「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評  第106回  何 々   九堂夜想

2019年02月06日 | 日記

 一月、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(現代俳句協会青年部・編、ふらんす堂)が刊行された。本書は、現代俳句協会七十周年事業の一環として、青年部主導のもと、新興俳句のオーソリティである川名大ほか主に若手作家を中心とする数多の俳句関連の助力を得ながら足掛け3年余りを要して制作されたもので、新興俳句に関わった44名の俳句作家についての小論および各100句抄、そして新興俳句にまつわるコラム13篇が収められている。その企画意図は次の通り―「昭和初期の新興俳句運動によって、俳句の可能性は大きくひらかれた。ところが現在、彼らの句集の多くは絶版となり、新興俳句運動に関わった俳人の作品が読める書籍は非常に少ない。このままでは、新興俳句の成果が十分に検討されることなく、新たな読者の心を打つ機会も失い、俳句史の彼方に埋没してしまう。現代に生きる人々が、新興俳句運動やその作家について知り、考える手引きとなるような本を作りたい。それが企画の意図である」

 ところで、新興俳句とは何か。馴染みの薄い俳句初心者や他の文学ジャンルの読者のためにその概要を記しておこう。

 

【新興俳句(しんこうはいく)】

昭和初期に始まった超結社的な俳句革新運動。1931年、水原秋櫻子が主宰誌「馬酔木」に「『自然の真』と『文芸上の真』」を発表し、高浜虚子の主張する花鳥諷詠俳句が些末な草の芽俳句を生み出しているとして批判、自然の真という素材を己のうちに溶かし込み、鍛錬加工した文芸上の真を求めようと「ホトトギス」から離脱する。「馬酔木」独立の挙であったが、これが旧態たる伝統俳句からの脱却の端緒となり、秋桜子の主張は若い俳人の共感を得て「天の川」「土上」「句と評論」などの俳誌も活発に俳句の近代化を目ざすようになる。その後、新素材の拡充と構成的手法によって注目されていた山口誓子が「馬酔木」に加入、叙情性豊かな秋桜子と詩的圭角の際立つ誓子が共に新風の先頭に立つ。この新しい俳句の波は、金児杜鵑花(「俳句月刊」主幹)によって「新興俳句」の名称を与えられる。1935年、日野草城の「旗艦」が創刊、若手を中心とする俊秀を集め「京大俳句」「土上」「句と評論」「傘火(かさび)」「自鳴鐘(とけい)」などと共に反ホトトギス、反伝統の大きな潮流となり、モダニズム、ダダイスム、社会的ニヒリズム、戦争にまつわる報道的実験的諸作(銃後の立場からイマジネーションによって戦況・戦場を詠む「戦火想望俳句」ほか)等、様々な思想的・芸術的・社会的試みを重ねる。しかし、連作俳句中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季の容認が行われるに及んで、秋桜子、誓子は無季俳句批判を行い、1936年頃よりこの運動から離れる。また、思想統制の厳しくなる中、厭戦・反戦句が発表されるに及んで特高警察に睨まれ、1940年、「京大俳句」の主要メンバーが治安維持法違反として検挙(京大俳句事件)されたのを皮切りに、多くの俳人が逮捕、幾多の俳句誌が廃刊に追い込まれ、この運動は壊滅に至った(新興俳句弾圧事件)。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、新興俳句に関わった俳人の多くは、戦後、草城の「太陽系」(のちの「青玄」)、誓子の「天狼」などに結集したが、新興俳句運動の名は消滅した。  

 

 本書の特徴は、冒頭にも記したように、新興俳句の実作者のみならず、新興俳句に直接的/間接的に〝関わった〟俳人をもカバーしている点(「このアンソロジーでは、新興俳句運動に関わり影響を受けた俳人を、より広く取り上げた。人間探求派としてカテゴライズされた石田波郷や加藤楸邨も、新興俳句時代の「馬酔木」から出てきた作家であり、戦後に活躍する桂信子や佐藤鬼房らも、初学時代を新興俳句誌で過ごした。プロレタリア俳句の栗林一石路や橋本夢道も、時代に生きるリアリズムを追求した、新興俳句の並走者だ。各俳人を新興俳句という文脈に置くことで、新興俳句が俳句界に及ぼした影響をあぶりだしたかった。新興俳句をより大きな枠組みで捉えようという新たな認識を提示する一冊でもある」企画意図より)、そして新興俳句運動の中心となった作家たちと同世代の10~40代の俳人ほかの書き手たちによって成った点にある。俎上の新興俳句作家44名と小論執筆者、コラムの内容は以下の通り―。

