「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評156回 西生ゆかりとその俳句 谷村 行海 

2022年09月25日 | 日記
 街の先輩、西生ゆかりさんが今年度の角川俳句賞を受賞した。大変喜ばしいとともに大いに刺激を受ける出来事だった。
 西生さんには大変お世話になっており、池袋の女装喫茶「まほうにかけられて」に連れて行ってもらったり、西生さんが開くシーシャ句会に参加させていただいたりしていた。好奇心旺盛で無邪気。西生さんにはそのような印象がある。

ジェットコースターから柿摑めさう 『街』140号
蜜柑剝く蜜柑を口に含みつつ 『街』142号
バナナ剝く円周率を諦めて 『街』145号
舐めてをりソフトクリーム撮る前に 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
夫は知らない鏡の裏の黴 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」

 その特長は句にも表れているように思われる。
 1句目、大人からすればこのジェットコースターは大して怖くない、郊外の遊園地にある子供向けのものなのだろう。ほとんどの大人からすれば退屈な乗り物だ。しかし、西生さんの場合にはそうではない。揺れながらジェットコースターのコース上を観察し、そこに柿を見つけると、摑めるだろうかとつい考えてしまう。退屈な時間は一切ないのだろう。そして、ひょっとするともう一度乗って実際に柿を摑んでしまいそうな雰囲気まで感じさせてしまう。
 2句目、3句目は、何も考えていなさそうな前者と、考えることを投げ出してしまう後者が対照的。何も考えずに目の前の蜜柑だけに没頭する2句目の無邪気さはもちろん、3句目についても考えているのは円周率。3.14のその先のことをずっと考えていたのだろうか。確かに、円周率は3.14の先の数字が気になってしまい、どこまでもそれを求めたくなる。しかし、頭でずっと円周率を追うのには限度があり、バナナという日常へと回帰していく。
 4句目はソフトクリームを舐めた後で、写真を撮ることを思いついたのだろう。一度舐めてしまった以上、わざわざ写真を撮らなくてもと思ってしまいはするのだが、それでも写真に収めてしまう。好奇心旺盛な人柄がにじみ出ているように思われる。
 最後の句は主婦としての自分を楽しんでいるように思える。黴を見つけたにもかかわらず、あえてそれを拭きはしない。自分だけが知っている宝物でもあるかのように黴のことを扱っている。きっと、夫が黴に気付いた時こそが黴を掃除する時なのだろう。

工場に二つの言語猫じやらし 『街』146号
入学の全てを入れる青い箱 週刊俳句2020角川俳句賞「落選展」投句作「体と遠足」
メロン来るあまり可愛くない箱で 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」

 そして、好奇心の旺盛さ、無邪気さは時に物事を冷静に見ることにもつながる。
 1句目は、街にある工場からふと声が聞こえたとしても、傾聴しなければなかなか気づけることではない。日本語とそれ以外の言葉が飛び交う工場。その場の人間関係までもが見えてくるようだ。淡々とした詠み口には現実を冷静に見つめる真の眼差しが浮かび上がっており、決して頭のなかだけで作り上げた句ではないと思う。
 2句目はどこかシニカル。入学と聞くと、うきうきした気分が先行しがちだ。ところが、入学時に配られたものはたった1つの箱に全て収まってしまう。大きな夢を描いていても、それが現実のなかで黙殺されてしまうかのようでもあり、観察の鋭さが恐ろしさに繋がっている。
 2句目の入学と同様、メロンにも華やかで明るいイメージがつきまとう。だが、よくよく考えれば、メロンは単なる農作物。それを入れる箱は、農作物を守るという機能面に特化しがちなことだろう。メロンを貰う嬉しさの反面、目の前にあるリアルな現実の姿が浮き彫りになり、真実の世界がそこに現れる。

蟹の朱よ鮪の赤よ一人の夜 『街』147号
蛍烏賊一人になると夜が来て 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
たんぽぽや地球征服したら暇 第3回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞作「青い万年筆の家」

 そして、物事を見つめるうちにその視点は自分自身に行きつく。
 1句目も2句目も同じ一人の夜を詠んでいる。1句目は同じ赤色であっても、その色味はものによって異なり、さらに個体差もある。自分自身にどのような赤い血が流れているのかまではわかることはないが、一人の時に人間としての自分自身のことを内省しているような句に思えてならない。また、2句目は人と別れたあとの寂しさが一気に押し寄せるような感覚がある。たとえ時間的には夜であったとしても、そこに他の人間がいる時には夜ではない。心理的な意味での夜の持つ強さが鑑賞者にも強い共感性をもたらしてくれる。
 そして、最後の句だが、地球制服のことを真剣に考えてしまったのだろう。ゲームやアニメでも謎の悪の組織が特に目的もなく地球制服を目論むが、征服した後には何があるのか。ただの無があるだけだ。そのことに気付いてしまった時、これまでしたきたことの無意味さが大きく身に降り注ぐ。何気ない妄想から入ることで一種のもの悲しさをもたらしてくれ、それと同時に西生さんらしい句のように思えた。

