「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 佐川盟子句集『火を放つ』を読む 秋月 祐一

2019年10月26日 | 日記
俳句評 佐川盟子句集『火を放つ』を読む 秋月祐一

 白くて美しい本である。現代俳句協会の「現代俳句の躍動 II-5」と位置づけられた佐川盟子句集『火を放つ』は、著者自身による装丁の本。表紙には、黒犬の走る姿が、墨絵のようなタッチで描かれている。白と黒の対比が、読者にあざやかな印象をのこす。

  犬放つやうに野焼の火を放つ

 表紙の犬は、この表題作から材を取ったもの。
 野焼きの火が、さあーっと広がってゆくのを、解き放たれた犬に見立てた句である。「犬放つやうに」という直喩から「野焼の火を放つ」へと展開されるストレートな文体や、二度くり返される「放つ」という言葉が、つよさを感じさせる。

  雪景色山芋すりおろしたやうに

 こちらも見立ての句。おそらく、山野の雪景色ではないかと想像するが、一読、あっと思わされ、今後、雪景色や山芋のすりおろしを目にするたびに、この句を思いうかべることになりそうだ。
 この二句からもうかがえるように、佐川盟子の句には、作者の物を視る目のたしかさと、その観察をひと息で言い切るような文体の力づよさに特徴がある。

  滔々と流れ岩魚を動かさず

  ほたるいか海の底へと地はつづき

 一句目。魚は川の流れにさからって泳いでいるから、止まって見えるわけだが、ここでは渓流の流れのほうに着目。滔々とした流れが岩魚を押しとどめている、と捉えた逆転の発想がおもしろい。
 二句目。「海の底へと地はつづき」にも、作者の物を視る力が発揮されている。「ほたるいか」という季語との取り合わせからか、この句はどこかなまめかしい。

  三月来そのときそこにゐなかつた

  真葛原むかしイチエフありました

 作者は福島県の人である。一句目。東日本大地震のとき、作者は福島にいなかった。そのことに対する複雑な思いがあるのだろう。一見さりげなく、読み過ごしてしまいそうな句だが、この句集を読み解く上で重要である。
 二句目。イチエフは福島第一原子力発電所のこと。イチエフが廃炉となって、葛の葉に覆われる日が来ることへの願いが込められている。
 この二句は、句集のそれぞれべつの場所の、日常的な明るい句の合間にそっと置かれている。声高に主張するのではなく、作者の意識の核にある問題を、しっかり書き留めた句として注目しておきたい。

  春の蚊を起して畳む段ボール

  寝なさいと寝た子を起こす春炬燵


 佐川盟子には、すぐれたユーモアのセンスがある。
 一句目。段ボールの片づけをしていたら、そのあいだから一匹の蚊がふわりと飛び立った。春の蚊を「起して」と表現したところに、視点のやわらかさを感じる。
 二句目。春炬燵で寝てしまった子に、ちゃんと布団で寝なさい、と呼びかけている場面である。それを「寝なさいと寝た子を起こす」という言葉遊び的なフレーズにまとめたところに、作者の機知がある。

  荒星や指の知りたる鼻の位置

  肉を切る刃物ときどき西瓜切る

 一句目。木枯らしの吹く星の夜、暗さの中でも、指は鼻の位置を知っている。
 二句目。日頃は肉を切るのに使う包丁を、夏場はときどき西瓜を切るのにも使っている。
 どちらも、意味内容は単純明快だが、いざ俳句を書こうというときに、なかなか、こうは表現できないものだ。
 『徒然草』第二二九段に「よき細工は、少しにぶき刀を使ふといふ」という一節があるが、この二句に通じるものを感じた、と言ったら褒めすぎだろうか。物のよく視えている作者が、あえてとぼけた表現をしているような鋭さが、これらの句から感じられるのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