「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 石牟礼道子「色のない虹」(弦書房・2020) 鈴木 康太

2020年09月20日 | 日記

  泣きなが原化けそこないの尻尾かな

 「泣きなが原」とは、大分県にある原っぱのことで、ある悲嘆な伝説に由来して呼ばれたそうだが、筆者は実際のその場所に行き、「妖しい生き物」に遭遇したそうだ。言葉が響い
て記憶に残る。「そこなう」ということが真空に置き去りにされて、雲のなかで円を閉じたような感覚がした。

 苦海浄土を読んだときの感触が蘇ってくる。なぜ僕が、今回テーマを石牟礼道子「色のない虹」にしたかというと、ぶっちゃけ言うとこの場をお借りして、私は「苦海浄土」という本が好きなんだよ、ということを伝えたかったからです。とはいえ、好きすぎて言葉では伝わらない領分ですので、好きだということだけ伝えます。これを読んだとき(実は最近三部作まで全部読んだのですが)不思議に途中から最後まで(おもしろ……)と思えたことがなかったのです。(わかったよもう……)の方が強かった。でも、私のマゾヒスティックな部分が、魂を感じた。水俣病について怒りを感じた。私は石牟礼さんの文章にすっかり惹かれてしまった!
 どんなところが一番好きなのか?筆者は、創作することを目的としていない。創作することは手段に過ぎず、もっと他の、怖ろしいものを相手にしている。その相手たちは……そこはここでは言及不要だとおもうので、止めておきますが。
 題名「色のない虹」の「」の記述が、苦海浄土第三部の最後の方に出てくる。
波の道とも霧の道ともしれぬ、流水型の白い虹が、海のおもてのあたりから、落日にむかって流れていた。魚たちも死者たちもかの虹の道をのぼっていくのか
 虹が「七色」だ、というのがまあ普通の感覚ですが、色がない。実体がない、でも「色のない虹」はある。とても不思議な、でもありふれた世界。筆者は、聞き語りという手法を混ぜながら、作品を編んでいました。聞き語りは、子供が最初に教わるとても普遍的な、世界に触れる最初の手法です。作品を読むと感じますがそこには「私(個?)」はいない。ですが、「私(個!)」はいる。流れるような鮮やかな澱みのある世界。訴えかけてくる水俣の営み。私は、ジャズだなと思いました。変幻自在な大地の円環に、公害という敵がやってきた。筆者はこれと格闘する。諦めてしまいそうな地獄の地獄に、ひとりの人間(でもこれはひとりではない)の心象は対峙している。そして今も続いている。少なくとも人類の存在する世界ではずっと続く。

 ここで、俳句に戻りますが(好きすぎて伝えられないと書いたのに伝えてすみません)、石牟礼さんは自分のことを「俳人」だとは思っていないそうだ。

  花れんげ一本立ちして春は焉りぬ
 
 鮮やかな花は春を終わり、気が付けば人間たちが特別視をしない、大地と結びつく働きをしている。本当の姿を現している。石牟礼さんはこういう、人間たちがこれまで「見向きをしてこなかった歴史」を鮮やかに描いている。その行為には、強く惹かれる「核」がある。花れんげをささえる土があり、土は「核」に抱かれている。花れんげはここでは筆者の作った単なるオブジェではなく、生き続けている。存在しているのではなく、生成している。

  渚にてタコの子じゃれつく母の脛

 タコの生態を調べてみた。タコは生涯で一度の交接を終えるとまもなくオスは力つき死ぬが、メスは卵を産んでそれが孵るまで断食をしながら巣を守る、という仕事がある。その期間は6ヶ月から10ヶ月といわれる。母ダコは巣穴を守るだけでなく、卵についたゴミやカビを取り除き、水を吹きかけては澱んだ水を新鮮な水に変えるそうだ。そして、卵が孵ったあとボロボロになり死んでゆく。この句では「母の脛」にじゃれついているタコの子、だが、「母の脛」の意味するものは見放せない。硬い人間の脛と吸盤のついた軟体のタコ。触れあうそれぞれは異種には違いないが、「育てる母、育てられる子」の関係が成り立つ。筆者は種を超えた母子との思い出の中で何を感じたのだろう。生命と自然がふれあう場所の記憶。

  水底の名もなき沼に蓮ねむる

 創作はときどき表面ではなく、人の内面のずっと深いところに届く。意識しないうちに、言葉の紡ぐ風景につかまっている。蓮が眠っている。沼についての概念、水底についての概念が、「名もなき」ことで本来の個性を回復している。筆者は「名もなき」物質のそばで見えたとおりに描いている。脚が体のそばにあるように。
 そして音楽の音符がたがいに関連した反応を示すように、見えないものは言葉によって見えないものの束縛を解く。この蓮はねむっていると筆者が言うなら、それを想像することができる。世界は、黙っていると、世界に起こる出来事の多くを見過ごしてしまう。大切なことを失わないように表現することは大切である、と私は思う。

「色のない虹を書いてきたような人生です」と筆者は語る。

 筆者が、亡くなるまでの二年間のあいだに書かれたこの句集は、筆者の、燃え立った生の痕跡を残している。また筆者が描いたえんぴつ画も載っている。パーキンソン病を患う不自由なふるえる手で、何時間もかけて描いていたらしい。牛の絵があるが、(僕はやっぱり邪で)牛の絵があると、ラスコーやアルタミラの洞窟に描かれたものを連想してしまう。筆者自身幼いころ、近所で飼われていた牛をじっと観察して、よく描いたのだという。私たちは、1万7000年前の生物の痕跡を肌で感じることが出来る。その「歴史」はいろんな見方があると思います。その牛を、遊びで描いたのか、狩り仕事の為に描いたのか、抑圧されながら描いたのか、人間が描いたのではなく牛自身が自画像の為に描いたのか……? 彼らが射る/射られる矢は摩擦を与える障害に打ち勝つだろうか?矢は天を駈けるのだろうか。私たちは未来に何を残せるのでしょうか?

