「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 戦争俳句のアップデートについて 沼谷 香澄

2024年04月07日 | 日記
 俳句は批評的精神と親和性が高いと思います。短歌と比べて、「わたしの感情」を語らなくていいため、厳しいことや言いにくいことも短い情景の提示で表すことができるだろう、と考えたのがその理由です。また川柳に比べて俳句は「わたしの美意識」を表出しやすいという側面があるため、戦争にたいする作者の思いを無理なく乗せやすい詩形だと考えます。

 はじめに戦争の定義を確認します。国語辞典ではなくWikipediaにたよりました。「戦争(せんそう、英: war)とは、兵力による国家間の闘争である。」出典は、筒井若水『国際法辞典』有斐閣、2002年、とのことです。言葉を付け加えるなら、国家は近代の産物ですので、戦争は近代以降の争いごとだと理解してよいと思います。私たちが現在親しんでいる俳句とだいたい同じころに始まったともいえると思います。
 近代戦争の初期の様子を、最近いくつかの映画で見ました。「1917 命をかけた伝令」(2019)は第一次世界大戦の前線を題材としています。「トールキン 旅のはじまり」(2019)にも同様の場面はありました。「ゴールデンカムイ」(2024)で日露戦争の203高地から物語が始まります。いずれも作られた映像ではありますが、泥と銃と血の延々と続く悲惨な様子が描かれていました。
 第一次大戦は1914年から。日露戦争は1904から。日中戦争は1937年から、続けて第二次世界大戦は1945年まで。第二次大戦(WWII)では戦争に飛行機が使われてはいたものの、悲惨な壊し合いの中に生身の兵士が暴力を実行し被害を受けていました。

 さて。俳句の話です。

『戦争と俳句』川名大 創風社出版 2020
いま簡単に手に入る本です。副題に、「『富澤赤黄男戦中俳句日記』・「支那事変六千句」を読み解く」とあります。
日中戦争のあいだに戦争俳句が非常に多く詠まれたようです。その中から、一人の俳人の俳句日記と、「俳句研究」が編んだ戦争俳句アンソロジーがとり上げられ、詳細に読み解かれています。日記は昭和12年から。西暦で言えば1937年です。作品が書かれた時代から80年あまり離れた今の視点から冷静に説かれた評論は興味が尽きませんが我慢して、引用作品をながめました。
 なおこの本には、『富澤赤黄男戦中俳句日記』翻刻が収録されています。創作メモを誤字や推敲の痕ごとこんなふうに活字に起こされて出版されるのってどんな気分かなあと思いましたが読者側からは見ごたえがありました。

眼底に塹壕匍へり赤く匍へり               富澤赤黄男「武漢つひに陥つ」昭和13
鶏頭のやうな手をあげ戦死んでゆけり           同「落日」昭和13
偶然を地雷をこゝに堀りおこす              同「不発地雷」昭和14

 富澤赤黄男は新興俳句の作家です。中国へとロシアへ出征して昭和19年に除隊、上記は文字通り戦地で書いた句のようです。

 前線俳句、銃後俳句、銃後の一種として戦火想望俳句、と、日中戦争時に発行された雑誌上で、戦争俳句は詠まれた立場から大きく二つまたは三つに分けて論じられたようです。
 ところで私も、戦争の俳句、と思いながら作品をネットで拾ったりしている間に、知らず知らず、その句が読まれた年と場所、作者の立場、などを気にして探すようになっていました。テキスト主義を標榜する私が詩作品に向き合う態度として、背景を詮索するのはあまり好ましくないと思うのですが、なぜか気にしなくてはいけない気になりました。詩作品のうち特定の題材を扱ったものに興味を向けるというのはそういう危うさがあるのだと思います。
 もう少し脱線します。近代、兵士は男性の職業でした。近代政治も国家も男性が始めたものということができるかもしれません。戦争俳句は前線俳句と銃後俳句に大別されますが、必然的に、前線俳句の作者は必ず男性ということになります。そのことに関して今は特に思うところはありませんが、作品引用を、と考えたときに気がつきました。

 同じ『戦争と俳句』からの孫引きです。富澤赤黄男と交流のあったという俳人の作品が引かれていました。

昼寝ざめ戦争厳と聳えたり                藤木清子『しろい昼』
戦死せり三十二枚の歯をそろへ              同「旗艦」昭和14.3

 雑に締めてしまいますが、日中戦争の時代には大量の戦争俳句が発表されていて、その作品は結社単位で体制に近いか批判的など主張や境遇でまとまっていて、検閲はあったけれど検閲を逃れるために言い回しを変えたり発表せず保存してあったりした句が残っていて今わたしたちが読むことができる、今だから言えることかもしれませんが、文学と政治が近くて、しかも息苦しくない。そんなふうに感じました。

 もう一冊買ってあるのですが、読み切れないのでさわりだけ。これもまだ新刊が手に入ります。
 『戦争俳句と俳人たち』楢見博 2014年 トランスビュー
 教科書に載っているような四人の俳人と戦争について、間に書影を挟みながら詳細に読み解かれて行きます。大冊です。

壕に臥て夜のあさかりし蝉のこゑ            小島昌勝 「馬酔木」通巻二百号(昭和14.1)

 戦争俳句としてよく取り上げられる作品の “ 戦争”とは、日中戦争をいうと言っていいようです。第二次大戦の後半が入ってこないのが不思議だったのですが、答えは本書序文にありました。

