「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 令和の典型 久谷 雉

2019年06月23日 | 日記
 新元号をめぐる祭りはたちまちの内に始まって、たちまちの内に終わってしまった。



 「令和」なるネーミングの是非について論じるほどの教養など、私は全く持ち合わせていないし、持ち合わせていたところで論じるつもりもないのだが、生前退位というイベントの孕む天気雨のような明るさにはいささか心を動かされるところがあった。


 町のあちこちに翻る改元を祝す旗にも、記念のオブジェの設置された百貨店の飾り窓の前で記念撮影をする人々の顔にも、この明るさは遍く降り注いでいるのだった。また、それを若干の距離を置いて見つめているつもりになっている私自身にも。

 民俗学等の知見を無視した私の経験からの物言いに過ぎないが、祭りには、その渦の只中にいる人間も、渦の外部へ弾き飛ばされてしまう人間も、予定調和の「典型」に押し込めてしまう力がある。たとえ、表面的には混沌としていようとも、収束は必ず訪れる。いや、収束の予感の中で、混沌の中にある人間の「典型」を演じるのが、祭りというものなのであろう。


 数年前の反原発や反安保の国会議事堂前でのデモ(これも一つの祭りであろう)について感じた居心地の悪さも、実はこの「典型」性に由来するのかも知れない。夥しい数の人間たちが集まっているにも関わらず、致命的な衝突が生まれないことの不自然さ。事故を起こさずにデモを完遂した主催者、参加者を称えるような言説もあの当時多く飛び交っていたが、私はむしろ不信感をおぼえるばかりだった。この行儀の良さは、初めから自らの運動の収束を見越した演技に過ぎなかったのではないか、と。


 さて、私の住まいに近い水戸駅の駅ビルの中の書店を先日ふらついていたところ、角川書店「俳句」六月号の表紙のこんな文言が目に飛び込んできた。


「推薦!令和の新鋭 U39作家競詠」


 そうか、俳句というのは雑誌の特集に堂々と新元号を使ってしまうことができるジャンルなのか。「U39」という年齢制限も、見ている側の気恥ずかしさを引き立てる。


 時間や時代を区切る単位には必ず何らかの恣意性が含まれるものだが、特に天皇制と関わりの深い元号という単位の変わり目を言祝ぐという「典型」的な国民の所作を、俳句雑誌は演じてみせる。多くの「新鋭」たちを供物として。そもそも俳句というジャンルは、周知の通り、北と南で大幅に生態系のありようが変わる日本という島国の自然を、季語というシステムを用いて恣意的に統一している(無論、それを批判する動きもあるのだが)。つまり、「典型」を作ることによって支えられている文芸なのである。また、「典型」化への無防備さを実践することそのものが、この文芸の強みなのかもしれない。


 とはいえ、そのようなまなざしをこの特集タイトルに向けてしまう私自身も、一つの「典型」と化しているのであろう。「典型」は、それに抵抗しようとする別の「典型」を再生産する。俳句という文芸に対して昔から感じている余裕のようなものも、この再生産の堂々巡りによって支えられているものなのではあるまいか、もしや。

俳句時評 第110回  はじめまして~島田牙城への私淑 天宮 風牙(塵風 里)

2019年06月02日 | 日記
 詩客の読者がどのような方かわからない様に僕のことを読者の誰も知らないであろう。「はじめまして里俳句会の天宮風牙と申します。今月から何回かに渡り俳句時評を書かさせて頂きます。」先ずは自己紹介。僕の俳句との関わりは、五年前に里俳句会代表島田牙城と出会ったことによる。それまで大学の授業で知った俳諧連歌(連句)をやっていて、俳句を俳諧の切れ端(地発句)としか思っていなかった僕に島田牙城の俳句感はその場で俳句へ転向することを決めるに足りる衝撃的なものであった。
 俳諧の句は発句と平句からなり、その決定的な違いは前句の有無による。前句を起点として付けられた句が平句であり、前句の存在しない巻頭句が発句である。それまで全く俳句に関わっていなかったかというと、季語が兼題として出された新聞、雑誌等の俳句欄へ投稿していた。俳諧の「付合」の要領で兼題の季語そのものを前句とし、十二音の措辞を付句として一句の中で成立させた句(二句一章)で投稿し、しばしば上位入選していたのだ。ところが、牙城はこうした僕の句を取らないどころか、小手先の句と酷評したのだった。「なんで、俳諧をやってる君が発句では無く平句を出すのかなぁ。」牙城に言われた最初の言葉であった。
 発句には前句は無い、従って、作者の眼前若しくはその場から見ることが可能な景から詠むことになる。つまり、平句の面白さは前句との関係の面白さであり、発句の面白さは作者の詠もうとする対象と作者との関係の面白さにある。それ故に、発句を俳句として近代文芸に生まれ変わらせようとした正岡子規は「写生論」を説いた。恐らく、僕の二句一章(紛い)の句は季語と措辞との関係のみの面白さであり詠もうとしている対象を相対化していない平句と牙城の目には映ったに違いない。
又、島田牙城に写生四段階論がある。写生とは、

