「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 句集を読む 小峰慎也

2016年05月24日 | 日記
 句集を読むということをやってみようかと思っている。
 個人の句集を原本で通して読んだことが一度もなかった。
 句集(や歌集)という本を読むというのは、読書とは違うことのように思える。たいてい1行で1つの作品が等間隔で並んでいて、頭から順に読んでいくことを強制はしてこない、順に読んでいくことをうながさない、というか、そのような読み方にとっては単調でこたえてくる、といった感じか。この禁欲的で単調な「つくり」、俳句の提示のされ方に、「たまらないもの」を感じる。
 句そのものは、やはりそれで1つの作品である。たとえば、ランダムに配置されているようなレイアウトの句集があったとしたら、それは、句の鑑賞のさまたげになる(気がする)。等間隔の単調さというのは、一つ一つの句の一本立ちを成り立たせるため、といっていい。といっても、句集において、いくつもの句が並んでいることに、並んでいる以上の意味がないわけではない。句集というものは、普通の意味での「構成」が作りづらい。それでも、さすがに全体がただ等間隔の句の集まりだととりつくしまがないということなのだろうか、いくつかのパートにわかれていることが多いような気がする。しかし、この句の次にこれが来て次にこれとか、部分的にはやるだろうが、全体にわたって考え出したら、たちまち行きづまるかもしれない。

 いま読もうとしているのは、石田波郷『雨覆』(七洋社、1948年3月25日)である。
 読み出して、読む前にも、つまずいたのは、読めない字が多いということだ。
 タイトルからして、「あまおおい」「あめおおい」「うふく」、どう読むのだろう。後記に、「雨覆は風切羽に接して主翼を構成する鳥の羽の名である」とある。いい感じの造語ということも最初は少し思って後記を読んで違ったのだけど、この語はどうなのかわからないが、日常生活ではあまり使わない語で、俳句近辺では使われる、季語とは限らない、雅語とかいうのもふくまれるのかしらないけど、ちょっとかっこいい感じの非情なことばの一つなのだろうか。むずかしいというか、こういう「語」だけですでにちょっとかっこいいようなものって、かっこいいと思って使ってしまっていいものかどうか、判断できるところにまでまだ踏み入っていない。
 「雨覆」に関していえば、塚本邦雄『百句燦燦――現代俳諧頌』で、「あまおほひ」とルビが振ってあった。何を根拠にしているのかわからないが、「雨覆」は、普通に議論の余地なく「あまおおい」だということなのかもしれない。『百句燦燦』には、石田波郷の句が3句取られているが、どれも『雨覆』からのものなのが気になる。本文のほうでは、石田波郷のほかの句集にもふれられているが。『雨覆』という句集が、石田波郷にとってどんな位置にあるのか、また、俳句の歴史にとってどんな意味を持つのか知らないので、余計に気になるかたよりである。
 『雨覆』は石田波郷の戦後最初の句集なのだろうか。収録作品は、「昭和二十年夏より二十二年秋まで」と、これも後記にある。



 「雨覆」という語をいったんわかった気にはなったが、辞書的にわかっただけというのは、違う気がしてきた。ネットで調べると、図解しているのがある(画像検索してみると、気持ちがわるい)。そこで出ている鳥の羽は、ことばだけで説明するのがなかなかむずかしい。片翼は縦に大きく三つの部分に分かれている。そのうち、外側が横に三つの部分、中側が横に四つの部分、内側が二つの部分に分かれているようだ。この、それぞれに横に分けたときの、一番下に来る羽を「風切」というらしい。外側の風切が「初列風切」、中側が「次列風切」、内側が「三列風切」である。石田波郷が書いているように、その一つ上のラインが「雨覆」といっていいのだが、もう少しめんどうくさいようだ。「初列風切」の上は「初列雨覆」でわかりやすいのだが、四つに分けられる中側の「次列風切」の上三段が、下から順に「大雨覆」「中雨覆」「小雨覆」と全部「雨覆」の名前がついている。それで、今名前を挙げなかった、外側の一番上は「小翼羽」、内側の一番上は「肩羽」ということになっている。つまり、「雨覆」という範囲がさすのは、外側の下から二段目、中側の下から二、三、四段目ということになる。ただし、これは、ネットでたまたま見た、その画像だけを見て書いたものであるから、鳥というものがすべてそうだとはとても思われない(一度絵を描いてみるとおぼえやすい)。
 この「覆」という文字は、他の羽(それぞれその下に来る羽)にかぶさるようになっている、気流の流れをスムーズにする働きをしているらしい。
 これらはどのくらいの人に知られていることなのだろうか。手もとの中学生用の『スーパー理科事典 改訂版』(恩藤知典編著、受験研究社、1998)にはそこまでくわしくは出ていなかった(これはこの時期の中学生に対応したもので、ぼくが中学生のときや現在とは違う可能性がある。それにしても、この本の奥付には刊行年月日が書いていない(著作権の取得年?は1998年)。前書きに、1998年10月に改訂したとある。学習指導要領に対応して、かどうかわからないが、1985年生まれ以降が使うものと想定できるかもしれない)。



