案内人の義兵衛を「下村田」で見送った後、崋山と梧庵がしらない道をたどりたどり歩いて行くと「中村田」というところに至ります。そこには酒造家がなんと12軒ほどもありました。この「村田」とい村は大村で、「上」「中」「下」に分かれ、治安もよさそうである。「村田」の間は一里ばかりあり、その道はすべて田んぼや人家の間を通っていました。道すがら、浅間山やその周辺の山々が木々の間から見ることが出来ました。一般に、浅間山の噴煙は、伏している時は風で、立ち上っている時は凪(なぎ)。その噴煙の状況を見れば、風晴の兆(きざ)しを間違えることはない、という。「けふハ風なり」と崋山は記す。西方向に見える浅間山の噴煙は、伏していたことになります。あとで前小屋天神の書画会の記述からわかる通り、この日は強い西風か西北の風が吹いていたものと考えられます。 . . . 本文を読む