久保田万太郎は、俳句の入門書などを書いていないのだろうか。軽く調べてみたかぎり、どうもそういうのはなさそうだ。本人は、ずっと、俳句を「余技」だといい続けていたらしい。
いわゆる俳人じゃない人が書いた、俳句入門書のようなものはないのか。というか、俳人ではない、俳句を作る人というのも、ほとんど語義矛盾のようなことになりそうだが、一定の範囲、そういう人が拾い出せそうな気がするところが、俳句の面白いところかもしれない。
ほかのジャンルで活躍していて、俳句を作るだけでなく、句集も出しているという人として、たとえば、清水哲男、土屋耕一、川上弘美、長嶋有などがいま思いつく。あとは落語家とかに多いような気がする。
岸田今日子に俳句エッセイ的な本があると知り(『あの季この季』)、少し読んでみたが、やはり俳句の作り方のコツみたいなのは書いていないようだ。やっぱり、俳人以外の人は、あまりそういうことは書かないものなのか、どうしよう。
かいぶつ句会の本、『日本語あそび「俳句の一撃」』(講談社、2003)というのがあった。かいぶつ句会というのは、聞いたことがある。たしか詩人の八木忠栄が入っていた句会だ。目次を見ると、「俳句の考え方・作り方集」という章があって、各人が何かそれらしいのを書いているようであった。サエキ子覗けんぞうや千葉麗子(千ゑり)、山口椿ほかの名前も見え、いまここで書こうとしているテーマに適切であると思った。が、読んでみると、マニュアル的に書きかたとかコツを書いている人はほとんどおらず、また当てが外れてしまった。
一応、その中の一人、榎本バソン了壱が、「俳句ストーリー」という作句法を書いている。自作解説の代わりに、「ストーリー」(短い小説的な、筋書きのようなもの)を書いてしまい、そこから俳句を作る。発表のかたちとしては、俳句→ストーリーという順番で提示。ストーリーを考えてから俳句を作るというのは、一応、方法として取り出せそうだ。それも、おぼろげにストーリーを想定するのではなく、テキストとして書いてしまい、それも同時に発表する。ただ、そこまで行くと、読むのがうっとうしい気もする。榎本バソン了壱の場合、一つのストーリーで、俳句を複数作、作っている。それなら、効率としては悪くはない。
帰りにはろばで行こうよ足四つ
地獄には充分すぎる小窓かな
剣玉やこの市内には指10本
8月分の国民年金をまだ支払っていない。昼すぎ、高島が来て、自分の足で、「今年、海行くんか」といっていた。
「海もいいな」
「けど今年の海はどうかな」
「海は海だろ」
「そうかもしれんけど」
高島は帰って、エルミで野菜を見たり見なかったりしたらしい。
次の日、また高島が来ていた。テレビを見て、そこに映っている番組を見ていた。常に一部しか見えないので、何が行なわ
れているかわからなかった。
「なにみてんの」
「うん」
高島田は
「トイレ」
といって、たぶんトイレのあるほうへ行った。
高島田は、高校のころから、トイレには行っていたらしい。叔母の影響ということもきいた気がする。彼の叔母は、大学を
業すると不動産会社に就職したが、すぐにやめ、書くことがないから書いておくが、剣玉をやらせると市内で10本の指に入
るらしい。
高島田が、ろばに乗って戻ってきた。なにかずいぶんもうけたような様子で、右の頬に「金」という刺青を彫り、ポケット
から札束がはみ出している。どこの国の札だかはわからない。
「おまえ、テレビ終わっちゃったぞ」
「まあいいよ。ほとんど見てなかったから」
その間にも、ろばは暴れていた。
勉強すればするほど、虹が出る。
ストーリーを作るのが面倒くさいが、それを作ってしまうと、俳句のほうは作りやすくなる、ということはあるかもしれない。ただ、ストーリーも創作物の一部として提出するのは、どうなのか。よほど突出したストーリーでないと、句に対して蛇足になる。ただ、こうもいえる。ストーリーをはじめから出さないつもりで書いていると、(ストーリーが)愚にもつかないものになりすぎる可能性が高い。発表の緊張感は必要かもしれない。
ところで、素人(と仮に書くが)が俳句を作ったとき、俳人が作った場合と比べて、何か優位になる点はあるのだろうか。いや、優劣はおいて、何か違いはあるのだろうか。
抽象的に考えれば、プロが意を注いでいるようなことを大胆に無視することができる、というイメージがわく。まあ、俳句に限らず、一般に素人の優位性をいう場合に用いられる、パターン化された素人のイメージである。