 この本をほとんど退屈せずに読んだ。「焼跡」などが出てくる句にあらいところを少し感じたように思うが、全体に「張り」がある。
 最初の句は「口に出てわが足いそぐ初しぐれ」である。いきなりに、よくわからない。「口に出て」というのをどうとらえたらいいのか。意味として考えると、どこかの出口に出たということか。建物の出口とか改札口とか。その線で考えた場合、「」とだけいってしまっているところに、具体性の余計な部分だけを剥ぎとって、むきだしになった、抽象一歩手前の具体性のたねのようなものを感じる。そしてそれは、「に出てわが足いそぐ」と、アクションにつながっていて、「初しぐれ」の情景へと転じる。切れていながら、「初しぐれ」へとぶつかった、気づいた、という動きになっている。
 「口に出て」、と、入口とも出口とも具体的なものと明示されない「」は、句集の巻頭に置かれることで、新しい場所に出た、というふくみを強くしている。そのための、何ものともつかない「」というふうに。
 新しい場所に出た、がそれは何かがはじまって解放されたとまでののびのびしたものではない。何かわからないが、足はいそいでいる。少し緊張感が走っている。そこへ「初しぐれ」のつめたさ。句の力の動きとしていうなら、足、ようするに人、主人公というかわれというか、にこもらされていた理由の書かれないあせりが、「初しぐれ」という場所に拡散している。
 また、「」が人間の身体の部位も示す語であることが、そのあとに出てくる「」への接続の中で、奇妙なつながり方、ありえない動きを作りだしている(以下に述べる、「おかしな解釈」かもしれないものを、ぼくにもたらした)。
 この句がどのように鑑賞されるのが一般的なのかわからない。
 以上書いたものは、読み返してみて、いま思いついたことを書いたのだが、一読目に思ったことを思い出すと、「口に出」たものが「初しぐれ」、というような解釈である。そんなふうに読む人がいるのかどうかしらないが、「初しぐれ」が「口に出てわが足いそぐ」ということだったのか。どうもそうとばかりはいえない気がする。自分の中のかすかな納得を説明するのもむずかしいのだが、単に「擬人化」ということとはちがっていた。「口に出て」ということから、「ことば」が含意されているものと思った。目の部分が消された人のような「」からなにやら熱心なことばがしゃべられたという感じである。つじつまが合わないようなことにもなるだろうが、「口に出て」と「わが足いそぐ」と「初しぐれ」がそれぞれ切れてくっつけられているというふうに読んで変に面白かったというのが一つ。
 そのあとに、「初しぐれ」が「口に出てわが足いそぐ」、がよぎったような気がする。「初しぐれ」というのがあまり自分の中でどういうものかイメージできていなかったからかもしれない。しゃべるときに出る泡のようなものとして思ったのかもしれない。これはおそらく、大根おろしを「しぐれ」ということがあるというイメージが重なったものと見える。
 これらが、ある程度自然に導かれがちな読みかたなのか、ぼくの頭がおかしいのかどうかも、よくわからない。
 筋のとおらない納得をする。いや、納得しているのでも、解釈しているのでもない。不安なところで意味が結んでいるのがたのしいのだ。一人勝手にそうしているわけではない、作品がそうさせている、と一応思っておきたい。

俳句評 私の読んだ句集、俳書への素朴な感想1 江田 浩司

2016年05月03日 | 日記
 「この世の道の半ばで、もし現代俳句に逅つてゐたとしたら、私は惑ひながらもこの道をたどつてゐたかもしれない。」この一文を書いた歌人が誰だがわかるだろうか。短歌や俳句の出会いは不思議なもので、はじめからどちらの詩型を選ぶか迷いのない者、迷いながらどちらか一方を選ぶ者、また、どちらか一方に主軸を置きながら、両方の創作を行う者など多様である。その中でも、正岡子規などは例外中の例外と言っていいのだろう。
 ところで、先の一文の執筆者は山中智恵子である。山中はこの一文に続き、「道の岐れは、十三歳の頃読んだ、博文館の俳諧文庫の芭蕉全集だつた」(「あなたなる――私の現代俳句」)と記している。芭蕉の俳句が歌人に与えた影響について、これまでに充分な検証がされているとは言い難い。しかし、芭蕉の俳句を視野に入れた考察が必要とされる歌人は多く、近代歌人では長塚節や太田水穂、現代歌人では山中智恵子や玉城徹がその典型と言えるだろう。山中や玉城は俳句の創作を通して、短歌のあるべき姿を指向した側面もある。俳句と歌人と言えば、まず本邦雄が念頭に浮かぶが、本の場合、私は芭蕉よりも蕪村の方を思い浮かべてしまう。いずれにしても、芭蕉と歌人というモチーフは、私の今後の研究テーマであり続けるだろう。

