「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評171回 令和の旅俳句鑑賞 三倉 十月 

2023年08月29日 | 日記
 令和五年の夏は、久しぶりに伸び伸びとした気持ちで旅に出た人も多かったのではないだろうか。円安やインフレの影響で海外旅行はコロナ前のようには行かないが、国内の観光地もインバウンドの影響もあり、盛況だと聞く。一方で、もしかしたら台風や大雨の影響で大変な目にあった方もいるかもしれない。私の知人も台風の影響で沖縄に6日間延泊を余儀無くされていた。私も流石に6日間とは言わないが、台風で旅先から帰れなくなったことはある。長い目で見れば、ある意味良い思い出となるが、直近すぎるとそうもいかないかもしれない。、我が家では、子が小学生になってから初めての夏休み。保育園時代は混み合う夏休みシーズンを避けて旅行に行っていたが、学校を休んで旅行に連れて行くわけにはいかないので、今年は一番混み合うお盆の週に海の近くの町に出かけた。特に観光をするわけでもなく日常の延長のような旅だったが、ほぼ毎日海水浴をしたり、かき氷を食べたり、耕作したり、とのんびり過ごしつつ、子供時代を懐かしく思い出していた。

 今回は旅の句を鑑賞してみたい。吟行句はもちろん旅にまつわる細やかな事柄を詠んでいる句など、全てではないが主に最近読んだ連作や句集から選んだ。今年の夏、旅に出た人にも出なかった人にも、旅が好きな人にも苦手な人にも読んでもらえたら嬉しい。

出発やつめたき春の旅鞄       髙田正子
 まずは今年の角川俳句5月号に掲載されていた、髙田正子さんの連作「台湾行」から数句。自分の台湾旅行の記憶を呼び起こしつつ、旅写真を見せて貰うような気持ちで読んだ。一句目、旅鞄とあるが、海外旅行なのでスーツケースだろうか。台湾なら小型のタイプでも行けるだろう。朝の空気にひやりと佇むスーツケースに触れながら旅立ちの微かな緊張と高揚を感じる。

あたたかや漢字を書いてものを問ひ   髙田正子
 言葉が通じない旅先でも、同じ漢字圏であれば意思疎通を試みることができる。常用漢字の形が違うこともあるけれど、通じた時の嬉しい気持ちと言ったらない。風光明媚な観光地や美味しい食事の記憶も大事だが、こうした細やかなふれあいが旅の醍醐味であり、宝物になる。

花市に湯気立てて来る草餅屋
湯気立てて蒸籠十段春の月     髙田正子
 湯気の句、二つ。草餅屋の句は、まさに作り立て、出来立ての温かい餅の湯気がじんわりと登っている。鮮やかな花市の優しい一場面を切り取っている。
 一方で蒸籠十段から立つ湯気は豪快そのもの。店員が塔のように積み上げた蒸籠を運んでいるのか、流石に十段は高すぎるから両手に五段ずつか、あるいはガラス張りの調理場を覗いているのか、いずれにしてももくもくと湯気が立っているのだ。迫力がある。蓋をぱかっと取るとさらに勢い良く湯気が広がるのだろう。中に鎮座しているのはほかほかの点心。まんまるく春の月に見えるものもあるかもしれない。

春惜しむ飲み且つ喰らひ語らひて
春の夢後部座席のおふたりも    髙田正子
 大切な人と共に行く旅の楽しみが詰まった句。飲み、食べ、語らい、惜しんでいるのは春でもありながら、今この瞬間でもある。そして帰路につき、車中で眠っている友人たちを見つつ、楽しかった旅の余韻を噛み締めるのだ。

短夜のTYOと書く東京       松本てふこ
 これも夏の旅立ちの句。空港の電光掲示板には、色んな都市名がずらりと並ぶ。自分の旅先はもちろん、今回の旅には関係ない世界各地の空港名。同じ場所から、世界の全く違う都市に繋がっていることをどこか不思議に思いつつ。夜を跨いで乗る国際線では、短夜も長く感じる。

冬瓜にいつか行くべき旅のこと    松本てふこ
 旅行したい場所、町、国はたくさんある。ここしばらくは自由に旅に出ることもままならなかったから、リストはかなり長い。お金と時間と、体力と気力がたくさんあればすぐにでも旅立ちたいものだけど。そうもいかないので、冬瓜に語りかける。冬瓜がたっぷりと持っている瑞々しい時間の中に、その願いをタイムカプセルのごとく留めていてくれる気がする。

てふてふにうすき砂丘の空気かな   松本てふこ
 町中や野原で出会う蝶とは違い、砂丘の蝶は少し苦しそうに見えたのだろうか。この蝶もまた元々居た宿木から遠く旅をしてそこにいるのかもしれない。休憩場所が見当たらない旅は、確かに過酷だ。私は砂丘に行ったことはないのだが、今まで写真や話で抱いていたイメージとは更に違う生々しさをこの句から感じて面白かった。

