「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評134回 詠まれる病――菊池洋勝『聖樹』から 谷村 行海

2021年03月30日 | 日記

  春の日や病牀にして絵の稽古
  今生は病む生なりき鳥兜
  たましひの繭となるまで吹雪けり
  呼吸器と同じコンセントに聖樹

 以上の4句を句会で見たとき、あなたはどの句を選ぶだろうか(すべて選ばないという人ももちろんいるだろう)。いずれも有名句ではあるが、念のためそれぞれの句の作者を記しておくと、上から順に、正岡子規、石田波郷、齋藤玄、そして菊池洋勝となる。
 上記4句はすべて病を詠んでいるが、向き合い方が異なる。正岡子規の句は死の前年に詠まれたものだが、病気を患いながらも生きる気力を失わないポジティブな姿勢がみられ、石田波郷と齋藤玄は病を通して切実に人生を思う。最後の菊池洋勝の句は、呼吸器がなければ生きることができないというのに、そのコンセントに聖樹の電源プラグが挿されるという一種皮肉めいたものがある。
 作者名が付されていなかったとしても、どの句も句会に出たときに個性の強さが際立つことだろう。
 しかし、現実の句会の場に出される病の句はどうか。もちろん個性的な句も見かけはするのだが、病のつらさばかりに焦点を当て、しかもその焦点の当て方に個性が薄い句のほうがそれ以上に多い気がしてしまう。
 だからこそ、数年前に菊池洋勝の句を見たときには大変な感銘を受けた。その彼の第一句集『聖樹』が上梓された。

  春爛漫ナースに糞を褒めらるる  菊池洋勝
  百均で足りる入院準備かな    同上
  蟻に噛まれた足を切る話聞く   同上

 彼は先天性の筋ジストロフィーを患っており、指定難病にも指定されているように病としてはかなりの重病と言える。だが、彼の句にはその病のマイナス面よりも、病を通した彼の生き方やものの見方が色濃く映し出されている。
 掲句1句目は闘病生活で確かに「ある」話だ。糞を褒められるということはもちろん体調がよくなった証拠でもある。とはいえ、恥ずかしい気持ちも同時に生まれてしまい、その照れから積極的に詠もうとする人は少ないような気がする。しかし、彼はそのようなことはせず、むしろそういった側面も積極的に詠んでいく。生身の彼自身が句の奥から見えてくるようにすら思える。
 2句目は聖樹の句のようにとてもアイロニカルな句だ。百均は大量消費社会の象徴的存在でもある。もちろん、そこには洗面用具や衣類など、入院生活に必要なものが揃いに揃っている。このように文明が進み、必要なものを迅速かつ安価で入手できるようになりはしたが、肝心の治療の方はどうか。当然、治療のほうも進歩しているはずなのだが、その成果が見えにくいのではないか。身近なものを安く手に入れられたにもかかわらず、もしかしたらこれが悪い意味で最後の入院になる可能性だって出てくる。そんなことを思うと、入院準備を契機にした現代批評的な側面もみえてくる気がする。
 最後の句は感情が一切書かれていないのが怖い。尾崎放哉の代表句の1つ「肉が痩せてくる太い骨である」も感情はないが、この句は自身のことを詠んでいる。対して、足を切られた人物はどのような表情をしてこの話を語り、また、聞き手もどのような表情を浮かべているのだろうか。洋勝の句は淡々と書かれていて、淡々と書かれているがゆえにその奇妙さ・話の怖さが浮き出てくる。

  水祝恋の敵と名のりけり     正岡子規
  遅れてごめん彼女と同じものを  菊池洋勝
  君を呼ぶ内緒話や鮟鱇汁     正岡子規
  缶ビール一本会話尽きてをり   菊池洋勝
  大三十日愚なり元日猶愚也    正岡子規
  録画して見ずに消したる年の暮  菊池洋勝

 さて、以上何句かとりあげてみたが、彼は自身のTwitter(@kikutitc)のプロフィールにも書いている通り、正岡子規をリスペクトしている。そのことを考えてみると、掲句のようにユーモアや振る舞いぶり・態度など、どことなく正岡子規と相通じるところがある気がしてならない。

  かたまりて黄なる花さく夏野哉  正岡子規
  秋の蚊のよろよろと来て人を刺す 同上
  竿竹の限りに干せる日永かな   菊池洋勝
  鶏頭の首に篭りし昼の熱     同上

