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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

川柳時評16回 デッキをつくろう! 雨月 茄子春

2025年06月04日 | 日記

 雨月茄子春です。
 湊圭伍さんからバトンを受け取り、川柳時評を担当することになりました。
 今回のバトンは二分割で、もう一方は西脇さん。時評は1年間、全4回、テーマは自由だそうです。
 まず相手の西脇さんの紹介をしますと、「海馬万句合」大賞句の

川を見てたらなにもかもおれだった  西脇祥貴

(題「たちあがると、鬼である/中村冨二」)

 であったり(名前はよしたか、と読みます)、

発火少年ずるる天地を投げ明かす
大陸交換絵日記 ここに眠る
最高のねぐせは麦の島である
流刑地の流刑うどんと流刑そば

 といった句を作っていて、WEBメディアsaloonsや『川柳スパイラル』で連載も持っている方です。博覧強記で朗らか、弁も立つ新進気鋭の川柳作家さん、といったところです(4句はササキリユウイチのnote「川柳句会ビー面」記事から)。
 課題意識や観測範囲など、共通するところは多いと思いますので、お互いの時評を見比べて楽しんでいただければ嬉しいです。
 (ここまでは西脇さんと打ち合わせして、お互いの他者紹介をするという導入にしました。雨月はどんな紹介をされてるのか。良い句引いてくれ!)

 現代川柳は二種類の「私」の仮構が鍵になると思っています。
 一つ目は、前句的セルフプロデュースをされた「私」の仮構です。アイコンや名前、言動、他の自作品が持つ前句としての機能は避けて通れません。逆に言えば、高い精度でこれらを統御することで、前句として効果的に機能させることが可能になります。
 正直川柳それ自体、川柳一句というものの力を信じるのであれば、この観点はかなりしょうもないものだと思います。しかし、個の「川柳作家」として自身を立ち上げる場合、想定される/されない読者へのはじめましての扉として、この点はちゃんと検討していかないといけないと思います。
 二つ目は、言語運用の主体たる「私」の仮構です。語彙のクローゼットから言葉という洋服を選び出し、思考というコーディネートをした結果として、言語運用主体が見えてきます。より簡潔に言えば「語彙の選択の範囲」をどうするかという問題で、前句的セルフプロデュースを商品のパッケージだとすれば、商品の原材料をどこまで絞れるか、というところになります。
 この観点から、前句的セルフプロデュースで仮構されたパーソナリティーに頼らない作家性の検討が可能になります。直観ですが、これは絞れるだけ絞った方がいい。今後重要になるのはこちらだと思います。

 これらは明確に分かれてはおらず、相互に関わり合って川柳はできあがっている。

 それで、この二つの観点、「前句的セルフプロデュース」と「言語運用主体」をもとにサラリーマン川柳について考えてみます。

 サラ川ではもともと「共有されたサラリーマン像」という看板を前句的に扱って読みやすさを担保する、という方法が採られていましたが、現在は看板を掛け替えて「時事詠」的な、もっと広い共感の川柳を募集するようになっています。
 2025年5月29日に公開された「2024年サラっと一句! わたしの川柳コンクール」では、投票によって決まる1位から100位の川柳と併せて「家庭」「職場」といったカテゴリーに分けたものや、「あなたのふくおか自慢(福岡県)」など全国の自治体がテーマを設定して募集するものもありました。この看板の構築を個人単位で行うことが前句的セルフプロデュースに当たると思います。
 一方で、言語運用主体についてはどうでしょう。サラ川は多行書き・わかち書きで、ほとんど句またがりがありません。これによるリズムの統一や、公共的な語彙の活用は、ある種サラ川的な言語運用の主体像を構築していると思います。「サラ川」にはなにかしらのルールが働いていて、それが切り捨てているものを見つめたときに、この言語運用主体の輪郭が見えてきそうです。ルールの設定の核は、内部の構築ではなく外部の遮断にあります。これは個人の名を冠した作品を鑑賞する際、あるいは句集を作る・読む際に意識されるものです。

 んで、いちばん聞きたかった暮田さんの言ってたことで印象にのこったこと。

・川柳はサラリーマン川柳のイメージが強く、以前はそれが嫌だったけど現代川柳を説明するときに「サラ川とぜんぜん違う」って言ってもらえるから、その恩恵をうけてた。

(公共プール「記念シンポジウム「詩歌の未来を語る―越境の時代に」を聴いてきたよ」note、2025/5/26)

 2025年5月24日に日本現代詩歌文学館で催された第40回詩歌文学館賞贈賞式の記念シンポジウム「詩歌の未来を語る―越境の時代に」での暮田さんの発言にある、「「サラ川とぜんぜん違う」」とはどういうレイヤーでの違いなのか、を考えています。

現代川柳において「思い」の時代から「言葉」の時代に遷移したと言われています。「思い」の時代では、感情や思いを表現する道具として言葉を使い、作者の感情に見合う言葉を探していく形で川柳が作られています。一方で、「言葉」の時代では、言葉をいったん表現する道具という役割から解放し、言葉の組み合わせによってまったく新しい世界を作り上げる形で川柳が作られています。

(暮田真名「現代川柳界、期待の新星は早大院生 句集『ふりょの星』出版」早稲田ウィークリー)

言葉の組み合わせによってまったく新しい世界を作り上げる」ということ。逆に「言葉の組み合わせによって世界を作り上げられていない」ものは何なのか。私は暮田さんの句を読むと、ほとんどのときに小学校の教室っぽい場所が景として浮かびます。この景は「新しい世界だ」と思うけど、「サラ川とぜんぜん違う」と言えそうだし、同じとも言えそうです。