冬の月旅に少しの化粧品     岡田由季
 身軽に旅立つために、化粧品の試供品を溜め込んでいる女性は(もしかしたら最近は男性も)多いと思う。旅に出る前の晩、一つ一つ選んでいく。試供品では賄えないアイシャドウや口紅も、できるだけ軽いものを選ぶ。最近はリップとチーク両方に使えるアイテムもあったりして。そうやって少しでも身軽にと、その過程が楽しい。

逃げ切れぬ草間彌生の南瓜からは 岡田由季
 草間彌生の黄色に水玉の大きな南瓜は、瀬戸内海に浮かぶアートの島、直島(香川県)のランドマークのような存在である。有名なので現地に行ったことがなくても写真などでみたことがある方は多いはず。その南瓜をはっきりと句に詠みこみ「逃げ切れぬ」と早々に降参しているところが愉快だ。下手すると夢にまで追いかけてきそうな南瓜のインパクトが、そのまま活きている一句。

アップルパイ雲海の中分け合って  山岸由佳
 山の上だろうか。どこまでも広がる美しい雲海の雄大な景と、小さく可愛いアップルパイの取り合わせが新鮮で嬉しい。大きな自然と、手のひらに収まる食べ物の対比。苦しい中一緒に登ってきた友と分け合うアップルパイの味は、今まで食べた中で一番美味しかったのかも。そして、それからアップルパイを食べる度に、あの雲海が広がるのだ。

空港の狂はぬ時計雪催     山岸由佳
 どんな日も絶対に狂ってはいけないもの。それが駅や空港の時計である。心が浮き立つ旅立ちばかりではない。それが個人の旅でも帰省でも出張であっても、不安が先に来る日もある。そんなもやもやした気持ちで、さっぱりと晴れない空の日も、空港の時計は正しく平等に秒を刻んでいく。

旅らしくなりたる旅の夕立かな   西村麒麟
 旅のハプニングは色々大変だけど、なんだかんだと思い出になったりする。だがそれを「旅らしくなりたる」と言ってしまうのが、俯瞰的で面白い。まるで最初からハプニングを待っていたかのよう。実際は「こういうのもまた思い出だよ」と、後付けで苦笑いする方が多いかもしれないけど。ずぶ濡れのワンピースを、ホテルの部屋に干してビールを飲むのもまた思い出。

四月馬鹿ローマにありて遊びけり  山口青邨
 有名な海外詠の一句。浮かれているわけではないのだろうけれど、どうにもウキウキとした楽しさが滲み出てくる感じがして好きな句だ。自句自解によると、ちょうど四月一日にローマを観光していたとのこと。

東京でも、ベルリンでも、ニューヨークでもいけない、ロンドンならいくらかよさそうだ、しかしやはりローマは絶対に動かせないと思う。”『自選自解 山口青邨句集』

 このニュアンスはわかる気がする。ローマにはイタリアの首都で、その中にキリスト教の中心地であるバチカン国があり、歴史的な遺跡を多く抱える古都である。荘厳なのだが、一方で、映画「ローマの休日」のような、浮かれた気分も似合う町だ。青邨、とっても楽しかったのだろうな、としみじみ思う。

旅いつも雲に抜かれて大花野   岩田奎
 のどかで、かつ雄大な景。雲に追い抜かれていくのは旅先に限らないことだけど、色んなことにふと足を止めて、その瞬間、瞬間に感じ入る旅においては、時間の流れが雲と自分とで違うように感じるのかもしれない。大花野という大きな季語には、人生の長さも広さも感じさせる。

虹立てり帰路は一人となりし旅  安原葉
 今は家族旅行が主だが、子が生まれる前は、友人らと頻繁に旅に出ていた。その帰路、飛行機から、在来線へ。そして途中のターミナル駅で。少しずつバラバラになっていき、最後は一人になる。寂しさと、少しだけホッとした気持ち。そして旅の終わりに、また、次の旅を夢想する。できればまたあの仲間と行けたらいいな、と思いつつ。


出典:
⾓川俳句 2023 年 5⽉号(株式会社 KADOKAWA)
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『中くらゐの町』岡田由季(ふらんす堂)
句集『丈夫な紙』山岸由佳(素粒社)
句集『鶉 新装版』西村麒麟(港の人)
句集『膚』岩田奎(ふらんす堂)
句集『自選自解 山口青邨句集』(白凰社)

俳句時評170回 多行俳句時評(8) 出会い損ねる詩(2) 斎藤 秀雄 

2023年08月04日 | 日記

 前回に引き続き、酒卷英一郞作品を読んでゆきたい。
 方針も、前回と同じである。すなわち、読者に「詩との出会い損ね」「詩に拒まれる感じ」を追体験してもらいたい、と思って、これを書いている。前回述べたことの要約をここで述べようかとも思ったのだが、重要なことを私は述べたはずだから、やはり前回の記事を読んでもらいたい。要約するのが難しいことを、私は述べているだろうと思う。
 なお、酒卷氏の作品において、表記は一貫して正書法が用いられているが、文字コードやフォントの都合上、表示しえないものは、それぞれ新字体に改めた。

