「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評179回 令和の仕事俳句鑑賞 三倉 十月

2024年02月28日 | 日記
 今春も我が社に新入社員が入ってくるとの連絡を、新人向け部門紹介研修の依頼と共に受け取った。私の部署は例年新入社員を回して貰えず、今年もメンバーが変わる予定はないが、その知らせだけでも、少しフレッシュな気持ちになるものだ。そんなフレッシュな春の気分をそのままに、今回はお仕事の俳句の鑑賞をしてみたい。

 自分が普通の会社員をしているせいで「仕事俳句」というと、どうしても会社勤めの句を思い浮かべがちだが、前半はできるだけ幅広く、様々な仕事の句を鑑賞してみたい。近い将来、多くの仕事がAI奪われると言われて久しいが、こうして見ていくと生成AIにもできない仕事はまだまだ多くありそうである。


プール監視員ごく浅く腰掛けてをり トオイダイスケ

 この句の「ごく浅く」には、もし何かがあったら即走れるように常に備えている緊張感とプロ意識が伝わってくる。きっと彼または彼女の視線は人でごった返すプールの水面にあるのだろう。溺れるのは一瞬だから、気を抜くことはできない。楽しいレジャーの傍にいる命の番人だ。こうした監視員さんがいるおかげで、小さな子を持つ我が家も安心してプール遊びができる。生成AIにはできない仕事だ。


巫女それぞれ少女に戻る夏の月 津川絵理子

 身近に見たことがある巫女さんと言うと、お守りを売ったり、おみくじの対応をしたり、どこか初々しい姿が浮かぶ。結婚式の手伝いなども行うらしい。例えアルバイトでも巫女の装束を身に着ければ、背がしゃんと伸びることだろう。神様の使いが、私服に戻り、ふと零す少女らしい笑み。清廉な夏の月が優しい。


遠足の列後ろから寄せにけり 前田拓

 さて、勉強を教えるだけが先生の仕事ではない。特に小学生。わいわいとあっちにこっちにはみ出そうになる遠足の列を、後ろからどうにかこうにか片側に寄せて、すれ違う人にあいさつして、人数確認しつつも、子供のペースに合わせてえっちらおっちら行く。子供たちにとっては楽しいだけの遠足も、先生たちからしたら大変なお仕事だ。


アイドルに林檎を囓る仕事かな 野口る理

 アイドルだって、歌ったり踊ったりするだけじゃない。想像だが、このアイドルは地方で活躍するご当地アイドルなのではないか。イベントで名産の林檎を誰よりも美味しそうに囓ってみるのも大事なお仕事。「私を育ててくれたこの地の林檎、囓るのは任せてください!」と、アイドルの矜持と地元の愛を感じるひと囓りを見せて欲しい。


梅雨寒し忍者は二時に眠くなる 野口る理

 この句をお仕事俳句として取り上げるのはどうなのか、と思われるかもしれないが、一応忍者は立派な仕事だし、仕事中の忍者の句だし、それよりなにより、私はこの句が大好きなので、ぜひここで鑑賞させていただきたい。天井裏に身を潜めて、諜報活動に勤しむ忍者。しかし時刻は丑三時。ターゲットはもしかしたら、天井裏に忍者がいるとも思わずぐっすり寝ているのかもしれない。人の寝息を聞いて居ると、忍者と言えども眠くなる。梅雨の肌寒さが、唯一、寝落ちを防いでくれる。しかし雨音もそれはそれで眠くなるものだが。頑張れ忍者。AIの忍者は、もうどこかにいそう。


長き夜のメイド喫茶のオムライス 小川軽舟

 少しずつ夜が長くなってくるとある秋の夜に、メイド喫茶にオムライスを食べに来た。それだけの景であるが、どこかしみじみとする。しかし、メイド喫茶と言えばオムライス。ケチャップでどんなメッセージを描くか、ちょっとした絵まで描くのか、技量が問われる。これも立派なメイドのお仕事なのだ。大昔に一度だけメイド喫茶に行った時に「せふぃろす」と書かれたオムライスが出てきたのも良い思い出だ。


元日の交番暮れて灯りけり 小川軽舟

 警察の仕事は年末年始も関係ないことは、もちろん知ってはいる。それでもいつもよりどこか静かな町の中で、交番に明かりが灯っているのを見ると、あ、お巡りさんいるんだな、と少しホッとするような気もする。この、日常の土台にある小さな安堵こそが、警察が守ろうとしているものであってほしいなと思う。