①きっちり物と対峙するということ。俳句の第一歩。

②物に分け入る目が芽生える。

③物と同一になる感覚が生まれる。

④物を突き抜ける感覚に出会う。

 写生を標榜しながらも、第一段階で終わる俳人が殆どでは無いだろうか。そして、牙城は第四段階へ向かう方法論として「取材(力)」を説いている。

  みづうみを出でゆくみづの灼けゐたり 島田牙城
(「しばかぶれ」第二集)

 歳時記には、

「灼く」晩夏 傍題 灼岩/日焼岩
 真夏の太陽の直射熱に照りつけられて、熱く灼ける状態をいう。激しい暑さを視覚的に捉えた「炎ゆ」に対して「灼く」には火傷しそうな触覚がある。


とあるが、掲句の「灼く」には歳時記の説明する「灼く」とは違う感覚がある。実際には煩いまでの蝉の鳴き声や湖に避暑に来ている人達の声で賑わっているに違いない筈なのにこの句からは静寂とまるで太古から続くかのような長い時間の流れを感じるのだ。牙城自身の言う「写生の四段階論」に照らせば第三段階にある「ものと一体になる感覚」の句である。かつて、牙城は、

  流れゆく大根の葉の速さかな  高浜虚子

を評して「この句に大宇宙を見るまでもなく、このすっきりとした清廉なる景は私に静かな心の時間をもたらしてくれる。」と述べている。今、僕ははその言葉をそっくりそのまま牙城句へ使いたいと思う。一般的に有季の俳句は

①季語で詠む
②季語を詠むに大別され、

②は説明、報告になりがちで①の方が上等な句とされているが、僕は季語で詠んだ句①は季語の伝統的本意に基づく句が殆どでなんの新味も面白さも感じない。牙城句は「取材力」が極限まで発揮され季語「灼く」で湖の水を詠んだ句①であるが同時に「灼く」に歳時記とは異なる新味を見いだしたからこそであり、季語(灼く)を詠んだ句②とも言える。
 写生というと花鳥諷詠を思いがちだが牙城は眼前を詠めとしか言わない。即ち、詠む対象を季語とも言ってはいないわけである。それが、社会的な事件や時事問題であれ先ずは対象と対峙(取材)せよと言っているに過ぎないのだ。一見すると即物的な写生句であっても季語の本意に基づいて作られた句には矢張り何ら新味を感じ無い。それ故に牙城は「取材」を説くのである。子規も言っているように写生より想像力を駆使した句の方が新しいものを生み出す可能性がある。しかしながら俳人の想像力など小説家や漫画家のそれにはとうてい及ばなく、そもそもそんな才があれば俳句などやっていないであろう。強いて言えばコピーライター的言語感覚に優れた人はいる。故に、取り合わせや二物衝撃といった読者へ作者の言語感覚を問う句が多いのだ。
 何故、僕が長い間俳句に転向しなかったのかそして何故牙城と会って俳句への転向を決めたのか、それは僕が「現代俳句の平句化」に気が付いていたからかもしれない。そして、島田牙城は歌仙を巻いたりするわけでは無く生粋の俳(句)人であるが牙城から俳諧の匂いを僕は感じ取ったからこそこの人とところで俳句をやりたいと思ったのだ。俳句は挨拶の束縛から逃れ発句から大きく離れることによって成長してきた、しかしながら、ある時より平句化してしまった。平句は発句に劣ると言いたいわけでは無い。平句をそのルーツとした川柳にも面白い句はいくらでもある。追々書いてゆくが平句化した俳句は平句としても面白く無いからである。