鷄子一枚
あらたまの
身をかためむと

「阿哆喇句祠亞 αταραξία XVIII」『LOTUS』第3号(2005年)より、連作の一句目。
鷄子》(けいし)とは鶏の卵または雛のこと。《一枚》という数え方にいっしゅん驚かされ、平べったい卵または潰れたひよこを想起させられるが、中国語で《》は小さく丸いものの数を意味するから、ここは「鶏卵一個」と考えてよいだろう。ことわざに「板子一枚下は地獄」(船乗りの仕事が危険と隣り合わせであることのたとえ)があるから、表記の上での地口にもなっているのだろう。私はこれを〈表記的地口〉と呼ぶことにしたい(そのままだが)。
あらたま》は季語「新玉」(歳時記によっては「新玉の年」)のことであろうが、《あらたまの》は「年」「月」「日」「春」などにかかる枕詞であることも、念頭に置いておきたい。かなにひらかれていることは、「粗玉」「荒玉」そして「荒魂」への連想を誘う。また、元日は「鶏日」であるから、前行の《》の文字は、新年もまさに第一日目であることを仄めかしてもいるだろう。ちなみに発表年の2005年は酉年(乙酉)だったこともおさえておきたい。
身をかためる》という言い回しは多義的で、「身支度をする」「家庭をもつ」などの辞書的な意味があるけれども、「鶏卵一個」からの連想で、卵白によって物理的に固まってしまう感触が手渡されるのと同時に、「板子一枚下は地獄」からの連想で「身構える」ことの身体的緊張も手渡される。さらに、「身固」(みがため)といえば陰陽道の呪術のひとつでもあることも想起される。
 ことほどさように、一語一語が多義的である。その結果、読みの空間を走るラインが複雑に交錯し、「一個のテクストを読んでいる」という印象からは離れてゆく。そして「テクストとは、テクストを読むことは不可能であるということの謂である」というポール・ド・マン的テーゼへの確信をますます強めることになる。しかしながら、他方、この作品を散文的にパラフレーズしてみたときの、「鶏卵を一個のむ。新年の身をきちんとしようとして」という「句意」が非常に強く(濃く)前面に押し出されている、というのも本作品の特徴である。このことが、前回記事で述べたような、「多義性の解釈学」を(私は、読みつつ)やってしまっているのではないか、という疑いへと導く一要因にもなっている、ようにも思う。むろん、「散文的パラフレーズ」を、本作を読む体験は破茶滅茶にはみ出しており、その意味で本作は「エクリチュールのあばれ」に満ちているといってよい。この「あばれ」「猛り狂い」のことを、前回私は「散種(dissémination)」と呼んだ。そしてまた、「散種でなく多義性」だとか「散種か多義性か」といった不可能な(ありえない)、奇妙な感触を、ここにおいてもまた抱いてしまうのである。
 ここで補助線をひいておこう。南方熊楠の『十二支考』の「鶏に関する伝説」には、次のような記述がある。

それから『荊楚歳時記』から引いた元旦の式を述べた上文、〈以て山臊悪鬼を辟く〉の次に、〈長幼ことごとく衣冠を正し、次を以て拝賀し、椒柏酒を進め、桃湯を飲み屠蘇を進む云々、各一鶏子を進む〉とあって、註に『周処風土記』に曰く、正旦まさに生ながら鶏子一枚を呑むべし、これを錬形というとある。鶏卵を呑んで新年の身体を固めたのだ。(「鶏に関する伝説」引用は青空文庫より)

 元日を「鶏日」として鶏を殺さない日としたその前段階には、むしろ鶏を磔にしたのであり、それが変化したのはいかにしてなのか、といういきさつを南方熊楠は追っている。いま挙げた文のなかに、「鶏子一枚」「鶏卵を呑んで新年の身体を固めた」というフレーズが出ている。博覧強記で知られる酒卷氏のことだから、熊楠は読んでいるだろうし、乙酉の2005年の正月に一句ものしようというさいに『十二支考』を捲ってみたのだろう、という想像もつく。前述の、「散文的にパラフレーズしたときの句意が、強く前面に押し出されている」という私の印象は、この熊楠の文章のためでもある。つまり「ああ、なあんだ、そういう意味か」という納得が生じてしまう、ということだ。「詩との出会い損ね」「詩に拒まれる感じ」は、そうした「納得」によって引き起こされるといってよい。
 同じ連作の、隣の句(連作二句目)もみておこう。