      *

 贈って頂いた句集や俳書に目を通しながら、感想をお送りしていない不義理が重なっている。俳句時評はとても書けそうにないので、私の手許にある句集と俳書への素朴な感想を綴ってみたい。
 現在八十六歳の高橋龍の精力的な創作と批評活動には心から敬服させられる。以前、富士谷御杖についての質問をした折に、適切なアドバイスを頂いた。短歌にも造詣が深く、岡井短歌について話をしたことがある。高橋人形舎刊行の『人形舎雜纂』(二〇一五年十一月刊)には、十三篇の俳句評論と最新俳句作品100句が収録されている。巻頭の評論「草田男の犬敏雄の犬」から、資料的価値も高い好評論である。

  降る雪や草田男の犬敏雄の犬     高橋 龍

 高橋は冒頭にこの句を掲げ、二人の名高い犬の句、「壯行や深雪に犬のみ腰をおとし  中村草田男」の戦後における評価と、「出征ぞ子供ら犬は歡べり  三橋敏雄」の表記改変の問題を取り上げている。戦中が俳句創作の困難な時代であったことは容易に想像できるが、戦後の俳句評価にイデオロギーが絡むことに、作品評価に関する闇の部分を見る思いがする。もっともこの闇は、形や濃淡を違えながら現在まで続いている。むしろ、その闇を見極めることから、正当な評価を導き出す努力を惜しまないように心がけるしかない。これは、短歌をはじめその他のジャンルにも言えることだろう。
 『人形舎雜纂』の最後には、最新俳句作品一〇〇句が収録されている。高橋の教養の広さと知性の深さを象徴する作品群である。内外の芸術家などの人名が数多く読み込まれている。

  沿線は黙殺される白い夏
  自転車のたふれてゐたるところ百合
  先客在り「月光」旅館喫煙室
  マグリット三日月堕胎(おろ)す木を蒼く
  婚(まぐは)ひの火打袋をヤマトヒメ
  マルクス賛江赤い腰巻ちらちらと
  箱根駅伝一区を走る十辺舎
  濁流だ。濁流だ。聖上(おかみ)よ。濁流だ。
  ローマ字の影もローマ字早き春
  皿皿皿へサラ・ベルナール蛍烏賊
  郁乎忌やまんこ出てゐる広辞苑
  言語(ことのは)は存在(ある)を物性(もの)へと蟻地獄
  白木槿官給品の下着に血
  仮死の木や沖しらじらと朝の終わり


 高屋窓秋、斎藤茂吉、高柳重信、ルネ・マグリット、ヤマトヒメ、マルクス、十返舎一九、斎藤史、川口重美、高橋新吉とサラ・ベルナール、加藤郁乎への自在なオマージュと追悼の句から、大森荘蔵的(?)思考と言語構造、バタイユ的エロスと残酷さ(?)、私的終末観など、その句の多彩さには驚くべきものがある。
 高橋の創作のエネルギーがどこからくるのか、私に理解できようはずもないが、古今東西の書物に精通した高橋の教養の厚みが、俳句創作の信念と相まって、私たちを驚異の俳句世界へと導いてゆくのではないだろうか。
 高橋はフランス装の瀟洒な句集を、次々と刊行している。私の手許にある句集の中から、最後にその冒頭句と掉尾を飾る句を紹介したい。その膨大な句の世界を通覧することはできないが、高橋の句作のモチーフと、作句の方法に関するさわりくらいは瞥見することができると思う。

  初日の出水平線を歪(いびつ)にす                『十余二』 二〇一三年七月刊
   師範退学
  生享けてより見知らぬ平和飢える秋             同  この句の後に、「古事記歳時記」が付加されている。
  凍る夜のコップかくまで薄きかな             『飛雪』  二〇一四年二月刊
  罪ゆえに蟲ピン打たれたる蝶よ               同
  新年  年末に腹部大動脈瘤手術のため入院無事退院        『二合半』 二〇一四年四月刊
  残りなき命まだある大旦
  紫の袱紗に戦争(いくさ)つつむ日も                 同
  四雨郁乎郁山人の賀状かな                『不入斗』 二〇一四年九月刊
  かつて言ひし明眸皓歯初釜に                同