 大きく違うところを考えるとやはり写生だろうか。周知のように、子規は俳句革新として写生を重視した。掲句2句はどちらも明確な写生句で、平凡と言えば平凡な句ともとらえられる。しかし、句を何度も読み返すうちに、「かたまり」や「よろよろ」などの修辞から、他者や自身を寓意化したようにも読めてきて、子規の提唱する写生観の通りに味わい深く感じられる。
 一方の洋勝の写生句については、細部まで目線が行き届いているものの、奥行きが子規と比べると薄いような印象を受けてしまう。また、寓意的に詠むよりも、「政治家がマスクで有権者に媚びる」のように、ストレートに詠むことを好んでもいるようだ。

 総じて、菊池洋勝の写生、社会詠については物足りなさを感じてしまう。しかし、前述のように、病に対するアプローチについては目を見張るものがある。俳句において病を詠む際の一種の方向性を指し示している気がしてならない。

 

【参考資料】
高浜虚子選『子規句集』岩波文庫、1993年
尾崎放哉『尾崎放哉句集』春陽堂、2002年
あらきみほ『図説・俳句』日東書院、2011年
現代俳句協会青年部編『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』ふらんす堂、2018年
菊池洋勝『聖樹』毎週web句会、2021年


俳句評 林田紀音夫全句集(2006・富士見書房)より 鈴木康太

2021年03月21日 | 日記

 林田紀音夫、という俳人を知ったのはつい三日前のことでした。
 最初に知った句は(ネットにのっていた)、

  黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ

 という句なのですが、この読者である僕の肉体にささやいてくるのではなく、撃ってくるような言葉に快感を受け、一気に引き込まれこれを題材にしようと思いました。困ったのは、わずかな流通経路のなかで手に入れたこの本に、俳句がおよそ一万句納められているということ、しかもどれもめっちゃいい句で頭がパンクしそうになること。締め切りが五日後なこと……そこで思いついたのは、選句にルールをつくるということ。まず、

①林田さんの生前の代表句集『風蝕』『幻燈』にはふれない。
②それでも膨大なので、目をつぶって思い立ったページをひらき、(コックリさん風に)指さし決める。
③4回でやめとく。

 なので、ちょっとかなりの荒ワザで林田ファンの方にはご迷惑かけるかもしれません。すみませんよろしくおねがいしまずはん。
 さてさっそく、②をはじめるために目を閉じる。ところで「目を閉じる」とは(スピリチュアルな感じでよもやまだが)、自己の内面にとりかかる最初の行為である。始まりつつある大洪水にのまれる瞬間である。

 378頁、ちょうど指は、二つの句の間を指す。

  刺繍の絹漂う水の夜がきて
  湯に沈む囚われびとのさびしさで

 どちらも「死」という単語はないが、どことなく「死」っぽい。
 どちらも肉体が主体となって、手は仕事に染まる。「刺繍の……」を読んでなぜかプラネタリウムのパネルを想像した。半球体を縦と横に十字に区切っている心細い線。朝と昼の時間を示す人工的な水色。体が汚れないのは怖ろしいことだと読んでおもった。体の手応え、これはイメージの爆発を決定する。つまり「死」だ。縫い物が苦手な私キネオは、刺繍の最中に針で指をさしてしまった。絹についた。水で洗った。桶は微小な血で夕暮れ、やがて夜がきた。その水に沈んだキネオの血は桶の中囚われる。さびしい。夜の中に夕暮れがある。流れる時間の中で、ひとつの感情が漂うとともに訴えてくる。
 ちなみに288頁に、

  浴槽に首浮く死者のひとりとなり

 という句がある。グロテスクな絵が浮かぶ。浴槽の中には多数の首があるということだ。浴槽はどのくらいの大きさで、浮いている首はどのくらいの密度で存在しているのだろう。首はうつぶせだろうか仰向けだろうか。死者のひとりとなったという事、どういう死に方をしたんだろう。苦しかったのだろうか。そもそも「死」とは苦痛なもの、だろうか。苦痛、とは苦痛そのものよりも、苦痛であるという経験の予想に苦痛を覚えるものです。なのでこれを読むと、死、は生のすぐそばにあるような気がする。

