「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 苦参引く 法橋ひらく

2020年10月21日 | 日記

 秋の深まりに合わせて、コロナウイルスに関連した種々の騒動がやや落ち着いてきたように感じられるこの頃。いや、全くもって落ち着いてなどいないのかもしれないけれど、春頃の「騒動」と呼ぶしかないようなある種の集合的な精神状態からは皆少しずつ距離を取り始めたように思う。あるいは、「騒動」を「日常」の中に呑み込んで処理する人間の適応能力が集合的に発揮されつつあるだけなのかもしれない。表現の世界においてはどうだろうか。
 上半期、コロナ色に染まったような新聞歌壇・俳壇を眺めていると個人的にはかなりの圧迫感を感じた。「もうわかったからわざわざ言わないでくれよ」という気持ちにもなった。もちろん、言いたくなる気持ちは尊重されるべきだけれど。乱暴な言い方になってしまうが、皆がほぼ等しく経験している現実を皆で確認しあっているだけ、という構図が新聞歌壇・俳壇の上に発生していたように感じてしまったのだ。感受したものを自分を通してリリースするまでのその一連の作業を、意図すればかなりの素早さで実現できてしまうのが短詩系表現の武器ではある。そしてそれがゆえに短歌や俳句は「社会を映す鏡」などと評されることもある。けれど、表現のレベルや個性というものを思ったとき、今回のコロナ禍のように「それぞれが感受する現実」がかなり均質化される事態下において、短詩系表現の持つ武器(感受からリリースへ至るまでの速さ)は同時に弱点でもあるのかもしれない。

 ところで、そんな今年の夏も変わらず俳句甲子園は開催された。この特殊な状況下でどのような兼題が発表されるのか少し気になっていたのだけれど、発表された決勝の兼題は「冷奴」「蚯蚓」「緑陰」「朝」。コロナ禍の社会情勢と結びつけやすそうな兼題は含まれなかった。このあたり、主催の方々も頭を悩ませたのではないかなと想像するが、出場者の個性が真に発揮されることを促すという意味で冷静な良い判断だったと思う。
 皆さんとっくにチェック済みだとは思うのだが、発表された個人賞の入選以上の句から個人的に好きだった句をいくつか引いておきたい。

  大蚯蚓大縄跳びの「はいっ」の声    宮崎県立宮崎西高等学校  谷知機
  寝る父と半分残る冷奴         秋田県立秋田北高等学校 外舘翔海
  朝つばめ私は有限かつ無限       高田高等学校      市川侑奈
  緑陰のフラクタルあいつにも彼女    弘前学院聖愛高等学校  岩渕莞人
  朝東風や白波尖りきつてゐる      山口県立徳山高等学校  岡崎鼓子

 特に、掲出一句目はとても新鮮に感じて好きな句だった。大縄跳びの列を蚯蚓に見立てたことによって、青春の一場面を上空から見ているような広い視界が読者に与えられて爽やかだ。何より、「はいっ」の自由さをすごく良いと思った。
 自分も日々歳をとっていくわけなので、俳句甲子園に出場している高校生たちとの年齢差は開く一方だけれど、だからこそ毎年の入選句をこうして読んだりするのが楽しみだ。来年も再来年も、俳句甲子園が途切れなく開催されることを願っている。

 これから社会がどのように動きどのように変化していくのか、その動きと変化のただ中にいる私たちには(少なくとも私には)まだよくわからない。けれど、この時代、この「コロナの時代」の秀歌・秀句が誕生するのはこれからなのではないかとそう思う。この時代の空気を多分に含みながらも、社会の記録として残されるだけに留まらない強さを持った歌や句。私たち人間の不思議にたくましい心が「騒動」を「日常」として呑み込んだその後、それぞれがそれぞれの均質ではない現実と向き合っていく中からそれはきっと生まれてくる。そんな風に思っている。


俳句時評 第127回 川越歌澄著・句集「キリンは森へ」 歌代 美遥

2020年10月05日 | 日記

 川越歌澄さんは、北斗賞第一回受賞者である。俳句界という俳句月刊誌において、若手の為の賞である北斗賞が創設された。その北斗賞の第一回目の受賞者である川越歌澄さんの第一句集「雲の峰」から九年の空白から期待を待たれた待望の第二句集である。
 句集の表紙絵は、川越歌澄さんご本人の作画である。音楽家でもある作者は音感に対する明敏さと画家の色彩に反応する視覚の鋭敏さが、句に生かされている。