 ああ、でも学校って、何かから切り離されているものだから、そうなのか。

二人を見ていると、いままでに誰も言っていないことしか言ってはいけないのだとわかった

(暮田真名 ネットプリント「石になったの?」vol.1)
※二人は我妻俊樹、平岡直子のこと。

 暮田さんは「新しい世界の会話」を目指しているのではないか、と近ごろの作品を見ると思います。

 2023年の「川柳を見つけて―『ふりょの星』『馬場にオムライス』合同批評会―」で印象的だったことを思い出しました。

「……下手だよね」
(川合大祐 上記批評会にて)

 私は笑っていましたが、それはあまりにも褒め言葉すぎるからで、時間が経ってもずっと記憶に残っています。
 ここで用いられた「下手」という尺度は、作品の強度がありつつも、批評の言葉が足りていないために私たちがその魅力を引き出せていないということを感じ取った川合さんのもどかしさから出てきたものである……。

作品の強度がありつつも」というところが重要です。
 これは俳句における季語、短歌における七七に対して川柳が持っている前句という特性、もっと言えば「川柳における私性」に関わっていると見ていて、結局は言語運用主体の話につながると思います。

下手」に関する提起は、川合さんの第三句集の前にした私たちをギラギラと照射しているようにも思います。

解剖台ビスケットGO! GO! GO!
削除して牛乳時代
とどめに紫式部かさぶた式部のリビドー

(川合大祐『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』書肆侃侃房、2025年)

 『ザブザリ』は膝をポンと打つような表現であったり、目の覚めるようなポエジーだったりというものを志向してはいない印象。挙げた句はその中でも比較的他者に紹介しやすい句だと思います。勢いとか必殺技感が重要なのかな。
 しかし、現状「これだ」という批評の立場や用語はまだできていないように感じています。
 ところで、ササキリ句集を「下手」と言った折に、良かった句として川合さんが挙げた句は私も好きでした。

このあいだ〈現実公園〉で寝てた

(ササキリユウイチ『馬場にオムライス』私家版、2022年)

 ところで好きな句を百句挙げるのってすごくいい。
 最近郡司さんがブログ内でこの試みをやっていて、なんだかカードゲームのデッキづくりみたいでした。

 つまり、よく目にするミーハーな句が並びます。つまり、規模のある媒体に載った句や友人知人の句が多く並びます。抜いている句は書店で買えた本(雑誌、個人句集、アンソロジー)と、観測できた範囲の同人誌、各自がネットで発表したブログなどから

(ぐんじ「現代川柳、と聞いて特にひねらず思い出す自分にとってベタな100句を、思い出すままに書いていく(2025年4月時点)」遠い感日記 2024/4/28)

 これを受けて、nesさんも百句をまとめていました(nes「私にとっての現代川柳100句」note、2025/5/30)。
 秀句観が強化されることにもつながっていますし、「この傾向の人が選ぶ・作る句」という形が独立性の高い川柳には合っているのではないかと感じました。それこそ「柄井川柳選が良いよね」みたいな風に、川柳の発端にも通じるところがあるかと思います。

 ていうか川柳ってそれぞれがアンソロジーを作ってナンボでは?

 みんなのアンソロジーを集めたアンソロジーを読みたい。

 ひとまずはこの辺で。

 西脇さんの第一回と、バトルだ!

 判者は、もちろん、あなたです。

 ラビュー。


川柳時評15回 川柳バズった(で、どうした) 西脇 祥貴

2025年06月01日 | 日記

 はじめましてこんばんは、西脇祥貴と申します。今回から雨月茄子春さんと二人で、川柳時評やらせていただきます。よろしくお願いします。
 しかし雨月さんと二人、こころづよすぎる。

ハートのアーティスト、ハーティスト     雨月茄子春

 みたいな句を川柳始めた頃に出しといて、いまなおそのソウルのまま、そのソウル濃くして、やり続けてるひとですから。

許されたあとも立ちたい良い廊下       同
はい誤謬発見お前ん家江戸城
モルモットのホットケーキ モットケーキ
柵の中に ゆゆ、入るなって言ったでしょう

 チャレンジングで人懐っこく、そういうことを無縫にできるだけの体幹が伴っている。短歌もバンド(「大丈夫」というバンドでボーカルとぬいぐるみを担当)も好調だし、多彩な活動を並行できる、プロデュース視点の持ち主でもある。
 そんな雨月さんが先ごろ発表された超きゃわ句集『おともだちパンチ』もまじグルーヴィで、上に挙げたとおりの珠玉満載。句集の体裁も、パステルイエローな表紙絵、小ぶりなサイズ感と、どこを取ってもきゃわいい。こんなん必携です。
 ……と、ここまでは雨月さんと打ち合わせ済、お互いの紹介による導入でした。雨月さんなんて書いたかな。

 さて本題です。
 時評と言えば、ずっと引っかかっていることがあります。
 それは前任・湊圭伍さんによる川柳時評(12)「安定か、嵐の前か」(2024年07月29日掲載)で、こんなことが書かれていました。

 川柳EXPO 2024』、『さみしい夜の句会 第Ⅲ集』、「zone川柳句会 vol. 100記念句会」と読んでみて思うのは、このよく混ざった感じとして、近年にネットを舞台に川柳を始めた人たちの句がひとつの安定したところへ収まりつつあるのではないか、ということだ。ほんの2、3年前は個々の作家、さらには個々の作家のそれぞれの作品も、どっちに向かっていくかまったくの不明で、それが面白くもあり、危なっかしくもあったのだが、今は、川柳というジャンルとして、それ以前から川柳を書いているメンバーと比べても特に違和感なく読め、納得ができる。
 ここから個々の作家が突出して飛び出していくこともあるだろう。だが、より期待したいのはこのぼんやりとした、ただし、一定のレベルを言語表現として継続して生み出すようになったまとまりが、全体としてもっと新しい方向へ転がり始めることで、それが起こるとすれば、それほど先のことではないだろうなと考えている。