最後に……

  うつされしこころはくちず野バラかな

 これもまた私の妄想ですが……「こころはくちず」ここまで読んだみなさんは、どんな解釈をしたのだろうか。とても興味深い。
 こころは朽ちず?
 こころ白地図?

 

 

〈参考・引用〉苦海浄土全三部・石牟礼道子(藤原書店・2016)

 


俳句時評 第125回 「第23回俳句甲子園と、高校生に俳句を教えること」 若林 哲哉

2020年09月08日 | 日記

 いささか旧聞に属するかも知れないが、先月、第23回俳句甲子園が行われた(俳句甲子園公式ホームページURL:https://haikukoushien.com/2020/)。行われたとは言っても、COVID-19流行の影響を受け、高校生が松山に集まって試合をすることは叶わず、13人の審査員長が投句審査によって各団体賞・個人賞を決定し、表彰式のみオンライン配信で行われた。毎年大勢の観客で埋め尽くされる松山のコミュニティセンターが閑散としている光景には胸が痛んだが、各受賞者と中継を繋いで感想を聞いたり、松山と東京を繋いでエキシビションマッチを行ったりと、なんとも臨場感と熱量に溢れていた。何よりもまずは、厳しい状況下であっても開催にこぎつけた俳句甲子園実行委員会のみなさんに敬意を表すると共に、年始の授業開始日がずれにずれ込み、定期テストの日程と俳句甲子園の締切が重なるなどといった問題を乗り越えながら、俳句甲子園でみずみずしい俳句を見せてくれた各高校のみなさんの健闘を称えたい。

 さて、そんな今年の俳句甲子園で最優秀賞に輝いた句が、

  太陽に近き嘴蚯蚓を垂れ 田村龍太郎(海城B)

 である。〈太陽〉によって広い空間を見せた上で、鳥の〈〉に一気にクローズアップしており、映像の組み立て方としては非常に大胆である。そして、〈蚯蚓〉という季語まで読み下して初めて、上五の〈太陽〉が夏の照りつけるような日射しを放っているのだということに思い至る。田中裕明の〈大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ〉が、〈さみだれうを〉と、鳥の飛んでいる五月雨の空間とを同化させる作りになっているとするならば、こちらの句は、〈蚯蚓〉を異化させる作りになっているといえよう。すなわち、上五中七までは生命力に満ちているのだが、下五で死のイメージがカットインしてくるというわけだ。一句全体を読んで、生き物が生を営む在りようが見えてくると同時に、それはかつて神話の中で〈太陽に近き〉ところを飛び、翼を失ったイカロス以後不変のものなのではないかと思わされる。中七の〈〉で一度切れを生じた上で、さらに下五で〈〉の描写を加えるという手法は、所謂「澤調」に通じるところがあり、審査員13人の中でも小澤實氏が特に推薦したということに納得がゆく。表彰式の選評では、COVID-19の流行を踏まえて勇気づけられる句であると述べられていたが、そういった時事的な読み方に賛成しようとはあまり思わない。なお、23回の俳句甲子園の中で、字余りの俳句が最優秀賞になったのは、今回が初めてである。

 それにしても、高校生に俳句を教えることは難しい。筆者である僕自身も実際に俳句甲子園に出場する高校生を指導しているが、毎年悩まされる。俳句に答えはないが、指導とは一種の答えを提示することである。しかしながら、その「答え」はあくまでも指導者が一つの落としどころとして持っている「答え」であって、広く通用するかどうかは定かでない。それにも拘わらず、先生と生徒という関係、ひいては大人と生徒という関係が、高校生にそれが唯一の「正解」であると誤解させてしまうのだ。俳句の多様性を体現する俳句甲子園という場において、自分が作り上げてきた俳句観を恃むことはもちろん重要なのだが、一つの俳句観に基づいてしか俳句を語れないことは、その場や人間の成長を止める原因になる。
 高校生の指導をする時に必要なのは、出来るだけ多くの道筋を示すことだと思う。部活動と結社は違う。気に入った道筋が見つかれば、あとは彼等自身が勝手に進んでゆくだろう。「俳句はこういうものだ」、「俳句はこうでなければならない」、そう言って高校生を自分の領域に引き寄せてしまう方がずっと簡単で楽なのだが、俳句は一つの山ではなく、山脈のような様相を成している。指導者が登っている山に、高校生も登りたがるとは限らない。だから、別の山を登りたいと言い出した高校生の背中を押す--そう、例えば、僕は文語で、歴史的仮名遣いで、有季定型で俳句を書くが、口語や現代仮名遣いで、あるいは無季、自由律で俳句を作りたいと言われたときに、そちらへ背中を押してあげるだけの知識と勇気が必要なのだと思われてならない。自分の登りたい山を登りながら、別の山の景色にも感動できるような、そんな高校生を育てたいと強く思う。無論、「俳人」を育てたい訳ではないし、指導者のエゴイズムであるとも分かっているのだが……。

 最後に、俳句甲子園があまり合わなかったという高校生たちへ。「俳句は山脈だ」と言ったが、何も俳句甲子園だけが山脈すべてを網羅しているわけではない。俳句甲子園も俳句の一部だが、それは一部にしか過ぎない。俳句甲子園だけを体験して俳句を嫌いになるのは、性急だ。俳句を嫌いになるなら、もう少し色んな山脈を覗き見てからにしないかい。