しかし、そのような「素人」はむしろ特殊であり、普通は、前回前々回で取り上げた藤田湘子が書いていたような、いかにも陥りがちな「ダメ」にはまるものだろう、ということも想像がつく。
入門書をチェックする、という、この連載から外れてしまいそうだが、素人の書いた「入門書」がいまのところ見当たらない以上、とりあえず、素人(ここでは、他のジャンルで創作活動をしているような人を念頭においている。なんだかこの説明が苦しいような気もしてきたのだけど)の作品から、「技法」を取り出してみようかといま思った。あるいは、違うことになるかもしれないが。
2
塚本邦雄が編んだ俳句のアンソロジーといえる、『百句燦燦――現代俳諧頌』(1974)の、火渡周平の項で、「初、中、座の各句を別別に数多用意してアトランダムに組合せ、偶然の出会で一句を成立させるとみづから放言したとかいふ逸話」ということが書いてあった(引用に際して、漢字を現行のものに改めた)。これを試してみることにする。
この方法は、たしか先日、NHKラジオ第一の俳句の番組でもやられていた(つぶやきシローや佐藤文香とかが出ている番組)。その番組内では、たしか、テーマ的なものが決まっていたと思う。それでも普通、一句の流れを考えないで、ばらばらに作った初、中、座を偶然組み合わせただけではただの意味不明になることも多かった。
紙を30枚用意し、初、中、座をそれぞれ10個ずつ作り、裏返して、組み合わせてみよう。
まず、初五を10個。
ただたんに
ほんとうの
構造や
窓あけて
鳩吹くや
むきだし屋
虫送り
抱きかかえ
五十年
蛇丸く
正直、初五だけ10個なんて、どういうポイントで作ればいいかわからなかった。この五音だけで何か面白くする必要があるのかどうか。なんでも五音ならいいのかどうか。以下の中七、座五も同じである。七音はまだいいが、五音だけというのは、工夫の余地があるのか。これも何回かやらないとわからないことなのかもしれない。
中七。
楽な仕事で
山ははじまる
生まれているか
犬乱れたり
長いもの見た
比べれば庭
海高まるや
雨・岩・府中
板にのせたる
道をくらべて
座五。
背を掻きぬ
馬の足
丘の上
骨白し
あんこかな
鳳仙花
例の人
鴉かな
占める秋
出て群れる
ここからは機械的に、裏返して組み合わせ、3句作ろう。
抱きかかえ犬乱れたり丘の上
窓あけて雨・岩・府中占める秋
構造や比べれば庭骨白し
2句目はつながりすぎて、駄である。この方式だと、やっぱりつながているかいないか微妙なところに落ちたときに思わぬものができるのかもしれない。使わなかったものは捨てます。
3
寺山修司『寺山修司の俳句入門』(光文社文庫、2006)は、寺山修司の俳句に関する評論(および俳句)を集成したもので、俳句の作り方の入門書ではなかった。
が、前衛俳句を、二様に分けて、挙げているのを見つけた(「前衛俳句批判」、『俳句』1958年3月)。
その1。「意識世界のオートマチックな記述を、視覚を通してこころみたもの。」
例) 暮れようとして焼芋の壷が深い 林田紀音夫
呼吸する船腹過剰にだぶつく沖 大中青塔子
腕時計群がり脹れ運河覚め 立岩利夫
その2。「イメージを構成して一つの思考を形象化したもの」
例) ちびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚 赤尾兜子
えっえっ泣く木のテーブルに生えた乳房 島津亮
固い産卵 黒革の辞書敵として (堀?本文中には記載なし)葦男
補足的に引用すると、1のほうは、(ミシェル・ビュトールを引用した上で)「細分化された時間、日常の時間の一つずつを拡大化してオートマチックに記述していくとき、それの鏡となるのは意識である。」。意識にうつりゆくものを自動的に書いていく、ということらしい。これは、散文作品のほうでわりによくきく方法だと思える。「これは単に小説の方法の問題ではなく、生きている僕たちの日常の一面であり、この目が本来俳句のものに非常に近いことは疑う余地をもたない。」ということだ。
2のほうがわかりづらい。一つのイメージを作って、そこにある一定の思いなり考えなりをこめるというようなことか。「この方法にあっては、読む側の脳裡にその映像がうつらないかぎり伝達は不能であり、更にイメージが読者のなかで抵抗作用を起して彼を変革することは一そう難しくなる。」とある。この方法の場合、イメージがはっきりしていなくては伝わらないというのは一応了解するとして、そのあとの読者のなかで抵抗作用を起して彼を変革するのがむずかしいといういいかたはどうもちょっとよくわからない。イメージに「思考」がこめられているという作りになっているために、その「思考」が問題ならざるをえないのに、どうにも、その段階にいたるのが困難、ということなのか。というより、ある思いのようなものが、鮮明なイメージを借りて示されているとして、その思いが通じるためには、読者のなかでの引っかかりを伴う必要があるのに、そうなるのがむずかしいということだろうか。いずれにしろ、作用が起こるためには、二段階を突破しなければならない、要するに、読者に届くには、ひねりすぎのつくりになっているということなのだろう。ここまででよかったのに、ひねりすぎて効果が消しあってしまうのだ。