      *

 久保純夫の第九句集『日本文化私観』(二〇一五年十月 飯塚書店刊)は、明確なコンセプトのもとに構築された俳句世界である。造形作品や絵画に触発された俳句で一冊の句集を構成するという離れ業を行っている。私の知る限りではそのような句集の記憶はない。中村草田男の「メランコリア」三十七句は有名であるが、デューラーの銅版画「メランコリア」による群作という限定されたものである。短歌ではよく絵画や造形作品がモチーフとして詠われるが、俳句は短歌と比べてどうなのだろうか。何らの確信もなくこのようなことを書くのは無責任だが、短歌よりも少ないのではないかと思われる。季語のことがあり、その点が気にかかる。
『日本文化私観』というと、坂口安吾の同名のエッセイが連想される。が、本書に安吾のことが触れられることはない。名称が同じであるということだけなのか、安吾の文化観、伝統観を意識においたものなのかはわからない。久保が安吾の「日本文化私観」を読んでいないとは思えないので、創作の深層に影響を与えていないという確証はない。もちろん、共感ではなく反発という可能性もある。いずれにしても、本書からは、俳句によって芸術作品に向き合う表現者の姿勢が、思惟にもとづきスリリングに表出している。久保の友人は、このような営為を「エクフラシス」の実践であると評価したという。私は必ずしも久保が向き合った作品を知らなくても、俳句の価値に差異があるとは思わなかった。あるいは、私がそのような作品ばかりに目を留めて心を動かされたのだろうか。以下には、付箋を付けた作品の中からいくつか引用してみたい。(  )には、俳句のモチーフとなった作品の創作者名(「日本の四季」を除く)を記入している。

  かりくびに目鼻がつきて白雨来る      (船越桂)
  襞ごとに隠されており櫻餅         (草間彌生)
  夕映えや波に紛れし籠枕           (同)
  血の管が幾つも走る打水よ          (同)
  右肢はしばらくの宙白鷺よ         (酒井抱一)
  葛の葉にしばらく通う雨のあり        (同)
  穂芒の鎮めるために傾ぎけり         (同)
  白梅の光のほかは匂いけり         (伊藤若冲)
  常しえに右から吹かれ青薄          (同)
  傾きて桔梗となりぬふたつ脛         (同)
  居待月牛の涎を蔵いけり          (フェルメール)
  薔薇が蜘蛛に蝶が渚になる真昼       (ジミー大西)
  よつんばいから始まりし竈馬        (武田秀雄)
  蓮の葉を茎ごと掲げ揺れており       (藤平伸)
  紅梅は反り白梅に添う水の上        (「日本の四季」より)
  握られてぎゅうと言いたる牛蛙       (藤田嗣治)
  濃淡を水に移せり昼寝覚          (新垣幸子)
  有明の蓬に残る水の色           (丸山応挙)
  いずこから瀧となりたる夕紅葉       (竹内栖鳳)
  萩よりもやさしく触れぬ月明り        (同)
  赤子からけむり始める藤の花        (小野竹喬)

 ここに引用した俳句以外にも興味深い句が数多くあるが、偏らないように句集全体から引用してみた。船越桂や草間彌生の作品に基づいた句は、ふたりの作品との感応や往還が私にもはっきりと感じられる。また、抱一や若冲の作品に基づいた句に、私の好きな句が多くあった。その他、私の未知の画家の作品に触発された句もあるが、句を読む上で意識することはなく、久保固有の作品として楽しく鑑賞した。自己還元性の強い短歌とは違い、俳句は切れを表現の本質としているので、依拠した作品からの独立性や距離があるのかと改めて確認させられたのである。

      *

 久保純夫と同じく鈴木六林男に師事した曾根毅の第一句集『花修』(二〇一五年七月 深夜叢書社刊)には、東日本大震災をモチーフとした俳句で、第4回芝不器男俳句新人賞を受賞した作品が収録されている。私が興味を持った句の中からいくつかを次に引用してみたい。

  鶴二百三百五百戦争へ           「花」より
  くちびるを花びらとする溺死かな       同
  滝おちてこの世のものとなりにけり      同
  さくら狩り口の中まで暗くなり       「光」より
  地に落ちてより艶めける八重桜        同
  初夏の海に身体を還しけり          同
  爆心地アイスクリーム点点と         同
  空蟬や開かれしまま忘れられ         同
  夕ぐれのバスに残りし春の泥        「蓮Ⅰ」
  水吸うて水の上なる桜かな          同
  山鳩として濡れている放射能         同
  身籠れる光のなかを桜餅          「蓮Ⅱ」
  みな西を向き輝ける金魚の尾         同
  原発の湾に真向い卵飲む           同
  一粒は階にあり茨の実           「蓮Ⅲ」

