4~6月に放送されたNHKのラジオ講座「俳句の変革者たち」はずいぶん評判になったようだ。正岡子規から俳句甲子園まで、近代俳句・現代俳句を俯瞰して「いま・ここ」に至るまでを見通した俳句史はそういえば今までなかった。講師の青木亮人は気鋭の近代俳句研究者だが、俳句をはじめ短詩型文学の実作者との交流も深い。放送でも最初に現在活躍している若手俳人の句を紹介することが多かった。俳句史が常に「いま」の視点からとらえ直されているのだ。
ここでは青木が俳誌「翔臨」(編集発行人・竹中宏)に連載している〈批評家たちの「写生」〉を紹介したい。この連載は「翔臨」89号(2017年6月)で19回目を迎えるが、「写生」を俳句以外の文芸批評家たちの言説から照射しようとするもので、小林秀雄をとりあげてから11回目になる。青木はたとえば小林の『近代絵画』の〈セザンヌの「感覚」と呼ぶもの、或はピカソが「注意力」と呼ぶものは、絶対的な偶然性しか対象に出来やしない〉〈大事なのは、自然を見るというより、寧ろ自然に見られることだ〉などの一節を引用しながら、これを俳句の「写生」と関連づけている。「俳句」を俳句界で使われている言葉で説明するだけでは、俳句の仲間内では通用するかもしれないが、俳句界の外部の読者にとっては閉ざされた言説になってしまう。青木は別の方法をとる。
人は志賀氏の自然描写の美しさを言う。ああいう美しさは観察と感動とが同じ働きを意味する様な作家でなければ現わせるものではない。(小林秀雄「志賀直哉論」)
そしてさんざんあれこれやってみたが、出来た句は、事柄を並べるだけで、言葉の向うには何の気配も得られなかった。私は事の次第を、同行のホトトギス派の俳人に説明した。その人は、私の俳句を見ながらやがて、「そういうとき、私が成功するとしたら、見るのと言葉とが一緒に出てくるんですね」と、何でもないことのように、ぽつんと言った。(飯島晴子「言葉の現れるとき」)
青木はこのふたつを並べてみせる。俳句の実作を批評言語と結びつける(しかも俳句界内部の言葉ではなく、より広い文芸批評の言語と結びつける)ことによって、文芸全体の文脈のなかで俳句が照射されることになるのである。
もうひとつ紹介しておきたいのは、俳句同人誌「オルガン」10号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)に掲載されている浅沼璞と柳本々々の往復書簡「字数について」である。浅沼と柳本の顔合わせというのはなかなか刺激的だが、今年前半の短詩型イベントの懇親会で二人が語り合う機会があったことが契機となったらしい。これを浅沼は「偶然の必然化」と呼んでいる。
浅沼の問題提起は「字数の問題」と「人称の問題」の相関関係をめぐるもの。「オルガン」9号の対談で斉藤斎藤は一人称に「一人称的一人称」と「三人称的一人称」があり、俳句の「私」は詩形の短さからどうしても三人称的一人称になりがちだと述べた。これに対して鴇田智哉は俳句には二種類の一人称を表現仕分ける十分な字数がなく、多くの俳人は区別なく単に「一人称」と意識しているのではないかと発言している。〈三人称的一人称というのは、「私」を三人称的に、外から見て説明しているということです。〉(斉藤斎藤)斉藤のいう一人称の区別がどれだけ広く承認されるものか私にはわからないが、歌人に「三人称的な私」という感覚があることはおもしろいと思った。
浅沼はこれを連句に適用してみせている。
山のとなりの満月 佳世乃(場)
さんまうまそうな小路を抜けてきて 抜け芝(人情自・一人称的一人称)
浮世絵をまねて両耳寄せてみる 佳世乃(人情自他半)
初日に我のひんやりとゐて 智哉(人情自・三人称的一人称)
芭蕉の弟子、立花北枝が「附方八方自他伝」で説いた「自他場」とは、人情句を「人情自」「人情他」に分け、「人情なし」を「場」として、それらの打越を避けるというもので、現在の連句界でも付けと転じにしばしば用いられる方法。自身と相手の人物の両者が想定される恋句などの場合、「人情自他半」と呼ぶこともある。
〈付句は前句を受けて一人称的一人称になったり、三人称的一人称になったりするようです。〉(浅沼璞)
この浅沼の手紙を連句的にどう受けて返信するか。柳本はそのことに十分に意識的である。
往復書簡自体の人称性というか、返事を書く身としては、まるで前句に付句をつけるのが手紙の返事をかくことじゃないかとも思ったんです。
では、柳本は「川柳」についてどんなふうに言っているか。
七七が偶然を必然化するなら、川柳は五七五という偶然が必然化されない文芸になります。必然化されず偶然のまま放置される文芸になるんです。返事がこない文芸です。だから、現代川柳は返事がこないまま狂気を維持できる。
短歌が返事のくる文芸、ダイアローグだとすれば、川柳は返事のこない文芸。では、ぜったい返事のこない五七五の文芸である俳句や川柳はどうするのか、と柳本は問う。
人称と字数(音数)をめぐる浅沼と柳本のやり取りはとてもスリリングだ。対談ではなくて、往復書簡というかたちも成功しているように感じた。