いま握る
ほらまた匿す
天鵞卵

「天鵞絨」といえば「ビロード」のことで、これはビロードの生地が白鳥の翼に似ているから、という説もあるのだけれど、いずれにせよここでは《天鵞》は白鳥のことで、《天鵞卵》の読みは「てんがらん」でよいのではないか。《握る》《匿す》の目的語となっているのも、ひとまず、《天鵞卵》と読んでおいてよいように思う。《天鵞卵》の語からまず想起されるのは、スパルタ王テュンダレオースの妻、レダ(レーダ、レーダー)を愛したゼウスが、白鳥に変身し、レダを孕ませ、二個の卵が生まれた、という神話だろう(前掲の熊楠もこの点に触れている)。しかし作品ぜんたいからは、この神話が前提とされているような気配がほとんど感じられない。
 一行目と二行目は、見た目に反して難しい。一読、手品師のような手つきとも感じられる。握ったかと思えば(手を再びひらくと)消えている(=《匿す》)と。だが、手品師の手から消えていることを《匿す》と称するのは、奇妙ではある。このふたつの動作を、ひとり(ひとつ)の主体の動作と考えるなら、盗人のそれのようでもある。握った《天鵞卵》を袋へと匿した、と。ふたり(ふたつ)の主体も想定できる。私が《握る》と、また彼女は別の卵を《匿す》のである、と。レダと白鳥の神話(あるいは芸術モチーフ)ならば、卵は二個だから、《ほらまた》によって仄めかされる反復に、見合わないかもしれないが、私が「握っては離す」を繰り返し、彼女が「匿してはあらわす」を繰り返す、という奇妙な反復がありうるかもしれない。いずれにしてもこの二行は、意味を(景を)確定できず、謎めいている。
 また熊楠に登場してもらうなら、《古ギリシアやインドの創世紀は金の卵に始まり、世界は金の卵より動き始め、(略)けだし金の卵とキンダマ、国音相近きを以てなるのみならず、梵語でもアンダなる一語は卵をも睾丸をも意味する》(同前)と、やや馬鹿馬鹿しいながらも酒卷俳句を読むうえで誘惑されざるをえない、「金玉読み」も試みたくなるようなことを述べている。熊楠によれば《俗に陰嚢の垂れたるは落ち着いた徴で、昔武士が戦場で自分の剛臆を試むるに陰嚢を探って垂れ居るか縮み上ったかを検したという》(同前)らしいのだが、つまり《握る》《匿す》の反復は、垂れ下がった睾丸をつかんで確かめ、しかし縮み上がって体内に隠れてしまう、という反復、「剛」と「臆」の反復として読めないだろうか。このとき、《握る》のは私なのだが、《匿す》のは「臆」、もっと即物的にいえば金玉であり、金玉主体となろう。
 本作は、前述の《鷄子》句と異なり、「納得」にゆきつかない(「句意」を確定できない)。それはたんに、「ああ、そういう意味か」と思うことができる元ネタ(先の例では『十二支考』)を私が発見できなかったから、というだけのことかもしれない。ここまで読んだ二句では、私は《天鵞卵》句のほうにより詩情を感じる(このことは必ずしも、拒まれたり出会い損ねたりしていない、ということを意味しない)。しかしながら、「何を言っているのか分かってしまうならば、必ず、そこに詩はない」という命題は偽であるし、「何を言っているのか分からないならば、必ず、そこに詩はある」という命題もまた偽である。こうした難しいもんだいについては、ペンディングとしておきたい。

孟秋の
目瞑りて
嚥む秋石を

『LOTUS』第4号(2005年)所収の連作「阿哆喇句祠亞 αταραξία XX」から。
 これは「散文的パラフレーズ」ができる作品であろう。すなわち、「いまは初秋であるが、目を瞑って秋石を嚥むのである」と。《秋石》という見慣れない言葉にいっしゅん驚かされるが(日本画家の奥谷秋石ではないだろう)、漢薬の名称である。苦い漢薬を、目を閉じて、えいやっと一息で嚥むのだ、というのであろう。
 これだけであれば、「なあんだ」で終わってしまうのであるが、この《秋石》にはまた、複雑な含みがある。第一に、《秋石》は古くから知られた強壮強精薬である(金玉読みの導線)。第二に、現在市場にあるものは、古くから知られた製法とは異なる、明清時代に偽物とされた二種類である。《秋石》は人尿から精製されたホルモン剤であったが、現在では《食塩を主成分とした無機物》と、《人中白(人尿から自然に沈着した固形物)を加工した淡秋石》(宮下三郎、1969、「漢薬・秋石の薬史学的研究(abstract)」京都大学学位論文)の二種類があり、いずれも強壮強精薬として用いるのは不適切、ということらしい。……らしい、のだが、私にはこれ以上のことはよく分からない。Wikipediaの「ヒトに由来する生薬」の項目によれば、これが「偽造品」であることを記しつつも、「滋養強壮作用があり、臨床応用としては、喀血、淋病、咽頭腫痛、水腫などに用いられる」とある(2023年8月3日閲覧)。
 よくは分からない、のではあるけれども、読む手がかりにはなる。二通りの読み方ができるかもしれない。(1)「強壮強精薬を嚥んで頑張ろうとしているけれども、それは偽造品にすぎない、と茶化す、諧謔的内容」、(2)「腫瘍の痛みに耐えながら、闘病する姿を描く、真面目な内容」。このふたつの読みは、同時に成立しえない、パラドキシカルな、《相互に排他的な二つの意味》(前回記事、ポール・ド・マン)をなしているように思われる。ちなみに、食塩由来の《秋石》を別名「盆秋石」というらしいのだが、おそらくここでの読みには影響してこないのではないか……。