これらは、寺山修司も書いているとおり、前衛俳句が採用している方法ではなく、作品から寺山が導き出した手法である。寺山の議論は、とりあえず置いておいて、この二つの方法を、「技法」として試してみたい。
2から行く。というのも、こちらのほうは、「技法」として使えるほどはっきりしてないように思え、不安だから先に解決しておきたいのだ。映像として読者に通じるものを考えるのはいいとしても、それが思考の産物でなければいけない。思考があって、それを示すために、鮮明なイメージを作る。
さっきからあのおじさんは動いていない
イメージが鮮烈でもないし、思考はどこにある。それに、自由律のようになってしまった。前衛俳句は、五七五も崩すみたいなので、考えることが多くなりすぎる。もう少し。
わたしは脳がない 川であそぶ
水が大好き飲むのも好き
積極的な蜻蛉がやりすぎた
石鹸に釘が刺さっている
クリップどめの顔で散歩
まったくうまくいかないので、この方法は、とりあえず記憶に少しとどめておいて、何かの折に思い出そう。
1のほう。
運動会の練習のなぎおばさんの声が通りすぎ
「なぎ」がわかりづらい。運動会の練習と練習の間の静かな時間ということだが、ほかのことばが思いつかなかった。
まだ使うかもしれないティッシュ返事がきこえる
逆方向からおばさんの声「ぴっ」とかぶる
おばさんではなかったかもしれないたぶん水は止めた
面白いかどうかはともかくとして(まあ面白くないだろう)、1のほうの、意識の記述は「技法」にはなるのかもしれない。五七五をほとんど無視したかたちで思いついたこと(上記の場合は、見たり聞いたりしたことになっているが)を書いていくだけなら、けっこうできそうだ。いっぱいつくって、選べばいい、と単純ではないかもしれないが。
いわゆる俳人じゃない人が書いた、俳句入門書のようなものはないのか。というか、俳人ではない、俳句を作る人というのも、ほとんど語義矛盾のようなことになりそうだが、一定の範囲、そういう人が拾い出せそうな気がするところが、俳句の面白いところかもしれない。
ほかのジャンルで活躍していて、俳句を作るだけでなく、句集も出しているという人として、たとえば、清水哲男、土屋耕一、川上弘美、長嶋有などがいま思いつく。あとは落語家とかに多いような気がする。
岸田今日子に俳句エッセイ的な本があると知り(『あの季この季』)、少し読んでみたが、やはり俳句の作り方のコツみたいなのは書いていないようだ。やっぱり、俳人以外の人は、あまりそういうことは書かないものなのか、どうしよう。
かいぶつ句会の本、『日本語あそび「俳句の一撃」』(講談社、2003)というのがあった。かいぶつ句会というのは、聞いたことがある。たしか詩人の八木忠栄が入っていた句会だ。目次を見ると、「俳句の考え方・作り方集」という章があって、各人が何かそれらしいのを書いているようであった。サエキ子覗けんぞうや千葉麗子(千ゑり)、山口椿ほかの名前も見え、いまここで書こうとしているテーマに適切であると思った。が、読んでみると、マニュアル的に書きかたとかコツを書いている人はほとんどおらず、また当てが外れてしまった。
一応、その中の一人、榎本バソン了壱が、「俳句ストーリー」という作句法を書いている。自作解説の代わりに、「ストーリー」(短い小説的な、筋書きのようなもの)を書いてしまい、そこから俳句を作る。発表のかたちとしては、俳句→ストーリーという順番で提示。ストーリーを考えてから俳句を作るというのは、一応、方法として取り出せそうだ。それも、おぼろげにストーリーを想定するのではなく、テキストとして書いてしまい、それも同時に発表する。ただ、そこまで行くと、読むのがうっとうしい気もする。榎本バソン了壱の場合、一つのストーリーで、俳句を複数作、作っている。それなら、効率としては悪くはない。
帰りにはろばで行こうよ足四つ
地獄には充分すぎる小窓かな
剣玉やこの市内には指10本
