P.M.P.『Miles Mode』(Sony、1993年)を聴く。
Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (p)
Marc Johnson (b)
Paul Motian (ds)
発表当時に文京区の図書館で借りてカセットにダビングして聴いたときには、実はピンと来なかった。いま聴くと、なぜか凄さがギンギンに伝わってくる。
ちょうど、別の菊地雅章のピアノトリオ「テザード・ムーン」が起動したころである。そちらはベースがゲイリー・ピーコック、こちらはマーク・ジョンソン(P = Poo、M = Marc、P = Paul)。この違いが、本盤をより「ジャズ」に繋ぎ止める紐帯となっているような気がするがどうだろう。もっとも、テザード・ムーンのサウンドも随分と幅が広い。ジミヘン集やピアフ集などは曲の原型をとどめないほどに解体され、ひたすらに瞬間ごとの響きのリンケージが追及されていた。その一方で、『Triangle』などは曲全体の構成も追及し、素晴らしいものになっていた(わたしの好みはこっちだった)。本盤は後者に近いようである。
それにしても、やはりポール・モチアンのドラムスは唯一無二のものだ。菊地が唸りながら生み出す旋律とはまた別のタイム感で入ってきて、常に時間を伸び縮みさせる。もちろん菊地によるピアノの響きの手探りは素晴らしく、そのプロセスに感動してしまう。「Bye Bye Blackbird」の内奥への旅が、翌年のピアノソロ『After Hours』において結実しているのではないか。
●菊地雅章
菊地雅章『Masabumi Kikuchi / Ben Street / Thomas Morgan / Kresten Osgood』(2008年)
テザード・ムーン『Triangle』(1991年)
菊地雅章『エンド・フォー・ザ・ビギニング』(1973年)
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(1970年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』(1963年)
●ポール・モチアン
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、2013年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
ポール・モチアン『The Windmills of Your Mind』(2010年)
ポール・モチアンのトリオ(1979、2009年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)
マリリン・クリスペル『Storyteller』(2003年)
ポール・モチアン『Flight of the Blue Jay』(1996年)
テザード・ムーン『Triangle』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン(1990年)
ジェリ・アレン+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Segments』(1989年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975、1976年)
キース・ジャレット『Treasure Island』(1974年)
70年代のキース・ジャレットの映像(1972、1976年)
キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』(1972年)
ビル・エヴァンス『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(1961年)