蠢ける
むべ山風を
わが頭陀へ

『LOTUS』第5号(2006年)所収の連作「阿哆喇句祠亞 αταραξία XXI」から。
むべ山風》から想起すべきなのは、むろん『古今和歌集』の、あるいは『百人一首』の、というべきか、「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀)である。「荒らす」から「嵐」というのだろう、という地口と、「山」+「風」で「嵐」だろう、という表記的地口を同時に成立させているから、平安時代の酒卷英一郞といえなくもない。
頭陀》は、第一に煩悩を捨てるための修行、第二にその僧が首にかける袋のことで、つまり「頭陀袋」。ここではひとまず後者で読んでおこう。「頭陀袋」にも多義性があり、第一には行脚僧の袋であるが、第二には死者を葬るときに首にかける袋である。後者のばあい、三途の川を渡るための六文銭(または現在では六文銭を模したもの)を入れられる。一読、印象としては後者のニュアンスが強いように思われるが、同時に双方であるのではないか。
 二行目を「嵐」と読むにしても、これを《蠢ける》と修飾するのは、ことさら異様ではある。いや、「嵐」と「蠢く」は相反する語のようにさえ感じられる。ここでネタバラシをしてしまうと、おそらくここは、『易経』における卦のひとつ「山風蠱(さんぷうこ。ものが腐敗したことを意味する)」との表記的地口をなしている箇所であろう。「蠱」の文字は、「巫蠱(ふこ)」といえば巫女やまじない師、あるいはその呪いをいうから、呪術に関することを意味するのだろうし、じっさい皿のなかで虫に共食いをさせる様子ともされる。共食いを勝ち残った最後の一匹は祀られ、この毒が、乱し、惑わすから「蠱毒」「蠱惑的」という。蟲たちを共食いさせていたら、皿の底が抜けて、代わりに上から春がやってきた。かわいそうな「荒らし」の先駆けたちを、私の死出の旅の頭陀袋へ入れておくれ……などと読むのは、ロマンティックすぎるだろうか。

如何物の
以下三行を
おさらば結び

 発表順が前後するけれども、『LOTUS』第2号(2005年)所収の連作「阿哆喇句祠亞 αταραξία XVII」からの一句を、最後に読んでおこう。
如何物》とはまがいもの、普通でない変なもの。ここでは「三行俳句形式」という、珍しいもの・多くの書き手が手を出そうとしないもの、のことと読んでよいかもしれない。《以下三行》は《如何物》からの地口をなしつつ、やはり「三行俳句形式」のことを述べていると仄めかしている。
おさらば結び》とは、着物の帯の締め方の一種。現代でも、「お太鼓結び」と呼ばれる結び方があるが(「一重太鼓」や「二重太鼓」などがある)、その基点となったのが、江戸時代(天和の頃か)に出現した《おさらば結び》である(青木和子、2021、「『お太鼓結び』の歴史的変容についての実践的研究」『山野研究紀要』29号)。落語では「猫じゃらし」などと呼ぶこともあるようだけれど、要するにだらりと帯の端を垂らした結び方である。この帯結びを、画像で容易に見ることができればよいのだけれど、Googleで画像検索をしても、ほとんどみつからないから、困ったものである(なにしろ、読者は《おさらば結び》といわれても、「ああ、あれね」とイメージできないのだから)。ここでは、そのかたちが、舌を垂らした、つまり「あかんべー」っとやっている、あの姿に似ている、ということをおさえておけばよいだろうか。
 本作は、連作の末尾に配置されている。つまり《おさらば結び》によって、連作を「結ぶ」ということなのだろう。これにておさらばだ、というわけだ。また、この連作は「特別作品」であり、通常の9句ではなく15句からなっている。「あかんべー」は「特別作品」の特別扱いへの照れ隠し、韜晦と読める、のではあるが、同時に、「作者・酒卷英一郞」というものを、酒卷作品の向こう側に仮構しようとするときに、顕ち現れてくる姿そのものといえるだろう。その姿は、酒卷氏が(一部の散文において)蛇蝎のごとく嫌い、無みしている、脱構築の、あるいはド・マン的文芸批評の、別の角度からの描写に見えて仕方がないのである。

(つづく)


俳句時評169回 川柳時評(8) 七七/ジュニークと性愛川柳 湊 圭伍

2023年08月01日 | 日記
 前回は自由律のことにふれたので今回はそのテーマを追求しようとしたはずが、脱線につぐ脱線でちょっとズレたテーマに流れます。でも、最初のテーマは「律」のことなので関連してるかも。そこから、内容面での試みにふれます。言い換えると、大きく分けて2つ―「ジュニーク/七七」の短律、および、「性愛川柳」をとりあげます。