8月分の国民年金をまだ支払っていない。昼すぎ、高島が来て、自分の足で、「今年、海行くんか」といっていた。
「海もいいな」
「けど今年の海はどうかな」
「海は海だろ」
「そうかもしれんけど」
高島は帰って、エルミで野菜を見たり見なかったりしたらしい。
次の日、また高島が来ていた。テレビを見て、そこに映っている番組を見ていた。常に一部しか見えないので、何が行なわ
れているかわからなかった。
「なにみてんの」
「うん」
高島田は
「トイレ」
といって、たぶんトイレのあるほうへ行った。
高島田は、高校のころから、トイレには行っていたらしい。叔母の影響ということもきいた気がする。彼の叔母は、大学を
業すると不動産会社に就職したが、すぐにやめ、書くことがないから書いておくが、剣玉をやらせると市内で10本の指に入
るらしい。
高島田が、ろばに乗って戻ってきた。なにかずいぶんもうけたような様子で、右の頬に「金」という刺青を彫り、ポケット
から札束がはみ出している。どこの国の札だかはわからない。
「おまえ、テレビ終わっちゃったぞ」
「まあいいよ。ほとんど見てなかったから」
その間にも、ろばは暴れていた。
勉強すればするほど、虹が出る。
ストーリーを作るのが面倒くさいが、それを作ってしまうと、俳句のほうは作りやすくなる、ということはあるかもしれない。ただ、ストーリーも創作物の一部として提出するのは、どうなのか。よほど突出したストーリーでないと、句に対して蛇足になる。ただ、こうもいえる。ストーリーをはじめから出さないつもりで書いていると、(ストーリーが)愚にもつかないものになりすぎる可能性が高い。発表の緊張感は必要かもしれない。
ところで、素人(と仮に書くが)が俳句を作ったとき、俳人が作った場合と比べて、何か優位になる点はあるのだろうか。いや、優劣はおいて、何か違いはあるのだろうか。
抽象的に考えれば、プロが意を注いでいるようなことを大胆に無視することができる、というイメージがわく。まあ、俳句に限らず、一般に素人の優位性をいう場合に用いられる、パターン化された素人のイメージである。
しかし、そのような「素人」はむしろ特殊であり、普通は、前回前々回で取り上げた藤田湘子が書いていたような、いかにも陥りがちな「ダメ」にはまるものだろう、ということも想像がつく。
入門書をチェックする、という、この連載から外れてしまいそうだが、素人の書いた「入門書」がいまのところ見当たらない以上、とりあえず、素人(ここでは、他のジャンルで創作活動をしているような人を念頭においている。なんだかこの説明が苦しいような気もしてきたのだけど)の作品から、「技法」を取り出してみようかといま思った。あるいは、違うことになるかもしれないが。
2
塚本邦雄が編んだ俳句のアンソロジーといえる、『百句燦燦――現代俳諧頌』(1974)の、火渡周平の項で、「初、中、座の各句を別別に数多用意してアトランダムに組合せ、偶然の出会で一句を成立させるとみづから放言したとかいふ逸話」ということが書いてあった(引用に際して、漢字を現行のものに改めた)。これを試してみることにする。
この方法は、たしか先日、NHKラジオ第一の俳句の番組でもやられていた(つぶやきシローや佐藤文香とかが出ている番組)。その番組内では、たしか、テーマ的なものが決まっていたと思う。それでも普通、一句の流れを考えないで、ばらばらに作った初、中、座を偶然組み合わせただけではただの意味不明になることも多かった。
紙を30枚用意し、初、中、座をそれぞれ10個ずつ作り、裏返して、組み合わせてみよう。
まず、初五を10個。
ただたんに
ほんとうの
構造や
窓あけて
鳩吹くや
むきだし屋
虫送り
抱きかかえ
五十年
蛇丸く
正直、初五だけ10個なんて、どういうポイントで作ればいいかわからなかった。この五音だけで何か面白くする必要があるのかどうか。なんでも五音ならいいのかどうか。以下の中七、座五も同じである。七音はまだいいが、五音だけというのは、工夫の余地があるのか。これも何回かやらないとわからないことなのかもしれない。
中七。
楽な仕事で
山ははじまる
生まれているか
犬乱れたり
長いもの見た
比べれば庭
海高まるや
雨・岩・府中
板にのせたる
道をくらべて
座五。
背を掻きぬ
馬の足
丘の上
骨白し
あんこかな
鳳仙花
例の人
鴉かな
占める秋
出て群れる
ここからは機械的に、裏返して組み合わせ、3句作ろう。
抱きかかえ犬乱れたり丘の上
窓あけて雨・岩・府中占める秋
構造や比べれば庭骨白し