 異論もあるだろうが、以下に各句についての簡略な感想を記してみたい。
 一句目は、鈴木六林男の影響が色濃く反映した句ではないか。鶴の譬喩が多義的であるが、この句の場合、それが却って表現の世界を広げているように思われる。二句目は、必ずしも津波による犠牲者を念頭に置いて読む必要はないのかもしれない。生の無常と死者への鎮魂の情が重なっている。三句目は、この句集を代表する秀句だろう。滝はこの世とあの世をつなぐ水の架け橋であろうか。落ちる前の滝は、常世の側の世界である。四句目の不安感は、「さくら狩り」という言葉の効果でいっそう掻き立てられている。五句目は、八重桜の存在感を巧く表現できている。六句目は、海の持つ意味への暗示の効いた句である。七句目は、地面についたアイスクリームの染みが原爆の犠牲者を暗示させる。八句目は、空蟬の背中の切り開かれた穴が、存在の虚ろな無常感を象徴しているようである。九首目は、津波を暗示させ、「春の泥」が虚無感を表出する。十句目は、津波後の情景を象徴的に表現した句だろうが、無常感と鎮魂が重ねられている句として読んだ。十一句目は、福島の原発事故後の危機的な状況を、山鳩を素材に巧く表現している。十二句目は、原発事故以後の状況下を背景にして読むとき、生と生、存在の哀感と無常が立ちあがる。十三句目も原発以後の状況を意識して読むとき、不気味なグロテスクさを内在している句として読める。十四句目は、原発に向き合う自己を表現した句として印象的。十五句目は、暗示的な作品だが、東日本大震災への鎮魂の意味が内包されている句と読みたい。

      *

 ここまで取り上げた句集以外にも言及したい句集、俳書があるが、詳しく紹介する余裕がないので、改めて次回の本欄で取り上げたいと思う。
 高橋比呂子の第四句集『つがるからつゆいり』(二〇一六年一月 文學の森刊)は、冒頭近くに亡き母への追悼句が置かれている。「母を葬りて萍に遊べず」。川柳では小池正博の第二句集『転校生は蟻まみれ』(二〇一六年三月 編集工房ノア刊)が、俳句とは異質な世界に遊ばせてくれて楽しい。「都合よく転校生は蟻まみれ」。また、以前に読んで句の持つ清新さ、言葉の清潔感に感銘を受けた宮本佳世乃の第一句集『鳥飛ぶ仕組み』(二〇一二年十二月 現代俳句協会刊)も取り上げたい句集である。「鳥飛ぶ仕組み水引草の上向きに」。
 そして、田沼泰彦の多行形式の句と散文詩による『断片・天国と地獄の結婚』(二〇一四年四月 下井草書房刊)は、限定八八部、箱入りフランス装の美しい本で畏怖を纏っているようである。私はこの句集に真正面から向き合うことを避けてきた。多行形式の句をどのように読めばいいのか、未だに解らないことの方が多いのである。高原耕治の第2多行形式句集『四獸門』の書評を、第二次「未定」(二〇一六年二月刊)に書かせてもらったが、これは、高原の俳句の存在学に基づくもので、田沼の俳句を思考する場合には、まったく異質なアプローチが必要になる。しかし、次回にこの欄で取り上げるときまでには、私の見解を述べることができるようにしたいと思っている。
 多行形式と言えば、澤好摩著『高柳重信の100句を読む 俳句と生涯』(二〇一五年十二月 飯塚書店刊)が好著である。重信の33歳の頃の颯爽とした写真や、著者、本稿で取り上げた久保純夫、坪内稔典、桂信子と写った写真も挿入されている。重信の句についても分からないながら惹きつけられて来たが、本書によって、重信の句の本質を掴めればと思っている。
 重信の師である富澤赤黄男について自在に論じている秦夕美著『赤黄男幻想』(二〇〇七年七月 富士見書房刊)も興味深く拝読した。この書のユニークさは、赤黄男の句を語りながら、ときに「私」語りになっており、著者の赤黄男体験が吐露されてゆく好エッセイ集でもある。
 その他の句集、俳書についても書きたいことは尽きないが、この辺りで筆を置きたいと思う。短歌を創作しているので俳句には興味がないという人もいるかもしれない。が、自分たちの表現の隣に豊かな表現の世界が拓かれていることに無自覚でいるのはもったいない。まずは書店に行って、句集、俳書に目を通して見てはいかがだろうか。

俳句評 全ては正岡子規のせい~墓じゃなきゃいけなかったのか? 橘上

2016年05月02日 | 日記
 はじめに
 例によって(http://blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/e/b956284a820f9c7842ff2d2490d9a40c
 長くなったので時間ない人は青字からお読みください。



ヤバイ。
昨年度引き受けた短歌時評が不評だったのに
ついうっかり俳句時評を引き受けてしまった
これは悪夢だ。

「悪夢のような現実を見つめる覚悟が俺にはある」
「かっこいい!」

しかし、穂村弘というとっかかりがある短歌ならまだしも
そういうわかりやすいメディア・スターがいない俳句はちょっと未知数だ
金子兜太?
うーん

「あっこれは便宜上敬称略にしているだけで」
「呼び捨てにしてるわけじゃないですよ」
「僕は自分の文章の中で出した人を全員尊敬しています」
「僕の次に」

俺は俺を肯定しない
しかし
俺は俺を尊敬する

というわけで
自分ではあまりにも俳句は手に負えないので、
ここは正岡子規の霊を口寄せして
正岡子規に俳句時評を書いてもらうことにした

  ※橘上は俳句初心者でイタコとしてはど素人です。
   よってこの口寄せは多分失敗におわりますが
   「万が一」ということがあります。
   以下の文章は万が一の確率で口寄せが成功し、正岡子規が書いているということも起こり得ると心しておよみください。 