 7月初め、Twitter上での呼びかけで、575よりも短い形式の川柳の「お祭り」が2つ開かれた。ひとつは川柳作家・西沢葉火主催の〈葉火句会〉の「ジュニーク」回(投句期間7月5~9日)。ジュニークとは、葉火(ちょっと前までは「ぱぴ」読みだったのが、「ようか」さんに変わっています)さん考案の57あるいは75の12音の形式である。こうした新しい(ただし、これまでの定型とも強く関連付けられた)形式の探索は、短詩の現在を示すひとつの徴である。
 ご存じのように、万葉以来の日本語の詩形式は、五七調と七五調が中心として展開されてきた。長歌なら5757…577、和歌・短歌なら57577、連歌・俳諧(連句)なら575/77…575/77、俳句・川柳なら575、近代の文語詩・新体詩も57あるいは75調。5と7が「日本語の詩として〈自然〉」という言い方に私は与しないが、「五七/七五であらずんば日本語の詩にあらず」というのが近現代に自由詩が現れるまでは日本語詩の環境であったことは否定できない。
 ジュニークはこの57、あるいは、75という音の組み合わせを、一回っきりで投げ出すことで成り立っている。〈葉火句会〉から引くと、以下のような感じである。

ちっぽけだけどだいもんじ     雪上牡丹餅

あさきゆめみしD-beat       片羽雲雀

油蛸ぬぐやまつわる        西脇祥貴

八日目の無銭飲食         秋鹿町

七月六日/詐欺師たち       徳道かづみ

いったんエモくしておくね     海馬

* 作者名はツイッターのアカウント名

 もっとも、「成り立っている」かどうかは、実はよく分からない。川柳は575のギリギリの長さで成り立っていて、それ以下の音数の上記のようなものは「断片」でしかない、という意見も(調査したわけではないけれど)強い。自由律俳句の短律に成功例が少ない(細かく言えば、超ド級の成功例がごくごく少数あるのみ)ように、57や75のみで投げ出された言葉があとあとまで読まれうる可能性は低そうだ。それに、これが川柳なのか、それとも独立したジャンルなのか、自由律俳句に入れられてしまうのか、その辺りも微妙なままだ。
 よく似た音数の詩形に、七七(十四字詩、武玉川むたまがわとも)がある。これは77の音数で書かれた句で、江戸時代の〈高点附句集〉、『俳諧武玉川』に収められた同形式の句が基となっている。『武玉川』は、俳諧(連句)の興行で高得点になった句(細かい説明は省きます)を集めたもので、そこには575の句と77の句が混在している。どちらかというと575の方が多めだが、後世の目から見ると77の句が、『誹風柳多留』などと比べての特徴になっている(ちなみに、川柳の原点である『誹風柳多留』は、先行でベストセラーになった『武玉川』に刺激を受けて柄井川柳評の前句附の句をかき集めて出版したもので、こちらはほぼ17音のみ)。下に、『武玉川』から数句、七七を引く。
 
子守のもたれかゝる裏門 (初・二一)

歯の抜た子の屋根を見ている (初・二三)

津浪の町の揃ふ命日 (初・二四)
 
冬の牡丹の魂で咲く (初・四三)

恋しい時ハ猫を抱上だきあげ  (二・一六)

 575の古川柳は味があるもののやはり古臭く感じることがあるが、77のかたちの句は(連句の一句だったこともあるだろうが)シャープに情景だけを切り取っていて、現代性さえ感じてしまうことがある(『武玉川』については田辺聖子著『武玉川・とくとく清水―古川柳の世界 (岩波新書)』が魅力的な紹介で、現在も古書で安価に入手しやすいので、ぜひ読んでみてもらいたい)。
 この七七が川柳なのかどうかというと、これも微妙な位置にある。川柳誌には七七を募っているものもあるし、現代川柳の小池正博(「鳥の素顔を見てはいけない」)や暮田真名(「半分になる車体感覚」)といった作家は七七の句を五七五形式の句と区別なく句集に並べている(暮田ら若い世代の川柳人からは「七七のほうが(五七五)よりも書きやすい」という声も聞こえることもある)。最近刊行されたアンソロジーや句集によって川柳を始めたという人たちの中には、七七は川柳の一種という見方をしている向きも多いだろう。だが、川柳界全体では、七七はあくまで別ジャンルという見方がほとんどだし、川柳大会で七七の句が聞こえることも多くはないだろう。
 七七の説明が長くなったが、冒頭に述べたイベントのひとつが、これもTwitter上で行われていた「#七七句まつり」である。7月7日七夕の日に、今年は川合大祐と蔭一郎の呼びかけで開かれていた(去年も同日に「#七七句まつり」があって、年中行事の趣だが、どのぐらい前からやっているのか未確認)。