自動ドア止めて門松立てにけり 千野千佳

 はっとした。うちのマンションにも年末になると、ロビーのクリスマスツリーが片づけられるのと同じタイミングで、ささやかな門松が飾られている。当然、それをお仕事として飾り付けてくれる管理人さんがいるからなのであるが、この句を読むまで、そこまで意識が及んでいなかった。管理人さん、いつもありがとう。作者のまなざしが優しい。


アナウンサー早口となる厄日かな 西村和子

 何か大きな事故か災害があったのだろう。予定していたのとは違うニュースを読むアナウンサーの口調から、報道現場に走る緊迫感が伝わってくる。直近では、能登半島地震当日のニュースのことを思い出す。強い口調で、津波から逃げるように繰り返し呼び掛けていたあのアナウンサーは、いったい何人の命を救ったことか。それを正しく数えることはできなくても、津波の恐怖は多くの人の心のに染み付き、その影響はきっとこれからも続く。命を救い続けるのだ。


 さて、ここからは会社員の景をいくつか。


オンライン会議制止しててふてふ 関根かな

 この句は私の仕事の場面に最も近い。コロナ禍以降はほぼリモートワークで、毎日何かしら社内の、あるいは客先とのオンライン会議に勤しんでいる。このオンライン会議、自分がメインで話している時は良いのだが、自分にあまり関係ない話題の最中は、視線がふらふらしてしまうことは否めない。そして、ベランダのレモンの木にひらひらしている蝶々なんかを見ている。関係ない話に表面上の相槌を打つより蝶々を見つめる方が、私の人生には重要なのだから、どうか許して欲しい。


大根や背広を着れば誠実に 山口遼也

 徐々に変わってきているとはいえ、背広はまだまだ会社員の制服のような存在だ。そして、それを着る理由は簡潔にこの通り。どんな人でも背広を着れば、それなりに誠実に見えるから。それが、背広が元来持っている効能なのか、それとも長年の刷り込みによるものなのかはわからない。大根の愚直さが、とてもよく合っている。


夜勤者に引き継ぐ冬の虹のこと 西川火尖

 シフト制で、24時間を回している大変なお仕事。日勤者から夜勤者へ、毎日小さいものから大きなものまで、色んな引継ぎがある。そこで引き継がれる虹の話。ささやかだけど、何よりも大切な、虹の報告。それを伝えてくれる、あるいは、受け取ってくれる同僚がいることは、互いにとてもうれしいことのような気がしている。


花人や社畜社畜と笑ひ合ひ 松本てふこ

 職場での飲み会は気重なことも多いが、気の置けない同僚と飲みに行くのは楽しい。この句はどちらかと言えば後者なイメージ。職場の愚痴も出るけれど、なんだかんだで楽しく飲んでいる、社会人のお花見の景だ。


昇進も蟻もそれほど気にならぬ 舘野まひろ

 昇進しても仕事内容が大きく変わるわけでもなければ、給料も大して上がらない。そんな状況であれば、昇進も確かにそんなに気にならない。手の上を歩いている蟻も、気づかなければ、何も感じなかったりする。ただ、意識し始めると、どちらも少しは気になる。気にならないけど、気になる。そんな距離感を、この句からはよく感じる。


六百回目の給与明細月朧 前島きんや

 当たり前のように、仕事をする日々も、いつかは終わりが来る。とてつもなく長いようで、あっという間であるようにも感じた50年目の給与明細である。50年前から今までと考えると、その仕事人生は高度経済成長期の終わり頃からバブル景気、そしてその後の長い平成不況の時期と重なる。色んな出来事があった。しかし全て過ぎ去った今、それらは朧に霞む。ずっと見守ってくれていた月の明かりが、ぼんやり、どこか温かく感じる。



出典
角川俳句 2023 年 11 月号(株式会社 KADOKAWA)
炎環 No.522 (2023年1月 35周年記念号)
秋草 164号(2023年8月号)(セクト・ポクリット「【結社推薦句】コンゲツノハイク【2023年8月分】」より)
https://sectpoclit.com/mois202308/

『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(左右社)佐藤文香編著
『女の俳句』神野紗希(ふらんす堂)
『俳コレ』週刊俳句(邑書林)
句集『無辺』小川軽舟(ふらんす堂)
句集『汗の果実』松本てふこ(邑書林)
句集『サーチライト』西川火尖(文學の森)
句集『紺の背広』前島きんや(紅書房)

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