心優しい俳句の人「自分の力不足を素直に認められるのは好感が持てるね」
心優しい俳句の人「橘上という男、よく知らないがなかなかの好青年じゃないか」
空気読めないいやな感じの人「さっき現実を見つめるといったのにイタコ頼りだなんて卑怯だぞ!」
心優しい俳句の人「橘君。自分に都合の悪いことを言われたからって相手を『やな感じの人』呼ばわりはよくないなぁ。」
橘上「ハイ!」
心優しい俳句の人「いい返事だ。その調子で続けたまえ」
橘上「へたっぴだけど頑張ります」
心優しい俳句の人「橘君は実にいい目をしている」
心優しい俳句の人「お見せできないのが残念です」
橘上「あなたが今まで見た中で一番美しい光景を思い浮かべてくれ」
橘上「その美しい光景をさらに美しくしたのが橘上の目だ」
橘上「その美しい目で俺はこの世界を見ている」

「やっぱこういうこと自分で言わなくちゃね」


じゃ、尾崎放哉について書こうかな。
しかしここで一つの困難が訪れる。
尾崎放哉という言葉を見ただけで読むのをやめてしまう人が一定数いるということだ。

「そんな人、書き出しの段階で読むのやめてるよ」

どういうことか。
読むのをやめてしまう人の脳内を図式化するとこうなっているのではないか?

尾崎放哉→寂寥感→寂しくて切ない感じ→ヤンキーが好きそう→長渕剛や相田みつをとか好きそう。

というような。

端的な図式化は偏見を生む危険性もあるが、時に人の頭に残りやすい。これは俺が穂村弘と平田オリザから学んだことである。

「今の構図を証明する統計か何かあるんですか?」
「統計? ねぇよ。そんなもん。」
「統計局に言っとけ。もっと詩・歌・句も調べろって」
「なんて汚い言葉遣い。きっとヤンキーなんだわ」
「親に感謝するラップとかも好きに違いないわ」


確認しておきたいことがある。
この文章で相田みつをや長渕剛のことは扱わない。僕は彼らのことは知らないので書きようもないし、親に感謝するラップも聴かない。そもそも僕はヤンキーではない。ケンカはほとんどしたことのない、争いを嫌い、森と根菜とオーガニックコットンを愛す男だ。ここで扱う尾崎放哉はヤンキー文脈とは異なる。

で、なぜ僕が尾崎放哉=ヤンキー扱いされていると考えたのか、そのきっかけとなった「俳句いきなり入門」(千野帽子著/NHK出版新書)からの文章を抜粋します。
ちなみにこの本とっても面白いのでみんな読むといいよ。俳句にいきなり入門したい人だけでなく、将来医者になりたい人や埼玉西武ライオンズの遊撃手、諸事情が合って彼氏にうお座とウソをつくさそり座の女性にもオススメ。

「ポエムっぽい俳句は苦手だ」
「俳句の形式でわざわざそれをやらなくてもいいじゃん」
「自由律俳句の荻原井泉水、種田山頭火、尾崎放哉、『人間探求派』と呼ばれた中村草田男、加藤楸邨、石田波郷といった俳人の句には、ちょっとポエムっぽいものがけっこうある」
「『俺の心の叫びを聞け』って感じの心理主義」
「『私を見て』『私の思いに共感して』って感じの自我の吐露・爆発」
「意味がわかりきって『読み』の余地が少ない自己完結」
「こういったものがポエムの特徴だ」
「作務衣感が凄い」
「感情をそのまんまぶつけた感じ」
「俳句を名乗っていてもゲーム性はゼロ」
「心理主義的で生活密着型で」
「焦点を一つにしぼらない」



一方千野は自由律俳句の魅力を以下のようなものと捉えている。

「自由律一行詩には一発芸としての側面もわずかに残っている。」
「驚きと笑いと切ない近代的自我の共存だ。」
「自由律俳句のこういう魅力を教えてくれたのは、宮沢章夫『牛への道』(一九九四、のち新潮文庫)の尾崎放哉読解だった。」
「現在、一発芸としての自由律一行詩の「もののあはれ」は、せきしろ+又吉直樹の二冊の驚嘆すべき句文集に結晶している。


と書いた後、三人の句を引用している。

寂しい寝る本がない 尾崎放哉

死後も怒られる   せきしろ

フタをしめない主義なのか 又吉直樹

補足すると俳句の「一発芸としての側面」とは、

「言いたいことがある時は俳句なんて書くな」
「人間の『言いたいこと』などせいぜい五~八種類(千野調べ)」
「まして十七音で言える『言いたいこと』など高が知れている」
「一方『言いたいこと』以外のことは無限にある」
「人間の脳は」
「『言いたいこと以外のこと』を思いつくほど自由ではない」
「でも俳句のように字数、季語、切れといった条件を満たしながら言おうとすると」
「自分の『言いたいこと』よりもそっちを優先するので」
「できあがった句は『言いたいこと以外のこと』になっている」
「この点で俳句は一発芸である」
「句を作った本人も、作った瞬間には句の意味がわからない」