書いて覚えるマーシャルアーツ  たろりずむ

足首だけで触る夕凪       岩瀬百

乱丁つづく柳生一族       川合大祐

完全体のプッチンプリン     西沢葉火

あけてみようよ国際規範     兵頭全郎
 
光るページに尻尾の不在     奇蹄

両耳だけを産んでしまった    ろう

* 作者名はツイッターのアカウント名(もしくは作品の後につけられていた名前)

 ジュニークも七七も、川柳の枠のギリギリに引っかかっていて、でもしっかりと定型である。このバランスが、とても興味深い。前回取りあげたような自由律の川柳が多く書かれた時代は、各内容や書き手の思いによってその都度、リズムが決まる、という考え方が強かっただろう。これは客観的な事象があり、それに応対する主体があるという枠組みにおいて、作句には主体的「自由」がなければならない、という時代的思考によってそうなっていたと思われる。一方、現在の作句においては、「自由」にはある種の型があったほうがよい、という傾向が主流になっているようだ。海外の詩でも、近年は「ニューフォルマリズム」(New Formalism)と呼ばれるような傾向が強く、自由詩(Free Verse)一辺倒だった20世紀中盤から見ると、型を意識した詩作をする詩人たちが多くなっている(古典的なきっちりとした型ではなく、崩しながら、でもうっすらと形式を感じさせるようなものが多いけれども)。〈客観的な事象〉や〈世界から独立してある主体〉といった近代文学の核となってきた枠組みがかなりの部分、すでに無効になっている中で、創作の自由をむしろ「定型」に求める志向が強まっている。
 そこで、新しい試みは、これまで活用されてこなかった形式を自由に試すことに求められる。川柳も俳句も、20世紀終わりから自由なリズムよりは定型に戻る、リズム的には保守的傾向が続いている。それは先に述べたような世界像の大まかな変遷に従っているわけだが、ジュニークや七七の新しい試みは、従来の「革新」と「保守」の狭間の隘路を不安定に進んでゆく道行きなのだろう。

 さらにもう一つ重ねて、Twitter発の試みを。「#性愛句集倶楽部」は青森の川柳作家・月波与生の呼びかけで始まったハッシュタグ。月波はこのハッシュタグで集まった句のうちから、300句を選び、自身の出版レーベル「満点の星」からアンソロジー書籍として出版する予定であるという。これは大胆といえば大胆な試みである。なぜ大胆なのかは、川柳史を紐解かないとよく分からないかも知れないけれども。なのでちょっと紐解きます。
 性愛のテーマは、近現代の川柳においては鬼門である。これは川柳に親しんでいる一部の人には意外かも知れない。その人たちは、時実新子の次のような強烈な作品で川柳に初遭遇しただろうから。

ふと触れし身に沼ありて指あそび 時実新子

甲子園から凄い精子のご帰還だ

腰ふれば句がふる因果はつなつの

エロチシズム鯨の口に手を入れて

ルノアール 肉に肉足す人の世か

 また、川柳史においても、初代川柳の時代から吉原遊郭が主要なモチーフであるなど、性愛をテーマにした句は多かった。それが、狂句期になると、勝句(入選句)が「高番句、中番句、末番句」と3部に分けられるようになり、性風俗を主題とした句が末尾の「末番句」に集められるようになった。この末番句を集成したのが『誹風末摘花』である(有名な末番句としては、「蛤は初手赤貝は夜中カなり」(末一・2)、「むりにしにかゝると虫ががぶりんす」(末四・1)など)。江戸~明治狂句~明治新川柳においては、女性作家も、

おかしさは穴という字を赤く書き/此女

産れると七十五日無常門/鉄扇

婚礼の席で花瓶へ松を挿し/喜泉女

深々と更けてアレ/\波の上/伊藤政女

こともなくけさもかきあげられた髪/三笠しづ子

 * 平宗星選『繚乱女性川柳-明治以来百年を謡い継ぐ48人の知性と情念の世界』(緑書房、1997年)より引用。

 といった作品を残しており、ヨーロッパ的性規範が定着する前の、近世日本の性のおおらかなとらえ方が見えて面白い。
 ただし、近現代の川柳では、性愛のテーマは、川柳を「文学」として確立しようとする川柳作家らの試みのなかで排除されていく。近代川柳への革新が阪井久良伎、井上剣花坊らによって進められ、窪田而笑子らが新聞紙上での川柳欄を確立していく中で、末番句や『末摘花』にあった性愛の主題は前代の悪癖のひとつとして排撃されていき(ちなみに、もう一つの否定すべき前代の悪癖はダジャレや言葉遊び)、この姿勢は現代でもつづく川柳界の主流をつくった「六大家」へと受け継がれてゆく(『末摘花』は明治から第二次大戦までは「禁書」でもあった)。大正~昭和、初代柄井川柳選の初期柳多留から日常風俗のおだやかな描写を抜き出して祖型が作られた近現代川柳は、人間社会の一部として欠かせない性風俗や、ペダンティックにして野放図な言語遊戯を抑圧することで成立していく。ヨーロッパ近代的手法である「写生」を軸にして成立した近代俳句と同じく、近代川柳もヨーロッパ的社会規範・制度・世界観の日本への移入を背景にして誕生したのである。
 その性愛テーマの抑圧が揺らぎ始めるのは、1950年代に入ってからで、時実新子に先行する作家としてまずあげるべき林ふじをである。