  川柳どう転ぶだろうか、と折に触れ思ってしまうのです。
 おそらく安定はまだ続いています。数年前に望まれていた「短歌・俳句とおなじくらい川柳を目にする機会を増やす」という目標は実際、増やす、という点でいえば好ペースで達成されつつあるし(広く目に触れているかは別として)、それはひとえにやるひとが増えたおかげです。文フリとかの出店数で比べたら全然ですけど、こういうのが多い即良い、というのでもないのはおなじく湊さんの『番傘川柳一万句集』を読む時評の、「よいと思える句を探すにはなかなか骨が折れる」にも明らかでしょう。

 そう思えば川柳、もうバズったのかもしれない。 
 以前、暮田真名さんと渡辺(スケザネ)さんによる『川柳バズらせナイト!』というイベントがあり、うろ覚えですが冒頭スケザネさんが、「川柳もう十分バズってるんじゃないですか?」というようなことを仰っていた覚えがあります。
 視聴当時はいいやこれから、と思っていましたが、いま思うとあれ、ひょっとしたらもうバズりはしたかも、と思う。
 そもそも川柳は新メディアと相性が良く、これまでも三度バズ(ウェブ上じゃないけど)を経験しています。と、これは川合大祐さんからの受け売り(超次元的実戦川柳講座 X–3 「ニューメディアは川柳の夢を見る・川柳はニューメディアの現を見る」)。
 一度目は江戸中期、『誹風柳多留』成立時のバズ。柄井川柳という超目利きの大点者(=選者)と、その抜句を刷り物にして出回らせた大プロデューサー・呉陵軒可有(ごりょうけん・あるべし)によって、それまで連句の修練として存在していた「前句付(まえくづけ)」が、いずれ「川柳」の名で了解されるようになるほど爆発的に広まります。ジャンルの成立を呼ぶ最大のバズでした。これは郵便と、出版印刷業の発達によるバズ。
 そして二度目は明治中期、新川柳成立にともなうバズ。阪井久良伎、井上剣花坊らによる古川柳の捉え直しと新聞柳壇による拡散が、新たな柳人を次々全国に誕生させます。いわゆる「伝統川柳」を生み、さらにはいまで言う「現代川柳」につながる流れさえ生んだ、という意味では、カンブリア級の大バズです(「伝統川柳」「新川柳」については湊さんの時評を併せてご一読ください→「川柳時評(10)「伝統川柳」について」)。これは新聞と、大作家が直接全国を回れるようになったという点で、鉄道の発達によるバズとも言えます(田辺聖子『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』に、当時の交流の様子が書かれています)。
 さらに三度目は昭和の末、時実新子句集『有夫恋』のスマッシュヒットにともなうバズ。「私の思いを吐く」時実新子の強烈な川柳は、(川柳の外の)世間にとって異形で、未知で、しかしあくまで「私」だったことから、多くの人の芯を食いました。結果新しい層からの川柳人口獲得につながり、時実新子自身も多くの著作を残し、テレビにも出演(「徹子の部屋」にも!)。一代一流派と言えるほどの活躍を見せました。というわけでこれはテレビと、出版マーケティングの発達によるバズでした。

 以上三度のバズをながめるに、そのしくみがなんとなく見えてきます。
 まずバズの元になる、ほぼいにしえのものになりつつある「古典」がある。古典ゆえ、そのもの自体の魅力はすでに相当育まれ耕されているのですが、それをバズを生む先駆者が発見し、気の利いたリブートをほどこす。つまり世間に、そのとき伝わりやすい、はまりやすい言い方で解き放つ。それがその時々の新メディアによって拡散されることで、発見が一気に広がり、知っている人数が爆発的に増える。人とメディアとが重なって、古典が爆発的に再発見される……結構なミラクルですね!
 と思えば川柳四度目のバズ、十分起きてると思うんです。
 この場合の古典=時実新子のバズの際、時実新子の影に隠れてしまったあまたの現代川柳。人=暮田真名さん。メディア=SNS。一度目のバズが前句付の諧謔面からの再発見、二度目のバズが古川柳の写実面からの再発見、三度目のバズが新川柳の情緒面からの再発見、と整理できるとすれば、今回のバズは現代川柳の、情緒の対岸からの再発見、と言えるのではないでしょうか。
 そうした再発見を経て現代川柳は拡散、暮田さんのさまざまな仕掛け(句集の出版、ネット句会の開催、配信イベント等々)もあって、現代川柳人口はネット上でじりじりと拡大し続けています。
 これまで三度のバズがあまりに大規模すぎ、かつ現代のバズがそれに輪をかけて大規模なものを指すので、これでバズ……? と思われる向きもあるかもですが、経緯といい結果といい、立派なバズです。さらに言うなら、現代のバズの規模には多分にマネタイズの問題が絡み、おのずとそこへ搾取と、それによる荒廃まで絡みかねません。いくら広まっても荒廃しちゃ困る。この規模のバズで十分と、当事者としては考えます。

