「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第132回 「枷ある時代」(谷口智行編 『平松小いとゞ全集』を読む)  叶裕(里俳句会、塵風、屍派)

2021年02月03日 | 日記

  紙白く書き遺すべき手あたゝむ 平松小いとゞ

 なんという静かな絶唱か。惜別。昭和十九年正月、青年は最期の帰省中どんな思いで掲句をのこしたのだろう。平松小いとゞ。ぼくはこの句を生涯忘れないだろう。

 長野県上田市に異様な名を冠した美術館がある。「戦没画学生慰霊美術館 無言館」。第二次大戦中に志半ばで没した画学生の慰霊を目的とし、画家窪島誠一郎氏により建てられた。窪島は野見山暁治氏と共に全国を巡り、遺族を訪問しながら今も遺作を蒐集し続けているという。素晴らしい収蔵品の中には保存状態が劣悪な為か大きく破損したものがあり、子供を戦地で亡くした親の無念と現実を直視できない長い長い寡黙な時間を雄弁に物語る。「無言」それは志半ばで戦死した画学生の悔悟と怨嗟の色を帯びている。

 戦死した若者の中には無論俳人も含まれていた。戦後虚子の手により出版された『五人俳句集』には平松小いとゞ、淸水能孝、日野重徳、菊山有星、上田惠という京大俳句会第四期の精鋭五人の句が惜しまれつつ記されている。ホトトギスの巻頭を競う彼らの句に当初あった均整のとれた瑞々しさは逼迫する戦局に次第艶を失ってゆく。昭和二十四年刊「きけわだつみのこえ」には入営後の菊山有星の声が記されている。学業、句業が頓挫し戦争という異様な状況に置かれた菊山の素直な疑問や諦観、忿懣がありありと記されており、次第に摩耗してゆく心情を記している。

  ふるさとの祭や父母はいかにますか 菊山有星

 ここには戦地にあって死を予感しながらも俳句にのみ里心を吐露する菊山がいる。

 小いとゞの一歳下に村上千秋という俳人がいる。作家村上春樹の父である千秋もまた京大俳句会から野風呂に師事したホトトギス直系の俳人であり、生まれ育った場所は異なれど小いとゞと似た経歴を持っている。春樹は著書「猫を棄てる 父親について語るとき」に反発から疎遠となっていた晩年の父との対面を吐露している。千秋は昭和十三年夏に応召、翌年九月に帰還。再び昭和十六年に軍事公用として召集されるも数ヶ月で帰還を許されている。「きけわだつみのこえ」には当時理系学生は前線に出るより積極的に除隊復学をさせ、後方から国の礎となるべしという軍の不文律があったとの記述があるが、文系であった千秋が何故上官から度々帰還を許されたのか、今となっては分からない。春樹には毎朝小さなガラスの仏へ読経する父の記憶があると言う。戦友、学友への手向けと戦争被害者、敵として刃を交わした人々への慰霊と生き残ってしまった自らへの戒めだったのだろうか。戦争は関わった全ての者に重い枷を科すのだ。

 編者谷口智行氏は熊野に根差す俳人である。今般出版された『谷口智行編 平松小いとゞ全集』は同郷で不幸にも夭折した小いとゞへの鎮魂、慰霊だけでなく俳句史に欠けていたひとつのピースを見事に埋める事に成功した。この本に携わった人達は窪島誠一郎氏と同じように小いとゞを介し戦没学生俳人達の無言をここに結晶させたのである。

 無言館のそばには「檻の俳句館」と「俳句弾圧不忘の碑」がある。ぼくは学生らの作品を檻に入れるという当館の政治的演出に不快と違和感を覚えるが、その根底にある慰霊と自由への希求には大いに共感する。「俳」(はい・わざおぎ)とは生臭い政治や戦とは対義的な語である事をぼくら俳人は決して忘れてはならない。

 六月五日は小いとゞの命日であり、冒頭句から「白紙忌」と呼ばれていると言う。いつかこの日に小いとゞの墓を訪い、手を合わせたいと思っている。