 

〈収録作家:小論執筆者
安住あつし:松本てふこ/阿部青鞋:佐藤成之/石田波郷:生駒大祐/石橋辰之助:西村麒麟/井上白文地:黒岩徳将/片山桃史:樫本由貴/桂信子:神野紗希/加藤楸邨:永山智郎/神生彩史:中村安伸/喜多青子:蓜島啓介/栗林一石路:相子智恵/高篤三:押野裕/斎藤玄:浅川芳直/西東三鬼:榮猿丸/佐藤鬼房:千倉由穂/篠原鳳作:安里琉太/芝不器男:森凛柚/嶋田青峰:橋本直/杉村聖林子:堀下翔/鈴木六林男:曾根毅/高屋窓秋:鴇田智哉/竹下しづの女:西山ゆりこ/富澤赤黄男:紆夜曲雪/永田耕衣:堀切克洋/中村三山:大林桂/仁智栄坊:岡村知昭/波止影夫:仮屋賢一/橋本多佳子:大高翔/橋本夢道:家藤正人/東京三(秋元不死男):上田信治/東鷹女(三橋鷹女):江渡華子/日野草城:杉浦圭祐/平畑静塔:兼城雄/藤木清子:宮崎莉々香/古家榧夫:野口る理/細谷源二:及川真梨子/堀内薫:𠮷田竜宇/水原秋櫻子:高柳克弘/三谷昭:宮本佳世乃/三橋敏雄:西川火尖/山口誓子:青木亮人/横山白虹:田中亜美/吉岡禅寺洞:久留島元/渡邊白泉:今泉康弘

 

〈コラム〉

連作と新興俳句(堀田季何)

無季俳句―新興俳句の季語観(冨田拓也)

映画と新興俳句(福田若之)

〈現代詩〉と新興俳句―メタモルフォシスの感触(杉本徹)

新興俳句と短歌―秋櫻子と万葉調(大塚凱)

新興俳句と戦争(外山一機)

新興俳句と口語(神野紗希)

新興俳句と都市―都市化はホトトギスと新興俳句でどのように経験されたか(山口優夢)

新興俳句におけるプロレタリア俳句(田島健一)

新興俳句周縁の作家―長谷川素逝の場合(塩見恵介)

新興俳句の女性たち(藤井あかり)

新興俳句のゆりかご―虚子と素十と客観写生(阪西敦子)

新興俳句と弾圧(関悦史)

 

 しばらく、新興俳句についての有効な資料と言えば川名大の著作(『新興俳句表現史論攷』『昭和俳句新詩精神の水脈』『昭和俳句の検証 俳壇史から俳句表現史へ』など)や、『朝日文庫「現代俳句の世界」シリーズ』全16巻(齋藤愼爾・編/三橋敏雄・解説)などであったが、本書はそれら以外の資料も丹念に踏まえつつ、多勢による多角的なまなざしによってメジャー作家の再考/マイナー作家の抽出を図り、当時の詩歌関連や文化状況の変遷、市民生活の都市化や支那事変・太平洋戦争などの時代背景と新興俳句との切り結びにあらたな光を当て、明快且つ重厚、より独自にして高次な資料的価値をものした。刊行後、ネットメディアで目についた讃を―「その歴史も前書きでじつにコンパクトにうまくまとめられているし、(収録作家)44人についての解説もそれぞれに個性的ながら、伝えたいことがしっかり伝わってくる。力の入った紹介文はどれも気持ちがいい。帯文によれば、2、30代の人たちが中心になって作った本とのこと。こんな若者が頑張っている俳句界、これからが楽しみだ。」(金原瑞人)「貴重な仕事だと思う。宇多喜代子が言っていたように、一人ではできない、組織があってできること、それも手弁当で…と座談会で述べていたことは、こういうことである。こうした無私の情熱が俳句を支えているのだ。」(大井恒行)。