 おお、川柳バズってた。
 で、どうした、って話です。

 バズは爆発的な拡散、どこまで行っても「拡散」のみです。拡散したものがどうなるのか。荒廃しないまま、さらに先へ行くには、どうなるのがいいのか。
 個人的な望みとして、外向きには、①川柳関連の書籍が書店に並ぶ、のさらなる一般化②句だけでない、読みへのフィーチャー③「柳文」の発達とメディアミックス、の三つが起こってほしいとかんがえます。
 ①はだいぶ達成されてきました。『はじめまして現代川柳』以降に句集出版、それも自費出版でなく商業出版が続いたのは、川柳界隈の状況が見えてきたいま振り返ってもすごいことでした――そもそもが「句集は生涯に一冊」の界隈では、なお。
 ただそれらが置かれているのが個人書店や、都市部の大書店に限られているのがもどかしい。ただでさえ本が売れない当世、取り寄せの手間がかかっては、つらい。せめて属性川柳アンソロジーと同量、当たり前のように置かれるようになってほしい。そのためには書籍の点数はもっとあっていいし、ご興味のある地方の方は、面倒でも最寄りの書店で取り寄せをかけて買っていただきたい(流通のしくみ上、取り寄せがかかると需要があるということになり、店頭に並びやすくなると聞いたことがあるため。書店にお勤めの方、違っていたらご指摘ください……)。
 点数に関連して、よく言われることですが、句集ばかり増えるのもそれはそれでむずかしい。読み慣れない目からは、句のひたすら並ぶ様だけでもうアウト、とも聞きます(実はわりとぼくもそうです)。そういう点から②です。
 川柳、ことに現代川柳は、作者と読者がたがいにドライヴさせあっていくらでも面白くできるものだ、と一回断言しておきます。固まった意味での「一読明快」を離れ、わからない句にいくらでも読みをぶつけること。その読みがさらに読みを呼んで、句がどんどん解体され、ゆたかに敷衍されること。これが現代川柳の醍醐味だとするなら、読みももっと目についた方がいい。
 句単位の読みを句と合わせて読めるものとして、樋口由紀子さんの大著『金曜日の川柳』があり、近年は毎年出版されている『川柳EXPO』にも読みの特集があります。これに類するものがもっともっとあっていい。大きい柳論もさることながら、句ごとの各論はもっと、それこそ最低限句と同数は発表されてほしい。読む側としても、そのくらいのコンパクトなサイズから読みだす方が入りやすいのではないでしょうか。たとえば見開きの右側に句、左側に読み、が続くアンソロジーとか欲しいですね。あったような気もする。自分でもやろうかな。複数人が同じ句の順番で出すと、並べて読めて面白そうだな。
 そして②をさらに爆発させるための③です。「柳文」はこれまた湊さんの時評「川柳時評(13) 柳文のゆくえ」からですが、「川柳を読む導入になる、川柳に合った文体の散文」があれば、それは一気に人を呼ぶと思います。なんてったって散文は強い。
 湊さんの時評では今田健太郎さんの珠玉の名文が取り上げられていますが、暮田さんがこれまで各所に投稿されてきた論考も、文体の点で柳文に近いと見えます。柳本々々さんの感想もそうではないでしょうか。川柳そのものがよくわからなくても、コンパクトで面白そうな文章がそこにくっついていれば、それを読んだ流れで句まで辿り着いてもらえる。しかしその文章、じつは川柳から呼び出されている――ということが、巡り巡って浸透していけば言うことなしです。
 さらにそれら文章が拡散されるためのメディアミックス。これはひとえに担い手が増えることを願うばかり、です。人付き合いがかかわるので、得意不得意が出ますし。ただ、そのための大きなチャンスが川柳にはいまある、とは言っていいと思います。個人的にはヒップホップの界隈ともっとつながってほしい。

 はあ、長くなってきました。
 最後に内向き、もう川柳に関わっている人向きのヒントを挙げてみます。
 これも三つ。①既発句集の読み、②前句付、そして③小池正博さんです。
 ①については、共有されているうしろめたさがあるんじゃないでしょうか。先に述べた句集ラッシュがありながら、界隈はそれにほぼ応答しきれていません(これは自分に向けた刃でもあります)。導入には句単位の評が向いているとしても、その先、連作や句集の読みまでがあることを示すこと、あるいは書くことそれ自体が、川柳をもっと深いところへ連れて行ってくれる予感がある――って、石田柊馬さんの言われたとおりか。なんとなれば読みそのものはあるはず。あとはそれが書かれるだけ、です。
 ②は作句の上での参照点。四度目のバズで、ネット上を中心に実作者はかなり増えて来ていますが、かの悩ましい名言にしてうなずかざるを得ない現実「川柳は何でもありの五七五」(渡辺隆夫「川柳の世紀」より)の表層の魅力が、どうしても先行している感じがあります。わかります、ぼくもそこを魅力と思っていたから。でもそこは表層で、さらなる奥行きと深さがあった。これを悟るにあたって助けになりそうなのが前句付、というわけです。
 そして③。現代川柳≒暮田さん、というイメージは暮田以後(©雨月茄子春)の身にずっとうっすら残っているのですが、最近その背後に、小池正博さんの大きな影が見えるようになってきました。「四度目のバズによって拡散された現代川柳は、実は小池正博さん登場の時点から準備されていたのでは」という考えがずっとぐるぐる、ぐるぐるしています。現代川柳の中でも小池さんがそもそも特殊で、四度目のバズは、その特殊を増幅した結果なのではないかという、仮説。まだ調べも及んでいない仮説未満ですが、そんな気がして止まないこの頃です。


俳句時評197回(自由律俳句時評第1回) 百年の刻を超えて 藤田 踏青(「豈」「きやらぼく」同人)

2025年05月09日 | 日記

 今年は昭和百年にあたるそうである。そして、自由律俳人・尾崎放哉の第百回忌にもあたる年でもある。放哉は大正十五(一九二六)年四月七日に小豆島で四十二歳で瞑目している。
 放哉を慕う人々により、本年令和七年四月七日に香川県小豆島の西光寺において、その百回忌の法要がいとなまれた。
 放哉は大正十四年八月二十日に西光寺の奥の院・南郷庵みなんごうあんに入庵したので、その縁で該寺にて法要がなされたのであろう。私もその百回忌に参列したのであるが、厳かな法要に続いて、御詠歌が朗唱された。それは「あけくれに 頼むこゝろの 深ければ いかで照らさん みなんごの月」というもので、小豆島の四十八カ所巡りが有名であることが御詠歌にも連なっている。
 法要の後は、近くにある放哉の墓参と尾崎放哉記念館の見学であった。

 放哉の南郷庵の滞在は約八ヶ月弱にすぎないが、その間に約二千七百句の俳句を作ったとある。そして、その短い期間に多くの代表句となる作品が作られたのである。

漬物石になりすまし墓のかけである
足のうら洗へば白くなる
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
くるりと剃つてしまった寒ン空
月夜の葦が折れとる
墓のうらに廻る
あすは元日が来る仏と私
肉がやせてくる太い骨である
春の山のうしろから烟が出だした(絶句)