  虹彩のはじめの色は雪解川   歌澄
  寒林や一語を洩らす大天使   歌澄
  立春やキリンのこぼす草光る  歌澄

 キリンは森へ、とあるが動物園のキリンはキリンの獣舎へ帰る。
 しかし、何度も何度も動物園のキリンと対峙して、キリンと会話を交わしている作者の心は、キリンを森へ返し森の中のキリンと、交流を交えて作者も森に立っている。森のキリンは木漏れ日色の独特な角状斑の模様が鮮やかに、キリンの眼差しに作者は包まれている。あの長い首をすくっと伸ばし、静止して森の木と化し森の一部となるあの網目模様が森に溶け込む自然界の繊細さである。
 紙絵のキリンの描き方が、後姿で振り向く瞳の優しい眼差しが、手前の大きく真っ赤な毒茸と、対比して遠くの暈した描き方に、作者の心象が流伝している。もし、キリンを前面に持ってきて写実な姿を真近くに見た場合愛らしさは、少し薄れる事が想定される。首の長さの重さを前駆に偏らせ、胸から脚の付け根までの筋肉の発達の生々しさ、分厚い唇の可動性に富んだぶるぶる蠢く奥から五十センチメートルはある黒い舌が、鞭の様にしなり採食する生々しさ、表紙絵のキリンとは、受身が変わってくる。隆々とした筋力の迫力を作者は芸術的な叙情を求めていない。作者の表現者としての視覚という感覚に依拠せず、具象に意思を持たせて神の使いのことく好意的な作者の心象が句を湧き出していく。

  眠り猫眠さうな猫牡丹雪    歌澄

 歴史的にも、猫は人間の暮らしに浸潤しペットとして愛されてきた。商い屋の入り口に、招き猫をよく見る事があり、日本では商売繁盛のお守りとして縁起物の飾りとして普及されている。俗説に猫が顔を洗うと人を招き寄せると言われてきたことも、招き猫の起源を思わせる。作者は動物愛好者で上野動物園を巡り、動物たちの存在感を全身で受け止め、繊細でありながら雄大な感覚を研ぎ澄まし動物と対峙している。

  眠り猫眠さうな猫牡丹雪

 猫という生命力の素材、牡丹雪という自然界の素材に作者はどの様に風景を、感受し命あるものに没我していく時間の流れが楽しい。牡丹雪という純白な自然界を背景に猫という生ある事象を象徴してズームしていく、俳人の着眼が清らかである。
 猫には、伝説が多い。
 江戸時代の吉原の遊女がとても猫を溺愛している姿に、遊郭の主人が、遊女が猫の怨霊に取り憑かれていると思い、猫を殺してしまう。嘆き悲しむ遊女に生命の危機が忍び寄ったとき、猫の霊が助けて恩返しをする。という伝説が福をもたらす招き猫が生まれた。
 句にある眠そうな猫の瞳は牡丹雪の何色にも染まらない純な処女性の色を見ている。人間界の複雑さも見えないほど牡丹雪は天からの贈り物の様に降り続く白さは、作者の心と重なっていく。季語の象徴性を写実的な模写に主観を抑え、超越した目前の裏側を観ている。句集の表紙絵に描かれたキリンの臨模を抑えた構図は、作者の心象を読者に看破を薄弱させる効力を成している。猫は作者と共に生き、人間に抱かれて、人間の心にある傲慢や偏狭の眼差しなど、疑いもせず老いていく。
 情感の客観的な牡丹雪の白妙のひかりは人跡未踏の色彩を放ち、作者の真率さを失わない人生を読者は、感受する。
 素朴でありながら生命の躍動の喜びは、動物の本能を感じる作家川越歌澄さんの愛である。
 
 ただ水のように生きていればいいんだ

 須藤葉子九十一歳。
 この師の言葉を、しっかり受け止め俳句を、水の流れのようにと、清々しい川越歌澄さんという、優しさと強さが見えてくる。


俳句時評 第126回 多行形式俳句(3)ちづをひらけば 丑丸 敬史

2020年10月03日 | 日記

(1)はじめに

 多行形式俳句の評論の3回目である。
 重信により産み出された多行形式俳句は、一行ごとの片言の重圧からくる息苦しさをその宿痾、ごうとして有する。それは、一行棒書き俳句の、読みの流れ(一箇所の切れでどこかで一旦立ち止まるとしても)と比較してあまりにも息苦しい。前回見たように、ぶちぶちに切れてしまうこの文芸的な欠点(敢えて欠点とここでは言う)、その息苦しさを忌避するため、後期の重信は色々なことを多行形式俳句で試した(多行形式俳句(2)逃げる鸚鵡はどこへゆく)。

