Sightsong

自縄自縛日記

島尾ミホ『海辺の生と死』

2013-10-24 08:14:18 | 九州

島尾ミホ『海辺の生と死』(中公文庫、原著1974年)を読む。嬉しい復刊。

ゆっくりと、思い出しながら綴られる奄美の記憶。丁寧に示される奄美のことばを、脳の中で、島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』に付されたレコードや(>> リンク)、伊藤憲『島ノ唄』において見聴きことができる島尾ミホの声と重ね合わせながら、唇を動かしながら読んでみる。「神話的想像力」とでも言うべきか、驚いてしまうほどの強度で、島尾ミホの存在が浮かび上がってくる。

本書に併録された吉本隆明の文章においては、古い奄美の「聖」と「俗」とを、あるいは「貴種」と「卑種」とを、「鳥瞰的にでもなく、流離するものの側からでもなく、受けいれるものの側から描きつくしている」と表現している。まさに、神と人とが混濁した大きなカオス的な存在だったのだと思わざるを得ない。

ところで、ここには、島に流離してくる人々のなかに「立琴を巧みに弾いて歌い歩く樟脳売りの伊達男」がいたとある。これは、まさに里国隆のことではなかったか、と想像する。あるいは、里も樟脳売りに付き従って放浪するうちに芸を覚えたというから、同じような人は少なからずいたのかもしれない。

本書の後半は、のちに夫となる島尾敏雄が、ミホの郷里・加計呂麻島に赴いたときの思い出が記されている。敏雄には特攻準備の命令が下り、いつ米軍に突っ込んでいってもおかしくない状況だった。自らも死を覚悟して、白装束に着替え、海岸を傷だらけになりながら敏雄に逢いに行くミホの姿は、文字通り凄絶であり、思い出話の領域を遥かに超えている。結局は、特攻する前に日本が敗戦し、敏雄もミホも生き長らえる。しかし、それはここで書かれている世界とは「別の話」である。

「日経新聞」の「文学周遊」というサイトに、『海辺の生と死』の舞台となった加計呂麻島の現在が紹介されている(>> リンク)。島尾敏雄の文学碑、さらにその向こうに敏雄、ミホ、娘マヤの墓が写された写真もある。『季刊クラシックカメラNo.11』(2001年)にも同じ場所の写真が掲載されている。ミホもマヤも亡くなる前である。見比べてみると、文学碑の後ろの生け垣が撤去され、3人の墓に歩いていくことができるようになっているようだ。


2001年(『季刊クラシックカメラ No.11』)


2013年(「日経新聞」)

 
島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』の付録レコード

●参照
島尾ミホさんの「アンマー」
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』


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