街の先輩、西生ゆかりさんが今年度の角川俳句賞を受賞した。大変喜ばしいとともに大いに刺激を受ける出来事だった。
西生さんには大変お世話になっており、池袋の女装喫茶「まほうにかけられて」に連れて行ってもらったり、西生さんが開くシーシャ句会に参加させていただいたりしていた。好奇心旺盛で無邪気。西生さんにはそのような印象がある。
ジェットコースターから柿摑めさう 『街』140号
蜜柑剝く蜜柑を口に含みつつ 『街』142号
バナナ剝く円周率を諦めて 『街』145号
舐めてをりソフトクリーム撮る前に 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
夫は知らない鏡の裏の黴 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」
その特長は句にも表れているように思われる。
1句目、大人からすればこのジェットコースターは大して怖くない、郊外の遊園地にある子供向けのものなのだろう。ほとんどの大人からすれば退屈な乗り物だ。しかし、西生さんの場合にはそうではない。揺れながらジェットコースターのコース上を観察し、そこに柿を見つけると、摑めるだろうかとつい考えてしまう。退屈な時間は一切ないのだろう。そして、ひょっとするともう一度乗って実際に柿を摑んでしまいそうな雰囲気まで感じさせてしまう。
2句目、3句目は、何も考えていなさそうな前者と、考えることを投げ出してしまう後者が対照的。何も考えずに目の前の蜜柑だけに没頭する2句目の無邪気さはもちろん、3句目についても考えているのは円周率。3.14のその先のことをずっと考えていたのだろうか。確かに、円周率は3.14の先の数字が気になってしまい、どこまでもそれを求めたくなる。しかし、頭でずっと円周率を追うのには限度があり、バナナという日常へと回帰していく。
4句目はソフトクリームを舐めた後で、写真を撮ることを思いついたのだろう。一度舐めてしまった以上、わざわざ写真を撮らなくてもと思ってしまいはするのだが、それでも写真に収めてしまう。好奇心旺盛な人柄がにじみ出ているように思われる。
最後の句は主婦としての自分を楽しんでいるように思える。黴を見つけたにもかかわらず、あえてそれを拭きはしない。自分だけが知っている宝物でもあるかのように黴のことを扱っている。きっと、夫が黴に気付いた時こそが黴を掃除する時なのだろう。
工場に二つの言語猫じやらし 『街』146号
入学の全てを入れる青い箱 週刊俳句2020角川俳句賞「落選展」投句作「体と遠足」
メロン来るあまり可愛くない箱で 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」
そして、好奇心の旺盛さ、無邪気さは時に物事を冷静に見ることにもつながる。
1句目は、街にある工場からふと声が聞こえたとしても、傾聴しなければなかなか気づけることではない。日本語とそれ以外の言葉が飛び交う工場。その場の人間関係までもが見えてくるようだ。淡々とした詠み口には現実を冷静に見つめる真の眼差しが浮かび上がっており、決して頭のなかだけで作り上げた句ではないと思う。
2句目はどこかシニカル。入学と聞くと、うきうきした気分が先行しがちだ。ところが、入学時に配られたものはたった1つの箱に全て収まってしまう。大きな夢を描いていても、それが現実のなかで黙殺されてしまうかのようでもあり、観察の鋭さが恐ろしさに繋がっている。
2句目の入学と同様、メロンにも華やかで明るいイメージがつきまとう。だが、よくよく考えれば、メロンは単なる農作物。それを入れる箱は、農作物を守るという機能面に特化しがちなことだろう。メロンを貰う嬉しさの反面、目の前にあるリアルな現実の姿が浮き彫りになり、真実の世界がそこに現れる。
蟹の朱よ鮪の赤よ一人の夜 『街』147号
蛍烏賊一人になると夜が来て 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
たんぽぽや地球征服したら暇 第3回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞作「青い万年筆の家」
そして、物事を見つめるうちにその視点は自分自身に行きつく。
1句目も2句目も同じ一人の夜を詠んでいる。1句目は同じ赤色であっても、その色味はものによって異なり、さらに個体差もある。自分自身にどのような赤い血が流れているのかまではわかることはないが、一人の時に人間としての自分自身のことを内省しているような句に思えてならない。また、2句目は人と別れたあとの寂しさが一気に押し寄せるような感覚がある。たとえ時間的には夜であったとしても、そこに他の人間がいる時には夜ではない。心理的な意味での夜の持つ強さが鑑賞者にも強い共感性をもたらしてくれる。
そして、最後の句だが、地球制服のことを真剣に考えてしまったのだろう。ゲームやアニメでも謎の悪の組織が特に目的もなく地球制服を目論むが、征服した後には何があるのか。ただの無があるだけだ。そのことに気付いてしまった時、これまでしたきたことの無意味さが大きく身に降り注ぐ。何気ない妄想から入ることで一種のもの悲しさをもたらしてくれ、それと同時に西生さんらしい句のように思えた。