1) 連作としての定型に落とし込む。

  飛騨ひだ
  〇〇〇〇〇〇
  〇〇〇〇〇の
  みことかな

2)軍艦名(地名、地霊)を「お題」として用いての連作。

3) 尻取り遊びで名詞が紡がれる。

4) 頭韻を踏む

  三隈みくまなる        高柳重信『日本海軍』昭和五十四年
  みづち
  水無月みなづき
  みんみんぜみ  

 重信はこれらを駆使、組み合わせ、複数切れによる重苦しさの軽減、名詞ばかりがぶちぶちに並ぶ不自然さへのアリバイ作り、受容しやすさ、それらが総合的に作用し、読み手の多行の必然性への疑義を低下させる。
 多行と格闘した後続の者はどのように対処したのであろうか。

(2)多行形式俳句のその後、その1

 昨年2019年に出版された『俳句詞華集 多行形式百句』(林桂 編著)はこの世界を俯瞰するに好著である。気に入った幾つかの作品を抜き出し鑑賞、翫賞する。

  押入は          岩片仁次『臨終書簡』平成十四年
  邊境ならん

  弟よ

  われら昔         岩片仁次『冥境歳時記』平成十五年
  虚數なりけり

  二十歳

 岩片は正当なる重信の後継者である。多行形式俳句が持つ本質的特性である重苦しさを岩片は受容(利用)しそれを俳句の特色としている。ただ、厳しい言葉で言えば、これらの俳句は重信前期作品の焼き直しの印象を与える。勿論、岩片はそのような指摘は百も承知であろうし、むしろ、そう指摘されることを誉れとも感じているような印象をこれらの句は与える。
 それは、高原耕治や上田玄の俳句からも同様な印象を受ける。

  死靈あかりの       高原耕治『虛神』平成十一年
  椎の木
  曝し
  おさびしやまよ

  搏チテシ止マム 上田玄『暗夜口碑』平成三十年
  父ヲ

  父ハ

 このような鉄の鎧を纏ったような多行形式俳句は、作者の言うに言われぬ心情が表出した作品であろうし、作者はその内容に似う形式として多行形式を選び取ったと言える。形式に祝福された作と言える。

(3)多行形式俳句のその後、その2

 その一方で、方向性の異なる多行形式俳句も模索され、作られ続けている。

  森羅         折笠美秋『火傳書』平成元年
  しみじみ
  萬象
  一個の桃にあり

 美秋には、<天體やゆうべ毛深きももすもも>、<夢夢ぼうぼうと湯舟も北へ行く舟か>、<晩年は鯨を愛す日の帝>、<或る日老いたり遠見の鱶に陽は游び>、<極楽の裏手で葱をつくりおる>(以上『虎嘯記』昭和五十九年)、<まだ誰も知らない死後へ野菊道>、<見えざれば霧の中では霧を見る>(以上『君なら蝶に』昭和六十一年)等の印象深い句がある。
 『火傳書』は折笠美秋の唯一の多行形式俳句集である。師である高柳重信の逝去(S58)を悼んで、それに触発され恩返しの意味合いも込めての多行俳句群であろう。本句、「森羅萬象」を切り分け、一個の桃に着地させる。ここでは「森羅」、「しみじみ」と頭韻を踏んでいる。三、四、四、九、という破調を四行にしみじみと詩心にまとめている。
 ここには重信の作風とは異なる独自の作風の可能性が示されている。多行の持つ重くれを感じさせない自然体の境地とも言える。これは彼の最晩年の句集であり、翌年平成二年には死去。その先の風景を我々は見られなかった。