従来、近現代の短詩型文学は主として「短歌と俳句」の比較のなかで語られることが多かった。連句や川柳を含めた短詩型文学諸形式の大きな文脈のなかで作品が語られる時代がようやくやってきたのである。
ここでは青木が俳誌「翔臨」(編集発行人・竹中宏)に連載している〈批評家たちの「写生」〉を紹介したい。この連載は「翔臨」89号(2017年6月)で19回目を迎えるが、「写生」を俳句以外の文芸批評家たちの言説から照射しようとするもので、小林秀雄をとりあげてから11回目になる。青木はたとえば小林の『近代絵画』の〈セザンヌの「感覚」と呼ぶもの、或はピカソが「注意力」と呼ぶものは、絶対的な偶然性しか対象に出来やしない〉〈大事なのは、自然を見るというより、寧ろ自然に見られることだ〉などの一節を引用しながら、これを俳句の「写生」と関連づけている。「俳句」を俳句界で使われている言葉で説明するだけでは、俳句の仲間内では通用するかもしれないが、俳句界の外部の読者にとっては閉ざされた言説になってしまう。青木は別の方法をとる。
人は志賀氏の自然描写の美しさを言う。ああいう美しさは観察と感動とが同じ働きを意味する様な作家でなければ現わせるものではない。(小林秀雄「志賀直哉論」)
そしてさんざんあれこれやってみたが、出来た句は、事柄を並べるだけで、言葉の向うには何の気配も得られなかった。私は事の次第を、同行のホトトギス派の俳人に説明した。その人は、私の俳句を見ながらやがて、「そういうとき、私が成功するとしたら、見るのと言葉とが一緒に出てくるんですね」と、何でもないことのように、ぽつんと言った。(飯島晴子「言葉の現れるとき」)
青木はこのふたつを並べてみせる。俳句の実作を批評言語と結びつける(しかも俳句界内部の言葉ではなく、より広い文芸批評の言語と結びつける)ことによって、文芸全体の文脈のなかで俳句が照射されることになるのである。
もうひとつ紹介しておきたいのは、俳句同人誌「オルガン」10号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)に掲載されている浅沼璞と柳本々々の往復書簡「字数について」である。浅沼と柳本の顔合わせというのはなかなか刺激的だが、今年前半の短詩型イベントの懇親会で二人が語り合う機会があったことが契機となったらしい。これを浅沼は「偶然の必然化」と呼んでいる。
浅沼の問題提起は「字数の問題」と「人称の問題」の相関関係をめぐるもの。「オルガン」9号の対談で斉藤斎藤は一人称に「一人称的一人称」と「三人称的一人称」があり、俳句の「私」は詩形の短さからどうしても三人称的一人称になりがちだと述べた。これに対して鴇田智哉は俳句には二種類の一人称を表現仕分ける十分な字数がなく、多くの俳人は区別なく単に「一人称」と意識しているのではないかと発言している。〈三人称的一人称というのは、「私」を三人称的に、外から見て説明しているということです。〉(斉藤斎藤)斉藤のいう一人称の区別がどれだけ広く承認されるものか私にはわからないが、歌人に「三人称的な私」という感覚があることはおもしろいと思った。
浅沼はこれを連句に適用してみせている。
山のとなりの満月 佳世乃(場)
さんまうまそうな小路を抜けてきて 抜け芝(人情自・一人称的一人称)
浮世絵をまねて両耳寄せてみる 佳世乃(人情自他半)
初日に我のひんやりとゐて 智哉(人情自・三人称的一人称)
芭蕉の弟子、立花北枝が「附方八方自他伝」で説いた「自他場」とは、人情句を「人情自」「人情他」に分け、「人情なし」を「場」として、それらの打越を避けるというもので、現在の連句界でも付けと転じにしばしば用いられる方法。自身と相手の人物の両者が想定される恋句などの場合、「人情自他半」と呼ぶこともある。
〈付句は前句を受けて一人称的一人称になったり、三人称的一人称になったりするようです。〉(浅沼璞)
この浅沼の手紙を連句的にどう受けて返信するか。柳本はそのことに十分に意識的である。
往復書簡自体の人称性というか、返事を書く身としては、まるで前句に付句をつけるのが手紙の返事をかくことじゃないかとも思ったんです。
では、柳本は「川柳」についてどんなふうに言っているか。
七七が偶然を必然化するなら、川柳は五七五という偶然が必然化されない文芸になります。必然化されず偶然のまま放置される文芸になるんです。返事がこない文芸です。だから、現代川柳は返事がこないまま狂気を維持できる。
短歌が返事のくる文芸、ダイアローグだとすれば、川柳は返事のこない文芸。では、ぜったい返事のこない五七五の文芸である俳句や川柳はどうするのか、と柳本は問う。
人称と字数(音数)をめぐる浅沼と柳本のやり取りはとてもスリリングだ。対談ではなくて、往復書簡というかたちも成功しているように感じた。
従来、近現代の短詩型文学は主として「短歌と俳句」の比較のなかで語られることが多かった。連句や川柳を含めた短詩型文学諸形式の大きな文脈のなかで作品が語られる時代がようやくやってきたのである。