 

 さて、いよいよ本格的な批評をと行きたいところだが、筆者にはその資格が十分ではない。何しろ、現段階で肝心の本書が手元にないのである。これまでの文章は身近に集められる資料と仄聞と風説を大まかに取りまとめたもので、たしか和田悟朗の俳句に「読まずして書評を書きぬ秋の暮」というのがあったと記憶するが、その虚実はともかく、かように器用な(というよりは無責任なw)真似は出来そうにない。ゆえに、ここでは本書の〝パースペクティヴな読み方〟を提案したいと思う。

「この輝かしい俳句の流れは、途絶えてしまったのだろうか。そうではない。地下水脈となって浸透したのだ」とは本書の帯にある高野ムツオの文言だが、だとすれば、その新興俳句の地下水脈は一体どこへ浸透したのか? それは今もなお輝かしい俳句の流れであるのか? 「新興俳句が俳句界に及ぼした影響をあぶりだしたかった」という企画意図に倣えば、かつての新興俳句が当時のみならず八十余年を経た現在の俳句界に如何なる影響を及ぼしているかを最大の関心事としなければならないだろう。それを確認するのに打ってつけの本がある。二年前に刊行された『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(佐藤文香・編、左右社)である(『天の川銀河発電所』については、かつて本欄においてその概要を記した(俳句時評 第88回「あゝ、銀河」 17.8 https://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/f966a23fda96c46edfee5f08d350f9c6))。『天の川銀河発電所』の入集作家54名の大半は、『新興俳句アンソロジー』の小論・コラムの書き手でもある。即ち、まず『新興俳句アンソロジー』を読み、それから『天の川銀河発電所』を手に、というのが筆者の提案する〝パースペクティヴな読み方〟である(出来得るならば、両者の間に『現代俳句集成 全1巻』(宗田安正・編、立風書房)を挟み入れられんことを)。

 先日、某会にてふと如上のプレゼンを漏らしたところ、或る者は意味深な微苦笑を、或る者は浅い吐息の後に沈黙を、また或る者からは「それはなかなかの〝皮肉〟ですねww」と返ってきた。皮肉、か…。某氏の遠近法的批評眼ではそうなのだろう。微苦笑であれ、沈黙であれ、皮肉であれ、彼らにそのような反応を催させた要因は一体何であるのか。その〝責任〟の所在は那辺にありや。

 ちなみに、かつての御大は新興俳句について次のように語っている―「新興俳句という言葉を口にするさえ厭やなんだ、新興という言葉は到る所にある。現に『ホトトギス』発行所の向い側にも新興何々会社というのがある。新聞の広告面を見れば新興何々、新興何々、枚挙に遑(いとま)なしだ。新興といえば人が飛びつくように思って商品価値をねらっておる。そんな月並な言葉を用いて得意でおるのは見っともない。よしたらよかろう」(高浜虚子『俳談』、「新興俳句という言葉」(昭和十一年一月))。

「新興何々」という名称に対する虚子の違和感(いや、嫌悪感か)はわからないではない。「新興といえば人が飛びつくように思って商品価値をねらっておる。そんな月並な言葉を用いて得意でおるのは見っともない」とは言い得て妙だ。そして、同じことは「伝統」にも言える。伝統何々舎、伝統何々協会、等々。むしろ今では「新興何々」よりも月並な「伝統何々」の方が幅を利かせているではないか。いや、伝統ばかりではない。至るところ、前衛何々、社会何々、自由何々、現代何々、世界何々、未来何々…、みな、人が飛びつくように思って商品価値をねらっておるんだろう。見っともない、とは言わない。それぞれ、新しい波風を立てるべく一生懸命やっているのだろうから、大いにやればよろしい。凪の世に一石を投じたくなるのが人情、だが、いつの世も〝運動〟と名のつくものにロクなものはない。

『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』の上木は、誠に寿ぐべきことである。ただ、そこから新しい〝何か〟が起こるなどと容易く期待してはならないし、かりに〝何か〟が起こったとして軽々しくそれを信用してはならないだろうことは、本書を読まずとも、文学が、そして歴史が我々に示唆してくれるものである。