この「句を作った本人も、作った瞬間には句の意味がわからない」という俳句の側面を推し進めた、書くことの不条理性とでもいえるものを描いたものとして尾崎放哉の句を取り上げます。

前述で千野が引用した三句は僕が取り上げたいものとは少し違う。なんというか日常に寄りすぎている。


つまり「ヤンキー文脈」ではなく「カフカ/ベケット文脈」で尾崎放哉を扱います。
ということです。

「最初からこう書いておけばよかったやんけ」
「『カフカ/ベケット文脈』って頭悪いの丸出しの言葉じゃん」



で、僕が取り上げたいのは尾崎放哉の

墓のうらに廻る

である。

この句を読んだときに思ったのは、前述の宮沢章夫の著作にも書かれているのと同様、「だからなんだ」ということである。それを書いて何になる。何故こんなことを書いたのか。
しかし、それを書いたら何になるかわかるものよりも、それを書いて何になるかわからないもののほうがスリリングだ。書くことの意味が保証されてるものより、無意味なのか意味があるのかわからないものの方がリアリティというか、この世界を手づかみでつかもうという切実さが感じられる。

まず、この句について考えられることは二つ。

1.尾崎放哉は実際に墓のうらに廻った
2.尾崎放哉は墓のうらに廻っていない

のどっちかだ。

1.の場合、リアリズムの表現とも、ドキュメントということもできるかもしれない。しかし、「墓のうらに廻った」経験を「墓のうらに廻る」と書くことに何の意味があるのだろう。そもそも墓のうらに廻る行為にどれほどの意味があるのだろう。
2.の場合、この句はフィクションということになる。「墓のうらに廻」っていないのに「墓のうらに廻る」と書くことに何の意味があるだろう。

また尾崎放哉の句は、荻原井泉水により手直しされることもあるようなので次のことも考慮に入れることができるだろう。

3.この句は荻原井泉水によって手直しされている。
4.この句は荻原井泉水によって手直しされていない。

さらに個人的にこの句は「墓」がキャッチーなので以下のことも考慮に入れたい。

5.この句は「墓」だからこそ意味がある
6.この句は「墓」じゃなくても別にいい

これらの1.~6.の条件を踏まえると8パターンの可能性(実際に墓に廻り手直しされ『墓』に意味がある、墓には回らず手直しされ『墓』に意味がないetc…)が考えられるが、それを踏まえて私はこう言いたい。

 どうだっていいじゃねぇか。

 リアリズムだろうが妄想だろうが、ドキュメンタリーだろうがフィクションだろうが、「墓」だろうが「岡」だろうがどうだっていい。あらゆる「イズム」を剥かしてしまう圧倒的な無力感がこの言葉にはある。
 しかし著者がのこした言葉が「墓のうらに廻る」である以上、この言葉は「墓のうらに廻る」として残るのだ。

 勘違いしないでほしい。私は名句と言われる割には大したことないとか、そんなことが言いたいんじゃない。私にはこれが名句かどうかなんてわからないし、興味もない。
 ただ、書くことのどうだってよさを、ただの一行で体現してしまったこの言葉がずっと引っかかっているのだ。

つまり、書くということは綱渡りなのだ。
墓のうらに廻るだろうが、虹のうらに廻るだろうが、猫のうらに廻るだろうがどうだっていい。
しかし「墓のうらに廻る」という言葉が残った。
著者がのこしたという点においてこの句は「墓のうらに廻る」という言葉でならなくなった。
「どうだっていい」が「これでなければならない」。
この矛盾を生きるもののみが書かれたものとして残るのではないだろうか。

 私は詩を書いている。
 詩の元になるのは一行だ。
 一行でやめてもいいし、次の一行につなげてもいい。
 そこに寄りかかるものはない。
 寄りかかるものがない状況で書くときに
 頭に浮かぶのはこの句のどうだってよさだ。
 書いてもいいし、書かなくてもいい。
 やめてもいいし、続けてもいい。
 そのどうだってよさのなかで
 俺は決定し、それを俺は言葉として残すのだ。
 どうだっていい。しかしこれでなければダメなんだという一行にたどり着くまでに。
 
 
 吉本隆明は詩を「世界を凍らせる」言葉だとかつて言っていたが、この「墓のうらに廻る」は世界を凍らせるものとは違う。
 「墓のうらに廻る」は世界はすでに凍っていることを告げる言葉なのだ。

 いかなる理由もテーマも我々が書くことや生きることを保証してはくれない。
 それでも人は生きてしまう。書いてしまう。
 なぜ書くのか。その答えは書いたから書いたのだということに他ならない。
 なぜ書かないのか。書かないから書かないのだ。