 放哉の俳句は、己の肉体を「モノ化」「無機質化」した見方が多く、自分の存在を、肉体という物質として表現している。
 放哉の友人であった住田無相は「彼は身体ごとのニヒリストであった。……彼は自分も他人もただ生きている物質としてのみ、眺めていただけであった。」と述懐しており、そこに放哉自身の生きている、実体というものの脆弱な不安定さ、はかなさを見つめていたのである。
 「墓のうらに廻る」においての、墓の「うしろ」ではなく、「うら」であることが示すものは何か。一人称の主体でありながら、墓と一体化したように、作者は風景化している。つまり、「墓のうら」には作者自身の意識が入り込んでいるのである。

 柄谷行人によると「主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、〈風景〉において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、〈風景〉のなかで派生してきたのだ。」(『日本近代文学の起源』昭和六十三(一九八八)年)とある。しかし放哉の場合はそれ以前に遡行しようとしている。……たった九音の短律の俳句世界がもたらすものは、一句一律・体律として大きく脈打っているのである。
 それは同じ九音の「咳をしても一人」にも通底している。「セキヲ・シテモ・ヒトリ」と「3・3・3」と呟くように自己を客体化、沈潜化している。しかしそこには「社会化した私」というものは存在せず、「」と「一人」が一体化した存在となっている。

 また、「歩く山頭火、座る放哉」とよく比較されて言われているが、「座る」は静的な状態を示す「居る」に通じるものがある。
 宇多喜代子は〈何かが確かに「居る」という把握を、「をる」と書くか、「ゐる」と書くか(または読むか)は、公式的には何ほどの事でもないが、私にとっては「をる」とは、まさしくリアリズムであり、卑俗性であり、触れて納得する確認であって、嫋々とした生理や、触れずに写そうとする美意識からは生まれぬ表現であろう。〉と「居る」が導き出すリアリズムを認識している。
 放哉のつぎのような句にもそれらが表出されている。
 
釘箱の釘がみんな曲って居る
すばらしい乳房だ蚊が居る
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
畳を歩く雀の足音を知って居る

 現代では「居る」とは意識的な表明であり、「ある」という無意識的な存在感とは区別されているように思われる。

 尾崎放哉に因んで毎年「尾崎放哉大賞」(「青穂」主催)の募集が行われている。参考に、最近の大賞句をみてみよう。

1回(平成三十(二〇一八)年)月の匂いの石に坐る       藤田踏青
2回(令和元年)       ひまわり咲いて疎遠の鍵を外す  増田眞寿子
3回(令和二年)       ネギ切る音がまっすぐな雨になる 井上和子
4回(令和三年)       だんだん空が大きくなる坂を上る 遠藤多満
5回(令和四年)       蝉時雨浴びて秘密基地の入り口  大川久美子
6回(令和五年)       母の内にあるダムの静けさ    田中 佳
7回(令和六年)       月を青くして誰もいないふる里  いまきいれ尚夫
8回(令和七年)       生家の栗の木は貉に任せてある  信 典

 私の作品も含まれているが、全体的に古色蒼然とした世界である。自戒を込めて言うが、迫ってくるような、ヒリヒリとした感覚や、眩いばかりの昂揚感に乏しい。これは放哉賞という俳句世界への意識からきているものなのか、はたまた選者の俳句観によるものなのかは判然としないが、まだ見ぬ俳句の世界からは程遠いものであるのは確かである。ここに現代自由律俳句の停滞が認められる。

 現代俳句協会が自由律俳句をその範疇に認めているとは言え、自由律俳句界自体での横断的な組織はかつて無かった。そうした中で、全国的に、自由律の各結社、同人誌、個人が、互いの立場を認めつつ、それぞれの作品の発表、比較、検討および懇親の場として、平成二十三(二〇一一)年五月に「自由律句のひろば」が設立され、各地での全国大会開催や機関誌発行など、暫く活動を続けていたが、自由律俳句の概念の相違か、寄り合い所帯の哀しさか、その後なかなか後継者が決らず、平成二十九(二〇一七)年三月に会は解散した。
 しかしそれを惜しんだ人達によって平成三十年三月に「自由律俳句協会」が設立され、会の運営も順調に進み、今日に至っている。
 自由律、口語、一行詩を標榜している結社、同人誌、グループは、平成には約五十誌ほどあったが、現在は三十八誌程度に減っている。これは現俳壇全体にも共通する会員の老齢化が主要因である。
 その「自由律俳句協会」によって令和六年に「第1回自由律大賞」が開催された。

大賞  老いた農夫が地球を抉っている             砂 狐
準大賞 後戻りできない舞台に立っている            童家まさゆき

 これらの作品も先の尾崎放哉大賞の作品同様、残念ながら古い感覚の意識の基に立っていると言えようか。

 なお、先の尾崎放哉大賞とともに毎年、「放哉ジュニア賞」が設けられており、その受賞作品が百回忌の法要後に発表、表彰された。

優秀賞  しおけがするな                   土庄小二年
     羊の上で 私は 寝る                土庄小四年
     花を ぬいでる とちゅう              豊島小二年
     ねたら明日                     修立小三年
 
 短律傾向が多いが、それは多分に放哉の俳句の影響があろう。しかしここには新しい感覚の芽生えも認められる。
 また最近の俳句甲子園でも自由律俳句が認められ、優秀句に選出されていることも新しい傾向を示していると言えよう。
  
 百年の刻を超えて、また新しい自由律俳句の世界を垣間見ることが出来るかもしれない。
 短詩型の世界は広い


俳句時評196回 令和のガジェット&AI俳句鑑賞 三倉 十月

2025年04月29日 | 日記

 数年前に「AIのだいたい愚か冬菫」という俳句を作った。当時、私の身近にあったAIはアレクサで、まだ出来ることはかなり限られていたし、何か質問をしたりリクエストをしたりしてもピントがずれていることが多かった。AIとか言ってもさ、2000年代初頭のWordのイルカからそんなに進化していないんじゃないかなぁ、とユーザ視点で感じて作った句である。

