原ゆきの『ひざしのことり』は、ふらんす堂の第一句集シリーズから、2020年1月1日に発行された句集である。
原ゆきは「船団の会」に所属し、2016年に「抒情文芸」最優秀賞を、2018年に第10回船団賞を受賞している、実力派の俳人である。
音楽はさよりの動きにてドアへ
巻頭句。目には見えない音楽を「さよりの動き」と捉えた発想が新鮮である。数ある魚の中から「さより」を選びとった作者の語感が鋭い。そして、ドアから流れ出たさより=音楽はどこへ行くのだろうか。読者の想像を誘い、句集の世界へと導いてゆく。
花吹雪公園が船出してゆく
花吹雪舞う公園が、桜の大樹を中心にそっくり船出をしてゆく。あたかも映画『天空の城ラピュタ』のエンディングのような、壮大なイメージの句である。日本の文芸は、古来から桜を題材としてその美しさを詠んできたが、この船出のイメージはきわめて斬新であり、読後に陶酔感のようなものをおぼえた。
死体役すいっと起きて星月夜
演劇を題材にした句である。それまで死体役だった俳優が、出番を終えて、「すいっと起き」上がった瞬間を巧みに捉えた。約束事を離れたときの、すっぴんむくな時間がここには描かれている。芝居小屋の外には星の輝く夜空が広がっている。「死体役」「すいっと」「星月夜」というサ行音の韻律の張りもここちよく響く。
地下鉄は来週とびうおの予定
都市と海岸を行ったり来たりしている地下鉄が、来週はとびうおになる予定だという。ルーティン化された日常を超えようとするラディカルなパワーに満ちた句で、季語「とびうお」の印象が新鮮なものに更新されている。「来週とびう/おの予定」という句またがりも、躍動感を生むのに効果を上げている。
こんな夜は茗荷の息をしてください
これは恋の句であると思って読んだ。「茗荷の息をしてください」という頼みは真剣そのものであり、突然のことばに面食らいながらも、思わず「はい」と言ってしまいそうになる。「茗荷」という季語の野菜のセレクトがよい。茗荷の味は、子どもには理解できない大人のものであり、茗荷の香りの息はじつになまめかしい。
打楽器を鳴らし足りない日の葛湯
まず「打楽器を鳴らし足りない日」という認識の仕方がおもしろい。楽器を演奏する人でなくても、打楽器を思うさま叩いてみたい日はあるのではないだろうか。ガンガンと鳴らす打楽器に取り合わされたのは、とろんとやさしい葛湯。この対比になんとも言えないとぼけた味わいがある。
安物の戦艦めいて春の風邪
春の風邪で休養中の自分のからだを、「安物の戦艦めいて」と捉えた句である。そんな風に感じたことは一度もないのに、この句を読むと、的確に言い当てられた気がするから不思議である。「安物の」がじつに巧い。熱に浮かされ、節々が痛み、自分のからだが自分のものでないようなときの不確かさが伝わってくる。
逢うときのすこし海猫めく鞄
逢瀬のときの鞄が「海猫めく」。唐突な海猫の出現に驚かされるが、まるめこまれてしまう。ポイントは「すこし」にあるのかもしれない。海猫めいた鞄とは謎めいており、同時にエロティックな雰囲気を漂わせている。逢いたさが募り、どこかしら常軌を逸した人物像が浮かんでくるのである。
かの人とはぐれ夜店は抽象画
祭りの夜の光景である。「かの人とはぐれ」た後(喧嘩でもしたのか、それとも迷子になったのか)眼前の夜店のならぶ風景が、光と色の氾濫する抽象画に見えたという。もしかしたら、その光景は涙でにじんでいるのかも。いずれにせよ、シンプルなことば遣いで写しとられた景のあでやかさに、うっとりとしてしまう。
原ゆきは「船団の会」に所属し、2016年に「抒情文芸」最優秀賞を、2018年に第10回船団賞を受賞している、実力派の俳人である。
音楽はさよりの動きにてドアへ
巻頭句。目には見えない音楽を「さよりの動き」と捉えた発想が新鮮である。数ある魚の中から「さより」を選びとった作者の語感が鋭い。そして、ドアから流れ出たさより=音楽はどこへ行くのだろうか。読者の想像を誘い、句集の世界へと導いてゆく。
花吹雪公園が船出してゆく
花吹雪舞う公園が、桜の大樹を中心にそっくり船出をしてゆく。あたかも映画『天空の城ラピュタ』のエンディングのような、壮大なイメージの句である。日本の文芸は、古来から桜を題材としてその美しさを詠んできたが、この船出のイメージはきわめて斬新であり、読後に陶酔感のようなものをおぼえた。
死体役すいっと起きて星月夜
演劇を題材にした句である。それまで死体役だった俳優が、出番を終えて、「すいっと起き」上がった瞬間を巧みに捉えた。約束事を離れたときの、すっぴんむくな時間がここには描かれている。芝居小屋の外には星の輝く夜空が広がっている。「死体役」「すいっと」「星月夜」というサ行音の韻律の張りもここちよく響く。
地下鉄は来週とびうおの予定
都市と海岸を行ったり来たりしている地下鉄が、来週はとびうおになる予定だという。ルーティン化された日常を超えようとするラディカルなパワーに満ちた句で、季語「とびうお」の印象が新鮮なものに更新されている。「来週とびう/おの予定」という句またがりも、躍動感を生むのに効果を上げている。
こんな夜は茗荷の息をしてください
これは恋の句であると思って読んだ。「茗荷の息をしてください」という頼みは真剣そのものであり、突然のことばに面食らいながらも、思わず「はい」と言ってしまいそうになる。「茗荷」という季語の野菜のセレクトがよい。茗荷の味は、子どもには理解できない大人のものであり、茗荷の香りの息はじつになまめかしい。
打楽器を鳴らし足りない日の葛湯
まず「打楽器を鳴らし足りない日」という認識の仕方がおもしろい。楽器を演奏する人でなくても、打楽器を思うさま叩いてみたい日はあるのではないだろうか。ガンガンと鳴らす打楽器に取り合わされたのは、とろんとやさしい葛湯。この対比になんとも言えないとぼけた味わいがある。
安物の戦艦めいて春の風邪
春の風邪で休養中の自分のからだを、「安物の戦艦めいて」と捉えた句である。そんな風に感じたことは一度もないのに、この句を読むと、的確に言い当てられた気がするから不思議である。「安物の」がじつに巧い。熱に浮かされ、節々が痛み、自分のからだが自分のものでないようなときの不確かさが伝わってくる。
逢うときのすこし海猫めく鞄
逢瀬のときの鞄が「海猫めく」。唐突な海猫の出現に驚かされるが、まるめこまれてしまう。ポイントは「すこし」にあるのかもしれない。海猫めいた鞄とは謎めいており、同時にエロティックな雰囲気を漂わせている。逢いたさが募り、どこかしら常軌を逸した人物像が浮かんでくるのである。
かの人とはぐれ夜店は抽象画
祭りの夜の光景である。「かの人とはぐれ」た後(喧嘩でもしたのか、それとも迷子になったのか)眼前の夜店のならぶ風景が、光と色の氾濫する抽象画に見えたという。もしかしたら、その光景は涙でにじんでいるのかも。いずれにせよ、シンプルなことば遣いで写しとられた景のあでやかさに、うっとりとしてしまう。