鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.12月取材旅行「前小屋~深谷~大麻生」 その4

2013-12-29 05:06:38 | Weblog
天保2年(1831年)11月7日(旧暦)、「前小屋の渡し」で利根川を越えた崋山の懐中には、おそらく高島村の伊丹渓斎(唯右衛門)からもらった大麻生村名主古沢喜兵衛(槐市)宛紹介状が入っていたものと思われます。それには崋山が、江戸の俳諧の宗匠太白堂弧月(江口弧月)と親しい者であること、そしてもしかしたらあの写山楼谷文晁(ぶんちょう)先生の高弟の一人であるといったことも記されていたかも知れない。江戸俳諧の宗匠と親しく、さらに江戸画壇の中心人物谷文晁の高弟ともなれば、その紹介状の効き目はてきめんであったはず。崋山をその別邸に招き入れた古沢喜兵衛(槐市)は、自分の身近な知り合いたち(俳句仲間)に対して、自分の家には江戸からそういう人がやって来て滞在している、といったことを自慢げに知らせたことでしょう。その知らせを受けた一人が、荒川南岸の押切村(下押切)に住む名主持田宗右衛門(逸翁)であったのです。持田宗右衛門はさっそく大麻生村の古沢家に滞在する崋山を訪ね、そしてその宗右衛門の人柄に惹かれた崋山は、ある晩秋の一日、荒川を徒歩で越えて押切村の持田家を訪ねることになったのです。 . . . 本文を読む