「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評 第113回 「言葉を生かす俳諧師」と「言葉を殺す俳人」 天宮 風牙(里俳句会同人)

2019年09月09日 | 日記
 最近出席した句会で拙句〈店員も客も外人アスパラガス〉について「外人」という差別用語を用いた句はけしからんという句評を頂いた。差別用語とは、辞書によると「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性を持つ言葉」のことをいうとある。差別用語や放送自粛用語といわれる言葉の殆どが本来は差別を意図した言葉ではなかった。「言葉」自体に意味は無い。言葉は使われて意味を持つ。使われた状況によってどうにでも意味が変化して行くのが言葉ではないのか。
 連歌形式とは、長句a(五七五)→短句b(七七)→長句c(五七五)と進行し、a、b、cの各々独立した三句からabとcbという二首の歌ができる(前句に付く)。このときabとcbは短句bを共有しながらも全く別の景を描かなければならない(前々句である打越と離れる)。これを「三句の渡り」といい連歌の最小単位であり基本構造である。蕉風の歌仙「市中は」の巻より例示する。

  茴香の実を吹落す夕嵐    去来
   僧ややさむく寺にかへるか 凡兆
  さる引の猿と世を経る秋の月 芭蕉

  茴香の実を吹落す夕嵐/僧ややさむく寺にかへるか

 「茴香の実」は日本においては漢方薬、精進料理に用いられていたようであり、漢方薬にも通じる知識人としての僧侶を想像させる。

  さる引の猿と世を経る秋の月/僧ややさむく寺にかへるか

 「さる引」は猿回しをする芸人のことで、猿回しは被差別民の生業とされてきた。仏教の殺生を禁じる教えが、一方では動物にかかわる職業を卑賤視するもととなっていたからだ。相反関係にある「」に「猿引」を付けることにより戒律を厳格に守る僧侶像が想像される。又、前句と二句一連で歌として読むことにより一句単独では味わえなかった社会性を持った作品となった。言葉とはその置かれた文脈により幾通りもの意味を持つ、俳諧師は付合により言葉の意味を変化させ座における最善の意味を見出していた。「変化」こそが俳諧の基本理念である。僕が仲間と巻いた歌仙「寺町は」の巻の一部である。

  晩飯に唐突にあるお赤飯   陽子
   大人だつたり子供だつたり 風牙
  有明に捕虫網持ち飛び出し  登貴

 この三句の渡りによりできる二首の歌

  晩飯に唐突にあるお赤飯/大人だつたり子供だつたり

  有明に捕虫網持ち飛び出し/大人だつたり子供だつたり

 では、一首目の登場人物は初潮を迎えた少女、二首目は盆休みに帰省した大人の男性となる。前句を起点とする単なる連想ゲームと化した現代連句とは趣を異にするものと自負している。
 俳諧から連俳を切り捨てた俳句は一瞬の切り抜きと耳にするが、景を切り抜くだけではなく冒頭に掲げた俳人のように言葉そのものも切り抜き固定化させてしまった方も少なくない。言葉は切り抜かれ固定化されればその生命力を失う。
 又、「写生」という言葉は明治以降西洋から絵画論として移入される以前にもあった。それは中国絵画の修練法で、美しい構図は先達によって既に決められている、よって先達の作品を模写することが上達法であるということであった。現代俳句における写生論は子規が提唱したデッサンからやり直す西洋絵画的写生ではなく、先達から伝承された季語の本意と俳句形式としての型による中国絵画的写生である。俳壇はもとより所属誌においても自らの作品が注目されない俳人が承認欲求を満たすために目指す到達点は「俳句の先生」であり、そのためには季語の本意と型は金科玉条なのであろう。
 俳句は未だ文学ならず。先頃の俳句甲子園で話題となった、

  玉葱や魔羅をうつさぬレントゲン 名古屋B

 にしてもその話題は「魔羅」という言葉だけが切り抜かれていたと思う。「魔羅」は雅語では無いが「ちんこ」と書かなかったことに文学性より審査委員(或は俳句世間)への忖度があったのだろう。そもそも、玉葱も魔羅も骨が無くレントゲンに映らないという関係性、或は皮という包茎への暗示なのかいずれにしても見立ての二句一章の句でなんの俳句的面白味も無いことを批判すべきであった。高校生ですら言葉を殺すことが俳句だと思っているのであろう。