 413頁。

  風花の昨日におなじ身のほとり

 「ほとり」という言葉がでると、地平線のことを考えてしまう。風花とは、晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。キネオは人間からはなれ、舞っている。そこで突然あらわれた異星人が、「おおキネオ、彗星になったのかい」と聞く。キネオは言う。「わたしは風邪を引いてしまいました、鼻水がとまりません」放浪の途中でキネオは気づき異星人に言う。「……あと星はいくつあるでしょう」異星人とは、風花の昨日の人だったのかもしれない。異星人とは昨日と今日の間で死ぬらしいわたしのことなのかもしれない。
 異星人とは本人とは全く違う価値観の持ち主で、その異星人は言う。「それってあなたの感想ですよね」、たしかに感想としかいえない。でもその異星人がなにか世界の代弁者ともいいたいのだろうか。舞い降りたさきは「おなじ身」であった。このようにわからないことも多い。次の句もおなじように。

  身に触れて宙にとどまる赤蜻蛉

 赤蜻蛉が宙にとどまっているときどんな気分だろう、とぼくも考えたことがあって、最終的にはどこか植物とか電柱とかに止まるんだろうけど、喉仏が唾をのみこむように、その所作は無意識に行われている。一瞬のものと持続するものとの不思議な結びつき、がここでは鮮やかに予感しながら捉えられている。

 337頁。

  綾とりの取残された日差しうすれ

 感想をいっていると、だんだんと心が孤立してくる。私の気持ちがなまなましいのでどんどん腐っていくのだ。だから、句を、その孤立から解き放って対象のなかへ入っていくしかない。林田さんの『風蝕』に続出する「死」の言葉は腐ることを拒まない(黄や青や赤の……みたいな)。取り残されることを拒まないし、取り残したほうも拒まない。今キネオは綾とりという想像力の迷路に入り込んで触れる日差しに対して手をかざしている。綾とりの正常な使いみちをしらない。大人はそれを箒だと思う。でも私はそれを「無のあそび」だと思いたい。私は私自身が眼をとじながらやっている。このあそびは、事物に体系を与え、その外見から本質を分離するのに役立つ。これは成長なのかなんなのかはわからない。でも、あそびから派生する気づきは多い。

  梅折って足あとのないひるさがり

 ひるさがりという空虚が梅を折るおののきによって自分の内部にとりいれられているような、これもなにか生のさびしさを語っているような句で足あとはないのですが独立したかんじがします。人間は残念ながら飛べないのでジャンプをします。そのまま消えちゃったり死んじゃったりしたようなとても虚しそうな「ひるさがり」とも思えます。

 271頁。

  畳これ以上ひろがらず忘れた日記

 ネットスラングで「草」と書き間違えて「」にしてしまったようなかわいい悲哀がある。……ぼくはここまで書いてきて、林田紀音夫の俳句には季語がないということに気づいた(藁)季語がない俳句のことを「無季俳句」というらしく、帯文に丁寧にキネオさんが説明してくれているのだが……

 俳句とは奇形の文体であると認識し、季と文語定型を必須条件とは考えない。縁遠くなった口碑としてのめでたさの幻を追いながら、虚のゆらめきといったものを志向してゆきたい。

 ……たしかに、この句には「虚」があります。これいじょうひろがらないのは致し方ないのだけど、青春一歩前でとまってしまった日記とどこか共通点があるように思えるのです。謎はなかなかとけません。だからこそ俳人の生理と社会をむすびつける糸について考えずにはいられない。行き着く先は闇の底かも知れないし、明るい空なのかもしれない。
 時間や世界は前に進むけれども、林田さんは「虚のゆらめき」なのだ。それにふれることは「真実の裸との出会い」のようだ。

  ジャムの蓋開いて大きな穴となる

 ……ちょっと分かる気がする。というのも、開ける手のほうだ。開けた後あの「ポンッ」とした音で気づく、わたしの無骨な手のことだ。私のほうのからだに大きな穴があいて死に向かって一歩一歩進んでいることに気づきながら、同時に別のことを気にしている。それは生なのかもしれない。味覚なのかもしれない。いちごの粒なのかもしれない。透明な「忘れた日記」にそれを記せばいい。透明な光は、弱さの糸に縫い込まれてジャムの蓋をふたたび閉める。僕の目もとじる。最後にアンコールの句を選ぶ……