2句目はつながりすぎて、駄である。この方式だと、やっぱりつながているかいないか微妙なところに落ちたときに思わぬものができるのかもしれない。使わなかったものは捨てます。
3
寺山修司『寺山修司の俳句入門』(光文社文庫、2006)は、寺山修司の俳句に関する評論(および俳句)を集成したもので、俳句の作り方の入門書ではなかった。
が、前衛俳句を、二様に分けて、挙げているのを見つけた(「前衛俳句批判」、『俳句』1958年3月)。
その1。「意識世界のオートマチックな記述を、視覚を通してこころみたもの。」
例) 暮れようとして焼芋の壷が深い 林田紀音夫
呼吸する船腹過剰にだぶつく沖 大中青塔子
腕時計群がり脹れ運河覚め 立岩利夫
その2。「イメージを構成して一つの思考を形象化したもの」
例) ちびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚 赤尾兜子
えっえっ泣く木のテーブルに生えた乳房 島津亮
固い産卵 黒革の辞書敵として (堀?本文中には記載なし)葦男
補足的に引用すると、1のほうは、(ミシェル・ビュトールを引用した上で)「細分化された時間、日常の時間の一つずつを拡大化してオートマチックに記述していくとき、それの鏡となるのは意識である。」。意識にうつりゆくものを自動的に書いていく、ということらしい。これは、散文作品のほうでわりによくきく方法だと思える。「これは単に小説の方法の問題ではなく、生きている僕たちの日常の一面であり、この目が本来俳句のものに非常に近いことは疑う余地をもたない。」ということだ。
2のほうがわかりづらい。一つのイメージを作って、そこにある一定の思いなり考えなりをこめるというようなことか。「この方法にあっては、読む側の脳裡にその映像がうつらないかぎり伝達は不能であり、更にイメージが読者のなかで抵抗作用を起して彼を変革することは一そう難しくなる。」とある。この方法の場合、イメージがはっきりしていなくては伝わらないというのは一応了解するとして、そのあとの読者のなかで抵抗作用を起して彼を変革するのがむずかしいといういいかたはどうもちょっとよくわからない。イメージに「思考」がこめられているという作りになっているために、その「思考」が問題ならざるをえないのに、どうにも、その段階にいたるのが困難、ということなのか。というより、ある思いのようなものが、鮮明なイメージを借りて示されているとして、その思いが通じるためには、読者のなかでの引っかかりを伴う必要があるのに、そうなるのがむずかしいということだろうか。いずれにしろ、作用が起こるためには、二段階を突破しなければならない、要するに、読者に届くには、ひねりすぎのつくりになっているということなのだろう。ここまででよかったのに、ひねりすぎて効果が消しあってしまうのだ。
これらは、寺山修司も書いているとおり、前衛俳句が採用している方法ではなく、作品から寺山が導き出した手法である。寺山の議論は、とりあえず置いておいて、この二つの方法を、「技法」として試してみたい。
2から行く。というのも、こちらのほうは、「技法」として使えるほどはっきりしてないように思え、不安だから先に解決しておきたいのだ。映像として読者に通じるものを考えるのはいいとしても、それが思考の産物でなければいけない。思考があって、それを示すために、鮮明なイメージを作る。
さっきからあのおじさんは動いていない
イメージが鮮烈でもないし、思考はどこにある。それに、自由律のようになってしまった。前衛俳句は、五七五も崩すみたいなので、考えることが多くなりすぎる。もう少し。
わたしは脳がない 川であそぶ
水が大好き飲むのも好き
積極的な蜻蛉がやりすぎた
石鹸に釘が刺さっている
クリップどめの顔で散歩
まったくうまくいかないので、この方法は、とりあえず記憶に少しとどめておいて、何かの折に思い出そう。
1のほう。
運動会の練習のなぎおばさんの声が通りすぎ
「なぎ」がわかりづらい。運動会の練習と練習の間の静かな時間ということだが、ほかのことばが思いつかなかった。
まだ使うかもしれないティッシュ返事がきこえる
逆方向からおばさんの声「ぴっ」とかぶる
おばさんではなかったかもしれないたぶん水は止めた
面白いかどうかはともかくとして(まあ面白くないだろう)、1のほうの、意識の記述は「技法」にはなるのかもしれない。五七五をほとんど無視したかたちで思いついたこと(上記の場合は、見たり聞いたりしたことになっているが)を書いていくだけなら、けっこうできそうだ。いっぱいつくって、選べばいい、と単純ではないかもしれないが。