指先の意志とは別に 胸開く   林ふじを(1926-1959)

眼を閉じる底なし沼の性に墜つ

こんな死はいかが情痴の果ての海

蛇の精のみつくしたる眼となりぬ

いいパパになって二重人格者が帰る

ベッドの絶叫夜のブランコに乗る

(ふじをや新子と同じく第二次世界大戦後に活躍し始めた他の女性作家たちも、次のような性愛句を残している。

吊り橋の落ちる刹那を逢いにゆく/児玉恰子

かぞえきれない遊女の影のなかにいる

デート炎日 とけげをペットに蛇をペットに/三浦以玖代

水道の蛇口へルージュ憚らず/薄井禾乃女

子を産まぬ約束で逢う雪しきり/森中惠美子


 以降も、女性作家は

刹那的な愛ピストルの肌ざわり/来住タカ子

しゃれこうべ軋む絶頂感の中/桑野晶子

あさりほど思いを吐いて狂いたし/寺尾こうこ

不死鳥を盗んでしまう口移し/友有竜子

たまゆらの陶酔にいる流刑囚/同

ここは楽園ヒト科の薔薇が黒く咲く/同

* 以上の句は、平宗星選『繚乱女性川柳-明治以来百年を謡い継ぐ48人の知性と情念の世界』(緑書房、1997年)より引用。)

 これらを読むと、戦後の一時期には、性愛を書くことが女性作家にとっての表現への突破口であったことがあるのだと分かる。以降も、性愛を巡る情念を主要な主題として表現する女性作家として、大西泰世(「身のうちの最高音を見いだしぬ」)、山本乱(「薔薇抱きたまえ有刺鉄線抱きたまえ」)、情野千里情野千里(「人恋うは尿意に似たり踏みとどまれぬ」)がいる。女性作家に限定しなくても、戦後の前衛的な川柳の流れの中には、性愛をとりあげた作品はそれなりにある(とくに、「美少年ゼリーのように裸だね/中村冨二」、「少年を犯すダリアを装着し/榊陽子」、「あかぎれをアランと名づけ愛でている/飯島章友」[以上、小池正博編『はじめまして現代川柳』より引用]などは、 ジェンダーバイナリーを転覆する要素もあって面白い)。
 ただし、現代の川柳全体では、いまだ「狂句百年の弊」(川柳久良伎)を言い、「破礼句」を嫌う傾向、またそうした作品を発表するときにエクスキューズを必要とすると感じる傾向が強い。確かに、「川柳の三要素は〈うがち、滑稽、軽み〉である」と聞いて、じゃあ、下ネタでと下卑た笑いを狙う層は多そうだから、その意味での抑止力にはなっているのかもしれない。「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」が三要素の一面だけをとって、マジョリティの「あるある」を粘着的に表現してしまっているように、下ネタ川柳の氾濫は、アダルト・ビデオのタイトルや宣伝文句にそっくりのヘテロセクシャル男性の歪んだ性意識の溜まり場になりかねないとも思う。
 とはいえ、狂句時代の反省を言い過ぎて、全体としては性の主題を忌避する傾向になったことが、現在のきれいごとだけを言って満足の、多くの川柳大会の受賞句のような傾向につながっているのは間違いないところだ。単に扇情的なのはどうかだが、性愛は人間のイタイ感情や生態がいちばんのぞくところなのだから、「人間を描く」とくりかえしいいながら、性愛の主題を避けている文芸が、刺激に欠けたものになっていくのも道理である。そもそも、大正~昭和にかけて新川柳を起ちあげる際に排撃すべきだったのは、古くさい性意識や旧来の制度にもたれたステレオタイプを無批判に垂れ流すことで、新しい時代の性のとらえ方について(時代的制約があるとはいえ)十分にテーマに出来なかったことは、以降の川柳の弱みになっていると思われる。
 Twitterの「#性愛句集倶楽部」の試みを「大胆」としたのは、以上のような背景があるからである(「#性愛句集倶楽部」 https://twitter.com/nijiiro575からは、主催者の月波与生による選句~出版が計画されているのでここでは引用しない。おそらく、この記事が出た時点もまだ継続中だと思うので、みなさんも「#性愛句集倶楽部」のハッシュタグをつけてTwitter(あ、エックスでしたっけ? まあ、いいや)でつぶやいてみてください。川柳だけではなく、俳句でもOKです)。性愛に限らず、なんとなく避けられているテーマにつっかかっていくようでないと、「川柳って面白いね」とは一般にもならないだろうから、性愛ていどは避けている場合ではないですよね。