  いつか星ぞら屈葬の他は許されず

 古びない感じ。すーっと入ってきます。

以上


俳句評 林田紀音夫全句集(2006年・富士見書房)より 鈴木康太

2021年03月21日 | 日記

 林田紀音夫、という俳人を知ったのはつい三日前のことでした。
 最初に知った句は(ネットにのっていた)、

  黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ

 という句なのですが、この読者である僕の肉体にささやいてくるのではなく、撃ってくるような言葉に快感を受け、一気に引き込まれこれを題材にしようと思いました。困ったのは、わずかな流通経路のなかで手に入れたこの本に、俳句がおよそ一万句納められているということ、しかもどれもめっちゃいい句で頭がパンクしそうになること。締め切りが五日後なこと……そこで思いついたのは、選句にルールをつくるということ。まず、

①林田さんの生前の代表句集『風蝕』『幻燈』にはふれない。
②それでも膨大なので、目をつぶって思い立ったページをひらき、(コックリさん風に)指さし決める。
③4回でやめとく。

 なので、ちょっとかなりの荒ワザで林田ファンの方にはご迷惑かけるかもしれません。すみませんよろしくおねがいしまずはん。
 さてさっそく、②をはじめるために目を閉じる。ところで「目を閉じる」とは(スピリチュアルな感じでよもやまだが)、自己の内面にとりかかる最初の行為である。始まりつつある大洪水にのまれる瞬間である。

 378頁、ちょうど指は、二つの句の間を指す。

  刺繍の絹漂う水の夜がきて
  湯に沈む囚われびとのさびしさで

 どちらも「死」という単語はないが、どことなく「死」っぽい。
 どちらも肉体が主体となって、手は仕事に染まる。「刺繍の……」を読んでなぜかプラネタリウムのパネルを想像した。半球体を縦と横に十字に区切っている心細い線。朝と昼の時間を示す人工的な水色。体が汚れないのは怖ろしいことだと読んでおもった。体の手応え、これはイメージの爆発を決定する。つまり「死」だ。縫い物が苦手な私キネオは、刺繍の最中に針で指をさしてしまった。絹についた。水で洗った。桶は微小な血で夕暮れ、やがて夜がきた。その水に沈んだキネオの血は桶の中囚われる。さびしい。夜の中に夕暮れがある。流れる時間の中で、ひとつの感情が漂うとともに訴えてくる。
 ちなみに288頁に、

  浴槽に首浮く死者のひとりとなり

 という句がある。グロテスクな絵が浮かぶ。浴槽の中には多数の首があるということだ。浴槽はどのくらいの大きさで、浮いている首はどのくらいの密度で存在しているのだろう。首はうつぶせだろうか仰向けだろうか。死者のひとりとなったという事、どういう死に方をしたんだろう。苦しかったのだろうか。そもそも「死」とは苦痛なもの、だろうか。苦痛、とは苦痛そのものよりも、苦痛であるという経験の予想に苦痛を覚えるものです。なのでこれを読むと、死、は生のすぐそばにあるような気がする。

 413頁。

  風花の昨日におなじ身のほとり

 「ほとり」という言葉がでると、地平線のことを考えてしまう。風花とは、晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。キネオは人間からはなれ、舞っている。そこで突然あらわれた異星人が、「おおキネオ、彗星になったのかい」と聞く。キネオは言う。「わたしは風邪を引いてしまいました、鼻水がとまりません」放浪の途中でキネオは気づき異星人に言う。「……あと星はいくつあるでしょう」異星人とは、風花の昨日の人だったのかもしれない。異星人とは昨日と今日の間で死ぬらしいわたしのことなのかもしれない。
 異星人とは本人とは全く違う価値観の持ち主で、その異星人は言う。「それってあなたの感想ですよね」、たしかに感想としかいえない。でもその異星人がなにか世界の代弁者ともいいたいのだろうか。舞い降りたさきは「おなじ身」であった。このようにわからないことも多い。次の句もおなじように。

  身に触れて宙にとどまる赤蜻蛉

 赤蜻蛉が宙にとどまっているときどんな気分だろう、とぼくも考えたことがあって、最終的にはどこか植物とか電柱とかに止まるんだろうけど、喉仏が唾をのみこむように、その所作は無意識に行われている。一瞬のものと持続するものとの不思議な結びつき、がここでは鮮やかに予感しながら捉えられている。

