俳句を語るためには、俳句そのものについて語ろうとしてはならないのではないか? いきなりこのような前置きから始める訳は、前回にふれた短歌表現と同様に、俳句表現においても五七五という音節の基本的組合せが、表現の自由度を形式面から制約する結果には必ずしもなっていないと思われるからである。
短詩型文学のなかでも、音節数のもっとも少ないものが俳句であり、歴史的にみてもそれより短い音節での文芸的表出の痕跡が見当たらない事実は、俳句を織りなす十七音構成あたりが、日本語表現における文学の表現単位の短かさの限界なのではないかと、私に想像させる。
だが、すでにこうした判断のなかにも真相を曇らせる先入観は知らず知らずのうちに紛れ込んでいるのかもしれない。私などは俳句作品という場合に、あまり意識せずにその一行形態、すなわち五七五の十七基本音節からなる作品単体をつい思い浮かべてしまう。だがそのことは、俳句の表現単位がその一行形態そのものにあると、私が何の根拠もなく思い込んでいるからに過ぎないのではないか。
例えば百個の俳句をおさめた句集があったとき、それを個々に独立した百の作品が構成する単なる集合体として読むべきなのか、あるいは百の詩行をもつ行分け詩のようにそれを何らかの〝まとまり〟として読むべきなのか、あるいはそのいずれでもあって、又そのいずれでもないのか等々――原理面からそれを明解に言い当てることは、実は思いのほか難しい。だが、俳句作品のなかにつねに個々の作品体(記述体)を超出しつづける妙味を見出すことがしばしばの私にとって、この問題は一度きちんと考えておかなければならない主題であった。
齋藤愼爾の『永遠と一日』(思潮社 二○一一年)は、私のこうした問題意識とは関係なく、それ自体の強固な作品時間を展開する句集であることを言わずもがなの前提としたうえで、私は俳句のみならず、詩文学全体にも関わってくるだろうところの、ある本質的な問題にかんする考察の糸口を、齋藤氏のこの秀逸な句集から掘り起こしていきたいと願う。それを許すだけの質と度量をこの句集は具備していると思うからである。
(父)
山頂に父裁かるる芒かな
鷹の眼をもつ父のゐて枯木山
父いまも羽毛のこころに雲を漕ぐ
芒原出てより父の流離譚
引力に父は浮身の花野かな
狐火に声挙げ父の青の時
山冷えの空気を組み立ててゐる父よ
冬空の切っ先蒼む父の鬱
父の鬱はじまる水草の生ふところ
父の鬱柿色の柿地に落ちて
父死後の寒夕焼を楯とせり
亡父来て切り揃へたる寒の餅
齋藤氏の句集から、まず「父」という語を含んだ作品をすべて拾い出してみた。ただし、ここに並んだ順番は句集に収められているものとは違い、私が勝手に編集しなおした配列によっている。いったい私はこの操作によって何をしたかったのか?
一言でいえば、実際にこの句集を読むさいに自分が脳のなかで無意識に行っているある精神の作業を、目に見えるかたちで取り出したかったのである。どういうことか?
『永遠と一日』には全部で七四一句の作品が収められており、またその内部は四十六の小タイトルを持つユニット群から構成されている。各ユニットには少ないもので五~七句、多いものだと百句以上の作品が包含され、それぞれが緩い段落を形成している。
だが実際に私はこの句集を、そうしたことにはほとんど無頓着に読み進んでいった。そして印象により強く残った個々の作品を記憶にとどめながら、それらの内容に応じてそれらの記憶からなる複数の小宇宙(時間と空間の像)をみずからのうちに形成していったことに気づく。
先の「父」をテーマにした一連の作を例にいえば、私はこれらの作品からぼんやりとではあるが齋藤氏の描く「父」の全体的像(イメージ)を受け取り、それが私自身の「父」の記憶像と共有されることによって、ある表現的な価値として私のなかに鮮明に残り続けるという循環が、そこに生じたことを確認できるのである。
同様に「ちちはは」もしくは「父母」の語句を含んだ作品をすべて選んでみる。
(ちちはは/父母)
ちちははを容れてしまへば春の道
ちちははを辿り十三夜無月なり
ちちははと宿る次の世また雪か
父母の世のやうに鳥引きをへぬ
父母と過ぐ年の港の時雨れけり
父母を弑す冬の芒に逢ふために
ちちははも山また山もねまるなり
百越えて父母は木苺熟るる側
父母の世に露けき産衣を賜はりし
ちちははと一炊の夢春永し
百日紅父母未生より仮住ひ
死にたれば父母にこにこと端居せり
ちちははあにいもうとのやう桃の花
亡き父母が露の藜を運びをり