西生さん本人のTwitterによると、受賞が決まった時、「本当ですか?あなた本当に角川の方ですか?」と聞いてしまったとのことだが、それも確実に事実なのだろう。西生さんにはそのような強さがある。
西生さんには大変お世話になっており、池袋の女装喫茶「まほうにかけられて」に連れて行ってもらったり、西生さんが開くシーシャ句会に参加させていただいたりしていた。好奇心旺盛で無邪気。西生さんにはそのような印象がある。
ジェットコースターから柿摑めさう 『街』140号
蜜柑剝く蜜柑を口に含みつつ 『街』142号
バナナ剝く円周率を諦めて 『街』145号
舐めてをりソフトクリーム撮る前に 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
夫は知らない鏡の裏の黴 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」
その特長は句にも表れているように思われる。
1句目、大人からすればこのジェットコースターは大して怖くない、郊外の遊園地にある子供向けのものなのだろう。ほとんどの大人からすれば退屈な乗り物だ。しかし、西生さんの場合にはそうではない。揺れながらジェットコースターのコース上を観察し、そこに柿を見つけると、摑めるだろうかとつい考えてしまう。退屈な時間は一切ないのだろう。そして、ひょっとするともう一度乗って実際に柿を摑んでしまいそうな雰囲気まで感じさせてしまう。
2句目、3句目は、何も考えていなさそうな前者と、考えることを投げ出してしまう後者が対照的。何も考えずに目の前の蜜柑だけに没頭する2句目の無邪気さはもちろん、3句目についても考えているのは円周率。3.14のその先のことをずっと考えていたのだろうか。確かに、円周率は3.14の先の数字が気になってしまい、どこまでもそれを求めたくなる。しかし、頭でずっと円周率を追うのには限度があり、バナナという日常へと回帰していく。
4句目はソフトクリームを舐めた後で、写真を撮ることを思いついたのだろう。一度舐めてしまった以上、わざわざ写真を撮らなくてもと思ってしまいはするのだが、それでも写真に収めてしまう。好奇心旺盛な人柄がにじみ出ているように思われる。
最後の句は主婦としての自分を楽しんでいるように思える。黴を見つけたにもかかわらず、あえてそれを拭きはしない。自分だけが知っている宝物でもあるかのように黴のことを扱っている。きっと、夫が黴に気付いた時こそが黴を掃除する時なのだろう。
工場に二つの言語猫じやらし 『街』146号
入学の全てを入れる青い箱 週刊俳句2020角川俳句賞「落選展」投句作「体と遠足」
メロン来るあまり可愛くない箱で 第3回新鋭俳句賞準賞「台所」
そして、好奇心の旺盛さ、無邪気さは時に物事を冷静に見ることにもつながる。
1句目は、街にある工場からふと声が聞こえたとしても、傾聴しなければなかなか気づけることではない。日本語とそれ以外の言葉が飛び交う工場。その場の人間関係までもが見えてくるようだ。淡々とした詠み口には現実を冷静に見つめる真の眼差しが浮かび上がっており、決して頭のなかだけで作り上げた句ではないと思う。
2句目はどこかシニカル。入学と聞くと、うきうきした気分が先行しがちだ。ところが、入学時に配られたものはたった1つの箱に全て収まってしまう。大きな夢を描いていても、それが現実のなかで黙殺されてしまうかのようでもあり、観察の鋭さが恐ろしさに繋がっている。
2句目の入学と同様、メロンにも華やかで明るいイメージがつきまとう。だが、よくよく考えれば、メロンは単なる農作物。それを入れる箱は、農作物を守るという機能面に特化しがちなことだろう。メロンを貰う嬉しさの反面、目の前にあるリアルな現実の姿が浮き彫りになり、真実の世界がそこに現れる。
蟹の朱よ鮪の赤よ一人の夜 『街』147号
蛍烏賊一人になると夜が来て 週刊俳句2021角川俳句賞「落選展」投句作「回りだす」
たんぽぽや地球征服したら暇 第3回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞作「青い万年筆の家」
そして、物事を見つめるうちにその視点は自分自身に行きつく。
1句目も2句目も同じ一人の夜を詠んでいる。1句目は同じ赤色であっても、その色味はものによって異なり、さらに個体差もある。自分自身にどのような赤い血が流れているのかまではわかることはないが、一人の時に人間としての自分自身のことを内省しているような句に思えてならない。また、2句目は人と別れたあとの寂しさが一気に押し寄せるような感覚がある。たとえ時間的には夜であったとしても、そこに他の人間がいる時には夜ではない。心理的な意味での夜の持つ強さが鑑賞者にも強い共感性をもたらしてくれる。
そして、最後の句だが、地球制服のことを真剣に考えてしまったのだろう。ゲームやアニメでも謎の悪の組織が特に目的もなく地球制服を目論むが、征服した後には何があるのか。ただの無があるだけだ。そのことに気付いてしまった時、これまでしたきたことの無意味さが大きく身に降り注ぐ。何気ない妄想から入ることで一種のもの悲しさをもたらしてくれ、それと同時に西生さんらしい句のように思えた。
西生さん本人のTwitterによると、受賞が決まった時、「本当ですか?あなた本当に角川の方ですか?」と聞いてしまったとのことだが、それも確実に事実なのだろう。西生さんにはそのような強さがある。