 337頁。

  綾とりの取残された日差しうすれ

 感想をいっていると、だんだんと心が孤立してくる。私の気持ちがなまなましいのでどんどん腐っていくのだ。だから、句を、その孤立から解き放って対象のなかへ入っていくしかない。林田さんの『風蝕』に続出する「死」の言葉は腐ることを拒まない(黄や青や赤の……みたいな)。取り残されることを拒まないし、取り残したほうも拒まない。今キネオは綾とりという想像力の迷路に入り込んで触れる日差しに対して手をかざしている。綾とりの正常な使いみちをしらない。大人はそれを箒だと思う。でも私はそれを「無のあそび」だと思いたい。私は私自身が眼をとじながらやっている。このあそびは、事物に体系を与え、その外見から本質を分離するのに役立つ。これは成長なのかなんなのかはわからない。でも、あそびから派生する気づきは多い。

  梅折って足あとのないひるさがり

 ひるさがりという空虚が梅を折るおののきによって自分の内部にとりいれられているような、これもなにか生のさびしさを語っているような句で足あとはないのですが独立したかんじがします。人間は残念ながら飛べないのでジャンプをします。そのまま消えちゃったり死んじゃったりしたようなとても虚しそうな「ひるさがり」とも思えます。

 271頁。

  畳これ以上ひろがらず忘れた日記

 ネットスラングで「草」と書き間違えて「」にしてしまったようなかわいい悲哀がある。……ぼくはここまで書いてきて、林田紀音夫の俳句には季語がないということに気づいた(藁)季語がない俳句のことを「無季俳句」というらしく、帯文に丁寧にキネオさんが説明してくれているのだが……

 俳句とは奇形の文体であると認識し、季と文語定型を必須条件とは考えない。縁遠くなった口碑としてのめでたさの幻を追いながら、虚のゆらめきといったものを志向してゆきたい。

 ……たしかに、この句には「虚」があります。これいじょうひろがらないのは致し方ないのだけど、青春一歩前でとまってしまった日記とどこか共通点があるように思えるのです。謎はなかなかとけません。だからこそ俳人の生理と社会をむすびつける糸について考えずにはいられない。行き着く先は闇の底かも知れないし、明るい空なのかもしれない。
 時間や世界は前に進むけれども、林田さんは「虚のゆらめき」なのだ。それにふれることは「真実の裸との出会い」のようだ。

  ジャムの蓋開いて大きな穴となる

 ……ちょっと分かる気がする。というのも、開ける手のほうだ。開けた後あの「ポンッ」とした音で気づく、わたしの無骨な手のことだ。私のほうのからだに大きな穴があいて死に向かって一歩一歩進んでいることに気づきながら、同時に別のことを気にしている。それは生なのかもしれない。味覚なのかもしれない。いちごの粒なのかもしれない。透明な「忘れた日記」にそれを記せばいい。透明な光は、弱さの糸に縫い込まれてジャムの蓋をふたたび閉める。僕の目もとじる。最後にアンコールの句を選ぶ……

  いつか星ぞら屈葬の他は許されず

 古びない感じ。すーっと入ってきます。

以上


俳句時評133回 ふるさとは――杉浦圭祐『異地』 若林 哲哉

2021年03月13日 | 日記

 『異地』(現代俳句協会)は、杉浦圭祐の第一句集である。〈七〇二頁に蜘蛛の子の死骸〉や〈箸の影ちりめんじゃこに届きけり〉といった静かな写生句から、〈教授饒舌楓が紅くなる理由〉、〈源五郎水族館と知らされず〉といったユーモアのある句まで、幅広く収められている。中でも目を引くのは「神火」と題された章で、著者の出身地である和歌山県新宮市で二月六日に開催される御燈祭に際して詠まれた句群である。著者も毎年、「上り子」(のぼりこ)として祭に参加し、松明を掲げながら石段を駆け下るのだと言う。
 ところで、句集の題である『異地』は、熊野のことを指している。

 帰る目的はいろいろだったが、熊野に帰っても「帰省」という言葉を聞いて想起するようなどこか心安らぐというような気持ちは私にはなかった。熊野は「異郷」や「異境」などと言われることもあるが、私にとっては異地と呼ぶのが相応しい。私には熊野は今でもなお異地である。(あとがきより抜粋)

 杉浦圭祐さんが生地「熊野」を「異地」と感じているのも、どこにもない実の熊野と、概念の熊野との折合いの狭間での擦過傷のような思いであるかもしれないのだ。この思いを理屈抜きに整合しているのが、上り子として手にする「神火」であるのだろう。おそらく二月六日の火には概念の熊野ならぬ実の熊野が満ちていて、満身でもってこの火に親和しているのだろうと思う。(跋――宇多喜代子より抜粋)

