Sightsong

自縄自縛日記

かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール

2016-06-18 08:03:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

明大前のキッド・アイラック・アート・ホールに足を運び、かみむら泰一・齋藤徹デュオ(2016/6/17)。このふたりによるCD『Choros & Improvisations Live』の発売記念ライヴでもあった。

Taiichi Kamimura かみむら泰一 (ts, ss)
Tetsu Saito 齋藤徹 (b)

ビシンギーニャの「カリニョーゾ」をはじめとしたショーロの曲の数々に加え、オーネット・コールマンの「Lonely Woman」や、自由即興に近い演奏もあった。

ショーロが含み持つ持つ人情、泣き笑い、人いきれ。そういった音楽の体臭が、この天井の高いハコの中で見事にあらわれた。つまりここでの主役は、演奏者のふたりに加えてこの空間なのでもあった。

かみむらさんのサックスは、かすれ、こすれ、響きのそれぞれが異なる色を持つようなものだった。考えてみれば、サックスだってリードによって空気を擦っているわけである。そしてテツさんが弦を震わせて、リズムも音色も、音を出そうとする意図そのものも、大きな裁量を委ねられているような時空間。そこでは、音自体が空間を伝わることをひそやかに許してもらい、また共存を許してもらっているような感覚があった。ちょうど人いきれのように。

音は電気的に増幅されていない。もとよりサックスにもコントラバスにも増幅器が備わっている。さらにこのハコという大きな共鳴器がある。中心の「美味しい音」を電気的に増幅することは、音を出そうとする意図、音を出さないという選択、ためらいといった仕草を切り捨てることなのかもしれない。ここにはそれらがあった。音に隠れた音が記憶をまさぐり、雑踏のざわめきをも表出させた。

CD『Choros & Improvisations Live』に関して、サックス奏者の森順治さんが前に語っていた。キッド・アイラック・アート・ホールでの収録時に聴いていたが、音が本当に素晴らしかった、と。この場所は今年限りでその活動をやめてしまうという。あまりにも勿体ない。

Nikon P7800

●参照
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)


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