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「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句時評(川柳時評)140回 ゲンセン・アンソロ(現代川柳アンソロジー)  中山奈々

2021年08月31日 | 日記

 野沢省悟さんが編集、発行している「触光」70号(2021年6月)は第11回高田寄生木賞発表号である。青森の川柳を牽引してきた高田寄生木さんの冠とした賞。2011年の第一回から第六回までは作品賞で、第二回の大賞句〈怒怒怒怒怒 怒怒怒怒怒怒怒 怒怒と海  山河舞句〉(太字で表記している中七にあたる部分は実際、字が反転している)は有名でさまざまなところで取り上げてられている。そういった句を輩出しながら2017年の第七回から「川柳に関する論文・エッセイ」の賞に切り替わる。第十二回の募集要綱には以下の主旨が書かれている。

 現在、川柳界では多数の作品賞はあるが、論文や文章の賞はほとんどない。このままだと量的に作品が増えても、その作品の検証や作家の評論がなされなければ、文芸として質的に低下するのではないかと思った。

 これは川柳だけでなく、俳句にも時には短歌にも言えることだ。ただ、川柳の場合は事情が少し違う。川柳の句会の主流は互選ではなく、大体一題をひとりの選者が担当する。投句された句は選者以外みることは出来ない。選者が抜かなければ(採らなければ、選ばなければ)、どんな句があったのか参加者には一切分からないのである。こ選者が違えば抜かれた句もあるだろうが、それは言わない約束。作品の良し悪しが前提だが、ある意味、運次第ということもある。選者ひとりが抜いた句を読み上げる(披講)する間、ほかの参加者は発表を聞く。ときに面白い句には手を叩いて笑い、良い句には「やられたー」とリアクションを取る。一部で。参加しながら、ライブだとつくづく納得する。この臨場感にひとは集まってくるのではないか。句会のあとには飲み会が「きちんと」ある。暗い川柳はあるだろうが、暗い川柳句会はないのだ。
 今回の第11回高田寄生木賞を受賞した竹井紫乙さんは〈受賞のことば〉のなかで「句会活動が中心であった川柳に関わる人たち」がコロナ禍においてどう過ごしていたかを問いかけた。
 

 句会にしか興味のない人たちは、川柳をやめてしまったかもしれません。或いは意地でも句会を続行する選択もあるでしょう。(中略)川柳は本当に文芸なのでしょうか。


 〈受賞のことば〉に喜びではなく、川柳に関わる人すべてに疑問を投げる。すべてと言ってもそこに誰がいるか分からないし、いるはずなのに誰も打ち返してくれないかもしれない。だから紫乙さんは自分で「当面、この疑問を抱え続けることになりそう」と覚悟している。模索として受賞作を書き上げたのではないだろうか。
 「アンソロジーつれづれ」と題された文章は川柳の最初のアンソロジーから始まる。川柳を読んで楽しむことはむかしから行われてきたのだろう。そして2020年に刊行された樋口由紀子編著『金曜日の川柳』(左右社)と同年刊行の小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)の特徴、特に長所を挙げている。論中でも触れられているが『金曜日の川柳』は収録作家は圧倒的であり、『はじめまして現代川柳』は一作家に対しての収録句数の多さが魅力だ。「アンソロジーには解説文(あるいは感想文)が付いているものも多い。あまりにも不安定な十七音字の世界にはガイドが要る」と指摘している。川柳はいくら平易な言葉で書いても説明や鑑賞がしにくい句がある。それはほかのジャンルにも言えることなのだが、川柳の場合は前述した通り、句会はだいたい 選者がひとりで抜いていく。その間、抜いた理由や鑑賞を披露することはない。句会でも論文でも解説する慣習があまりないのだ。あまりないからしなくていい訳ではない。川柳に関わっている人、今から関わろうとする人には実はとてもありがたい。一方、個人句集には解説を兼ねた序文跋文がある。近年では数名の読みが書かれた栞が入っている。アンソロジーと個人句集とは違うもののようだが、読者にとって必要とするものは同じなのだ。
 さて話は彼女が持っている中で一番古いアンソロジー『川柳新子座』(朝日新聞社)に移り、先の二冊との比較が行われる。編著者の役割、そもそもアンソロジーの価値をここで見出していく。
 

 文芸の世界では作家の存在とその名前が力を持つ。川柳においては作家性の欠如という問題があり、これが過去の資料がまとまっていないことや、根深い偏見の原因のひとつではないかと考えらるけれども、作家性の欠如は川柳のいいところでもある。川柳の器は大きいのだから。


 川柳が読まれる文芸として生き残るには良質なアンソロジーが広く読まれ続けていく必要がある。先人の残してくれたものを消失させない為にも、多様な書籍の出版が継続されることを願っている。
 多くの作家を読むのにアンソロジーは最適である。しかし、おいそれと素早く刊行出来るものでもない。だから今までに刊行されたものにも触れる機会が得られればいいのだが、多くは絶版。これはアンソロジーに限らず、句集もだ。ここで思い出して欲しいの「多様な書籍の出版」である。森山文基さんが運営しているネット媒体の「毎週Web句会」の「川柳本アーカイブ」は句集や川柳誌をアーカイブとして無料公開している。また広い意味ではアンソロジーである作品集の刊行にも期待が高まる。
「5・7・5作品集 Picnic」は俳句と川柳の作品集であるが、収録作家が魅力的である。現在、No.3まで刊行されている。

 No.1
  積読のどん底にある河馬の遺書  月波与生
  額縁に戻るわ黄粉ついてない?  広瀬ちえみ

 No.2
  思ったより無傷な午後はレタス  妹尾凛

 No.3
  用量と用法守り牛となる  榊陽子
  なつかしくなって取り出す出刃包丁  樋口由紀子

 アンソロジーが増えて来たら、受け皿としての句集の時代となるだろうか。期待したい。次回は句集に迫る。


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