 「神火」は、全七章から成る『異地』の第四章にあたり、その以前の章・以後の章とは明確な関連はないように思われる。それゆえ、読者は、まさしく「異地」に迷い込んだかのような感覚で、その句群を目にすることになる。

  上り子は身元不明の白頭巾
  岩の窪それぞれに水春夕焼
  大股に座す神の火を待つあいだ
  岩肌のいくすじ凍る御燈かな
  背に移る上り子の火を叩き消す

 これはあくまでも推測だが、御燈祭に参加する男性を「上り子」と呼ぶのは、ただ山上の神社に参拝するためだという訳ではなく、アニミズム的信仰に基づいて火を畏れつつも、邪気を払わんと上り子どうしで松明の火をぶつけ合う祭の高揚感の中で、神という存在に近づこうとすること、すなわち人間が高次の存在に「上る」(上ろうとする)という意味もあるのではないだろうか。一連の句群の中に、祭事の神秘を纏った句と、上り子の人間らしい振る舞いが描かれた句が入り混じることで、却って臨場感が生まれている。
 宇多喜代子氏は跋文で、二月六日の神火には「実の熊野」が満ちていて、杉浦氏がそれに親和していると述べているが、実は御燈祭も、杉浦氏の中で「概念の熊野」となりつつあるのではないかと思う。というのも、宇多氏は、杉浦氏が熊野を「異地」とする所以を、「どこにもない実の熊野と、概念の熊野との折合いの狭間での擦過傷のような思いかもしれない」と考えているようだが、それは、杉浦氏の自己同一性が、和歌山の新宮ひいては熊野に立脚しており、また、そこに回帰するものであるという前提を帯びることになる。

 私には熊野は今でもなお異地である。では、熊野から出た外部、つまりこれまで住んできたいろいろな土地はどうだ。私はどこに住んでも何故か余所者であるといった感じが抜けない。今生活している京都も異地と言えるのかもしれない。(あとがきより抜粋)

『異地』の終盤の一句、

  ふるさとはひと減るばかり年の暮

 この句の「ふるさと」もおそらく熊野を指すのであろう。毎年、御燈祭に参加するべく帰ってはいるものの、その土地で人口が減っていることをどこか他人事のようにさえ感じてしまう。取り立ての「」に滲む距離感がほろ苦い。
 宇多氏の言う「擦過傷」があるとすれば、それは、熊野に生まれたという属性と、杉浦氏の内情との間にあるのではないだろうか。熊野に生まれながら、熊野を「異地」と捉えていることの奥で、「概念の熊野」に飛び込むことで、自身が帯びる属性や、その地で過ごした過去を内面化しようともがいているようにも思われる。


〇『異地』より十句

  いろがみの皺そのままに紙風船
  新年号の笑顔の上に薬罐置く
  肉を焼く匂いの中の桜かな
  舌の根の筋肉太し鯉幟
  熟睡のひとりは覚めて柘榴の実
  備中の唐揚に蠅とまりけり
  口中の痛みのなかを雪降れり
  仁和寺を向く扇風機まわされず
  海豹の鼻の開閉夏の雨
  午後の日に栄螺の蓋を傾ける


俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死 筑紫 磐井

2021年03月08日 | 日記

 北川美美が1月に亡くなった。初期の「詩客」の貢献者であるだけに追悼記事を書きたいと思い森川氏に相談したところ快諾を得た。しかし、いざ書いてみると、「詩客」・「俳句新空間」の歴史と北川の存在は密接不可分になった。そういえば「詩客」の初期の歴史も余り語られることが少ないようだ。了解いただいた内容より少し広がるがこの際書かせて頂こう。

