)により現代俳句女流賞および俳人協会新人賞を受賞。その後5冊の句集を刊行し、俳人協会賞、桂信子賞、蛇笏賞、現代俳句大賞など多くの賞を受賞。さらに、エッセーなど優れた散文家でもあり、2002(平成14)年角川選書として刊行され一昨年コールサック社から増補版が出版された『証言・昭和の俳句』は、昭和に活躍した長命の俳人のインタービューを独白に書き換える独自の文体で、昭和の俳句の歴史を当事者の証言として伝える名著として知られる。また数知れない選考も務めるなどパワフルなまさに八面六臂の活躍をされ、現在の俳句のトップランナーだったので、亡くなるにはまだ若いと思ってしまった。しかし、享年は84歳であるうえ以前にも脳の疾患を患っており、俳句を伝えたいという思いがパワフルな活躍となり体への無理が募っていたのだろう。まさに現役往生、最後まで俳人、俳句の伝道者だった。
 私は黒田さんに「あなたは伸びるから俳句をやりなさい。詩人は言葉が分かっているからすぐに伸びる」と誘われ、1年半くらい前から「藍生」にも参加したが、その「藍生」に毎号発表される俳句は、もちろん商業誌に発表される俳句もそうだが、「書けばすべてが俳句になる」という、神業的だった。いま手元にある「藍生」最新号3月1日刊行号の「蜆汁十四句」から引用する。

ダイヤモンド婚に到達蜆汁
選句選評は天職蜆汁
老いて二人記憶の宝庫蜆汁


 なんでもない句だが見事に俳句になっている。もちろん簡単に書いたわけではないがまったく無理なく自然であり、俳句の息遣いを知り尽くした者だけがたどり着く、人を越えた大きなものへの挨拶句に思える。「平易でいて奥が深い、こんな俳句は書けない」と思わざるを得ない。五七五という短い言葉に実に長い時間があり、それを現在の一点に終結させる。黒田さんは「俳句は言い切り」とおしゃられていたが、まさに究極の言い切りであり、そこからは世界は微動だにしない。
 もちろん、初めからこのような俳句を書かれていたわけではなく、言葉と言葉がスパークするような困難な試みと、巡礼などの多くの事物と積極的に出会う足の動きがあり、始めてこのような境地に至れたのだろう。第一句集が40代であるため黒田さんの俳人といての活躍は、40年強と意外に短く、還暦前の前半期といえる代表作をいくつか引用する。

白葱のひかりの棒をいま刻む(『木の椅子』)
能面のくだけて月の港かな(『一木一草』)
稲光一遍上人徒跣(同)

 このような俳句を読むと、いかに困難な言葉の試みを繰り返し、境地に似た俳句の体力を鍛えてきたかよくわかる。1句目は高田正子『黒田杏子の俳句』(深夜叢書社)によると、1977(昭和52)年、37歳の時の作ということであり、若い感性が素直に流れている。「白葱」を「光の棒」と捉え「刻む」感性は並ではなく、後年の境地に至る第一歩ともいえる秀句。後の2句は1995(平成7)年に刊行された句集に収められ、まさに困難な言葉の探求の足跡ともいえる2句。
 2句目はまず「月の港」の修辞がいいが、さらに素晴らしいのは「能面のくだけて」だ。この言葉がどこから出てきたのだろうか。金子兜太は「造形俳句六章」で以下のように述べている。「意識の活動にとって、さらに重要な要素を付け加えておく必要があります。それは想像力(イマジネーション)です。感受と素行だけでは、所詮狭い論理の世界に止まるしかないですが、想像力が加わるとき、それは拡大され深化します」 この兜太の言葉は引用の俳句の言葉の動きを考えるのにぴったりだ。「想像力」が感受や思考を見事に具現し、絶対に動かない世界となる。3句目はより複雑だ。まず、「一遍上人」がいて、普通は思いつかないが「一遍上人」の生涯が端的に浮かぶ「徒跣」という言葉が置かれ、さらに「稲光」という一瞬に全体を光らす言葉。まさにな複数の世界が乱反射するような、「想像力」が紡ぎ出す言葉の積み重ねに裏打ちされた、誰にもたどり着けない揺るがない世界だ。短い中で言葉は何度も切断と接続を繰り返している。
 還暦以降の後期においては、そのような複数の世界を孕む言葉の動きは保たれたまま、現れる言葉そのものは角が取れたように丸くなり、困難な言葉の試みは露出しなくなっている。また句を引用する。

いちじくを割るむらさきの母を割る(『花下草上』)
蕗のたう母が揚げますたすきがけ(『日光月光』)
鮎のぼる川父の川母の川(『銀河山河』)

 黒田さんは晩年に近づくほど家族の句が多くなり、特に母を描いた句に秀作が多いため、後半期の3つの句集から母に関する句を引用した。まったく難解な部分はなく一読さらりと読めるが、よく読むと一筋縄ではいかない複雑な言葉の動きがある。
 1句目は2005(平成17)年に刊行された句集からであり、書かれている内容にどきりと驚くが、先に引用した2句に比べると、言葉の切断は目立たずスムーズだ。「いちじく」から「むらさきの母」のイメージは無理なく移行する。「むらさきの母」というのも「いちじく」からの印象の連鎖だろう。しかし、「想像力」はここでは止まらない、「むらさきの母」という何とも奇妙な造形をする。「むらさき」には内向的だが強いイメージがあり、古くは高官の着物を「紫衣」といったように、高貴という印象もある。「むらさきのは母」は「高貴な母」、「地母神」というイメージにもつながり、「割る」行為は子は親の栄養を食らいながら生きるという、延々と続く親と子の関係まで想起させる。2句目は2010(平成22)年刊行の句集だが、これも二つの異なる時間のイメージが重なる。鮮やかな一人の母の記憶が立ち上がるのと共に、やはりここにもっと長い永遠にも近づく母の時間がある。「」と書かれることにより、「」は客体として現れ、中七で「ます」という丁寧な言葉で切ることが「」の造形をさらに強くし、「たすきがけ」が神聖なもののように輝いて浮かぶ。そのようないくつもの時間を繋ぐのが、「蕗のたう」という女たちが延延と料理してきた春の植物であり、古語の表記も活きている。3句目は2013(平成25)年の句集。「」、そして「」も個別であるとともに、神話的な自然と未分化な創造神のような側面を感じさせる。「東日本大震災」の翌年の刊行であり、あるいは祈りも入っているのかもしれない。
 かなり雑でおおざっぱな見方でしかないが、黒田さんの句がいかに何気ない景を描きながらも、原初の神話性と繋がっているのは間違いない。だからこそ、一瞬の現在や記憶の景を描きながらも、永遠に近づく普遍的イメージも想起させる。もちろんこのような言葉は一昼夜にできるものではなく、俳句を一生の仕事と定め絶えず俳句の反射神経を鍛えていたからこそ現前できたのだ。
 これからさらにどのような世界に発展していったのか、そう考えると急逝は残念でならない。