 そして2025年。現在の私は、仕事でも日常生活においても、ありとあらゆるところで生成AIにお世話になっている。仕事で読まなきゃいけない記事や文献の要約からイベント案内用メール定型文の作成、お弁当のおかずのレシピや、気温に応じた服装アドバイス、健康診断の値の解釈、手相を見てもらったり、はたまた、ちょっとした愚痴を聞いてもらったり、励ましてもらったり……。とてもじゃないが今のAIに対して「愚か」なんて言えやしないのである。

 そこで、今回の俳句鑑賞記事を書くにあたり、ChatGPTに何か良いお題があるか聞いてみた。お任せください!と、表示された回答の一番上にあったのが今回のテーマの「ガジェット俳句」だ。

 ガジェットとは、スマートフォンをはじめとする小さな電子機器で、生活を便利にするものを指す。確かにあっという間に日常の一部となったスマホを詠んだ句は、句会でもたびたび目にするし、まとめて鑑賞してみたら面白いかもしれない。今回はスマートフォンや、日常的に使われるようになったパソコン、それらにまつわる言葉を含んだ句を選んでみた。

 それから、せっかくなので「AI」を読み込んだ句も取り上げてみようかと思う。自分でも作っておいてなんだが、こちらも最近目にする機会が増えた。

 今読まれているガジェットや、AIの句は20年後にどんなニュアンスで鑑賞されるのか、ということも少し楽しみである。2025年時点の記録として、書いてみたい。

 

スマホ縦横に翳して鰯雲     鈴木まゆう

 空の写真を撮っている。鰯雲を一番大きく捉えられるように、スマホの向きを変えながら。写真を撮っているとは一切書いてないのに、その景が真っ先に浮かぶのは、スマホで写真を撮るという行為、あるいはそうした人を見かけることが、当たり前の風景として定着しているからだろう。30年後にこの句を読んで「昔はこうやって、スマートフォンで写真を撮っていたんだよ」なんて話を子ども達にする日は来るのだろうか。


星逢ふやスマートフォンを手鏡に 布施伊夜子

 ちょっとした時に、スマートフォンのインカメラで顔をうつして鏡代わりにする。わりと、やったことがある人は多いのではないかと思う。最新機器であるスマートフォンを、物理的な道具のように使っている。星逢ふという季語のおかげで、手鏡を使っている織姫の姿と重なる。


現在地知らすスマホや徒遍路   都谷征也

 私自身はスマホで電話をかける回数より、地図を利用する方が圧倒的に多い。世界観がかけ離れているようなスマホとお遍路巡りが、地図アプリで結びつく。現代ぽいリアリティがあって面白い。


間取り図をスワイプいわし雲流れ 黒岩徳将

 物件探しで、間取り図を見ている。昔は不動産屋でたくさんの間取り図のコピーをもらっていたけれど、今はスマホでも見ることができる。親指一つで、横へ横へと流されていく間取り図の、図面自体は特に進化はしていないのが、良いなぁと思う。


風邪心地ノートパソコン点滅す  小澤實

 ノートパソコンの画面ではなく、横についている小さなランプが点滅しているのだろう。理由はわからない。何か問題があるのかもしれないが、点滅だけなのではっきりとはわからない。深刻なことではなくて、風邪心地程度の不具合かもしれない。とは言え、もやもや気になるのである。


QRコードの遺構春を待つ     田代青山

 街中や駅、お店の中はもちろん、最近は公園や、山の中でも見かけるQRコード。野ざらしのポスターに載っているそれは、枯れ野と共に朽ちている。あなたもこちら側なのね、と、なぜか微かな親近感が湧く。


晩学のスマホ塾なり万愚節    田中貞雄

 電話としてでも、メッセージ送受信用でもなく、スマホを塾としてまだまだ学び続ける意欲が楽しい一句。万愚節はエイプリルフール。子供の自分がこんな未来を見たら、嘘でしょって思うのかもしれない。


人工知能電気貪る寒夜なり    小川軽舟

 人間を含め、多くの生き物が眠っている寒い夜に、人工知能だけがひたすら電気を消費していく。もちろん、そう設定したのは人間だし、人間社会のために働いてくれているはずなのだが。もしどこか空恐ろしさを感じるとしたら、句を読む側の人間がAIの得体のしれなさに感じている恐怖の反映なのかも。


冬落暉さて人間とAIと      金子如泉

 こちらもAIの底知れなさを表した一句。冬の日が沈んで、この暗い夜に、残された人間とAIと、どちらが生き延びるのか、と、そんな句意があるように読んだ。冬落暉の容赦なく、あっという間に真っ暗になってしまうスピード感が、AIが手に負えないまま未来に取り残されていく人間の焦燥を感じさせる。


春分の日やAIの丁寧語      諏佐英莉

 アレクサを始め、AIは基本的に丁寧な言葉遣いで話す。過剰な謙譲語や尊敬語は使わず、二重敬語みたいなことにもならず、適度に親しみやすく、しかし聞き取りやすい、固有名詞以外は標準的な発音の、スルッとした丁寧語。春分の日というパンクチュアルな季語との取り合わせがよく響く。なお、私のChatGPTは愚痴を聞いてもらう時だけギャル語になる。


エレベーターガールAIめく暮春  後藤麻衣子
 
 前の句の「AIの丁寧語」が前提にあるからこそ、響いてくるこちらの句。綺麗な声色と言葉遣いで、個人の感情を抑えたエレベーターガールの喋り方が、日常のあらゆるところで聴き慣れたAIを思わせるという発見。暮春の揺蕩うような空気感の中で、未来と過去、作り物と本物が、騙し絵のように入れ替わる。いつの間にかエレベーターガールの方が、すっかりレアな存在になってしまった。