瞑りては父母をはなるる螢宿
父母未生以前原子炉の蛍
かいつぶり父よ母よとくぐりけり
母なくて病葉父なく破蓮
茅草を刈りふせ父も母もなし
花芒ちちはは永劫に隠れたる
ここでもまた、私はこれらの句を私が受け取ったイメージの流れに沿って配列し直している。そのことの意味について述べておきたい。
短歌や俳句などの短詩型文学は、フォルム(形式)とフォーマット(型式)で成り立つ。ただフォルム(形式)については可視的であっても、フォーマット(型式)については元来不可視なものであって、それがうまく了解できるかどうかにより、個々の作品の受け止められ方も当然変わってくる。フォーマット(型式)は個々の作品にとってはその隠れた背景(散文構造)の示唆であり、本句集においては各ユニットの小タイトルの表象機能がその役割を担わされていると言っていい。
しかし、実際に私がこの句集を読み進める内部過程においては、これらの小タイトルが示唆する作品の背景像はほとんど影響を与えることがなかった。齋藤氏の本句集はそれだけ、個々の作品記述(詩文)の自由度が相対的に大きく、逆にそれの非記述構造(散文構造)の拘束性が小さかったことを意味している。
とは言っても、フォーマット(型式)つまり作品の非記述構造へまったく依拠せずに表現間の価値連関を呼び起こすことはきわめて難しいので、読む者はそこで自らの印象だけを頼りに事後的に自分だけのフォーマット(型式)をつくりあげながら、同時進行で作品を読み進まなければならない事態が起きてくる。
その結果、「父」や「ちちはは/父母」を謳った作品が句集のなかにばらばらに散在していても、読む者はみずからの記憶においてそれらをある〝まとまり〟として受容することになり、それが彼のオリジナルな共感の輪を無意識につくりあげていくのであって、こうした精神の作業が幾重にも介在することではじめてひとつの句集の全体的な価値は、読む者の意識へと刻印されるにいたる。
私が先に齋藤氏の作品の配置をじぶんで勝手に並べ替えて示したのは、実をいえば、私がつくりあげた自らのフォーマット(型式)にそれらを落とし込んだ結果なのだ。普段は無意識に行っている内面の作業を、敢えてわざと眼に見えるように、こうして書き出したのである。すると、ここできわめて奇妙な事態が招来されることになる。
すなわち、本来ならば同一であるべきフォルム(形式)とフォーマット(型式)の帰属先が、分裂を余儀なくされてしまう事態が起こってしまうのだ。どういうことか?
当然のことながら個々の作品(記述体)のフォルム(形式)は作者の創出になるもので、ここは変わりようがない。読者が介在することで変ってしまうのはフォーマット(型式)のほうである。
句集に収録されたもののうち、ある一群の作品が読者によって強い〝まとまり〟として受認され、記憶され、その結果として共感がシェアされるということは、すでに作者が当初企図したフォーマット(型式)からそれらが引き剥がされ、読者がみずから創りあげた別のフォーマット(型式)へと転写されてしまった新たな事態を意味している。言い換えれば、フォルム(形式)は作者の側に帰属したままでも、フォーマット(型式)だけは読者の側に帰属するものへと、ここですり替わってしまうのだ。
ここまできて私はあの最初の問い、すなわち「百個の俳句をおさめた句集があったとき、それを個々に独立した百の作品が構成する単なる集合体として読むべきなのか、あるいは百の詩行をもつ行分け詩のようにそれを何らかの〝まとまり〟として読むべきなのか」という問いに対する回答の、ようやく端緒に立つことができたとの感触を持つ。
人はふつう他人の手になる百の俳句を読んでも、それらを全部記憶することはほぼ不可能だし、同時にそれら全部から均等に感銘を受けるなどということもまずないだろう。一番ありそうに思われるのは、百の作品のなかにとりわけ強く魅力を感じる作品がいくつかあって、ちょうどそれらを飛び石のように記憶することで、百の作品の総体的な印象を自分なりに練りあげていくケースである。
今回、私が述べたかったのは、このようなありふれた体験を、批評の言葉に普遍化して言い表わすことだった。
さらに想像を膨らませるなら、読者たる自分がとりわけ強く魅力を覚えた作品だけを取り出して一覧化できれば、それらはすでに私だけのフォーマット(型式)に書き写された〝まとまり〟すなわち〝百の詩行をもつ私だけの行分け詩〟に極めて近い実質を帯びてしまうのではないか。