 戦時中、ことに太平洋戦争が始まる昭和十六年十二月八日以降の俳壇は、正岡子規以降続いてきた俳句革新をめぐる議論も消え、俳句のあり方を問う姿勢を欠いてしまったと言えるだろう。戦争に関することから受ける個個それぞれに異なる感情が、無意識のうちに統制され、だれもが「聖戦」という名の下に、共通の感情を自らに押し付けてしまったのだ。  (『戦争俳句と俳人たち』はじめに)

 戦時中の短歌が国威発揚に担ぎ出されたのは有名な話です。いま、短歌について、自由な心を無くしていったのが何年頃からだったのかを探す余裕がないのが残念ですが、どうやら俳句も日本が本当に危なかった時期には短歌と同様に飲み込まれてしまったということのようです。

 少し時代を進めます。
「俳誌のサロン」というウェブサイトの「歳時記」に、「戦争」のキーワードで集められた俳句の一覧表がありました。2023年7月8日作成のアンソロジーで、掲載年月は1998年8月から2023年4月まで、結社誌掲載の126句が時系列に並んでいます。
 予想ができたことですが、このアンソロジーから見た「戦争」の共起表現は「知らぬ」が第一位。次に、「記憶」「語る」があります。引用しようと思ったのですが、何句か転記してみて、削除しました。記録としてこのアンソロジーに意味はあると思いますが、これからよい句を書くための参考にはならないと判断しました。「戦争」という語を詠み込むことがよくなかったのだと思います。
 現在、2020年代半ばに私たちはいるわけですが、二十世紀後半よりは現在のほうが、文芸が世界の危機感に近いところで扱われる機会が増えているように思います。
 次にこれが束ねられてしまう時代を呼んでしまうかどうかは、私たち次第なのでしょう。

 いま私たちは戦争について知らないとは言っていられない状況下に生活しています。ボタン戦争から情報戦へと戦争の形が変わっていったところへ、今また、百年前のやりかたで悲惨な壊し合い殺し合いが行われています。
 2001年9月11日、夜10時のニュースで、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む瞬間をリアルタイムで見せられたことは、本当に衝撃でした。映画で見るビル倒壊よりずっと白っぽくて埃っぽい映像と、映画で見る災害より平坦で長い尺、戸惑いや繰り返しのあるナレーションが記憶に残っています。私たちはとんでもない時代へ娘を送り出そうとしているらしい。テロとか戦争とか関係ない、私たちは暴力から身を守ることを考えて生きなければならないらしい。そういうことをぼんやり考えたことを覚えています。
 南スーダンに派遣されて戦争を経験し、帰国後PTSDを患う自衛隊員の話が報道されたのが約10年前。フランスはじめヨーロッパ各地でテロが相次ぎ、出張や赴任をしていた知り合いが、近くで怖い経験をして帰ってきたり、仕事を切り上げて戻ってきたり。読者のなかにも身近にいらっしゃるのではないでしょうか。ガザ攻撃の勃発時、現地で開催されていたレイブパーティに参加していて攻撃を目撃した日本人のことを、見聞した人もいると思います。私の住んでいる町にも、ウクライナから移ってきた人たちは住んでいて、面識はありませんが市の広報誌によると国際交流イベントなどに協力しているようです。
 直接間接の知人が関係していなくても、報道に閲覧注意というラベルがついて、紛争地域の悲惨な画像や映像、それらを見なくとも悲惨なことが起きている事実をリアルに見聞できてしまう時代を、私たちは生きています。地球の裏側であっても、決して遠い世界の出来事とするわけにはいかないという意味で、百年前に比べて世界は小さくなっています。

 前線と銃後のようなわかりやすいポジションが成り立たない、普通に生活しているなかでいつのまにか巻き込まれている戦争。芸術を何かの用途に使うと考えるのはあまり楽しくないですが、想像力の助けになるものとして、いま、リアルに・バーチャルに・現場で・リモートで・当事者として・目撃者として。書ける詩はあると思います。探したいと思います。

 手元にある句集から、戦争を題材にした作品で好きなものを引いてみます。

降る雪の映画の中を行軍す              中村安伸『虎の夜食』(2016年)
兵器にも肉を喰はせる星祀              同
天の川へ愛国者パトリオットを抛り込む              堀田季何『星貌』(2021年)
暁や政府に感謝できる国               同『亜剌比亜』(2016年)

以下は『天の川銀河発電所』(2017)より孫引きです。
次の戦争までしやぶしやぶが食べ放題         北大路翼『天使の涎』
鶴二百三百五百戦争へ                曾根毅『花修』
なぜ口は動くのだらう終戦日   十亀わら
シンクに黴首都に異国の基地がある          関悦史『花咲く機械状独身者たちの活造り』
学費にお困りならぜひ……………………戦場に男根飛ぶ   同 同
カンバスの余白八月十五日              神野紗希『星の地図』

以下は「楽園」第二巻湊合版(2023年)から。

液晶画面モニターに空爆無音春の昼               町田無鹿 Vol.2,No.1(April&May2022)
雲雀落ち空爆の午後止まりけり             多緒多緒 Vol.2,No.1
国境に四〇〇〇〇〇しじゅうまんの目ならびいる          小山桜子 Vol.2,No.1
鉄線の星一つ切る国境くにざかい                野武由佳璃 Vol.2,No.2(June&July2022)

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