 西生さん本人のTwitterによると、受賞が決まった時、「本当ですか?あなた本当に角川の方ですか?」と聞いてしまったとのことだが、それも確実に事実なのだろう。西生さんにはそのような強さがある。

俳句評 昭和の鎮魂碑 ~黒田杏子聞き手・編者『証言・昭和の俳句』を読む 森川 雅美

2022年09月23日 | 日記
 刊行されたのは19年前の、2002(平成14)年、1999から2000年までの1年半「俳句」(角川書店)に連載された、世紀を跨ぐ企画だった。当時「『昭和俳句史』を語るためには、欠かせない名著」と絶賛されたが、ここしばらく絶版となっていて、まさに待望の増補復刊といえる。
本書の証言者の13人は、大正に生まれ、昭和俳句の第一線を生き抜き、平成、1人だけ令和、に亡くなった俳人であり、昭和俳句を語る上の一級史料だ。しかも、語られる出来事が、「京大俳句事件」などの俳句弾圧、「現代俳句協会」から「俳人協会」の分裂、「俳句文学館」の建設など、昭和俳句に欠かせない事件ばかり。語られる人物も高浜虚子、山口誓子、加藤楸邨、中村草田男、西東三鬼など、俳句に詳しくなくとも聞いたことのある、現代の俳句をつくってきた人物が揃う。聞き手の黒田は、このような事件や人物を丁寧に聞き出し、一方向ではなく多方向からの同時代の声として提示する。しかも、今年亡くなった深見けん二を最後に、証言者の全てが鬼籍であるだけでなく、黒田自身も旧版「あとがき」に記しているが、雑誌掲載から書籍刊行の2年ほどの間に、5人が亡くなっている。さらに、旧版の刊行年に2人亡くなり、最後のギリギリで形になった、奇跡の証言集といっても良い。
 もちろん、本書を楽しめるのは俳句に興味がある読者だけではない。読後に残るのは、大河連作小説を読んだ後に似た充実感。まず何といっても登場する人物が、実に個性があり魅力的、今の言葉でいうならばキャラが立っている。それぞれが信念を持ち自分で考え時代を精一杯生き、ステレオタイプの善人や悪人ではなく、ひと癖もふた癖もあり生々しいほど人間臭い。(語り手が溺れかけた後)「のんきなお顔で「遠くまで行きましたねえ」と言うておられる」山口誓子(津田清子)、(未亡人である語り手のところに)「突然、やっていらっしゃる。うちにソファベッドがありましてね。三鬼さんはベッドでないと駄目でしたから、そのソファベットをご自分でベッドに直すと、お洋服にブラシをかけて、ちゃんとハンガーに吊るされる」西東三鬼(中村苑子)など、実に生き生きと語られている。扱われる出来事にしても、様々な事情や人物が交差するため、次が知りたく夢中でページをめくってしまう。俳句弾圧は、時代への鎮魂を孕んだ青春劇のように、「現代俳句協会」の分裂や、「俳句文学館」の建設は、様々な思惑が交差するサスペンスのように読むこともできる。そして、その背景には、戦争で死んだ、病などのため志半ばで亡くなった、多くの俳人の魂も息づいている。「第一句集の『雪白ゆきしろ』は形見みたいなもの」(沢木欣一)。無念のうちに死んでいった俳人が何人いたのだろう。
 それだけでなく、昭和を生きた人間の記録としても、鮮やかに目に浮かぶように語られている。例えば、空襲について「うちの庭には樹木がわりにあったんですが、それが全部ばーっと燃えてきて、私が玄関まで出たとたん、うしろにバサーッと火が落ちた」(桂信子)。学徒出陣は、「いよいよ学徒出陣になるというので家内が、いや、まだ家内じゃないわけですが、弟を連れて駅まで送りに来ました。しかし、ガダルカナルの死闘が終わって日本軍の敗戦が我々大学生もすでによくわかっていましたから、生きて帰るということは到底考えられなかった。だからそのとき、女房になる人に対して何も言えなかった。」(古舘曹人)。俳人だけでなく、同時代を生きた多くの人に共通した市井の意識が、本書と、本書で語られる昭和俳句を支えている。「戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんです」(金子兜太)。「その後、生き残りの私の句を戦死したり戦病死した友達が現在読んでくれるとしたらどう思うかと常に考える」(三橋敏雄)。このような証言を読むと本書と戦後の昭和俳句が、無念のうちに亡くなった数多の死者のために、書かれてきたことが見えてくる。黒田も「あとがき」で、「二十世紀の末に俳人によって語られたかけがえのない予言集が地球上の多くの人々と出会うことを希っております」と記している。本書と昭和俳句は昭和の鎮魂碑であり、未来へのメッセージでもあるのだ。(2021年・コールサック社)
初出 「脱原発社会をめざす文学者の会 会報」第25号(2021年12月刊行)