最後に、齋藤氏の『永遠と一日』から私が半端ならぬ魅力を受け取った作品だけを、以下に抜粋してみる。
たましひに閂(かんぬき)かける冬構え
わが死後の雪美しき昔かな
螢火は戸籍抄本燃す火種
身ひとつを遺失物とし十三夜
天地(あめつち)の間に喪服を掛けておく
鬼女二人三人死人紅葉山
前の世の客が来てゐる曼珠沙華
重力にすこし引力月見草
白魚を啜り此の世にかかはれり
原子炉の火の消えぎはに花の種
真つ白な犀が来てゐる春の風邪
マント着てみみづくよりも老成す
なきがらを排泄したり青山河
鰯雲いづこに身捨つるほどの国
露の世の無明の奥処に原子の火
チェルノブイリ以前大和で土筆摘み
白文の一行となり瀧涸るる
疫(えやみ)星(ぼし)詩歌かたぶきつつあるか
春月の周りは四億年の海
青天に巨いなる眼ありて風花す
障子貼り水の惑星疎くせり
銀河まで青葉の地球を過ぐるのみ
原子の火黄泉の子らも影踏むや
蛇の穴もうこの世へは誰も来ぬ
白椿この世の時間と虚の時間
日月と水の惑星春隣
遠き星の爆発吾を的にして
酉の市マントの中のカフカかな
天心に月瓦礫のごとくあり
家系図の始めに螢墨書され
親ひとり子ひとりに原子炉の蛍
やはりこれらも句集への収録順序を全部無視して、私のイメージに合わせ再配列しなおしたものだ。どの作品も私が好きなものばかりを選んでいる。だが、全体を概観すると、何故か一篇の行分け詩を読んでいる気分に捉われてしまうのは気のせいだろうか。
ただ、こうした些細な発見に何か特別な意味があるのかどうか、即座には判別できないにしろ、私自身の俳句作品の楽しみ方が、実はこうした無意識のプロセスに拠っているということだけは、ここで白状しておかねばならないだろう。
本当なら、こういう不埒な隠し事は公表すべきではないのだろうし、何より作者にも作品にも失礼だということは重々承知である。だが、私にとって齋藤氏の『永遠と一日』が与えてくれる魅力の一端は、およそこのような眺望になるだろうということを仮説として投げかけるために、敢えて公表した次第である。(齋藤さん、ごめんなさい。)
短詩型文学のなかでも、音節数のもっとも少ないものが俳句であり、歴史的にみてもそれより短い音節での文芸的表出の痕跡が見当たらない事実は、俳句を織りなす十七音構成あたりが、日本語表現における文学の表現単位の短かさの限界なのではないかと、私に想像させる。
だが、すでにこうした判断のなかにも真相を曇らせる先入観は知らず知らずのうちに紛れ込んでいるのかもしれない。私などは俳句作品という場合に、あまり意識せずにその一行形態、すなわち五七五の十七基本音節からなる作品単体をつい思い浮かべてしまう。だがそのことは、俳句の表現単位がその一行形態そのものにあると、私が何の根拠もなく思い込んでいるからに過ぎないのではないか。
例えば百個の俳句をおさめた句集があったとき、それを個々に独立した百の作品が構成する単なる集合体として読むべきなのか、あるいは百の詩行をもつ行分け詩のようにそれを何らかの〝まとまり〟として読むべきなのか、あるいはそのいずれでもあって、又そのいずれでもないのか等々――原理面からそれを明解に言い当てることは、実は思いのほか難しい。だが、俳句作品のなかにつねに個々の作品体(記述体)を超出しつづける妙味を見出すことがしばしばの私にとって、この問題は一度きちんと考えておかなければならない主題であった。
齋藤愼爾の『永遠と一日』(思潮社 二○一一年)は、私のこうした問題意識とは関係なく、それ自体の強固な作品時間を展開する句集であることを言わずもがなの前提としたうえで、私は俳句のみならず、詩文学全体にも関わってくるだろうところの、ある本質的な問題にかんする考察の糸口を、齋藤氏のこの秀逸な句集から掘り起こしていきたいと願う。それを許すだけの質と度量をこの句集は具備していると思うからである。
(父)
山頂に父裁かるる芒かな
鷹の眼をもつ父のゐて枯木山
父いまも羽毛のこころに雲を漕ぐ
芒原出てより父の流離譚
引力に父は浮身の花野かな
狐火に声挙げ父の青の時
山冷えの空気を組み立ててゐる父よ
冬空の切っ先蒼む父の鬱
父の鬱はじまる水草の生ふところ
父の鬱柿色の柿地に落ちて
父死後の寒夕焼を楯とせり
亡父来て切り揃へたる寒の餅
齋藤氏の句集から、まず「父」という語を含んだ作品をすべて拾い出してみた。ただし、ここに並んだ順番は句集に収められているものとは違い、私が勝手に編集しなおした配列によっている。いったい私はこの操作によって何をしたかったのか?