  焼野匂やけのにほへり         林桂『黄昏の薔薇』昭和五十九年
  とほ

  性欲花せいよくはなのごとし

  みずよりたかきに      林桂『銀の蟬』平成六年
  にく
  はかりて
  暮春ぼしゅんかな

  いまむかし     林桂『雪中父母』平成二十七年
  父在ちちあ
  母在ははあ
  蚕時雨こしぐれあり

 編著である林は『俳句詞華集 多行形式百句』に自作を多数入れている。アンソロジーに自作を多数入れることの是非はあろうが、ここは林の自負とみたい。林も多行形式俳句の重くれを感じさせない独自の作風を確立している。それは、重信が用いた小手先の便法ではなく、その描く内容世界により、である。たおやかな叙情的世界が多行形式俳句という重苦しさを忘れさせる。
 ルノワールの裸婦も当初、「死斑の出た、腐ったような肉塊」との評を受けた。基本、保守的な動物(人も含め)は、見慣れぬものに対しては正しく恐れ、拒否反応を引き起こす。しかし、それを受容する一部のもの(人)によって、集団は導かれ先に進んで行く。
 多行形式俳句もその存在が世に知られるようになった後、いつまでもその意義を厳しく批判し続ける必要はない。全ての多行形式俳句について、これを一行にできないのか、多行形式俳句とする必然性はあるのかと、殊更に多行形式俳句をコロナ禍での自粛警察のごとくに厳しく監視して回る必要はない。一部の俳句の読み手はともすると「多行警察」になってしまっている。ましてや、多行というだけで、多行形式俳句を俳句と呼ぶことを拒否する態度というのはあまりに俳句世界を自ら狭める行為である。
 これらの林の俳句も厳しい検閲にかける必要はない。もしそのようなことをすれば、反復による効果を狙っている三句目の句しか、多行にする必然性は感じられない、という者が多かろう。構えずとも、自然体でゆるやかに多行形式俳句を書いても良いのだよ、とこれらの俳句は語りかけている。

(4)再度、大岡頌司

 自然体ということであれば、再度、大岡頌司の俳句に戻る必要があろう。
 以下、『大岡頌司全句集』(浦島工作舎)より。

  ちづをひらけば    大岡頌司『抱艫長女』昭和四十八年
  せんとへれなは
  ちひさなしま

 本句、「セントヘレナ」も含めて全てひらがな表記にすることで、多行形式のゴツゴツ感を和らげている。それだけでなく、言っていることも無内容でそれが印象を柔和にしている。さらには、上五を「ちづをひらけば」と七にしたことで揺蕩うような情緒が付与されている。

  ふりかへる      大岡頌司『抱艫長女』
  長き尾が欲し
  枯野驛

  黄泉の厠に      大岡頌司『抱艫長女』
  人ひとりゐる
  暑さかな

  ぜんまいに      大岡頌司『抱艫長女』
  ひとり遲れて
  雉子を撃つ

  しばらくは     大岡頌司『利根川志圖』昭和五十年
  陰に帰らむ
  麦の秋

  近づきて      大岡頌司『利根川志圖』
  また遠ざかる
  彼岸花

 五七五をそのまま三行に分かち書きする大岡俳句は「俳句とは何か」ということの本質に迫る問いを秘めている。
 4句目、死んだ大気都比売おおげつひめほと(女陰)から麦が生まれたとの神話(古事記)を踏まえた母胎回帰願望の句であるが、このおおらかな歌いぶりは三行ならではのものと言える。5句目、ちょうどこの時期に咲く彼岸花。筆者の実家の裏はお墓なのだが、彼岸花がたくさん植えられている。土葬が当たり前だった昔、墓を荒らすモグラやネズミ除けのために球根に猛毒を持つ彼岸花が植えられたと言われている。別名、死人花。本句では、彼岸花を歌いつつ、彼岸を暗示している。体調が優れない時には彼岸に近づく心持ちがする、その幽冥の境地を彼岸花に仮託して歌う。
 三行に書き分けることにより、これらの句から受ける印象は却って格段にやさしくなる。それはなぜか。展覧会で絵画を足を止めて一つずつじっくりと鑑賞するように、十七音を一気に読ませるのではなく、一行一行に分けることにより、時間をかけてゆっくりと鑑賞することになる。ここには改行による切れの重圧はない。改行による切れ、それは「文脈中の意味的切れ」ではなく「鑑賞の切れ」なのである。

(5)最後に

 現代の俳句は書かれたものとして提出され、受領されることを常とする。そうである以上、五七五の俳句であっても、それをどのような形で書いて提出するか、作者も読者もより柔軟に対応しても良い。すでに俳句作家は細やかに表記に関心を払っている。ひらがなにするのか、漢字にするのか、漢字にするとしてもどの漢字を使うのか(暗い、昏い、冥い、幽い、等)。一度、自分の五七五俳句を三行に書いてみて印象の変化を感じて欲しい。

 ここまで来て、多行形式俳句の違和感はかなり失せているだろう。大岡頌司の三行俳句が多行形式俳句の敷居を下げた貢献、本質を変質させた業績はもっと評価されてよい。