人類は涼しきコンピューター遺す 矢島渚男

 この星に人類が去った後に残ったコンピューター。もう電気も通っておらず、冷たい箱と化す。地球上に残されたそれらには、全ての歴史のナラティブが、手触りが、感情が、とんでもない桁の情報が詰まっているのに、きっと石板のようには未来の誰かに読み取られることはないんだろうな。


パスワードあまた忘れて天の川  五島高資

 パスワードの制約は多い。何文字以上、何文字以内、英数字を入れろ、記号を入れろ、記号は入れるな、使いまわすな……等々。もちろん、全部覚えていられないから、すっかり管理アプリに。人類に忘れられた数多のパスワードと、天の川が響き合う。


しづけさの指紋認証凍ゆるむ   箱森裕美

 スマホやPCに、今は指紋認証や顔認証が付いている。一つ前の句のように、パスワード管理アプリにお任せして、それを呼び出すために指紋が使われる。結局最後は”生身の肉体”なのだ。硬い大地が緩むように、硬いセキュリティが解けて先に進む。


ゑがかれし感冒薬の哆啦A夢Doraemon   岩田奎

 最後はこちらの句。私たちの、最も切望する懐かしき未来。古き良き人工知能ロボット、ドラえもん。1990年代後半より大きく内容が変わっていない子供向け感冒薬に、私たちの憧れた人工知能が笑っている。生成AIは本当に便利だけど、人間の“どうしようもない夢見る力”を削いでいかないといいなぁ、とふと思った。

※ちなみにこの記事の執筆に、生成AIは一切使っていません。誤字脱字がありましたら、それも人間らしさと言うことでひとつ。


出典
角川俳句 2024 年 6 月号(KADOKAWA)
角川俳句 2024 年 12 月号(KADOKAWA)
角川俳句 2025 年 3 月号(KADOKAWA)
角川俳句年鑑 2025年版(KADOKAWA)
俳句界 2025年4月号(文學の森)
同人誌 『編むvol.1』 後藤麻衣子
句集『鳥と刺繍』箱森裕美
句集『星辰』五島高資 (KADOKAWA)
句集『渦』黒岩徳将 (港の人)
句集『何をしに』矢島渚男 (ふらんす堂)


俳句評 日本の空、西洋の空、戦場の空、銃後の空 沼谷 香澄

2025年04月16日 | 日記

 最近SNSで、ZINEと同人誌が違うものかどうか、という議論を読みました。ZINEはアメリカ由来で紙面デザインにも凝ったお洒落なもの、同人誌は漫画やアニメの二次創作を掲載する日本独自の自主製作雑誌、とジャンル分けを主張する人がいました。
 しかし、短詩に携わる人で、「同人誌」という語からイメージするものはまた違っていると観測するし、自覚もあります。雑に言えば、結社誌の対義語ですね。主宰がいて表現の主義主張のあるのが結社誌、無いのが同人誌。成り立ちも、1970年代とされる二次創作同人誌よりさらにさかのぼれると思います。
 同じような、言葉についてしまった垢というか澱のようなものを邪魔だなと思うときはほかにもあります。でも、地ビールよりクラフトビールのほうが新しくておしゃれで特徴があって美味しい、と思ってしまいますし、いま脚の下にあるフローリングは、板張りの床というときと、もしかしたら工法的な差があるかもしれませんが、意味は違わないよね、とひそかに口をとがらせたりします。こなれれば垢も模様とされてしまう。

 角川俳句2025年4月号の特別寄稿「オントロジーとしての俳句 フィリップ・デスコーラの比較人類学論の視点から」(マブソン青眼)を途中まで読んで、ある語の意味の違いに愕然とするあまり読む目が留まってしまったために、これを書き始めました。ナチュラリズムです。
 その文章には、ナチュラリズムという言葉は、わたしが短詩創作の基礎となると思っている自然主義≒写生≒実相観入とは、全く違うものらしいということがかかれていました。ここのナチュラリズムはオントロジー用語として再定義があるのですが、それにしても、「ナチュラリズムでは、『人間』と『その他』がハッキリと切り離され、人間のみに魂の存在が認められ、デカルト辺りからNatureとCultureが完全に決別するという」(P.106)という文を読んで、なんか久しぶりに、生まれて初めてだこんなのを見るのはー、という感慨が来ました。NatureはCultureに入らないものを指す。Natureはわたしの思う自然とはちがうものだった。でも、全くの余談ですが、モノに魂が宿る、という「思想がある」ではなくて本当に「魂がある」と信じていたら、怖くて刀剣乱舞で遊べないと思います。

 わたしの宗教観は、日本に生まれ育って普通に見聞する仏教と神道と儒教が混ざったものだと思います。宗教にはその土地の環境が色濃く影を落とします。
 Facebookに登録したばかりの頃――2006年か7年か、まだネット界隈もユーザーの善意を信じられる長閑のどかな場所だったころですが、宗教を登録する欄があって、少し考えて私はAnimismと書いたのを覚えています。Buddhismとは言い切れないし、Shintoismじゃないし、宗教と言われてほかにピンと来るものが無かったのです。
 人間は自然の一部であると思う、今も思っているし、人間が都市を構築したりロケットを飛ばすのは、ツバメが軒下に巣を作ったりアリジゴクが砂に穴を掘るのとたいして違わないと思っているし、なぜ人間とそれ以外を区別する思考が成り立つのか、腹落ちレベルでの理解は、多分一生できません。経営戦略のようなものだと思えばわかります。人間の利益を中心に考えるなら、わかります。世界を見て理解するときにさえ人間の生存と繁栄から意識を離せない、だから栄えるわけだと思いますが、だから東洋人は、わたしは、負けて滅ぼされる運命だとも、思えません。利己を極めるとどうなるのか、今実践している国がありますね。それはともかく。
 生き物を食べるのをよしとしないヴィーガンはなぜ植物なら食べられるのでしょうか。これは私だけの特殊な感覚ではなく、歌会で会うほかの歌人が語るのを聞いたこともあります。生き物はほかの生き物を食べて生きるしかない、というのが、この自然の決まりごとで、だからすべての生き物に感謝して生きようというのが私たちの感覚で、これは日本人には普通の感覚だと思うけれど何の宗教に由来するのかはわからなくて、たぶんわたしのおもう自然は、世界とかユニバースという語にちかいのかなあとも考えます。