一言でいえば、実際にこの句集を読むさいに自分が脳のなかで無意識に行っているある精神の作業を、目に見えるかたちで取り出したかったのである。どういうことか?
『永遠と一日』には全部で七四一句の作品が収められており、またその内部は四十六の小タイトルを持つユニット群から構成されている。各ユニットには少ないもので五~七句、多いものだと百句以上の作品が包含され、それぞれが緩い段落を形成している。
だが実際に私はこの句集を、そうしたことにはほとんど無頓着に読み進んでいった。そして印象により強く残った個々の作品を記憶にとどめながら、それらの内容に応じてそれらの記憶からなる複数の小宇宙(時間と空間の像)をみずからのうちに形成していったことに気づく。
先の「父」をテーマにした一連の作を例にいえば、私はこれらの作品からぼんやりとではあるが齋藤氏の描く「父」の全体的像(イメージ)を受け取り、それが私自身の「父」の記憶像と共有されることによって、ある表現的な価値として私のなかに鮮明に残り続けるという循環が、そこに生じたことを確認できるのである。
同様に「ちちはは」もしくは「父母」の語句を含んだ作品をすべて選んでみる。
(ちちはは/父母)
ちちははを容れてしまへば春の道
ちちははを辿り十三夜無月なり
ちちははと宿る次の世また雪か
父母の世のやうに鳥引きをへぬ
父母と過ぐ年の港の時雨れけり
父母を弑す冬の芒に逢ふために
ちちははも山また山もねまるなり
百越えて父母は木苺熟るる側
父母の世に露けき産衣を賜はりし
ちちははと一炊の夢春永し
百日紅父母未生より仮住ひ
死にたれば父母にこにこと端居せり
ちちははあにいもうとのやう桃の花
亡き父母が露の藜を運びをり
瞑りては父母をはなるる螢宿
父母未生以前原子炉の蛍
かいつぶり父よ母よとくぐりけり
母なくて病葉父なく破蓮
茅草を刈りふせ父も母もなし
花芒ちちはは永劫に隠れたる
ここでもまた、私はこれらの句を私が受け取ったイメージの流れに沿って配列し直している。そのことの意味について述べておきたい。
短歌や俳句などの短詩型文学は、フォルム(形式)とフォーマット(型式)で成り立つ。ただフォルム(形式)については可視的であっても、フォーマット(型式)については元来不可視なものであって、それがうまく了解できるかどうかにより、個々の作品の受け止められ方も当然変わってくる。フォーマット(型式)は個々の作品にとってはその隠れた背景(散文構造)の示唆であり、本句集においては各ユニットの小タイトルの表象機能がその役割を担わされていると言っていい。
しかし、実際に私がこの句集を読み進める内部過程においては、これらの小タイトルが示唆する作品の背景像はほとんど影響を与えることがなかった。齋藤氏の本句集はそれだけ、個々の作品記述(詩文)の自由度が相対的に大きく、逆にそれの非記述構造(散文構造)の拘束性が小さかったことを意味している。
とは言っても、フォーマット(型式)つまり作品の非記述構造へまったく依拠せずに表現間の価値連関を呼び起こすことはきわめて難しいので、読む者はそこで自らの印象だけを頼りに事後的に自分だけのフォーマット(型式)をつくりあげながら、同時進行で作品を読み進まなければならない事態が起きてくる。
その結果、「父」や「ちちはは/父母」を謳った作品が句集のなかにばらばらに散在していても、読む者はみずからの記憶においてそれらをある〝まとまり〟として受容することになり、それが彼のオリジナルな共感の輪を無意識につくりあげていくのであって、こうした精神の作業が幾重にも介在することではじめてひとつの句集の全体的な価値は、読む者の意識へと刻印されるにいたる。
私が先に齋藤氏の作品の配置をじぶんで勝手に並べ替えて示したのは、実をいえば、私がつくりあげた自らのフォーマット(型式)にそれらを落とし込んだ結果なのだ。普段は無意識に行っている内面の作業を、敢えてわざと眼に見えるように、こうして書き出したのである。すると、ここできわめて奇妙な事態が招来されることになる。
すなわち、本来ならば同一であるべきフォルム(形式)とフォーマット(型式)の帰属先が、分裂を余儀なくされてしまう事態が起こってしまうのだ。どういうことか?
