「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第128回 鮑きず鱓きず ― 田本十鮑句集『鮑海士』を読む  叶 裕(里俳句会、塵風、屍派)

2020年11月04日 | 日記

 豊かな海として名高い紀伊半島。ここには古くから海人あま文化が残されている。新宮市三輪崎漁港。ここにかつて「十尋とひろ海士」という称号を欲しいままにした名海士がいた。その名を「田本十鮑じっぽう」という。

  海のことは十鮑に聞け浜おもと  平松いとゞ

 俳誌「熊野」主宰・平松いとゞをして「十鮑こそ本当の海の句をつくる」とまで言わしめるほどの俳人でもある。称号ともなっている十尋は約18メートル。この水深を十鮑は日に数えきれぬ程潜って鮑を獲っていたのだ。
 楽ではない海士を続けながら俳句を作り、小説家や俳人と交流を持つところに十鮑の面白さがある。
 おそらく十鮑は「ものが見える」人に強烈なシンパシーを持ったのではないだろうか。「見える」とは視力の良し悪しではない。強烈な好奇心と豊かな経験を源とする本質を見抜く力であり、それを持つ者は強烈な磁力を持っている。そのうちの一人が新宮生まれの中上健次その人だ。
 先日読んだ『牟婁叢書 俳句熊野大学』(「熊野大学出版局」1994)誌上、彼の地で行われた吟行句会における健次の正鵠を射た選評に舌を巻いた。彼の目は俳人の浅い作為を見逃さない。句の出来以前にそこにある自然を通して地霊へのあいさつが出来ているかを一義とする。それこそ子規が、虚子が、靑々が目指した俳句の本質、自然との交流であり、十鮑は海士としてそれを体現する数少ない存在なのだ。俳人達との交流がいつしか十鮑に熊野の海に暮す男の生活記録としての句を詠ませるようになる。

  暮石来るとて夏潮のさわぐなり  十鮑

 十鮑は右城暮石、茨木和生両先生が大好きであった。この二人に見てもらいたいがため俳句を続けてきたのだという。掲句には暮石に会えるという歓びが漲っている。

  海士が見す指鮑きず鱓きず   暮石
  礁傷の指も目とせる近眼海士  十鮑
  鱓傷癒ゆるを待たず鮑採る
  手術せし目に礁穴の大鮑

 十鮑は生まれつき目が悪く手術を要するほどの近眼であった。それでも日に何度となく潜り、勘と経験を頼りに手探りで礁に隠れる鮑へ手を伸ばす。時にうつぼがそこに隠れていて十鮑の指先を咬む。そんな時も慌てず、持ち歩いている輪ゴムで止血し痛みを堪え、また潜るのだという。そんな海士の百戦錬磨の指先はきっと美しい造形をしていただろう。製本屋は紙の厚みや種類を触れるだけで言い当てるという。熟練は指先に宿るのだ。

  海老刺網上ぐ波頭躱しつつ   十鮑
  二枚潮重し海老刺網を上ぐ
  網千間張りて伊勢海老十尾とは

 九月半ばになるとこのあたりの漁港は伊勢海老漁が解禁となる。十鮑も海老舟に勢子として乗り、熊野の海の幸が掛かった刺網を上げる。伊勢海老はもちろん、鷹の羽、いがみ、あいご、いすずみ、鱏、鱧、鱶、鱓など。東京に住んでいては決して目にすることの無い濃厚な獲物の数々が掛かるのだという。

 阿候鯛あこう釣る三枚潮に糸立たず  十鮑

 海の内部で水平方向に流れが異なる現象を「二枚潮」と呼ぶ。寒期の「三枚潮」ともなると釣糸も立たぬほどとなり海士すら寄せ付けぬ。一時も気を許せない季節ごとの海の中で十鮑は俳句に出会い、熊野の海を中心とする季語のフィールドワーカーとなった稀有な海士なのである。
彼のシンプルな姿勢は情報の洪水の只中に浮沈するぼくら現代の俳人に大きな教えと警鐘を与えてくれている。掌中のスマホで全てが完結する現代、ここにフィールドワークの意義は薄い。優れた俳人は現場に立つことの意味を知っている。それが東京の一大繁華街、歌舞伎町、下町であったとしてもだ。

  若潮で浄めし舟に鳶の糞    
  潮溜り寄居虫がうなの一引越しす
  波締りせる大礁の鹿尾菜ひじき刈る
  秋鰹追ふ黒潮に逆ひて
  磯宮の鳥居傾く良夜かな
  冬の堤土工の中に海女の居て
  漁敵二ヶ所に焚火熾らせて
  凍え海老潮に放たれ一跳す
  不浄海女磯辨天を遠拝み
  黒潮の十尋明りに鮑採る  

 この濃厚かつ鮮やかな映像美はどうだ。句帳など持ち歩く事も叶わぬ海士十鮑は、掴んだ詩藻を忘れぬよう海中で何度も口でくり返し、帰宅するや広告の裏に殴り書きをしたのだという。この句集は豊穣なる海の使者・田本十鮑の三十余年に渡る熊野の海との格闘の記であり、海を愛し海から愛された男の記録である。
 晩年十鮑は悪性リンパ腫を患い、闘病むなしく平成四年身罷ることになる。奇しくも同年、中上健次も十鮑を追うように癌で早逝してしまうのだ。やはりこの二人には余程の縁があるのだと思わずに居られない。

 あとがきは「俺はまだ死なんぞぅ!死んでたまるか。巣穴の鮑よ、流れ藻でも食べて大きになっとけよ。潮がぬるくなったら、また手探りで採ったるさかいな」と結ばれている。それは決して強がりではなく、日々生死の境を浮沈していた十鮑さん独自の辞世のように感じられてならない。