 例えば失恋をした男が二人いるとする。どちらも高知県在住のふたご座の文学好きの36歳だとしよう。
 一方は失恋のことをブログに書いて、もう一方は書かなかった。
 その違いにどれほどの理由があるのだろうか。
 理由なんてものはない。ただ片方が書いたから書いたものが残り、もう片方は書かなかったから書いたものが残らなかった。ただその事実があるだけである。
 いや、もしかしたら理由はなにかあるのかもしれない。しかしそんな理由なんてもはやどうでもいいものだ。
 たまたま手元に髪とペンがあったから書いたという理由であろうが、なかろうが、紙とペンがあっても書かないやつは存在しうる以上、そんなもの理由になんかなりようがない。

 失恋に限らない。例えば愛した人が殺される。
 復讐する奴は復讐するし、しない奴はしない。いや違う。復讐する奴は、復讐するような奴だから復讐したのではない。復讐したから復讐するような奴になっただけだ。

 よく殺人事件が起きると、犯人の知り合いが「人を殺すようなやつには見えなかったけどねぇ」などと言うが、そんなもん当たり前である。人を殺す奴は、人を殺すような奴だから人を殺したのではない。人を殺したから人を殺した奴になっただけである。さらに言えば、「人を殺しそうな奴」など存在しない。いや、人を殺しそうだねと思われる人がいるかもしれないが、そんなもん実際の殺人とは関係ない。「人を殺しそう」だろうが「殺さなそう」だろうがどうだっていい。殺したら「殺した奴」、殺さなかったら「殺さなかった奴」になるに過ぎない。

 無論、貧困や切迫した状況で暮らすため、犯罪の現場に追い込まれやすい人というのはいるだろう。そういう人々には、そういう環境から抜け出せるような社会的なサポートは必要だ。全てを自己責任で片づけようなどという意図でこの文は書かれていないので、勝手な政治利用をするのはやめてほしい。しかし突き詰めて考えれば、個人のいかなる行動もそいつが「やった」か「やらないか」に集約される。同じ状況に追い込まれても「やった」奴と「やらない」奴がいる。もっと言えば「そいつ」が「誰なのか」も問題にならないのではないか。
 例えば、俺はSFに詳しくないので「並行世界」とか「可能世界」とかそういった言葉は使いたくないが、ある人間が2020年4月16日の午後六時に近所の交差点を右に曲がったとする。その後、その記憶を無くした状態でタイムスリップして、2020年4月16日の午後六時に近所の交差点に戻ってきた場合、先ほどと同じように交差点を右に曲がるだろうか? そんなもん、曲がってみなけりゃわからないだろう。全く同じ人間が同じ場所と時間にいたとしても必ず同じ行動をするとは限らないんじゃないのだろうか。しかし、右に曲がれば「2020年4月16日の午後六時に近所の交差点を右に曲がった」奴になり、左に曲がれば「2020年4月16日に左に曲がった」奴になる。

いかなる理由・条件・個性があろうともそれは私の行動を決定づけるものにならないが、私のとった行動が私を決定づける。

 尾崎放哉の「墓のうらに廻る」は、尾崎放哉が個人的に寂しい人ということを表したものだと僕は考えていない。
墓のうらに廻る」の「」を尾崎放哉の人生・寂寥感と結びつける読みだってあるだろう。
 しかし私は、この言葉は、人間の、決定的な意味のなさ・理由のなさを暴いてしまった恐ろしい言葉なのだと考えている。いや、もはや「恐ろしい」かどうかもどうだっていい。何も変わりはしない。

 意味があろうがなかろうが理由があろうがなかろうが、そこに人は存在し、書かれたものがそこに残る。
人間は決定的な理由も固有性も持てずに「行動した」という過去のみを積み上げては、固有性「のようなもの」をでっちあげているに過ぎない。その積み上げた過去とでっちあげた固有性はいかなる未来も保証しない。

人間は生きているから生きているのに過ぎない。
書いているから書いているのに過ぎない。

「あなたは普段自分の考えていることを書くために尾崎放哉を利用したのに過ぎないのではないでしょうか?」
 そうかもな。
 そうじゃねぇかもな。
 どうだっていいじゃねぇか。
 何ならあんただって自分の考えをクリアにするために俺のこの文利用したっていいんだぜ。
 別に利用しなくてもいいんだぜ。
 どうだっていいじゃねぇか。
 書くことは読むことを利用してるし
 読むことは書くことを利用している


え? お前の解釈なんてどうだっていいって?
そりゃそうだ。
こんな文なんてどうだっていいのさ。
そしてそんな言葉が残っちまうのさ。



いやー、初めての俳句時評、一生懸命書いたってことが伝わったんじゃないかな?
今俺が一番欲しいもの? もちろんそれは努力賞さ。