当然のことながら個々の作品(記述体)のフォルム(形式)は作者の創出になるもので、ここは変わりようがない。読者が介在することで変ってしまうのはフォーマット(型式)のほうである。
句集に収録されたもののうち、ある一群の作品が読者によって強い〝まとまり〟として受認され、記憶され、その結果として共感がシェアされるということは、すでに作者が当初企図したフォーマット(型式)からそれらが引き剥がされ、読者がみずから創りあげた別のフォーマット(型式)へと転写されてしまった新たな事態を意味している。言い換えれば、フォルム(形式)は作者の側に帰属したままでも、フォーマット(型式)だけは読者の側に帰属するものへと、ここですり替わってしまうのだ。
ここまできて私はあの最初の問い、すなわち「百個の俳句をおさめた句集があったとき、それを個々に独立した百の作品が構成する単なる集合体として読むべきなのか、あるいは百の詩行をもつ行分け詩のようにそれを何らかの〝まとまり〟として読むべきなのか」という問いに対する回答の、ようやく端緒に立つことができたとの感触を持つ。
人はふつう他人の手になる百の俳句を読んでも、それらを全部記憶することはほぼ不可能だし、同時にそれら全部から均等に感銘を受けるなどということもまずないだろう。一番ありそうに思われるのは、百の作品のなかにとりわけ強く魅力を感じる作品がいくつかあって、ちょうどそれらを飛び石のように記憶することで、百の作品の総体的な印象を自分なりに練りあげていくケースである。
今回、私が述べたかったのは、このようなありふれた体験を、批評の言葉に普遍化して言い表わすことだった。
さらに想像を膨らませるなら、読者たる自分がとりわけ強く魅力を覚えた作品だけを取り出して一覧化できれば、それらはすでに私だけのフォーマット(型式)に書き写された〝まとまり〟すなわち〝百の詩行をもつ私だけの行分け詩〟に極めて近い実質を帯びてしまうのではないか。
最後に、齋藤氏の『永遠と一日』から私が半端ならぬ魅力を受け取った作品だけを、以下に抜粋してみる。
たましひに閂(かんぬき)かける冬構え
わが死後の雪美しき昔かな
螢火は戸籍抄本燃す火種
身ひとつを遺失物とし十三夜
天地(あめつち)の間に喪服を掛けておく
鬼女二人三人死人紅葉山
前の世の客が来てゐる曼珠沙華
重力にすこし引力月見草
白魚を啜り此の世にかかはれり
原子炉の火の消えぎはに花の種
真つ白な犀が来てゐる春の風邪
マント着てみみづくよりも老成す
なきがらを排泄したり青山河
鰯雲いづこに身捨つるほどの国
露の世の無明の奥処に原子の火
チェルノブイリ以前大和で土筆摘み
白文の一行となり瀧涸るる
疫(えやみ)星(ぼし)詩歌かたぶきつつあるか
春月の周りは四億年の海
青天に巨いなる眼ありて風花す
障子貼り水の惑星疎くせり
銀河まで青葉の地球を過ぐるのみ
原子の火黄泉の子らも影踏むや
蛇の穴もうこの世へは誰も来ぬ
白椿この世の時間と虚の時間
日月と水の惑星春隣
遠き星の爆発吾を的にして
酉の市マントの中のカフカかな
天心に月瓦礫のごとくあり
家系図の始めに螢墨書され
親ひとり子ひとりに原子炉の蛍
やはりこれらも句集への収録順序を全部無視して、私のイメージに合わせ再配列しなおしたものだ。どの作品も私が好きなものばかりを選んでいる。だが、全体を概観すると、何故か一篇の行分け詩を読んでいる気分に捉われてしまうのは気のせいだろうか。
ただ、こうした些細な発見に何か特別な意味があるのかどうか、即座には判別できないにしろ、私自身の俳句作品の楽しみ方が、実はこうした無意識のプロセスに拠っているということだけは、ここで白状しておかねばならないだろう。
本当なら、こういう不埒な隠し事は公表すべきではないのだろうし、何より作者にも作品にも失礼だということは重々承知である。だが、私にとって齋藤氏の『永遠と一日』が与えてくれる魅力の一端は、およそこのような眺望になるだろうということを仮説として投げかけるために、敢えて公表した次第である。(齋藤さん、ごめんなさい。)
(続く)