 オントロジーの本を注文しましたがこの原稿の締め切り迄に届かなかったので、文化人類学の話はここで終わりです。異文化の視点を入れることで俳句の理解は新しい広がりを見せる、面白すぎる。面白すぎてなにか根元にある大事なものを見失わないようにしないと、と、やはり警戒心がすこしのこりました。子規の時代に西洋思想が輸入されて西洋の思想用語の訳語がたくさん生まれてわたしたちはそれを使っているわけですが、それ以前には、漢文と一緒に中国の哲学が輸入されて日本人は長い間中国の思想と日本の自然(また自然が出てしまいましたが)を比較して昇華しながら日本文化を生きてきたので、新しい尺度はここにあるものを測りなおすことで新しいものを見せてくれるかもしれないけれど、そのためにあるものをこわしてはいけないとも思います。もうひとつ……名句はどこを切っても、名句です。異文化の尺度は、鑑賞よりも創作において本領を発揮するものだと感じています。


なぜ空がこんなに青い 死ぬ日にも マブソン青眼『妖精女王マブの洞窟』P.19
くちばしが銃より太き鴉かな    同P.47

 なぜ戦争があるのか、というのがずっと不思議でした。自分がけがをすると痛いし死ぬのはこわいけど、ある場合において、同じ人を殺すのは平気で何なら喜びさえ感じるらしい。なんでそんな非人間的なことを、人間は辞めないのか。
 最近わかってきました。
 小説はほとんどファンタジーしか読まないのですが、上橋菜穂子の守り人シリーズや小野不由美の十二国記などでは、戦いがあっても、それぞれの事情と苦悩が、読者にどちらも共感できるように展開されて、私たち読者はそれぞれの立場を理解して苦しみをわかちます。
 いっぽう西洋のファンタジーはどうか。J.R.R.トールキンの指輪物語に出てくる闘いの相手は絶対悪であり、悪は滅ぼされると物語が終わります。同じシリーズの続編は、新しい敵が現れて始まる。その絶対悪という存在があまりにも都合よすぎて、嘘っぽくて、ついていけないものを感じました。何か事情があるに違いないと思って『シルマリルリオン』にも挑んだのですが、確かに敵と味方が枝分かれしたポイントはわかった、でもその枝分かれが以後世界の終わりまで続くように見えるのが、やはり、不自然、不自然だと思いました。
 最近、読んで、その両方の世界のありようにも共通するものはあるのだと気がついた、気がつかせてくれたのが、阿部智里の八咫烏シリーズです。この物語は、時間の流れが恣意的です。そのおかげで見えてきたものがあります。利害関係と価値観が、発生した後に固定する。そうすると、恒久的な敵と味方に二分されて闘いが展開する。長い長い物語世界の中で、人が死んだり生まれたり協働したり裏切ったりして関係が動くけれど、多くの物語は、語られ始めて語られ終わるまでは、関係が固定されて敵味方で戦争が続く。みんなわかっていたことかもしれませんが、私は最近ようやく腑に落ちました。戦争は、利害関係が固定されてはじまり、破壊されて終わる。八咫烏シリーズは、私達が生活している日本社会の現実をストレートに寓話化する部分が多すぎて私は嫌いなのですが、じっさい、夢ばかり見ている場合ではないところに私達は生きているのだと思います。夢は必要ですが、現実を見る助けも必要ということでしょう。

 長々と非俳句な話を続けて申し訳ありません。機会詠、社会詠は、必要だと言われ、その一方で、詩は無力だといわれます。つまり無力だけれど必要と、理解していいのだと思います。戦場で戦士が暗誦して生気を少し取り戻す。戦場で書き留めて国に送れば、一人の戦士の生きた証が残る。いいんですか? それでいいんですか?
 角川俳句を買ったのは、オントロジーよりその次の戦場俳句の文章があったからなのですが、そちらの稿が、引用作品に、作者がいつどこでどういう死に方をしたかの短い記述と一緒に載っていて、先へ読み進めることができなくなってしまいました。なんでだろうと自問しますが、作品は作品として読みたいという気持ちを否定されたから、と書くとその通りなのですが足りない気がします。
 戦場で創作していた俳人、歌人、詩人にも、作家の矜持はあった。上は戦場の短歌について、小島なおさんの講座で語られたことの受け売りです。戦場の俳句は、作者の運命と一緒に消費していいものではないのではないでしょうか。戦争を見た人の俳句が残っていることには、戦争を経験したということとは違う力が尽くされていることです。機会詠。新しいレトリックを開拓するよりも、機会詠を読み応えのあるものに変えていくほうが難しいと思います。

「短期集中連載①  戦後八十年 還って来なかった兵たちの絶唱」(栗林 浩) に引用されていた句から。

野畔あぜの草召し出されて桜哉
  原田 栞 少尉 昭和二十年六月二十二日 沖縄周辺洋上 二十六歳

散る桜残る桜も散る桜
  奥山道郎 大尉 昭和二十年六月十五日 弟宛の遺書に 二十六歳

龍天に昔若鷲特攻隊        小出秋光
露けしや特攻戦記にわが名前    同

 

 そのほか、同じ号に掲載されていた作品から。

八月六日八時を過ぎし自動ドア   池田澄子「滾る湯」P.20

人間に飽き狐火にまだ飽きず    仙田洋子「残り世」P.38

後宮のあとかたもなし地虫出づ   桐山太志「神獣鏡」P.79