日本のクリスマス。戦後の高度成長期に盛り上がって行った催事なのかと思いきや、明治29年に正岡子規がクリスマスを季語(季題)にしたとの記述を見つけた。折角なので、子規のクリスマスの句から始めたい。
八人の子供むつましクリスマス 正岡子規
クリスマスの日に、子供たちが集まっている。それだけの景だが、病に伏している子規が、この賑やかさをどれだけ嬉しく思っているのかが伝わってくる明るい句だ。子規も子供たちと同じように、ウキウキとした気分になっているといいなと思う。
長崎に雪めづらしやクリスマス 富安風生
こちらは昭和3年の、富岡風生のクリスマス句。長崎の町に、珍しく雪が降った。それだけならまだしも、クリスマスなのだから嬉しさも尚更だ。当時はまだホワイトクリスマスとは言わないかもしれないが、雪と夜景の長崎は、それはそれは美しいだろうと思う。
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
さて、クリスマスの句と言えば……で、有名なのがこちらの句。イメージとしては賑わう街の片隅にあるクリスマスとは無縁の食堂の景だ。どうやら外はクリスマスらしいが、自分には関係ないとワンタンを啜っている。この句が詠まれたのは昭和24年、終戦から5回目のクリスマス。サンフランシスコ講和条約まではまだ3年あるが、平和が日常になったことをを感じさせる。
ちなみに、この句はクリスマスへのアンチテーゼのような形で紹介されているのを見かけることはあるが(それも理解できる)、秋元不死男本人は思いのほかクリスマスの句が多い。(クリスマス好き?)
目刺みな眼をくもらせてクリスマス 秋元不死男
点眼に額みどりめくクリスマス
こちらの二句は、どちらかというとワンタンの句と同じで、日常のかなりどうでもいいことと、クリスマスが取り合わされている。ワンタンをすするほどのインパクトはないが、それでもクリスマスを詠みたかったと言うのは少し面白い。ただ、二句目の「額みどりめく」のは、のけぞった頭の先にツリーがあるから?という風に読めなくもない。
燐寸ともし闇の溝跳ぶクリスマス 秋元不死男
燭の火の根元の青きクリスマス
こちらは、どちらも何となくクリスマスを感じる。小さな明かりと闇の対比は、聖夜と繋がる部分がある。と、思っては見たものの、何故、燐寸の明かりで闇の溝を飛んでいるのか。しかもクリスマスに。何かから逃げているのだろうか。クリスマスに?
昭和後期、山口誓子は毎年クリスマスの句を詠んでいた。特にクリスマスツリーを見るのが好きだったようだ。聖樹の句がとても多い。ここに挙げたのは、ほんの一部である。
聖樹には大き過ぎたる星と鐘 山口誓子
聖樹より垂れゐる小さき教会堂
聖樹にて鳴ることもなき銀の鐘
聖樹には綿をこんもり積もらしめ
病院の聖樹金銀モール垂る
ホテル廣場電飾のみの大聖樹
レストラン綿で聖樹の雪増やす
主に昭和53年〜58年ごろに詠まれたもの。しげしげと聖樹を見つめている。病院で、ホテルで、レストランで、街中の様々な場所で聖樹に目を止め、その一つ一つを詠んでいる。最近の商業施設のツリーの飾りなどは、どこで見ても似たような感じだなと思ってしまうこともあるが、それでも細部に目を止めて句にしていくと30年後に読み返して時代の空気を感じる懐かしい句になるかもしれない。
みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季可
さて、同じ聖樹の句でもまたがらりと雰囲気が変わる句。何度かこの連載で引用させてもらっている堀田季何さんの『人類の午後』に、クリスマスの章があったのでそちらから。天使の人形が飾られているクリスマスツリーは一見可愛らしいのかもしれないが、「みな」「吊られてをりぬ」と表現されると、突然世界の薄皮が一枚剥がされたような、薄寒い感覚を覚える。
それぞれに森を離れてきて聖樹 矢野玲奈
色々と飾られたり、吊るされたりしている聖樹だが、こちらは木そのものを詠んだ静謐な句。森から遠く旅をして、時と場合によっては海も渡って、色んな街の色んな家に届いて、飾り付けられ聖樹となる。最近はフェイクのツリーを飾る家の方が圧倒的に多いと思うが、生のもみの木の爽やかな芳香は堪らなく良いものだ。今も静かに佇む遠い森を思いながら、一つずつ飾り付けていく。
陣痛に悶えてマリア聖夜劇 堀田季可
もう一句、『人類の午後』から。聖夜劇は見たことがないのだが、子供たちが演じることが多いことを考えれば、出産シーンは必須とはいえ陣痛に悶えるマリアはいないだろう。ただ、実際の出産の現場ではそんなことはあるはずもなく。遥か昔の伝説、史実、ファンタジーの中の真実は今となってはわからないが、この句を読むと、聖夜の厳かさを上書きするような、マリアの汗の香を感じるのである。
アマゾンの箱破る快クリスマス 小川軽舟
賑やかで楽しく現代的なクリスマス。多くの人が一度は破ったことがあるだろう、アマゾンの箱との取り合わせが面白い。正直、アマゾンから届くのは日用品の方が圧倒的に多いが、時折は贈り物もある。そして、クリスマスの季語が明るさを添えている。最近はアレクサがアマゾンから届くものをぺらぺら教えてくれてしまうので、サンタから子へのプレゼントは決してアマゾンに頼まないの言うのは、昨今の親にとって重要なライフハックである。
自殺せずポインセチアに水欠かさず 矢口晃
クリスマスの明るさがあれば、それに対比するように影もある。この句はクリスマスとは一言も言っていないけれど、クリスマスの気配を強く感じる。外の世界の煌めきとの対比するように、暗い部屋の片隅で、目に痛いほど赤いポインセチアを見つめている瞳に光が差していない。それでも此岸に留まる限り、水をやる。クリスマスがやってきても、通り過ぎても、波はやり過ごすのが大事なのだ。
コロッケの中の冷たきクリスマス 小野あらた
こちらは多分、一人のクリスマス。レンチンに失敗してコロッケの中がまだ冷たい、というのはまあまあ良くあることだけど、クリスマスだからこそちょっと面白い句になった。あと30秒温めを追加して食べよう、コロッケ。
離陸せぬうちに眠れりクリスマス 夏井いつき
仕事も仕事以外も大詰めの年末進行。それでも故郷に帰る日に乗った飛行機で、そういえば今日がクリスマスだったことに気づく。東京のキリッと晴れた夜の夜景は、クリスマスに相応しく美しいだろうに。夢の中で見るしかない。今年もお疲れ様でした。Merry Christmas、あらため、Happy Holidays!
出典
『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(左右社)佐藤文香編著
『俳コレ』(邑書林)週刊俳句
『昭和俳句作品年表 戦後篇』 (東京堂出版)現代俳句協会
『昭和俳句作品年表 戦前・戦中篇』 (東京堂出版)現代俳句協会
句集『人類の午後』(邑書林)堀田季何
句集『無辺』(ふらんす堂)小川軽舟
575筆まか勢 fudemaka57.exblog.jp 「クリスマス」