      *       *

 2010年5月ごろ、詩人の森川雅美氏から、短歌・俳句・自由詩合同企画として、①秋ごろにイベント、②年内にホームページ、③最終的には印刷媒体を考えているとの提案を受けた。きっかけは、高山れおな・対馬康子・筑紫が共同編纂した若い俳人を発掘する選集『新撰21』(邑書林刊)が刊行され、これに関連して2009年12月23日「新撰21 刊行記念シンポジウム&パーティー 新撰21竟宴」が開かれ、ここに多くの若い詩人、歌人が合流した。このとき森川氏も参加し、これがきっかけとなったと聞いている。
 6月末から森川氏を中心に関係者による打ち合わせを開始した。
 この流れの中で、10月16日「詩歌梁山泊~三詩型交流企画 第1回シンポジウム「宛名、機会詩、自然」」を日本出版クラブ会館にて120名を集めて開催した。内容は、
 1部「ゼロ年代から10年代に~三詩型の最前線」(歌人 佐藤弓生、今橋愛/俳人 田中亜美、山口優夢/詩人 杉本徹、文月悠光/司会 森川雅美)
 2部「宛名、機会詩、自然~三詩型は何を共有できるのか」(藤原龍一郎、筑紫磐井、野村喜和夫 司会 高山れおな)

 1部の詩人のパネラーの一人は杉本真維子だったか、やむなき理由により急遽変更した。

(参考までに。12月23日には、前年の続編の『超新撰21』饗宴シンポジウムも開催している)

 シンポジウム後、「詩歌梁山泊」の実行委員として、森川雅美(詩人)を代表とし、分野ごとに筑紫磐井(俳人)、藤原龍一郎(歌人)、野村喜和夫(詩人)らに委員を委嘱する。
 その後、「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を立ち上げるため、俳句分野では筑紫が2011年2月ごろから「戦後俳句を読む」をコンテンツとする準備を開始する。12人ほどの常時執筆者を依頼して記事の書き貯めを開始したのである。この中に始めて北川美美も参加する(三橋敏雄論を担当)。

 3月11日、東日本大震災が発生した。詩歌梁山泊~三詩型交流企画では、まず被災者応援サイトを立ち上げることが合意される。
 この中で、3月25日~4月13日、東北の詩人・歌人・俳人の安否情報(無事が確認された方・亡くなられた方)等などが提供される。

 4月21日「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を本格的に立ち上げる。実行委員に、俳句では、筑紫、高山、北川美美が就任する。サイトの技術的管理はイダヅカマコト氏が担当し、俳句では北川美美が支援することになる。
 2011年4月21日「詩客」創刊準備号がアップされる。
 2011年4月28日から俳句分野では「戦後俳句を読む」を開始する。

 2012年3月3日、第2回シンポジウムが開催される。
 1部 藤井貞和基調講演
 2部 シンポジウム「詩型の融合」(詩人 藤井貞和/歌人 江田浩司、笹公人/俳人 対馬康子、筑紫磐井/司会 森川雅美)

 更新は順調に続いたが、三詩型を統合することで次第に管理人の負担が重くなり、「詩客」の運営の見直しを行うことが必要になる。その結果、短歌、俳句はそれぞれ独立のblogを立ち上げ、「詩客」と連携する形をとることにする。

 2012年12月28日俳句部門で「blog俳句空間―戦後俳句を読む」を開始する。中心記事は、「詩客」で連載していた「戦後俳句を読む」であった。blog責任者は筑紫・北川、blog管理は、「詩客」で全く初体験で始めた北川が獅子奮迅の働きをすることとなる。2013年1月4日に創刊され現在まで続く(後に「blog俳句新空間」に改称している)。現在も「詩客」のページから「blog俳句新空間」の記事を読むことが出来る。 

 「blog俳句空間―戦後俳句を読む」は順調に更新が進み、このblogをもとに冊子「俳句新空間」(発行北川・筑紫)を刊行することとし、2014年2月創刊、現在まで13号が出される。「 詩歌梁山泊~三詩型交流企画」の発起の時に森川氏が提案した第3番目の目標が俳句部門では達成できたのである。

 その後コロナ下での句会開催が困難となったため、(画期的な句会システムである)夏雲システムを使ったリモートデジタル句会を検討し、千寿関屋氏の指導の下に北川が<超高齢者でもわかるマニュアル>を作り、2020年5月より限定メンバーによる「皐月句会」を発足させることが出来た(管理人北川美美)。毎月運営され、現在まで9回を開催している。

 このような中で、2021年1月14日、桐生市の病院にて北川美美死去。享年57であった。1月皐月句会の投句は、

   鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず
 
 であった。亡くなる数日前、病院からの投句であったと思われる。
 北川美美のライフワークであった「詩客」連載の三橋敏雄論は、その後「blog俳句空間―戦後俳句を読む」に引き継がれ、更に改稿して、俳句総合誌「WEP俳句通信」で「真神考」として21回にわたり連載、完結した。近く単行本として刊行の予定であった。